あーと屋のほぼ大阪クラシック演奏会気まま日記

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2020216  新国立劇場 『セビリアの理髪師』

 

新国立劇場オペラパレス

1523

 

指揮            :アントネッロ・アッレマンディ

演出            :ヨーゼフ・E・ケップリンガー

オーケストラ    :東京交響楽団

チェンバロ      :小埜寺 美樹

 

アルマヴィーヴァ伯爵   :ルネ・バルベラ

ロジーナ               :脇園 彩

バルトロ               :パオロ・ボルドーニャ

フィガロ               :フローリアン・センペイ

ドン・バジリオ         :マルコ・スポッティ

ベルタ                  :加納 悦子

フィオレッロ           :吉川 健一

 

“セビリアの理髪師” は大好きで、いつも観終わった後、幸せな気分になる。今回のように歌手全員のバランスが取れていて、しかも演出を楽しめる公演では、終わったあとに“もう一度通して観たい”とすら思ってしまう。

 

ポップなデザインで統一された立体的な舞台装置とそれを生かし切った演出は秀逸の一言で、吊りと照明でお茶を濁す、ありがちなオペラ公演とは違う。オペラハウスはこうでなきゃね。5列目中央の席なので、計算された廻り盆と舞台上の人物の動きを、理想的な位置から鑑賞できたのは何よりだった。チェンバロは柔らかく温かい音で魅力的だったし、小型編成のオーケストラは弦が薄くならず、管楽器もふくよかな音色で良く弦とバランスして、満足のひとこと。やはりオペラは良い席で観るに限る。

 

序曲演奏の時、主要人物6人が順次パントマイムで登場しながら舞台前方の紗幕手前に整列すると、奥舞台の廻り盆の上に組まれたバルトロ邸が前にスライドしてきて、フィガロの合図とともに全員がバルトロ邸の中外に散っていくといく、という洒落た演出で、早々から虜にされてしまった。

 

1幕フィナーレで登場人物を徐々に増やしていきながら早口でセリフをまくしたて、フィガロを加えた主要登場人物6人がユニゾンとオクターブで同じ旋律を歌うまでの所謂ロッシーニ・クレッシェンドに対して、案外に第2幕の終わりがあっけなく感じるのも、また毎度のこと。兵士達がバルトロ邸内で洗濯物やら書類やらを引っ掻き回したり、空中に放り上げたりの大騒動が視覚として加わって、アドレナリンが放出されっぱなしの興奮状態を脳が覚えているため、なおさら。“あっ、終わっちゃった。もっと(この音楽に)もっと浸っていたいのに…(残念)”と思いながらの終幕。

 

いずれ再演されたら、また是非観たい。


※ オペラのタグを作りました。


20200206_新国_セヴィリアの理髪師
 

 

202024日 読売日本交響楽団 第25回大阪定期演奏会 

 

フェスティバルホール

2階 定期会員席

 

マーラー               :花の章

ハチャトゥリアン       :ヴァイオリン協奏曲

  ―― アンコール     J.S. バッハ:パルティータ第2番 サラバンド

マーラー               :交響曲第1番 『巨人』

  ―- アンコール      J.S.バッハ:アリア (マーラー編)

 

指揮            :山田和樹

ピアノ          : ネマニャ・ラドゥロヴィチ

 

日本人若手指揮者のなかでもFAST TRACKを突き進むかのように着実に実績を積み上げている山田和樹。指揮台での身のこなしは、もうすでに貫禄十分で、ハチャトゥリアン独特のリズム変化に満ちたコンチェルトでの一心不乱に弾きとおすラドゥロヴィチにオーケストラをぴたりと添わせるバトンテクニック、そしてマーラー『巨人』での、颯爽と進めていく全体の構成力とオーケストラの統率力はさすが。

 

“花の章”でのホルン4本に対し、“巨人”交響曲では楽譜指定通りの4菅編成でホルン7本(さらに終楽章コーダー時のTrTb各1本)。1楽章、2楽章での反復は無し。“あれっ、こんなんだっけかぁ?”といった耳慣れない(聴きなじみのない)響きのする箇所が幾つもあったのだけど、私の気のせい?それとも指揮者による指示? マーレリアンの友人がお聴きであれば、是非尋ねたいところ。

 

中学生1年にお年玉で最初に買ったクラシック音楽のLPがオーマンディ・フィラデルフィア管のマーラー“巨人”花の章付き(CBSソニー盤)。還暦の誕生日をあと数日で迎えようとしているこのタイミングで、おそらく数十年ぶりに“花の章”を聴くとは、中学生時代がフラッシュバックして、なんとも感慨深い。

 

20200204_読響_大阪定期
 

2019127日 東京交響楽団 第73回川崎定期演奏会 ミューザ川崎シンフォニーホール

 

日本センチュリー定期(129日)と読響大阪定期(1224日)は、やんごとなき事情でパス。特に読響は唯一の第九、かつ2019年締めくくりの演奏会とする予定だっただけにとても残念。新年を迎えて、やっとで12月に聴いた演奏会4つを備忘メモとしてアップ。

 

125_ヴェルディ『椿姫』(新国オペラパレス)

126_井上道義・読響のマーラー3番(東京芸術劇場)

127_ウィグルワース・東響の川崎73回定期(ミューザ川崎)

1218_関西弦楽4重奏(ザ・フェニックスホール)

 

 

ミューザ川崎シンフォニーホール

2階2CA546

 

マーク・ウィグルスワース

マーティン・ジェームズ・バートレット

 

モーツァルト    : ピアノ協奏曲大24番 ハ短調 K491

 ―― アンコール J.S.バッハ : 無伴奏パルティータ第2番よりカプリッチョ

マーラー        :交響曲第1番『巨人』

 

この日の目的はミューザ川崎の音を楽しむこと。もったいないことにモーツァルトのコンチェルトは連日のハードワークで早々に寝落してしまい、全く記憶がない。後プロの巨人についてもEvernoteには、たいしたことをメモっていない。第1楽章、溶け合わずにいたオーケストラも2楽章からまとまってきたこと、3楽章冒頭をコントラバスのソロでなく8本のユニゾンで弾かせたこと、ホルン8本で終楽章は指定通りコーダで立ち上がったこと(トロンボーン無し)くらいかな。

