あーと屋のほぼ大阪クラシック演奏会気まま日記

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2019217日 広島交響楽団 福山第25回定期演奏会

 

福山リーデンローズ

1階R226

 

モーツァルト      :歌劇『ドン・ジョバンニ』序曲

リスト                 :ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調

ブラームス          :交響曲第1番ハ短調

 

指揮                     : 小泉 和裕

ピアノ                 :小川 典子

 

ホールホワイエに置かれた広響の来期Yearbookを見ると、10回の定期のうち音楽総監督下野達也が3回登場し、ブルックナー5番(5月定期)、矢代秋雄の交響曲(9月定期)、伊福部昭の“ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲”(2月定期)と意欲満々のプログラムにくわえ、カンブルランの幻想交響曲(11月定期)、シュトイデの弾き振り(1月)、アルミンクのブラームス(3月定期)と、なかなかに魅力満載ではないか(ああ、これでホールさえ良ければ)

 

1度の福山公演は“定期”の冠をつけながら毎度の地方巡業。小泉和裕をブッキングしての今年の演奏も、特段に練習を重ねたとは思えない、恐らく当日午前中のゲネプロのみで、さっとさらった程度のルーティン演奏。演奏し慣れたブラームスの交響曲など、管楽器に少々雑なところも目立ち、ちょっと残念。それでも音響抜群のリーデンローズで聴くオーケストラの響きはやはり素晴らしく、百難隠すといったところだろうか。ただ、やはり日ごろデッドなホールで演奏しているオケがこうした豊かな響きのステージに乗ると、管楽器がとにかく煩い。音量、半分ほどでも良いくらいなのに、といつも思う。

 

そういえば、昨年の福山定期でも同じような感想を記していた…

2018218日 福山定期)

初めて実演を聴く円光寺雅彦は、愚直というか、Eテレでよく目にする不器用そうな指揮姿そのままで、そのタクトから引きだされる演奏も杓子定規的で面白みがない。もしかすると、オーケストラともソリストとも当日顔合わせをしただけだろうか。奏者にあれこれ自分の主張を求めないで演奏会を無事こなすことに徹した、ということかもしれない。

〜中略〜

福山定期と称して演奏会を行うなら、是非とも下野達也と一緒に本所地の定期プログラムを福山でも聴かせてくださいな。

 

Yearbookによると来年26回福山定期も地方巡業モード。下野さん、福山に来てよ、そして真剣勝負の演奏を福山で聴かせてよ、お願い。それともう一つ、事務局様、地方巡業モードの福山公演なら、エンターテインメントに徹してアンコール演奏をお願い。

 
広島交響楽団_第25回福山定期_20190217

 

201922日 新国立劇場 オペラ『タンホイザー』

 

新国立劇場

1928

 

指揮:                アッシャー・フィッシュ

演出:                ハンス=ペーター・レーマン

オーケストラ:        東京交響楽団

 

領主ヘルマン           :妻屋 秀和

タンホイザー           :トルステン・ケール

ヴォルフラム           :ローマン・トレーケル

ヴァルター             :鈴木 准

ビーテロルフ           :荻原 潤

ハインヒリ             :与儀 巧

ラインマル             :大塚 博章

エリーザベト           :リエネ・キンチャ

ヴェーヌス             :アレクサンドラ・ペーターザマー

牧童                   :吉原 圭子

 

この週末の東京出張の予定がほぼ固まってきた約1カ月まえ、チケットぴあを覗いたら、なっなっなんと平土間9列中央の席がポッコリ空いてるではないですか。もう、即買い! とにかくピットに入った東京交響楽団の鳴りっぷりのみごなこと。金管は太く安定してるし、弦もけっしてブラスの響きに埋もれない。最終幕ではうねるようなワーグナーの音楽を堪能した。1888年板(パリ版)によるヴェーヌスベルグの場面での新国バレエのパフォーマンスが素晴らしかったし、また巡礼の合唱を感動的に聴かせてくれた新国合唱団も本当に上手い。

 

タイトルロールのトルステン・ケールは声の抜けが悪く、歌合戦の場面では歌唱そのものもヴォルフラム(ローマン・トレーケル)どころかビーテロルフ(荻原潤)にも歌い負け。エリーザベトの命乞いの歌唱に続く“ああっ、なんて哀れななこの身よ”の叫びなど、完全にオーケストラに埋もれてしまってる。それでも、第3幕の“ローマ語り”で圧倒的な盛り返しにより、終わりよければ全てよし、といったところだろうか。

 

それにしても、高さ8 meter以上ありそうなパイプを装した半円形の舞台装置は、考えてみると実に凄い。剛性と安定性を確保しながらも舞台上で黒子1人が動かせるほどに軽量で、かつ再演に備えて分解・組立できる構造でないといけない。

 
新国立劇場‗タンホイザー‗20190202

2019年2月1日 新日本フィルハーモニー すみだトリフォニーホール 

 

すみだトリフォニーホール

1階13列目35

 

指揮: マルク・アルブレヒト

新日本フィルハーモニー管弦楽団

 

ブルックナー : 交響曲第5番 変ロ長調

 

東京出張にタイミングを合わせて、何かコンサートがないかと検索サイトでまず見つけたのが、昨日の読響大阪定期のブログ記事でも触れたムーティ指揮・シカゴ響の東京文化会館でのヴェルディ・レクイエム。イタリアオペラの中でもヴェルディの作品だけはどうにも苦手、と日ごろ知人にも公言(といっても、件のクラシック音楽バーでの与太話の中でだけど)していても、レクイエムは全くの別話。是非ともムーティ指揮・シカゴ響で聴きたい…と思ってみたものの、やはり早々に完売状態。ということで、もう一つ見つけた新日フィル・トパーズシリーズ公演を聴きに、すみだトリフォニーホールへ出かけた。

 

いつもながらシューボックス型のこのホール、音響的には都内随一だと思う。実際、この日座った113列あたり、多くのがっかりホールなら音が頭上に抜けていってしまうところ、このホールは直接音と間接音がブレンドさえた、実に豊潤な響きに浸ることができる。天井にわずか4枚ほどの音響補正用の反響板が吊るされているだけなのを見ると、音響設計が見事に成功した例だろう。ただし、立地的にはクラシック音楽を週末に楽しむには最も不適なロケーション。ホールにたどり着くには錦糸町駅からJR線路沿いに下町の雑踏の中を歩くか、高架沿いの騒がしいショッピング施設の中を抜けていくか、しないといけない。またホール内の“北斎カフェ”は、狭い空間に無理矢理スペースを取っただけで、窓越しに殺風景なビルしか目に入らず、とてもがっかりしたことがある。

 

ブルックナーの5番は少々苦手。それでも終楽章で前の3つの楽章の主題が回想され、二重フーガから壮大なエンディングに向かってひたすら大伽藍を構築していく様は、やはり興奮してしまう。これが2菅編成で演奏されるのだから、いつか倍管での演奏を聴いてみたいものだ。指揮者のアプローチも奇をてらうことのないもの。オーケストラも熱演だったけど、やはり昨日大阪で聴いた読響がちょっと上手かな、と思わないでもない。