 

マリス・ヤンソンスの訃報を受けての追悼のボード
20191208_東響_ミューザ川崎_1

20191208_東響_ミューザ川崎


2019126日 井上道義指揮 読売日本交響楽団 マーラー3番 東京芸術劇場

 

日本センチュリー定期(129日)と読響大阪定期(1224日)は、やんごとなき事情でパス。特に読響は唯一の第九、かつ2019年締めくくりの演奏会とする予定だっただけにとても残念。新年を迎えて、やっとで12月に聴いた演奏会4つを備忘メモとしてアップ。

 

125_ヴェルディ『椿姫』(新国オペラパレス)

126_井上道義・読響のマーラー3番(東京芸術劇場)

127_ウィグルワース・東響の川崎73回定期(ミューザ川崎)

1218_関西弦楽4重奏(ザ・フェニックスホール)

 

 

東京芸術劇場コンサートホール

2D12

 

マーラー        :交響曲第3

 

指揮            :井上道義

アルト          :池田香織

合唱            :首都圏音楽大学合同コーラス

児童合唱        TOKYO FM少年合唱団

 

井上道義は2014年から3年間の大阪フィル首席指揮者を務めていた当時、大阪はラテンだとした頓珍漢な定期ラインナップは首を大きく傾げたものの、鮮烈を極めたベートーベンの解釈は共感できるものだったし、一連のショスタコーヴィチは大阪フィルとの最も成功した演奏として強く記憶している。彼は確かに異才の指揮者。でも、このマーラー3番演奏はまったくいただけない。

 

演奏は突っ込みどころ満載。特に過剰にして無用な演出が演奏自体を台無しにしてしまったのは残念。演奏会後に食事を共にさせていただいた“じゃく様”がブログに詳細なレポートをなされているので、ここでは二つだけ。

 

3楽章の終盤で児童合唱団と独唱者を駆け足で入場させるなんて、最悪を超えて極悪の一言。日ごろエクセサイズを欠かさないアスリートじゃあるまいし、池田香織をあんな形でステージに上がらせたら、息を落ち着かせるのが精一杯で、歌の準備などできたもんじゃない。楽章タイトル“夜が私に語ること”だからかステージの照明を落とすなんてなんて小賢しい。理想的な演奏であればアルト・ソロが歌い始めると同時にホール内の空気が一瞬にして凛とした空気に変わる、そんな瞬間が得られるはず。

 

そしてもう一つ、演奏終了即座に指揮台上でターンして客席に向かって両手を広げて“どうだ”とばかりのクルリン・パッをしてしまうこと。さすがに胸に手をあてての半回転に留めていたものの、毎度の興ざめ。そういえば、N響定期を振った時も自制していたけど、大阪ではやりたい放題。さすがに東京では自制が働くみたい。

 


20191206_マーラー3番_読響


 

2019125日 新国立劇場 ヴェルディ『椿姫』

 

新国立劇場オペラパレス

1319

 

日本センチュリー定期(129日)と読響大阪定期(1224日)は、やんごとなき事情でパス。特に読響は唯一の第九、かつ2019年締めくくりの演奏会とする予定だっただけにとても残念。新年を迎えて、やっとで12月に聴いた演奏会4つを備忘メモとしてアップ。

 

125_ヴェルディ『椿姫』(新国オペラパレス)

126_井上道義・読響のマーラー3番(東京芸術劇場)

127_ウィグルワース・東響の川崎73回定期(ミューザ川崎)

1218_関西弦楽4重奏(ザ・フェニックスホール)

 

 

指揮:                イヴァン・レプシッチ

演出:                ヴァンサン・ブサール

オーケストラ:        東京フィルハーモニー交響楽団

 

ヴィオレッタ    :ミルト・パパタナシュ

アルフレード    :ドミニク・チェネス

ジェルモン      :須藤 慎吾

フローラ        :小林 由佳

 

席は平土間3列の中央少し下手より。開始早々の夜会の場面を見ながら、オペラパレスのほぼ同じ席位置で鑑賞した2年ほど前の“こうもり”の時のことを思い出した。舞台間近の席は目線が舞台と同じなため、奥行きが全く感じられず演出を楽しむには不向き。しかも字幕に目をやることは諦めないといけないなど、いささかストレスを感じながらのオペラ鑑賞となる。それでも最終場でのミルト・パパタナシュのヴィオレッタの死の場面では、臨場感抜群。ピアノからよく落ちないものだ、と結構ハラハラしながらも熱唱に聞き惚れた。やはりヴィオレッタ役は美人に限る。

 

ただ、やはりヴェルディには心が震えないなあ。

20191205_椿姫_新国


20191205_椿姫_新国_2

20191205_椿姫_新国_1

20191115日 ズービン・メータ指揮 ベルリン・フィルハーモニー交響楽団 フェスティバルホール

 

フェスティバルホール

12049

 

指揮                    :ズービン・メータ

オーケストラ           :ベルリン・フィルハーモニー交響楽団

チェロ                 :ルートヴィッヒ・クヴァント

ヴィオラ               :アミハイ・グロス

 

R・シュトラウス        :交響詩『ドン・キホーテ』

ベートーヴェン         :交響曲第3番『英雄』

 

今回のベルリン・フィル大阪2公演、初日をズービン・メータのブルックナー8番を聴く演奏会、そして今夜をリヒャルト・シュトラウスの交響詩を通じてベルリン・フィルのスーバーオーケストラを堪能する演奏会、そう捉えて楽しみにしていた。“ドン・キホーテ”の実演は、2010年に大植英次・大阪フィルの定期以来。録音でもあまり聴く機会のない作品ということで、普段はしない事前予習をしっかり繰り返して、スコア片手に各変奏ごとの描写を頭に叩き込んでおいた。やはり、ベルリンフィルは巧かった。全く非の打ちどころがない。