 

新日本フィル_トリフォニー_20190201

2019131日 読売日本交響楽団 第22回大阪定期演奏会 

 

フェスティバルホール

2階 1列目 定期会員席

 

ワーグナー     :楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲

モーツァルト   :ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K488

               アンコール  ジャズ小品

ブラームス     :交響曲第1番 ハ短調

 

指 揮           サッシャ・ゲッツェル

ピアノ          :小曾根 真

 

ホール入場時に手渡された来週月曜日のブラームス交響曲第1番・第2番を演奏するリッカルド・ムーティ指揮シカゴ交響楽団の公演チラシを手に持ったまま席に着いたことで、否応なくいま耳に聞こえている演奏が、ムーティ・シカゴ響とどれほどに違うものなのか(もしムーティ・シカゴ響を聴いたら、どのように違いが感じられるものだろか)と想像しながら読響のブラームスを聴いていた。

 

う~ん、どうだろう。シカゴ響なら金管群、特にトランペットはもっと艶やかでニュアンスに富んでいるだろうか、木管群もやはり格の違いを感じるだろうか、でも弦はどうだろう、いま耳に聞こえてる読響も十分に凄いぞ。もっともシカゴ響をライブで聴いたのはショルティとの1986年のザ・シンフォニーホール土日2公演(マーラーの5番とブルックナーの7番がそれぞれのメインだった)が唯一の記憶で、まして次週月曜日のフェスティバルホール公演など、大枚(読響の5倍以上もする)をはたいてまで聴きにいくつもりなど毛頭ないので、そもそも比較のしようなど全くないのだけど。

 

第1曲目は理想とする演奏とは少し違っていたけど、ワグネリアンとしては“マイスタージンガー前奏曲”が生で聴ければ、もうすれで十分。でも、次のモーツァルトのPコンは“弾けてる”だけでは、ただただ凡庸でつまらないものだ、ということを再認識させられた。例えば内田光子や小山実稚恵のモーツァルト演奏を経験してしまった耳にはかなり辛いものがある。

 

 
読響_大阪定期_20190131

201895日 読売日本交響楽団 第21回大阪定期演奏会 

 

フェスティバルホール

2階 1列目 定期会員席

 

ベルリオーズ: 序曲『ローマの謝肉祭』

チャイコフスキー: ヴァイオリン協奏曲 二長調

ドビュッシー: 交響詩『海』

ラベル: ボレロ 【未聴】

 

 指 揮        ジョセフ・バスティアン

ヴァイオリン  : 神尾 真由子

 

先日の台風21号で被害にあわれた皆様に心からお見舞い申し上げます。私は幸いなことに、恐らく“大阪市内で最も自然災害の影響を受けない”公共交通機関、四つ橋線利用なので通勤に支障がなく、台風通過の際もただ一人オフィスで勤務していました。先日の地震のときと同様、帰宅難民など無縁でしたが、オフィスのあるビルの最上階は猛烈な風を受けて揺れに揺れ続けて、30分余り船酔状態でした。

 

それでも思わぬところに台風の余波が・・・!本社幹部を6日早朝(この演奏会の翌朝)に関空でピックアップの予定だったのが、空港閉鎖の緊急対応で成田行きに変更となったおかげで、翌朝7時半までに成田空港に行かなければならなくなってしまった。さすがにフェスティバルホール終演からでは、どう手段を講じても翌朝7時半までに成田空港に到着することは不可能。幸いなるかな、プログラムの後半演目が“海”と“ボレロ”なので、“海”を聴いた後に席を立って、どうにか東京行き最終のぞみ(923分発)に飛び乗った。もしプログラムが前回定期の“復活”のような一曲ものだったら、アウトだったあ~!。

 

さて、この日の演奏についてどのような感興を得たか、をブログに残すに先立って、記しておかなければならないことが

 

私は絶対音感を持っていません。また“このブログを始めるに当たって”に記したとおり音楽の専門教育を受けてもいません。ということで、以下に書くことについては、素人の一音楽ファンのブログ記事としてご容赦(最も、このブログの記事すべて、ですけど)のほどを….

 

と、長い前置きをしてしまったけど、実は前半のヴァイオリン・コンチェルトは、とても“不快”だった。ソロ・バイオリンの音程が余りにハズレすぎている(と私には感じた)。ピンボケ写真を凝視しつづけたような、もしくは眼鏡を外して裸眼(近視、老眼、加えて加齢による軽度の斜視)で街を彷徨っているような不快な感覚に襲われてしまった。長い第1楽章の途中、席を立ってホール外に出ようか、と半分真剣に思ったくらい。前述の台風通過時の船酔気分のほうが、ビル1階という逃げ場があるのでマシだったかも。これでは、さすがに盛んな拍手を受けてステージに呼び出されてもアンコールは“無し”でしょう。ただし第1楽章の後、拍手が起こったくらいだし、終演後は盛んにブラボーが飛んでいたので、あくまでも私個人が“そう感じた”ということ。

 

なお、オープニング曲ベルリオーズも後半のドビュッシーも、読響の各パートの実力通りの演奏。特に“海”での色彩とニュアンスに富んだ各楽器のソロ、精緻なアンサンブル、そして特に終楽章終結部での深すぎず、厚くなりすぎない深い呼吸のブラスが加わってからの、終曲までの音楽のなんと素晴らしいこと。数年前に同じフェスティバルホール(ただし席は異なるけど)で聴いた大阪フィルの演奏とは数段の違い。ラベルの“ボレロ”を聴かずに、後ろ髪を惹かれるように、ホールを後にした。

 
読響_大阪定期_20180905


201889日 ウエスト・サイド物語 佐渡裕指揮シネマティック・フルオーケストラ・コンサート

 

バーンスタイン生誕100周年記念

佐渡裕指揮 ウエスト・サイド物語

シネマティック・フルオーケストラ・コンサート

 

フェスティバル・ホール

3階123

 

指揮: 佐渡 裕

東京フィルハーモニー交響楽団

 

昨今、新旧の様々な映像作品のシネマコンサートが話題だけど、恐らく2012年の『ウエスト・サイド物語』が口火を切ったのではないのだろうか。前回は大阪会場がオリックス劇場だったこともあり、まったくのスルーだった(東京は、今回と同じ東京国際フォーラム)。今回はフェスティバル・ホールを会場としていること、そしてなによりスクリーンにあわせてフルオーケストラが演奏する“シネマコンサート”なるコンテンツに対する興味が日増しに大きくなっていることもあり、大変楽しみにしていた。当然、選択した席はフルオーケストラを聴くにはベストの席、3階最前列席。ホール音響を楽しむのであれば、もう一つの選択肢として2階の左右バルコニー席があるけど、シネマコンサートに限ってはスクリーンを斜め45度から観る羽目になってしまう。

 