ところが、今回の連続公演において、楽しみにしていた前プロのドン・キホーテよりも、そして昨夜のブルックナー8番にも増して強く感動したのが、後プロのベートーベン英雄交響曲。83歳ズービン・メータが到達した音楽表現の頂点を聴いたのではないか。途中休憩の時、ホルンセクションが舞台裏で第3楽章トリオ部分をさらう音を聞いていて、演奏に対する本気度も伝わってきた。その英雄交響曲は対抗配置のまま弦を14型に落としホルンは指定通り3本。昨今のピリオド奏法の潮流にはまったく背を向けたもので、音楽に誠実であると同時に完璧な演奏。ベースの重心の低い音に続き、順次積み上げるように鳴らした冒頭和音がズービン・メータの演奏の方向性を明確に示していた。

 
20191114_ベルリンんフィル


翌日から3泊4日でグァムに滞在中。今日のうちに記事をアップしておかないと、明日からまたタフな毎日が始まる・・・


20191118_ グアム


20191114日 ズービン・メータ指揮 ベルリン・フィルハーモニー交響楽団 フェスティバルホール

 

フェスティバルホール

12031

 

指揮                    :ズービン・メータ

オーケストラ           :ベルリン・フィルハーモニー交響楽団

 

ブルックナー           :交響曲第8

 

私にとってこの敬愛するブルックナーの第8交響曲は“愛聴曲”という言葉はふさわしくない。古今のあらゆる交響曲において最も深遠で崇高な作品であるこのシンフォニーを聴くという行為は、大げさに言えば常に覚悟をもって対峙することを自らに求めてしまう。“人の一生を記した大河小説”を読破したかのような感動とともに時に徒労感さえ入り混じったかのような“(読後感ならぬ)聴後感”を感じさせられる演奏こそが理想で、16歳の時にセル・クリーブランドSOLPで出会って以来45年余り、常にそのような体験を求めて数々の演奏を聴き続けてきた。フルトベングラーのLP盤で聴かれるアッチェレランドなど言後同断だし、妙にテンポを揺らすとかアゴーギクをほんの少しでも伴った恣意的解釈は絶対に無用であり、一般に名演と言われるヨッフム・シュターツカペレの演奏なども終楽章の高貴な主題の展開の後の強奏部でギアを上げたようにテンポアップされたとたん興奮から覚めてしまう。

 

~以上、2016219日のバレンボイム指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団による同曲演奏についての記事を再掲~

 

さて、ズービン・メータが世界一のスーパーオーケストラから引き出す演奏は、まさに円熟の極致。理にかなったディナーミク、必然にみちた音楽の運び、まさに大河のごとくの私の理想にとても近い音楽だった。体感的にはかなりゆっくり(これも私の理想とするところ)。前半2つの楽章の演奏時間がそれぞれ16分、16分だったことは腕時計をみて確認したものの、アダージョ楽章は最後8小節の奇跡のようなワーグナーチューバに聴き惚れて我をわすれてしまい、時計に目をやることなど全く忘れてしまった。そして終楽章、3つの主題を順次再現していくなかで第3主題再現の後半フォルテ箇所から、一度速度を僅かにあげて再現部を締めくくり、深いパウゼの後に再びゆっくりとした歩みでコーダーが始まる、その見事な音楽の構築に完全に絡めとられてしまった。フライングではないものの、余韻を打ち消すようなブラボーを叫ぶ輩が複数いたことが実に残念。

 

明日も同じ一階20列で、これまた楽しみなドン・キホーテと英雄が聴ける。贅沢な2日間だこと。

 
20191114_ベルリンんフィル

2019111日 ラザレフ指揮 日本フィルハーモニー交響楽団第715回定期 サントリーホール

 

サントリーホール

1731

 

指揮                    :アレクサンドル・ラザレフ

 

グラズノフ             :交響曲第6番 ハ短調

ストラビンスキー       :バレエ音楽『火の鳥』全曲

 

同じSカテゴリーでも、昨日の2階6列目と今日の17列目で、耳に届く音の質が全く違う。在京オケの定期会員のように常に同じ席で演奏を楽しむことのできない私のような地方在住の音楽ファンとしては、サントリーホールのどのあたりで聴くかの選択はとても悩ましい。この日のようにホールが半分ほども埋まらない人気薄の公演(週末金曜日なのに…)では、通常なかなか買えない平土間や両翼の比較的良席を含め、選択の幅が広がるのでなおさら。17列目で聴く今日の新日フィルは迫力に満ち(グラズノフ)、また演奏の細部まで際立って聞き取れる(火の鳥)。昨夜のマーラー演奏を平土間前方で聴いていたら、どんな違った印象をもったことだろうか。また、今日の火の鳥の色彩豊かな響きも、どこまでがラザレフの手腕によるものなのだろうか。

 

実はグラズノフは連日のハードワークの反動で、途中から寝落ちしてしまい、印象の無いまま終わってしまった。でも、一度寝落ちしたあとは、頭が一気にクリアーになるもので、火の鳥はしっかりと聴きましたよ。とにかく面白かった。導入部でのちょっとした乱れや、ときに縦の線が不ぞろいになるところなど、ハッキリと分かってしまう裏返しの面もあるけど、それでもストラビンスキーのオーケストレーションの巧みさを満喫することができたのは、やはり平土間7列目のおかげ。火の鳥が飛んでくる場面で、パイプオルガン前とLA1扉、RA2扉の三方に配置された3本のトランペットも、私の席ではステレオ効果抜群。2本のワーグナーチューバは、見上げても視界に入らなかったけど、どこで吹いていたのだろう。

 
20191101_日本フィル_サントリーホール


20191031日 ケント・ナガノ指揮ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団 サントリーホール

 

サントリーホール

2C611

 

指揮            :ケント・ナガノ

ピアノ          :辻井 伸行

 

ベートーベン    :『エグモント』序曲

リスト          :ピアノ協奏曲第1

―アンコール    リスト  :ラ・カンパネラ

  休憩

マーラー        :交響曲第5番 

      ―アンコール    リゲティ:コンチェルト・ロマネスク第4楽章

 
金曜日の東京オフィスでの会議に合わせて、今夜のケント・ナガノ指揮ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団と翌日のラザレフ・日フィルのサントリー定期を聴くことに。

ズンッとくるような音圧を想像して身構えるようにして聴き始めた “エグモント” の冒頭、特段に暗くも重厚でもない響きに一瞬とまどった。ケント・ナガノの指示、解釈によるものなのか最大でもフルパワーの8割程度までに抑制したなかでの演奏に収まっている感じ。

 

後半のマーラー5番でも弦はさほど厚みと音量を伴わないし、トランペットの耳をつんざくような閃光やホルンの咆哮、ティンパニの激しい打ち込みといった5番の聴かせどころも、特段に際立たせることが無い。終楽章など、もっと煽るくらいでないとこの曲は面白くないのだけどな。それでも、やはり(というか、当たり前に)肝である冒頭トランペットと第3楽章ホルンのソロは上手い。

 

辻井伸行のピアノを聴くのは2015年のゲルギエフ・ミュンヘンフィルの来日公演(大阪フェスティバルホール)での皇帝協奏曲以来、二度目。最もチケットが売れる日本人ピアニストとして、関西では彼が協奏曲を弾く演奏会のチラシ広告ばかりがやたらと目にとまるけど、大概、集客のより期待できる週末の土・日曜日で、私としてはなかなか聴く機会が得られない。隙のない完璧なテクニックと、音楽の自然な流れは4年前の記憶と同じ。ヴィルトゥオーソな作品よりも、ショパンやモーツァルトをたっぷりと聴いてみたいものだ。

 

アンコールにリゲティのコンチェルト・ロマネスク第4楽章を、そして辻井伸行のピアノソロでラ・カンパネラが聴けて満足の一夜。マーラーの5番がかなり時間をかけた演奏だったこともあり、終演は930分過ぎ。

 
20191031_ケントナガノ_ハンブルク響

2019925日 NHK交響楽団 1920回定期演奏会 1日目

 

サントリーホール

1階 733

 

トゥール              :ルーツを求めて ~シベリウスをたたえて~

ニルセン              :フルート協奏曲

 ―― アンコール ニルセン:劇音楽『母』作品41 -子供たちが遊んでいるー

シベリウス          :交響曲第6

シベリウス          :交響曲第7

 

指揮                     :パーヴォ・ヤルヴィ

フルート              :エマニュエル・パユ

 

ゲストコンサートマスター:

アンドレアス・ヤンケ チューリッヒ・トーンハレ第一コンマス 

 

関西ではシベリウスのシンフォニーは1番か2番ばかり。どちらも好きな曲だし、それはそれで良し。でも6番、7番を聴くなら本当に上手いオケでないとダメ。絶対にダメ。申し訳ないけど、関西では納得できる演奏は期待できない。NHK交響楽団の、しかもサントリーホール定期とあらば、何としてでも聴きたい、しかも可能な限り良席で!

 

時計とにらめっこしながら、1回券発売開始日午前10時に狙いをつけておいた平土間7列目をネットで購入(さすがに中央ブロックは無理でも、贅沢は言えない)。勿論、購入時は、東京出張が確定していたわけでもなし、いざとなったら会社休んでの東京一泊を覚悟でいたところ、女神ミューズがほほ笑んだ。ドンピタで東京出張予定を差し込んだ。

 

さすがN響、日ごろ聴く関西のプロオケとレベルが違う。シベリウスの6番冒頭、1st2nd ヴァイオリンがそれぞれ2部に分かれ、ヴィオラを加えた弦楽5部合奏の、なんとも清楚な響き。対抗配置により左右に展開したヴァイオリンパート全員がヴィブラートの度合いまで完全に一致させている。独特な音階と移ろいゆく響きが、自身の人生経験に重なり、晩秋の凛とした空気だったり、宵闇の静寂だったり、真冬の荒涼とした雪景色だったりと、様々な情景がフラッシュバックしたかのように蘇る。やはり、6番交響曲はそれなりに年齢を重ね人生経験を積んでこそ魅せられる音楽だと思う。

 

前プロの第1曲はこれから聴くシベリウス6番、7番の音のイメージに沿った秀逸な選曲だったし、続いてのエマニュエル・パユの妙技も聴けたし(どんな難所でも、それを全く感じさせることなく、さらりと聴かせる…凄い)、改めてミューズの神に感謝。

 
20190925_N響_


20190925_N響_2

 

2019717日 読売日本交響楽団 第23回大阪定期演奏会 

 

フェスティバルホール

2階 定期会員席

 

ラフマニノフ    :ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番 ハ短調

  ―― アンコール  シューベルト :楽興の時 第3

ホルスト        :組曲『惑星』

 

指揮            :井上道義

ピアノ          : ルカ・ドゥバルグ

女性合唱        :昭和音楽大学

 

ステージに現れた、ちょっと背中を丸めた神経質そうな風貌のルカ・ドゥバルグの姿を見て思い出した。3年前にサントリーホールでギドン・クレーメルとのデュオ・リサイタルで聴いている。その時の夜のガスパールの耽美な演奏はその日の最大の聴きものだったし、演奏会パンフレットに記載されたフランス人ピアニストの驚愕の経歴と、なによりクレーメルとのデュオでの繊細な演奏に感嘆したことを覚えている。だからというわけではないけど、ラフマニノフ2番の定番的演奏様式である、大きな体格のロシアピアニストによる重量級の演奏ではなく、なぜか気品に満ちたフレンチな雰囲気に満ちていた。特に2楽章はその美質にあった、知的で端正な美しい演奏だった。

 