さて、あえて “シネマティック・フルオーケストラ・コンサート”と名乗ったこの公演、どう捕らえようか? この度、巨大スクリーンを通して鑑賞して、改めてミュージカル映画の最高傑作のひとつだと思わずにはいられない。オーケストラによる“序曲”のあと、マンハッタン空撮から始まりウエスト・サイドに暮らす人々の日常、そしてジェット団とシャーク団の対立構造までをダンスとともに見事に描ききった“プロローグ”で、完全に作品の魅力に捉われてしまった。完璧を追求するあまり途中解雇されたジェローム・ロビンズが監督した、そのプロローグでの凝りに凝った撮影時の逸話が、パンプレット内“画面に炸裂する渾身のダンス”の項に詳しく記されている。--因みに、この価格1,000円のパンフレットは非常に読み応えがある。買って良かった。

 

では、売物のフルオーケストラ・コンサートとしてはどうか、と言うと残念ながら、“あ~、こんなもんかぁ” といったところ。弦143管にハープや打楽器奏者6名(たしか)、さらにサックス3本とドラムス、エレキギターまで加えた巨大編成でありながら、とにかく音が飛んでこない。あえてオーケストラを聴くにはベストな3階席最前列に席を取ったのに、こんなにオーケストラの音を貧弱に感じたのは始めて。横に長いステージ背景として置かれた黒い布が音を吸収したこともマイナスだろうし、そもそも演奏自体も縦の線を合わせることのみを求められているわけで、特段に熱気をおびた演奏には聞こえない。昨今のPAが充実したシネコンで映画を観るときのような臨場感にはほど遠い。オーケストラの音量に映画のPAを合わせる必要もあったはず。もしオリジナル音声でシネマ上映をするのであれば、もっとPA音量を上げることも出来ただろう。そういえば、ばんばパークスで観るメット・ライブビューイングなど、実際の歌劇場ではありえないような大音量で、臨場感抜群だ。

 

勿論、映像とのシンクロは見事なもの。例えば、ドクの店でマリアの懇願を請けてやって来たアニタとジェット団との “あざけりのシーン” での音楽など、シーン冒頭のBGMのように流れるジャズバンドのサウンド・トラックからオーケストラの生演奏に切り替わっていくところなど、見事なほどに完璧だっただけに、あえてオーケストラの生演奏を聴く意味を考えてしまう。“生演奏” に勝るものなないだろうって?勿論、おっしゃるとおり。でも聞こえてくる生音が、オーケストラを聴くときの圧倒的な音圧、響きといった迫力を伴っていなかったら、“オリジナルサウンドでいいんじゃないの?” と思ってしまう。ましてや、再現芸術をもって評価されることを生業としているプロ奏者が、毎度定められたテンポや音量を厳格に維持しなければならない作業をわざわざ…とまで思ってしまう。東京は、フェスティバル ホールの2,800人より、さらに大きいキャパ5,000人の東京国際フォーラムでの公演だったらしい。どうだったのだろう。

 

いずれにせよ、名作『ウエスト・サイド物語』を大いに楽しんだのは、間違いない。でも、シネマコンサートなるコンテンツ、今回の経験で十分。

 

 
ウェストサイド物語_20180809


ウェストサイド物語_2_20180809

ウェストサイド物語_1_20180809

201881日 ゲルギエフ指揮・PMFオーケストラ東京公演

 

サントリーホール

2LB 65

 

指揮            : ワレリー・ゲルギエフ

フルート        : デニス・ブリアコフ

PMFオーケストラ

 

ヴェルディ      :オペラ『シチリアの夕べの祈り』序曲

バーンスタイン  :ハリル

マーラー        :交響曲第7番 ホ短調

 

マーラー7番の演奏スピードのなんとも速いこと。15分の休憩の後、演奏が始まったのが8時ちょっと前だったので、“終演は920分過ぎかぁ”と思って覚悟して聴き始めると(翌日は早朝625分羽田発の便で大阪戻り)、どの楽章もサクサクと進んでいき、終楽章が終わったのは9時を僅かに回ったくらい。 “わっ、こりゃ早いわ!”と、実際に腕時計で時間をチェックした第3、第4、第5はそれぞれ9分、10分、14分ほど。勿論、前の二つの楽章もかなりの快速だった。どうだろう、正味67分くらいの演奏だったろうか? もともと構成などあえて意識せず、少々支離滅裂気味に現れる楽想の一つ一つを楽しむ作品なのに、特に中間の三つの楽章など、このテンポでは曲の面白みが感じられない、と感じたのは私だけだろうか。それでも“超”がつくほどの快速で駆け抜けた終楽章は、その疾走感が快感を呼んだのも事実。

 

クラシック・ファンとしてパシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)は、発足当時から現在に至る経緯についてある程度の知識はあるものの、関西にいると例えばオーケストラ東京公演のチラシなどを目にすることもなく、ほとんど意識の外にある。今回の演奏会もこの夏枯れ状態のシーズン・オフの最中、東京出張にあわせて聴きにいける演奏会がないか探したところ、音楽友乃社WEBコンサート・ガイドで偶然に見つけ、一週間前にチケットを購入したもの。

 

そんな急遽決めたコンサートなので、~ゲルギエフ・マーラーを振る~とのコンサートサブタイトルとともに、マーラーの7番が演奏されることのみで、他にも演奏曲があるかなどまったく意識しておらず、ホール入場時に受け取るコンサートプログラムを見るまで知らなかった。プログラムには、ヴェルディの序曲が載っていないのは何故だろう。聴かず嫌いのヴェルディなので、演奏を聴いても曲名が分からない、ホールのホワイエにも演奏曲目の掲示もない。後になって、サントリー・ホールのホームページで『シチリアの夕べの祈り』序曲だと確認できた。
=追記訂正 プログラムの差込チラシに曲目紹介がちゃんとありました。==


20180801PMFオーケストラ_東京公演_

PMFオーケストラ_東京公演1_20180801

PMFオーケストラ_東京公演2_20180801

2018629日 読売日本交響楽団 第20回大阪定期演奏会 

 

フェスティバルホール

2階 1列目 定期会員席

 

マーラー: 交響曲第2番『復活』 

 

 指 揮        コルネリウス・マイスター

ソプラノ      : ニコール・カベル

メゾ・ソプラノ       : アン・ハレンベリ

合唱          : 新国立歌劇場合唱団

 

毎年3月から6月までをクラシック演奏会の前期シーズン、そして9月初旬の恒例“大阪クラシック”明けから11月までを後期シーズンとすれば、今回の読響大阪定期の“復活”は間違いなく前期シーズン最大の呼び物。NHK交響楽団と並んで国内トップレベルのオーケストラである読響がフル編成で新国立歌劇場合唱団とともにフェスティバルホールで“復活”を演奏するんだから、きっと名演になるに違いない・・・と、私は勿論のこと、ほぼ完売のホールに足を運んだ多くの人が期待していたに違いない。 そう、唯一ちょっとだけ気がかりは、コルネリウス・マイスターという未知数の若手指揮者であること、そしてちょっとだけ残念なのは、フェスティバル・ホールにはパイプオルガンが無いこと、だろうか。