ブラムウェル・トーヴェイの代役でバトンならぬタクトを受けたのが井上道義だったことは、私としては文句なし。コンチェルトでは、少々突っ込み気味のピアノを引きとどめるのではなく、それに応えるように破綻しないギリギリのところまでオーケストラをドライブさせる技量は見事なもの。終楽章カデンツァのあとオーケストラの第2主題のマエストーソ始まりでのティンパニの一打や、ソステヌートで朗々と歌う弦に対して厚み十分な音のホルンを際立たせるように吹かせるなど、壮麗な音楽作りは期待通り。

 

期待通りは"惑星"もしかりで、先日の佐渡裕指揮でただ巨大編成を楽しんだだけの4オケ・スペシャルとは、やはり次元が違う。どんな強奏の場面でも、すべてのセクション・パートが全く濁ることなくクリアに聞こえてくるし、音楽の運びもとても理にかなっている。このブログを始めた4年余りで〝惑星”は3度目だけど、木星中間部での歌いまわしに限り大植英次に軍配を上げるとして、全体を通じては井上道義の演奏が一番。

 

20190717 読響大阪定期1

20190717 読響大阪定期

201975日 エリアフ・インバル ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団 三重文化会館

 

三重文化会館大ホール

1階189

 

エリアフ・インバル指揮

ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団

ピアノ : アリス=紗良・オット

 

モーツァルト    : ピアノ協奏曲第21番 ハ長調

  ―― アンコール    ショパン ワルツ 第19番イ短調 

マーラー        : 交響曲第5番 嬰ハ短調

 

指揮者とオーケストラの良好な関係はその演奏に現れるものらしい。先週のザンデルリンクとドレスデン・フィルに続いて、インバルとベルリン・コンツェルトハウス管の成熟した関係が導く成果物としてのマーラー演奏を聴いて、あらためてその思いを強くした。インバルの実演をさほど聴いてきたわけではないけど、それでも幾度となく録音で聴いてきた彼のマーラーとは、やはりだいぶ違う。ディテールに徹底的にこだわりながらも極度なディナーミクやこけおどしといった虚飾がない。全曲を通して、インバルの棒にオーケストラが見事に応えている。比較的普通に感じたのは第1楽章のみ。その後は、とにかく関心したり、おおっそうくるかとニヤッとしたり、ハッとさせられたり。実に聴きごたえがあった。

 

初めて訪れた三重文化会館大ホールはシューボックス型でありながら、キャパが1,900人と大きく、天井を高くしすぎたためか意外に響きが薄い。座った平土間1階のほぼ中央列の席では低域から高域までフラットにきこえるものの、ステージから音が飛んでこない。モーツァルトのPコンを聴くには器が大きすぎる。マーラーも、さすがに芸文コベルコホールにようにステージ上の空間で鳴っている音を求めて意識して聴きにいくようなことも、京都コンサートホールのように頭上から後方に音の塊りが消えていくようなことはないにしても、フルオーケストラの大音響に身を浸す快感は得られなかった。

 


インバル_ベルリンコンツェルトハウス管_20190705
 

2019628日 ミヒャエル・ザンデルリンク ドレスデン・フィルハーモニー ザ・シンフォニーホール

 

ザ・シンフォニーホール

1階O4

 

シューベルト    :交響曲第7番 ロ短調“未完成”

ベートーベン    :交響曲第5番 ハ短調“運命”

ドヴォルザーク  :交響曲第9番 ホ短調“新世界より”

  ――アンコール     ドヴォルザーク:スラブ舞曲第1集第8

 

G20大阪サミットにともなう交通規制による思わぬ余波を被って週末大阪滞在としたことで、前日の福井敬リサイタルとともに聴きにいくことにした演奏会。日曜日のマチネ、未完成・運命・新世界よりの表題付き交響曲、ドイツのオーケストラ、そして比較的リーズナブルなチケット価格ということで、ホールは家族連れも多くみられほぼ満席。

 

ミヒャエル・ザンデルリンクとドレスデン・フィルハーモニーは、2年前の来日公演時も諸事情により東京芸術劇場で聴く機会を得たことを思えば、ちょっとした縁があるかもしれない。ただ、そのときのブログ記事を読み返しても、いつもながらにたいしたことも書いてなくて、どんな演奏だったか思い出せない。特段に惹きつけられた演奏でなかったみたい。

 

というわけで、あまり期待をしていなかった今回のコンサート、3曲ともルーティンワークなどではない、8年間にわたって首席指揮者を務めてきたミヒャエル・ザンデルリンクとこのオーケストラのとの関係性の良さが成熟した形で見事に演奏表現として発揮された、なかなかに聴きごたえのある演奏会だった。前半のシューベルトとベートーベンは、Vn両翼配置で指揮者は指揮棒なしの手振り、休憩後のドヴォルザークでは弦の配置を現代式に変えてタクトを持っての指揮。乾坤一撃のごとくの一発振り下ろしで“運命”の出だしを決めてしまうのなど、さすがの一言。

 

一曲目“未完成”が演奏解釈の際立ちとしては、一番の聴きものだった。アタッカで連続して演奏された第2楽章での木管群や弦の響きはまさに旧東ドイツからの伝統の響きなのだろう。一方で、後半ドヴォルザークで金管がかなり奔放に吹きならすので弦や木管群の響きとのミスマッチが気になったのと、ティンパニの音が時に大きくズレたり(頻繁なマレットの持ち替え作業に一所懸命すぎか?)だったのが残念。

ドレスデンフィル_20190630

2019421日 大野和士 東京都交響楽団 大阪特別講演 フェスティバルホール

 

フェスティバルホール

2階118

 

指揮                    :大野 和士

ピアノ                 :ニコライ・ルガンスキー

オーケストラ            :東京都交響楽団

 

グリーグ               :ピアノ協奏曲 イ短調

  アンコール  メンデルスゾーン :無言歌集より“失われた幻影” OP67-2

ベルリオーズ           :幻想交響曲

 

昨日の4オケ・スペシャルを聴いた場所から、右に3つ横に移動した席。昨日のアルプスシンフォニーでの518型オケの豪勢な、でも少々一本調子の演奏に痺れた耳には、東京都交響楽団の厚みのあるまとまった音と表現力の豊かさはとても新鮮。