 

最終楽章、賛歌がア・カペラで歌われ始めてからエンディングまでの10分間は奇跡的なまでに感動的で、大曲を聴き終えた後の充実感にたっぷりと浸ることができた。新国立歌劇場合唱団のみごとなこと。ピッチは完璧だし、ドイツ語発音は正確無比。大団円を迎えたところでのバンダも加えた巨大編成オーケストラに負けないどころか、その大音響をも覆い被せてしまうかのような声量に驚嘆。舞台袖のホルンとトランペットによる復活の合図の場が終わったあと、一瞬の沈黙もおかずに開始された合唱が徐々に高揚してゆく過程でのニュアンスに満ちた音楽の運びのすばらしいこと。もっとも、この運びの秀逸さについては指揮者によるものだろう。

 

でも・・・ねぇ、合唱にいたるまでの70分間には、正直“凡”なり“駄”なりを接頭したくなるほど。コルネリウス・マイスターは、合唱入りからのみごとな音楽を、どうして冒頭から聴かせてくれないのでしょう。第1楽章を振り終えたあと、指揮台の上でじっと静止したまま1分以上の間と取ったのも、作曲者指定を踏まえたものだろうけど、あんな演奏じゃ、満席のフェスティバル・ホールのなかで絶望の淵に追いやられた人など、さすがに一人もいないでしょう。加えてデリケートに処理されるべき箇所が、特に金管群がバンダも含めて、ことごとく雑になっていたのがとても残念。

 

読響の弦はいつもながら非常に強靭。終楽章の途中の行進曲開始の部分、弦の強奏の上にトランペットがソリで行進曲のテーマを吹き鳴らす箇所で、弦が少しでも痩せていると、とにかくアンバランスさを露呈してしまう、この曲を聴くときの私にとっての鬼門だけど、この日の演奏はまさに理想的なものだった。==というより、合唱入りまでの80分間で、さすが読響と思わせてくれた唯一の箇所だった。

 

ということで最後の合唱までは、なんだか残念な気持ちをいっぱい抱えたまま。でも、最後の復活の合唱で、まさに“復活”の大逆転。終わりよければ全てよし。

 


読響_大阪定期_20180629


前夜はワールドカップGL3戦(日本VSポーランド)をなんばHIPS5階のスポーツ・バーで深夜1時まで観戦した後、そのまま戎橋で“お祭り”を野次馬。
欄干の上には鉢巻とスイムパンツの飛び込み待ちが何人も。最終的に70名ほどがここからジャンプした。

戎橋_20180628

 

201861日 東京フィルハーモニー 第118回東京オペラシティー定期演奏会  

 

東京オペラシティーコンサートホール

3C3 7

 

ボロディン: 歌劇『イーゴリ公』より韃靼人の踊り“

ショスタコーヴィチ: ヴァイオリン協奏曲第1

ショスタコーヴィチ: 交響曲第5番 

 

 指 揮                  アンドレ・バッティストーニ

ヴァイオリン                     : パヴェル・ベルマン

 

10代のころ、取り憑かれたように聴いたムラビンスキーのモノラル録音(LP時代に一体、何種類の音源を持っていたのだろうか)で聴くロシア重戦車を思わせる“超”スローテンポ。そして、しばらく後にリリースされたバーンスタインの1979年東京ライブ盤の、ムラビンスキーとは真逆のアプローチ。ショスタコーヴィッチの第5交響曲において、両者を演奏解釈の二通りのありようとしてベンチマークとして刷り込みしてしまい、その後に聴く演奏がどちらに振れたものであるか、といった聴き方をしてしまう。

 

ところがこの日の演奏はそのコーダにおいて、どう捉えようか困ってしまうような解釈を見せたことに戸惑ってしまった。スローテンポでコーダを開始した後、ホルンがソリで吹き鳴らすところ(299小節)で突然ギアを数段上げたかのようなスピードアップ。その後、フォルテシシモの箇所に向かって徐々にテンポを落としたかと思うと、再びテンポを速め、340小節あたりでまた一気にギヤダウンして、最後はムラビンスキーばりの超スローテンポで曲を締めくくった。

 

うーん、どうだろう。リスクを恐れず小さくまとまらないことこそ若者の特権であり、バッティストーニはまさにそれを体現して成功を掴みつつある若手指揮者と思う。思いっきりオーケストラをドライブさせた“韃靼人の踊り”も、ヴァイオリン協奏曲でのオーケストラの扱いも立派なものだった。それでも最後の最後での“コネクリまわした”感が残念でならない。

 

ちなみに、このブログを書くにあたり、自宅書棚にあった“ショスタコーヴィチの証言”(ソロモン・ヴォルコフ著・水野忠夫訳)を引っ張りだして再読してみた。昭和5510月発行の初版本なので、ちょうど私が二十歳のときに買ったようだ。あまりにも有名な真贋論争により、後に大変なインパクトをもたらした本だけど、実際のところ全400頁にも及ぶこの本のなかで、第5交響曲についての記述は『ムラビンスキーが私の音楽をまるで理解していないと知って愕然とした』の一節から始まる有名なくだり(本の265頁)で出てくる程度。時折、この交響曲の解説で“ショスタコーヴィチの証言”以降….などと、作品解釈の分岐点として扱われるのはどうにも違和感がある。

 

おっと、ホールのことを書くの忘れてた。東京オペラシティーコンサートホール“タケミツ メモリアル”。私のなかで、東京でベストなホールです。シューボックスの上にピラミッドのような高い天井による独特な空間が作り出す豊かな音響はもちろんのこと、初台駅から会場までのアプローチ、ホワイエの雰囲気まで含めた、総合評価では東京で随一でしょう。

 

東京フィル_東京オペラシティー_20180601

東京フィル_東京オペラシティー_証言_20180601





201858日 東京フィルハーモニー 第907回サントリー定期 歌劇『フィデリオ』演奏会形式 

 

サントリーホール

110 35

 

ベートーベン    : 歌劇『フィデリオ』 演奏会形式

 

 指 揮                  チョン・ミュンフン

 

フロレスタン                     : ベーター・ザイフェルト

レオノーレ                         : マヌエラ・ウール

ドン・フェルナンド           : 小森 輝彦  

ドン・ピツァロ                  : ルカ・ピサローニ

ロッコ                                : フランツ=ローゼフ・ゼーリヒ

マルツェリーネ                  : シルヴィア・シュヴァルツ                           

ヤキーノ                            : 大槻 孝志 

 

合唱                                   : 東京オペラシンガーズ

 

『フィデリオ』って、楽聖ベートーベン唯一のオペラ作品として有名(名前がよく知られている)でありながら、作品自体は耳にする機会がありそうで、なかなか無い。週末に自宅のCDラックを確認したら、15年ほど前に『まっ、いつか聴くでしょ』と買っていたマゼール・ウィーン国立歌劇場とクレンペラー・フィルハーモニアOの全曲セットがどちらも未開封のまま、埃を被ってた。普段は演奏会に先立ってCDで事前に聴いておくことは一切“しない派”だけど、今回だけは、事前に“予習”をしておけばよかったようだ。ミュンフン・東京フィルの実演を聴いても、どうにもピンと来なかった『フィデリオ』も、この週末にマゼールとクレンペラーの両録音を聴いて作品の魅力が多少は判ってきた気がする。

 

全曲を暗譜で指揮したチョン・ミュンフンの切れ味鋭い指揮姿と、それに応えた東京フィルの演奏がみことだったけど、なにより東京オペラシンガーズがこんなにも達者な団体だとは知らなかった。演奏会形式だとオーケストラ演奏のダイナミズムが際立つ一方で、主役・準主役級とその他歌手の実力差がはっきりとしてしまう。そんな中、第2幕序奏後のベーター・ザイフェルトの“神よ、なんと暗い闇か!”の最初の言葉 Gott! の扱いが、録音で聞くジェームズ・マクラッケン(マゼール盤)やジョン・ヴィッカーズ(クレンペラー盤)の冒頭から張り上げるような歌いっぷりと異なり、苦悶の果てに心の底から搾り出すかのような歌いだしだったのがとても印象的だった。

 

下手前方席からの“早く演奏しろ!”との叫びは論外にしても、常々ブログに書いているとおり、余分なバイアスを与えてしまう所謂“前説”は、出来れば耳を塞いででも聞きたくない。その意味では幸いなことに作品紹介に徹した単なる“お話”だったにしても、なんとも中性的な俳優の語り口は“これからベートーベンのオペラを!”と気持ちを切り替えていたところには不釣合いだった。

 

 
東京フィル_フィデリオ_20180508



20185月1日  ウィーン国立歌劇場 アイーダ

 

ウィーン国立歌劇場

平土間右2列目3

RPARKETT RECHTS REIHI2、 PLATZ 3

 

ヴェルディ : 歌劇『アイーダ』

 

 

指揮          :エヴェリーノ・ピッドー

演出          : ニコラ・ジョエル

オーケストラ  :ウィーン国立歌劇場オーケストラ

合唱          :ウィーン国立歌劇場合唱団

 

エジプト王    : アイリーン・ファスト・グリーン

アムネリス    : アニタ・ラチヴェリシュヴィリ

アイーダ      : クリスティン・ルイス

ラダメス      : ホルヘ・デ・レオン

ラムフィス    : ソリン・コリバン

アモナスロ    : パオロ・ルメッツ

 

席は平土間ピットから2列目、上手端から3番目。一昨日、昨日と大きく異なり日本人旅行客が驚くほど多い。この旅で知り合いとなったN氏(後述)をお待ちして劇場入り口に立っていると、日本人の旅行客がやたらと目に付く。新婚旅行然とした若いカップルから、数名の女性グループ、そしてもちろん壮齢のご夫婦まで。私の席の周りだけでもざっと10人は日本人だったから劇場全体で150人、もしかすると200人近くが日本人だったとしても、決しておかしくは無い。

 

3列目のほぼセンターで聴いたとき(一昨日のアンドレア・シェニエ)の身震いするほどの感興に一切ひたれなかったのは、明らかに席位置の違いだろう。目の前はヴィオラの最後尾でその奥にトランペットとトロンボーン。その直ぐ右横(上手)にはティンパニが置かれ、とにかくバランスが悪い。ただし、舞台から2列目は、特に上手よりで歌ったときの襞のような細部までとても良くわかる。全体的には歌唱パフォーマンスにバラつきがあったようで、アムネリス役のドラマチック・ソプラノ アニタ・ラチヴェリシュヴィリが一番の出来だったのに対して、アイーダ役のクリスティン・ルイスの、低域での声の弱さゆえの表現の単調さと中・高域にかけてのつながりの悪さがどうにも聞こえ悪く、実際、終演後のカーテン・コールでかなりのブーイングが浴びせられていた。そのカーテン・コールはわずか1回だけ。昨日のセヴィリアの理髪師2回、一昨日のアンドレア・シェニエがヨナス・カウフマン主演もあり平土間総立ちのスタンディング・オベーションとともに長時間続いたことを思うと、私の今回のオペラ3作品の満足度とみごとに相関する。

 

それにしてもやはり、ヴェルディは苦手だ。これまでも、お金を払ってまで聴きたいとは思わない“食わず嫌い”の作曲家。今回、初めて実演を聴いてハッキリ認識した。誰になんと言われようと、ヴェルディは私の趣向に合わない。日頃ワグネリアンを自認していてもイタリア・オペラは嫌いではないし、実際プッチーニは初期作品から晩年トゥーランドットまで、どれも楽しんできた。でも、ヴェルディはやはり、だめだ。

 

ウィーンの3日間の滞在では、素敵な出会いもあった。滞在初日のアンドレア・シェニエで偶然、隣に座られたご年配の紳士N氏とはその後のセヴィリアの理髪師、アイーダ、そしてこの日の午前11時からの楽友協会大ホールでのウィーン・ヨハン・シュトラウス・オーケストラのスプリング・コンサートともすべてご一緒で、毎回開演30分前に会場入口でお会いしてお話をさせていただいた。楽友協会を出た後、ご宿泊先であるインペリアル・ホテルで昼食までご一緒させていただき、いろいろと楽しいお話をさせていただいた。35年ほど前、ウィーン国立歌劇場でグルベローヴァのアデーレを聴いて以来のオペラファンであること、毎年、大晦日の『こうもり』とニュー・イヤー・コンサートを聴きにウィーンにいらっしゃること、そして今回はもう数日滞在しハーディング・ウィーンフィルのマーラー5番を聴いてから帰国なされること、などなど。3日間を通じ、ご人徳あふれる語り口とお人柄あふれた笑顔のN氏と演奏会の前後に会話を交わすことで、私の一人旅をさらに心豊かなものにすることができました。ありがとうございました。

 ウィーン国立歌劇場_アイーダ_20180501



ウィーン国立歌劇場_アイーダ_1_20180501



2018
51   ウィーン・ヨハン・シュトラウス・オーケストラ スプリングコンサート ウィーン楽友協会大ホール

 

ウィーン楽友協会大ホール

1階左3番ボックス席1列目5番 

3Parterre-Loge Reihe1Platz 5

 

指揮          :アルフレッド・エシュヴェ

オーケストラ  :ウィーン・シュトラウス・オーケストラ

 