都響、やっぱ上手いわ。国内のプロ・オーケストラのランキング記事がよく音楽雑誌でなど特集されていて、やれどこが一番だの、あのオケは近年メキメキとランクを上げてきた…など、いったい誰がどんな基準で順次付けしてるんだろうと思う。NHK交響楽団など、間違いなく日本最高レベルなのだろうけど、まともなホールで聴いたことがないから、その実力を感じたことがない。そういえば、年3回の読響大阪定期の席もおおよそ同じあたり。やはりこうして音響の良いホールで、可能な限り同じ席位置で聴くことで、その実力を感じられる。

 

幻想交響曲は第2楽章"舞踏会”のコルネットオブリガード付き。Tp.の一番奏者がコルネット(Cr)に持ち替えて、フルートの隣に席を移動して演奏。終楽章をゴージャスに締めくくってお開き。

 
都響_フェスティバルホール_20190421

2019217日 広島交響楽団 福山第25回定期演奏会

 

福山リーデンローズ

1階R226

 

モーツァルト      :歌劇『ドン・ジョバンニ』序曲

リスト                 :ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調

ブラームス          :交響曲第1番ハ短調

 

指揮                     : 小泉 和裕

ピアノ                 :小川 典子

 

ホールホワイエに置かれた広響の来期Yearbookを見ると、10回の定期のうち音楽総監督下野達也が3回登場し、ブルックナー5番(5月定期)、矢代秋雄の交響曲(9月定期)、伊福部昭の“ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲”(2月定期)と意欲満々のプログラムにくわえ、カンブルランの幻想交響曲(11月定期)、シュトイデの弾き振り(1月)、アルミンクのブラームス(3月定期)と、なかなかに魅力満載ではないか(ああ、これでホールさえ良ければ)

 

1度の福山公演は“定期”の冠をつけながら毎度の地方巡業。小泉和裕をブッキングしての今年の演奏も、特段に練習を重ねたとは思えない、恐らく当日午前中のゲネプロのみで、さっとさらった程度のルーティン演奏。演奏し慣れたブラームスの交響曲など、管楽器に少々雑なところも目立ち、ちょっと残念。それでも音響抜群のリーデンローズで聴くオーケストラの響きはやはり素晴らしく、百難隠すといったところだろうか。ただ、やはり日ごろデッドなホールで演奏しているオケがこうした豊かな響きのステージに乗ると、管楽器がとにかく煩い。音量、半分ほどでも良いくらいなのに、といつも思う。

 

そういえば、昨年の福山定期でも同じような感想を記していた…

2018218日 福山定期)

初めて実演を聴く円光寺雅彦は、愚直というか、Eテレでよく目にする不器用そうな指揮姿そのままで、そのタクトから引きだされる演奏も杓子定規的で面白みがない。もしかすると、オーケストラともソリストとも当日顔合わせをしただけだろうか。奏者にあれこれ自分の主張を求めないで演奏会を無事こなすことに徹した、ということかもしれない。

〜中略〜

福山定期と称して演奏会を行うなら、是非とも下野達也と一緒に本所地の定期プログラムを福山でも聴かせてくださいな。

 

Yearbookによると来年26回福山定期も地方巡業モード。下野さん、福山に来てよ、そして真剣勝負の演奏を福山で聴かせてよ、お願い。それともう一つ、事務局様、地方巡業モードの福山公演なら、エンターテインメントに徹してアンコール演奏をお願い。

 
広島交響楽団_第25回福山定期_20190217

 

201922日 新国立劇場 オペラ『タンホイザー』

 

新国立劇場

1928

 

指揮:                アッシャー・フィッシュ

演出:                ハンス=ペーター・レーマン

オーケストラ:        東京交響楽団

 

領主ヘルマン           :妻屋 秀和

タンホイザー           :トルステン・ケール

ヴォルフラム           :ローマン・トレーケル

ヴァルター             :鈴木 准

ビーテロルフ           :荻原 潤

ハインヒリ             :与儀 巧

ラインマル             :大塚 博章

エリーザベト           :リエネ・キンチャ

ヴェーヌス             :アレクサンドラ・ペーターザマー

牧童                   :吉原 圭子

 

この週末の東京出張の予定がほぼ固まってきた約1カ月まえ、チケットぴあを覗いたら、なっなっなんと平土間9列中央の席がポッコリ空いてるではないですか。もう、即買い! とにかくピットに入った東京交響楽団の鳴りっぷりのみごなこと。金管は太く安定してるし、弦もけっしてブラスの響きに埋もれない。最終幕ではうねるようなワーグナーの音楽を堪能した。1888年板(パリ版)によるヴェーヌスベルグの場面での新国バレエのパフォーマンスが素晴らしかったし、また巡礼の合唱を感動的に聴かせてくれた新国合唱団も本当に上手い。

 

タイトルロールのトルステン・ケールは声の抜けが悪く、歌合戦の場面では歌唱そのものもヴォルフラム(ローマン・トレーケル)どころかビーテロルフ(荻原潤)にも歌い負け。エリーザベトの命乞いの歌唱に続く“ああっ、なんて哀れななこの身よ”の叫びなど、完全にオーケストラに埋もれてしまってる。それでも、第3幕の“ローマ語り”で圧倒的な盛り返しにより、終わりよければ全てよし、といったところだろうか。

 

それにしても、高さ8 meter以上ありそうなパイプを装した半円形の舞台装置は、考えてみると実に凄い。剛性と安定性を確保しながらも舞台上で黒子1人が動かせるほどに軽量で、かつ再演に備えて分解・組立できる構造でないといけない。

 
新国立劇場‗タンホイザー‗20190202

2019年2月1日 新日本フィルハーモニー すみだトリフォニーホール 

 

すみだトリフォニーホール

1階13列目35

 

指揮: マルク・アルブレヒト

新日本フィルハーモニー管弦楽団

 

ブルックナー : 交響曲第5番 変ロ長調

 