ヨハン・シュトラウスⅡ             : 喜歌劇『ジプシー男爵』序曲

ヨハン・シュトラウスⅡ             : ポルカ『モルダウ川のほとり』

ヨハン・シュトラウスⅡ             : ポルカ・シュネル『さあ、踊ろう』

ヨハン・シュトラウスⅡ             : ワルツ『ウィーンのボンボン』

ヨハン・シュトラウスⅡ             : ポルカ『蜃気楼』

ヨーゼフ・シュトラウス             : ポルカ・シュネル『休暇旅行にて』

ヨハン・シュトラウスⅡ             : ワルツ『ジャーナリスト』

休憩

ヨハン・シュトラウスⅡ             : オペレッタ『ヴェネチアの一夜』序曲

ヨハン・シュトラウスⅡ             : ワルツ『東方のおとぎ話』

ヨーゼフ・シュトラウス             : ピツッカート・ポルカ

ヨーゼフ・ランナー          : タランテラ・ギャロップ

ヨハン・シュトラウスⅡ             : 喜歌劇『こうもり』からチャルダッシュ

ハンス・クリスチャン・ロンビ       : シャンパン・ギャロップ

ヨハン・シュトラウスⅡ             : ワルツ『皇帝円舞曲』

 

  アンコール      

ヨハン・シュトラウスⅡ             : ポルカ・シュネル『雷鳴と稲妻』

ヨハン・シュトラウスⅠ             : ラデツキー行進曲

 

この旅の宿泊先はケルントナー通りの基点、ホテルザッハーの向かい側にあるオペラ・スイート・ホテル。その名のイメージとは異なるわずか12室のこじんまりとしたホテル。それでも国立歌劇場まで徒歩1分、楽友協会まで5分ほどの、出張ついでの音楽三昧一人旅には申し分ない。一見、とてもホテル入り口とは思えないような扉から外に出ると、ケルントナー通りの向こう側がちょうどホテルザッハーのカフェ入り口で、夜遅くまでザッハトルテ目当ての旅行者の長蛇の列。宿泊2日目の昨日には大体様子が判り、カフェが込みだす前の朝11時前に出かけて、歌劇場に面したオープンカフェでその名物ケーキをゆったりと堪能した。

 

さて、代理店を通じて購入した席は1階左3番ボックス席1列目で、私の周りは身なりのよい地元の老夫婦ばかりで日本人は私一人。毎年51日メーデーの日に開催されるこのコンサートを地元の人も楽しみにしていることが、なんとなく聞こえてくるドイツ語の会話(もちろん会話の内容など皆目わからないけど)からも伝わってくる。

 

ステージから届く芳醇な響き、ホールの空間に満たされてた後、ふわっと減衰していく豊かな残響。3番ボックス席前列で聴くウィーン楽友協会大ホールの響きは、本当にすばらしかった。オーケストラの編成は弦が 9+5+3+3+3 、木管2管、ホルン4、トランペット1(訂正、2です)、トロンボーン1, ハープ1、ティンパニ1、打楽器1(一所懸命に数えてしまうところがオタク)。ウィンナ・ワルツは大概ファースト・ヴァイオリンが旋律線を受け持って、セカンド・ヴァイオリンもヴィオラもリズムを刻んでいることを思えば、ファースト・ヴァイオリンの人数が多いのは理にかなった構成なのかもしれない。

 

指揮のアルフレッド・エシュヴェは今年1月に新国立歌劇場で聴いた『こうもり』の指揮者だったことに、このブログ記事を書いていて気がついた。そのエシュヴェは曲が終わるたびに指揮台の上から客席側に向かって次の演奏曲目を簡単に解説(もちろんドイツ語)していくけど、当然ながら何を言っているか、さっぱり判らなかった。

 

さて、この午前11時からのウィーン楽友協会大ホールでのコンサートのあと、夕方7時からはオペラ三連荘最後のアイーダをもって、ウィーン滞在は終わりとなります。

アイーダの鑑賞記事は帰国後になります。


ウィーン・シュトラウス・オーケストラ_1_20180501




 

2018430  ウィーン国立歌劇場 セビリアの理髪師

 

ウィーン国立歌劇場

平土間左4列目10

RPARKETT LINKS REIHI4、 PLATZ 10

 

ロッシーニ : 歌劇『セビリアの理髪師』

 

アルマヴィーヴァ伯爵 : Jinxu Xiaho

バルトロ             : Martin Winkler

ロッジーナ           : Rachel Frenkel

フィガロ             : Boris Pinkhasovich

バジリオ             : Ryan Speedo Green

フィオレッロ         : Igor Onishchenko

 

指揮          :アレクサンダー・ソディー

演出          :ギュンター・レンネツト

オーケストラ  :ウィーン国立歌劇場オーケストラ

合唱          :ウィーン国立歌劇場合唱団

 

席は昨日のアンドレア・シェニエとほぼ同じ、平土間の前から4列目、中央から左に5つ下手に寄ったところ。前列に座った方の頭がまったく邪魔することなく、舞台全体が見える一方で、コンマスがちょうど右斜め前の方の陰になってしまって、誰だったか判らずじまい。

 

オーケストラはベースが3本だったから、弦は10型だったのだろうか。(昨日のアンドレア・シェニエはベース6本だった) 序曲冒頭、ベースからふわっと音を積み重ねていく音作りが、昨日とまったく違う。常に重くならず軽やかに歌い、時に大きく盛り上がる弦、柔らかなホルンの響き。さすがに昨日のように音圧に圧倒されるようなことは一切無く、ステージ上の声をまったく邪魔しない。

 

演出は、とにかく手堅く練りこまれており、特にバルトロ役のマーティン・ウィンクラーの芸達者な動きが楽しい。何人ものオーケストラ・メンバーが演奏の合間に(それこそ、指揮者が棒を振り下ろす直前まで)舞台上に組まれた3階建てのバルトロ邸で繰り広げられるコメディーをじっと見上げているのが、いかにも演奏慣れしている感じで面白かった。

 

二回ほどのカーテン・コールを持って終演。そういえば、昨日のアンドレア・シェニエは、異例なほどにカーテン・コールが続いて、最後はスタンディング・オベーションとなったこと、忘れないようにここに記しておく。

ウィーン国立歌劇場_セビリアの理髪師_1_20180430

ウィーン国立歌劇場_セビリアの理髪師_20180430


2018429  ウィーン国立歌劇場 アンドレア・シェニエ

 

ウィーン国立歌劇場

平土間3列目12

RPARKETT LINKS REIHI3、 PLATZ 12

 

ジョルダーニョ : 歌劇『アンドレア・シェニエ』

 

アンドレア・シェニエ : ヨナス・カウフマン

カルロ・ジェラール   : ロベルト・フロンターリ

マッダレーナ         : アンニャ・ハルテロス

 

指揮          :マルコ・アルミニアート

演出          :オットー・シェンク

オーケストラ  :ウィーン国立歌劇場オーケストラ

合唱          :ウィーン国立歌劇場合唱団

 

席は平土間の前から3列目、しかも中央から僅かに下手によっただけ。ヨナス・カウフマンがタイトル・ロールを歌うとあってほとんど入手を諦めていたにもかかわらず、代理店がキャンセルチケットを定価で確保してくれた。

 

この位置できくウィーン国立歌劇場オーケストラの演奏に完酔。分厚くオーケストラ全体を下支えする低弦、一糸みだれぬ滑らかな高弦、ピット左右の管楽器群と一体になった完璧な音響バランス。目の前から聞こえてくるコンサートマスターのソロ・ヴァイオリンの音色、下手から聞こえてくる2本のハープと豊かで太いウィンナホルン、そして指揮者の息づかい。いままでに一度も体験したことのない、奇跡的なほどの臨場感に満ち溢れていた。

 

期待のアンドレア・シェニエ役のカウフマンにも増して圧巻だったのが、マッダレーナ役のアンニャ・ハルテロス。抜群に歌が上手い上に、容姿が美しくカウフマンの相手役として申し分ない。幕切れのアンドレア・シェニエとマッダレーナの圧巻の二重唱は、徐々に盛り上がるオーケストラの音と相まって感動的な時間だった。心が震えてしまった。

 

さて今日はほぼ同じ席位置で、大好きなオペラ『セビリアの理髪師』を鑑賞。あれやこれや書き残しておきたいこともあるけど、やっとのことでたどり着いたウィーン。開演までの半日、街歩きをしてくることにしよう。

 
ウィーン国立歌劇場_アンドレアシェニエ_20180429

ウィーン国立歌劇場_アンドレアシェニエ_1_20180429

2018413日 読売日本交響楽団 第611回名曲シリーズ サントリーホール 

 

サントリーホール

1323

 

チャイコフスキー: バレエ音楽『くるみ割り人形』より

                “行進曲”、“こんぺい糖の踊り”、“トレパック”、“花のワルツ”

モーツアルト    : クラリネット協奏曲 イ長調 K622

トビュッシー    : クラリネットと管弦楽のための第1狂詩曲

ストラビンスキー: 春の祭典

 

 指 揮          シルヴァン・カンブルラン

クラリネット       :ポール・メイエ

 

演奏会日記のアップをかなりサボっていました。320日のペンタトニカ“5つの物語”から413日の読響名曲コンサートまで、4つの演奏会をまとめてアップします。

 

東京出張の機会を利用してのコンサートは、先月と同じサントリーホールでの読響名曲シリーズ。年初には今回の東京出張が確定していたこともあり、2ヶ月ほど前に購入していた席はステージ正面3列目。読響のふくよかな弦、そして完璧にコントロールされた弱音と音色を変幻自在に操るポール・メイエのクラリネットによるモーツアルトの傑作コンチェルトを堪能した。

 

一方で、春の祭典を聴くにはちょっとステージに近すぎかな。オーケストラの音がステージ上の空間で上手く調和して鳴っているので、さほど直接音をストレートに浴びるわけでもなし、オーチャード・ホールなどのように頭上を越えて後方に逃げてしまうわけではない。まして、ほぼホール中央で、左右バランスを欠いているわけでもない。普段、埋もれてしまうヴァイオリンとヴィオラの動きをじっと見ているだけで十分面白いけど、それでも、やはりこういった巨大編成を聴くときは、可能な限りホール中央から少し後方が良いに決まっている。

 
読響_名曲_20180413

2018321日 ライナー・ホーネック指揮ザ・オーケストラ・ジャパン ファーストリサイタル ザ・シンフォニーホール

 

シンフォニーホール

1R 32

 

リムスキー=コルサコフ: 歌劇『ラムダ』より“貴族たちの行進”

モーツアルト: 交響曲第25

マーラー: 交響曲第1番“巨人”

 

指揮                   : ライナー・ホーネック

 

シンフォニーホールのホームページで知ったこの演奏会、当初は完全にスルー。“唯一無二” の定冠詞THEをつけたザ・オーケストラ・ジャパンって、いったいどんな団体なのか。平土間J列から最後列まで、何処に座っても音響的にさほど優劣の無いシンフォニーホール公演で、“より音の良い席”としてプレミアムチケットなるものを、S席のさらに倍近い値段で売りつける商法にも違和感を抱いていた。

 

メンバー表を見てもホルンのトップ奏者以外は、知らない名前ばかり。先日の “がんばろう日本スーパーオーケストラ” が読響などの主要オケのメンバーによるボランタリーな団体だったのに対し、どうやらこちらはフリーランスの寄せ集め集団なのだろうか。パンフレットの自己紹介文“この3年間、「ディズニー・オン・クラシック」をはじめとして多くの公演に参加し、=中略=、本日始めてのクラシック公演を実施 =後略” を読んでもナンジャラホイでよくワカラン。

 

それでも聴きにでかけたのは、確実に大阪にいる水曜日(春分の日で祭日)の公演であること。そして、指揮者がクラシックファンなら誰でもしっているライナー・ホーネックだから。客席は3階バルコニーまで満席。スーバーシートも完売の様子。普段のクラシック・コンサートとは違って家族ずれも多く華やかな雰囲気があって、それはとても良いことだけど、演奏の最中いたるところで飴の包み紙を開ける耳障りな音が聞こえてくるのは困ったもの。さらには、スマホでステージ写真を撮影するご婦人もいたりする始末。

 

演奏は、想像していた以上に良い。なによりライナー・ホーネックの意図がみごとに伝わっている。“巨人”第3楽章中間部の “彼女の青い目が” の旋律や終楽章第2主題の弦楽の歌わせ方など、いかにもウィーンのヴァイオリニストならでは、と思わずにいられないほどの優美さだった。

 

ところでこのオーケストラ、どこで公演前の練習をしてるのでしょう?モーツアルトの第25番交響曲など、2年前にインバルを迎えた大阪フィルの第502回定期でのヘタレ演奏より、ずっと立派。なりよりホルンのTOP奏者、山岸博氏の存在が大きい。開演が夕方5時、終演はアンコール無しで7時。明日はサントリーホールでも同じプログラムでの公演があるので、100名ほどのメンバー全員、夜の新幹線で東京へ移動なのだろう。ご苦労さまです。

 
ザ・オーケストラ・ジャパン_20180321

ザ・オーケストラ・ジャパン・2_20180321

2018320日 読売日本交響楽団 第610回名曲シリーズ サントリーホール 

 

サントリーホール

11132

 

ロッシーニ: 歌劇『セビリアの理髪師』序曲

ビゼー: 『アルルの女』第2組曲

ベルリオーズ:幻想交響曲 作品14

―― アンコール  マスカーニ:歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より“間奏曲”

 

 指 揮          小林 研一郎

 

『アルルの女』第2組曲の思い入れは “このブログを始めるにあたって”  に記したとおり。東京への日帰り出張の予定があったことで、一泊してなにか聴きにいけるコンサートを探したら、この読響の名曲コンサートとインバル・都響の東京文化会館での『レニングラード』の二者択一。もし『アルルの女』がプログラムに無ければ、上野にしていた。

 

品川のオフィスを610分に飛び出して、ホールに飛び込んだのが658分。毎度のこと、ぎりぎりのタイミングで前半2曲も平土間11列で聴くことができた。かつて北区王子の独身寮にいた当時、南北線の開通とともに“陸の孤島”状態ほどではなくなったにせよ、それでも溜池山王駅からサントリーホールは遠い。