東京出張にタイミングを合わせて、何かコンサートがないかと検索サイトでまず見つけたのが、昨日の読響大阪定期のブログ記事でも触れたムーティ指揮・シカゴ響の東京文化会館でのヴェルディ・レクイエム。イタリアオペラの中でもヴェルディの作品だけはどうにも苦手、と日ごろ知人にも公言(といっても、件のクラシック音楽バーでの与太話の中でだけど)していても、レクイエムは全くの別話。是非ともムーティ指揮・シカゴ響で聴きたい…と思ってみたものの、やはり早々に完売状態。ということで、もう一つ見つけた新日フィル・トパーズシリーズ公演を聴きに、すみだトリフォニーホールへ出かけた。

 

いつもながらシューボックス型のこのホール、音響的には都内随一だと思う。実際、この日座った113列あたり、多くのがっかりホールなら音が頭上に抜けていってしまうところ、このホールは直接音と間接音がブレンドさえた、実に豊潤な響きに浸ることができる。天井にわずか4枚ほどの音響補正用の反響板が吊るされているだけなのを見ると、音響設計が見事に成功した例だろう。ただし、立地的にはクラシック音楽を週末に楽しむには最も不適なロケーション。ホールにたどり着くには錦糸町駅からJR線路沿いに下町の雑踏の中を歩くか、高架沿いの騒がしいショッピング施設の中を抜けていくか、しないといけない。またホール内の“北斎カフェ”は、狭い空間に無理矢理スペースを取っただけで、窓越しに殺風景なビルしか目に入らず、とてもがっかりしたことがある。

 

ブルックナーの5番は少々苦手。それでも終楽章で前の3つの楽章の主題が回想され、二重フーガから壮大なエンディングに向かってひたすら大伽藍を構築していく様は、やはり興奮してしまう。これが2菅編成で演奏されるのだから、いつか倍管での演奏を聴いてみたいものだ。指揮者のアプローチも奇をてらうことのないもの。オーケストラも熱演だったけど、やはり昨日大阪で聴いた読響がちょっと上手かな、と思わないでもない。

 

新日本フィル_トリフォニー_20190201

2019131日 読売日本交響楽団 第22回大阪定期演奏会 

 

フェスティバルホール

2階 1列目 定期会員席

 

ワーグナー     :楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲

モーツァルト   :ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K488

               アンコール  ジャズ小品

ブラームス     :交響曲第1番 ハ短調

 

指 揮           サッシャ・ゲッツェル

ピアノ          :小曾根 真

 

ホール入場時に手渡された来週月曜日のブラームス交響曲第1番・第2番を演奏するリッカルド・ムーティ指揮シカゴ交響楽団の公演チラシを手に持ったまま席に着いたことで、否応なくいま耳に聞こえている演奏が、ムーティ・シカゴ響とどれほどに違うものなのか(もしムーティ・シカゴ響を聴いたら、どのように違いが感じられるものだろか)と想像しながら読響のブラームスを聴いていた。

 

う~ん、どうだろう。シカゴ響なら金管群、特にトランペットはもっと艶やかでニュアンスに富んでいるだろうか、木管群もやはり格の違いを感じるだろうか、でも弦はどうだろう、いま耳に聞こえてる読響も十分に凄いぞ。もっともシカゴ響をライブで聴いたのはショルティとの1986年のザ・シンフォニーホール土日2公演(マーラーの5番とブルックナーの7番がそれぞれのメインだった)が唯一の記憶で、まして次週月曜日のフェスティバルホール公演など、大枚(読響の5倍以上もする)をはたいてまで聴きにいくつもりなど毛頭ないので、そもそも比較のしようなど全くないのだけど。

 

第1曲目は理想とする演奏とは少し違っていたけど、ワグネリアンとしては“マイスタージンガー前奏曲”が生で聴ければ、もうすれで十分。でも、次のモーツァルトのPコンは“弾けてる”だけでは、ただただ凡庸でつまらないものだ、ということを再認識させられた。例えば内田光子や小山実稚恵のモーツァルト演奏を経験してしまった耳にはかなり辛いものがある。

 

 
読響_大阪定期_20190131

201895日 読売日本交響楽団 第21回大阪定期演奏会 

 

フェスティバルホール

2階 1列目 定期会員席

 

ベルリオーズ: 序曲『ローマの謝肉祭』

チャイコフスキー: ヴァイオリン協奏曲 二長調

ドビュッシー: 交響詩『海』

ラベル: ボレロ 【未聴】

 

 指 揮        ジョセフ・バスティアン

ヴァイオリン  : 神尾 真由子

 

先日の台風21号で被害にあわれた皆様に心からお見舞い申し上げます。私は幸いなことに、恐らく“大阪市内で最も自然災害の影響を受けない”公共交通機関、四つ橋線利用なので通勤に支障がなく、台風通過の際もただ一人オフィスで勤務していました。先日の地震のときと同様、帰宅難民など無縁でしたが、オフィスのあるビルの最上階は猛烈な風を受けて揺れに揺れ続けて、30分余り船酔状態でした。

 

それでも思わぬところに台風の余波が・・・!本社幹部を6日早朝(この演奏会の翌朝)に関空でピックアップの予定だったのが、空港閉鎖の緊急対応で成田行きに変更となったおかげで、翌朝7時半までに成田空港に行かなければならなくなってしまった。さすがにフェスティバルホール終演からでは、どう手段を講じても翌朝7時半までに成田空港に到着することは不可能。幸いなるかな、プログラムの後半演目が“海”と“ボレロ”なので、“海”を聴いた後に席を立って、どうにか東京行き最終のぞみ(923分発)に飛び乗った。もしプログラムが前回定期の“復活”のような一曲ものだったら、アウトだったあ~!。

 

さて、この日の演奏についてどのような感興を得たか、をブログに残すに先立って、記しておかなければならないことが

 

私は絶対音感を持っていません。また“このブログを始めるに当たって”に記したとおり音楽の専門教育を受けてもいません。ということで、以下に書くことについては、素人の一音楽ファンのブログ記事としてご容赦(最も、このブログの記事すべて、ですけど)のほどを….