 

読響は、弦も管も、ソロも合奏もさすがに上手い。でもなぜか、どの曲も少々お行儀の良い演奏で “炎のコバケン” ではなかったなぁ。新大阪朝6時始発 “のぞみ” から始まった、長い1日のお疲れモードだったためかもしれない。 すでに大震災から10日ほど経ったのですが、お亡くなりになられた方々への鎮魂として” と前置きして、「カヴァレリア・ルスティカーナ」の“間奏曲”が演奏された。このアンコールが一番、心に沁みた。

 

閑話休題

入場時に頂いた読響月刊誌  “Monthly Orchestra”  に載っていた恩田陸氏の、チャイコフスキーの〔劇伴〕職人としての凄まじさを語ったエッセー  “サントラ・マエストロの職人芸”  が、読み応えが有り実に面白かった。ホテルでバスタブに浸かりながら熟読。さすが読響、こうした冊子も、なかなかに良質です。

 



201836日 がんばろう日本!スーパーオーケストラ サントリーホール 

 

サントリーホール

LA 210

 

メンデルスゾーン : ヴァイオリン協奏曲 ホ短調

リスト    : ピアノ協奏曲第1番 変歩長調

ベートーベン : 交響曲第7番 イ長調

  ――アンコール      “ふるさと”

 

指揮                   : 海老原 光

ヴァイオリン       : 小林 美樹

ピアノ                  : 金子 三勇士 

 

いやぁ、普通じゃ聴けない面白い演奏会だった。毎日希望奨学金チャリティーコンサートとして、趣旨に賛同した仙台フィル、在京オーケストラ、そして郡響、神奈川フィルなど日本各地のプロオケ(残念ながら関西のオケからの参加は無し)、そしてフリーランスの奏者を加えた一夜だけのオーケストラ。コンサートマスターは読響のソロコンサートマスター小森谷巧。パンフレットに載ったメンバー表を眺めると首席、副首席奏者の名前がずらりと並んでいる。

 

そんなメンバー構成、海老原光の指揮、そして“がんばろう日本!”と題された演奏会となれば、なるほどこうなるか。メンデルスゾーンのコンチェルトは“序”にすぎず、リストはピアノがキレッキレだし、15分の休憩を挟んでのベートーベンの7番は、海老原光の指揮も煽るし、奏者も普通のステージ演奏なら絶対にしないだろうまでに、グイグイ前のめり。終楽章コーダーは、さしものフルトヴェングラーもここまでは、と思うほどの怒涛のアッチェレランド。チャリティー演奏会という意義に深く賛同し、心ばかりの篤志を示したうえで、最高に音楽を楽しませていただきました。

 

 
がんばろう日本スーパーオーケストラ_20180306

2018221日 読売日本交響楽団 第19回大阪定期演奏会 

 

フェスティバルホール

2階 1列目 定期会員席

 

グリンカ: 歌劇『ルスランとリュドミラ』序曲

プロコフィエフ: ヴァイオリン協奏曲第2

 ―― アンコール  ファリャ: スペイン民謡組曲第2曲“ナナ”

ドヴォルザーク: 交響曲第9番 『新世界から』

 ―― アンコール  ブラームス: ハンガリー舞曲第1

 

 指 揮          ユーリ・テミルカーノフ

ヴァイオリン       : レティシア・モレノ

 

耳に聞えた音を言葉で表すことは、よほど語彙豊かな方でもなかなか難しいことではないだろうか。プロの評論家(演奏評を記事にして収入を得ている方々、という意味です)が書かれた演奏評を拝見していると、頻繁に目にする特有な表現・言い回しが数々あり、少々偏屈なところがある私など、“あれ、また同じことを”と思ってしまう。

 

そんなよく目にする表現の一つに、“強靭な弦”があるけど、ルスランとリュドミラ序曲が始まったとたん、16型の弦の厚みと迫力に、まさにこの“強靭な”という言葉が思い浮かんだ。ポスターにある“日本のトップレベルのオーケストラ、読響の大阪公演”との言葉にまったく異議はございません。東京に住んでいると、こんなハイレベルな演奏が日頃から聴けるのかぁ、と本当に羨ましくなる。もっとも、チケット代は関西がかなりお安いですけどね。

 

ドヴォルザークのあとは、期待通りのハンガリー舞曲のアンコールで、最後の最後まで最高の弦を堪能しました。最後にもう一度、“読響は、ほんとに上手い。”

 
読響_大阪定期_20180221

2018218日 広島交響楽団 福山第24回定期演奏会

 

福山リーデンローズ

1階R251

 

グリーグ: ピアノ協奏曲 

-----アンコール---- ムソルグスキー: 『展覧会の絵』から“卵の殻を付けた雛の踊り”

シベリウス: 交響曲第2

-----アンコール---- グリーグの作品?

 

 

指揮                     : 円光寺 雅彦

ヴァイオリン       : 児玉 桃

 

今年の広響福山定期にも“府中シティー・オーケストラ”の春待ちコンサートの案内チラシあり。誠に残念ながら1週間後の日曜日は実家に帰省しなければならず、聴きに行けない。サポーターとして是非とも駆けつけなければならないところ、申し訳なし。事務局長様にはメールでお詫びの旨をお伝えしておきました。

 

さて最近になって妻から“クラシック演奏会なら、どうぞ一人で行って頂戴”と、厳しくきっぱりと宣言されているので、今年は一人で出かけた広島福山定期。どうやら、昨年11月にザ・シンフォニーホールで聴いたロシア国立交響楽団の爆音攻めに懲りたようだ。それにしても、せっかくの演奏会の備忘録なのに交響曲の後のアンコール曲名を控えなかった。演奏会から2週間たった今となっては(相変わらずの、書き残し状態継続中)、なんとなくグリーグのような北欧作品だった、程度の記憶しかない。

 

ぴあで購入した席位置は発売開始初日に購入したにも関わらず、平土間中央よりもかなり後ろ目で、2階席が被らないぎりぎりの場所。ただし音は十分に飛んでくるし、なにより芳醇なホールトーンがすばらしい。当然、解像度は劣るものの中央あたりより、ずっとこのホールの響きの良さを堪能できる。

 

初めて実演を聴く円光寺雅彦は、愚直というか、Eテレでよく目にする不器用そうな指揮姿そのままで、そのタクトから引きだされる演奏も杓子定規的で面白みがない。もしかすると、オーケストラともソリストとも当日顔合わせをしただけだろうか。奏者にあれこれ自分の主張を求めないで演奏会を無事こなすことに徹した、ということかもしれない。特に協奏曲は、ピアニストの求める音楽の方向性に気を払うことなくオーケストラが演奏を続けている感じで、終楽章エンディングなど、前のめりになって突っ込んでいくピアノからオーケストラが悲惨なほどに乖離していってしまう。

 

福山定期と称して演奏会を行うなら、是非とも下野達也と一緒に本所地の定期プログラムを福山でも聴かせてくださいな。

広響_福山_第24回

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