 

と、長い前置きをしてしまったけど、実は前半のヴァイオリン・コンチェルトは、とても“不快”だった。ソロ・バイオリンの音程が余りにハズレすぎている(と私には感じた)。ピンボケ写真を凝視しつづけたような、もしくは眼鏡を外して裸眼(近視、老眼、加えて加齢による軽度の斜視)で街を彷徨っているような不快な感覚に襲われてしまった。長い第1楽章の途中、席を立ってホール外に出ようか、と半分真剣に思ったくらい。前述の台風通過時の船酔気分のほうが、ビル1階という逃げ場があるのでマシだったかも。これでは、さすがに盛んな拍手を受けてステージに呼び出されてもアンコールは“無し”でしょう。ただし第1楽章の後、拍手が起こったくらいだし、終演後は盛んにブラボーが飛んでいたので、あくまでも私個人が“そう感じた”ということ。

 

なお、オープニング曲ベルリオーズも後半のドビュッシーも、読響の各パートの実力通りの演奏。特に“海”での色彩とニュアンスに富んだ各楽器のソロ、精緻なアンサンブル、そして特に終楽章終結部での深すぎず、厚くなりすぎない深い呼吸のブラスが加わってからの、終曲までの音楽のなんと素晴らしいこと。数年前に同じフェスティバルホール(ただし席は異なるけど)で聴いた大阪フィルの演奏とは数段の違い。ラベルの“ボレロ”を聴かずに、後ろ髪を惹かれるように、ホールを後にした。

 
読響_大阪定期_20180905


201889日 ウエスト・サイド物語 佐渡裕指揮シネマティック・フルオーケストラ・コンサート

 

バーンスタイン生誕100周年記念

佐渡裕指揮 ウエスト・サイド物語

シネマティック・フルオーケストラ・コンサート

 

フェスティバル・ホール

3階123

 

指揮: 佐渡 裕

東京フィルハーモニー交響楽団

 

昨今、新旧の様々な映像作品のシネマコンサートが話題だけど、恐らく2012年の『ウエスト・サイド物語』が口火を切ったのではないのだろうか。前回は大阪会場がオリックス劇場だったこともあり、まったくのスルーだった(東京は、今回と同じ東京国際フォーラム)。今回はフェスティバル・ホールを会場としていること、そしてなによりスクリーンにあわせてフルオーケストラが演奏する“シネマコンサート”なるコンテンツに対する興味が日増しに大きくなっていることもあり、大変楽しみにしていた。当然、選択した席はフルオーケストラを聴くにはベストの席、3階最前列席。ホール音響を楽しむのであれば、もう一つの選択肢として2階の左右バルコニー席があるけど、シネマコンサートに限ってはスクリーンを斜め45度から観る羽目になってしまう。

 

さて、あえて “シネマティック・フルオーケストラ・コンサート”と名乗ったこの公演、どう捕らえようか? この度、巨大スクリーンを通して鑑賞して、改めてミュージカル映画の最高傑作のひとつだと思わずにはいられない。オーケストラによる“序曲”のあと、マンハッタン空撮から始まりウエスト・サイドに暮らす人々の日常、そしてジェット団とシャーク団の対立構造までをダンスとともに見事に描ききった“プロローグ”で、完全に作品の魅力に捉われてしまった。完璧を追求するあまり途中解雇されたジェローム・ロビンズが監督した、そのプロローグでの凝りに凝った撮影時の逸話が、パンプレット内“画面に炸裂する渾身のダンス”の項に詳しく記されている。--因みに、この価格1,000円のパンフレットは非常に読み応えがある。買って良かった。

 

では、売物のフルオーケストラ・コンサートとしてはどうか、と言うと残念ながら、“あ~、こんなもんかぁ” といったところ。弦143管にハープや打楽器奏者6名(たしか)、さらにサックス3本とドラムス、エレキギターまで加えた巨大編成でありながら、とにかく音が飛んでこない。あえてオーケストラを聴くにはベストな3階席最前列に席を取ったのに、こんなにオーケストラの音を貧弱に感じたのは始めて。横に長いステージ背景として置かれた黒い布が音を吸収したこともマイナスだろうし、そもそも演奏自体も縦の線を合わせることのみを求められているわけで、特段に熱気をおびた演奏には聞こえない。昨今のPAが充実したシネコンで映画を観るときのような臨場感にはほど遠い。オーケストラの音量に映画のPAを合わせる必要もあったはず。もしオリジナル音声でシネマ上映をするのであれば、もっとPA音量を上げることも出来ただろう。そういえば、ばんばパークスで観るメット・ライブビューイングなど、実際の歌劇場ではありえないような大音量で、臨場感抜群だ。

 

勿論、映像とのシンクロは見事なもの。例えば、ドクの店でマリアの懇願を請けてやって来たアニタとジェット団との “あざけりのシーン” での音楽など、シーン冒頭のBGMのように流れるジャズバンドのサウンド・トラックからオーケストラの生演奏に切り替わっていくところなど、見事なほどに完璧だっただけに、あえてオーケストラの生演奏を聴く意味を考えてしまう。“生演奏” に勝るものなないだろうって?勿論、おっしゃるとおり。でも聞こえてくる生音が、オーケストラを聴くときの圧倒的な音圧、響きといった迫力を伴っていなかったら、“オリジナルサウンドでいいんじゃないの?” と思ってしまう。ましてや、再現芸術をもって評価されることを生業としているプロ奏者が、毎度定められたテンポや音量を厳格に維持しなければならない作業をわざわざ…とまで思ってしまう。東京は、フェスティバル ホールの2,800人より、さらに大きいキャパ5,000人の東京国際フォーラムでの公演だったらしい。どうだったのだろう。

 

いずれにせよ、名作『ウエスト・サイド物語』を大いに楽しんだのは、間違いない。でも、シネマコンサートなるコンテンツ、今回の経験で十分。

 

 
ウェストサイド物語_20180809


ウェストサイド物語_2_20180809

ウェストサイド物語_1_20180809

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