あーと屋のほぼ大阪クラシック演奏会気まま日記

タグ:京都市交響楽団

2020119日 京都市交響楽団 第641回定期演奏会 2日目

 

京都コンサートホール

2P 627

 

指揮            : ジョン・アクセルロッド

フルート        : アンドレアス・ブラフ

 

ベートーヴェン  :『アテネの廃墟』序曲

バーンスタイン  :『ハリル』独奏FLと弦楽オーケストラ・打楽器のためのノクターン

  ― アンコール  ドビュッシー :シリンクス

ショスタコーヴィチ: 交響曲第7番 ハ長調『レニングラード』

 

昨日の3階バルコニー席からポデュウム(P席)に場所を移しての2日目。席はチケット購入時の狙い通りHr4本、Tr3本、Tb3本のブラス別動隊(バンダ)がちょうど頭上に位置していて、爆音に身を浸すには最高の席位置。

 

レニングラードの印象は初日とおなじ。アクセルロッドのアプローチは過度な音楽の緊張感を求めることを避けながら、オーケストラ全体のハーモニーと音色の統一に徹した演奏。頭上のバンダも見事にステージ上のオーケストラ本体と音楽的に同期していた。でも、それじゃブラスパートの半分を切り取ってパイプオルガン横に置いたようなもので『この作品が求めるブラス別動隊ではないんじゃないのかなぁ』などと思いながら、まとまりの良い終楽章を聴いていた。

 

昨日は3階席後方からエンディングの余韻をかき消すようなブラボーがかかっていたけど、この日は私のいるポデュウム席から、またもやフライングぎみの盛大なブラボーの声にびっくり。

 

 20200118_京響_ショスタコーヴィチ_1

2020118日 京都市交響楽団 第641回定期演奏会 1日目

 

京都コンサートホール

3LD12

 

指揮            : ジョン・アクセルロッド

フルート        : アンドレアス・ブラフ

 

ベートーヴェン  :『アテネの廃墟』序曲

バーンスタイン  :『ハリル』独奏FLと弦楽オーケストラ・打楽器のためのノクターン

  ― アンコール  ドビュッシー :シリンクス

ショスタコーヴィチ: 交響曲第7番 ハ長調『レニングラード』

 

ちょうど1年前の関西シティーフィルの好演が記憶に新しい中、この週末を大阪で過ごすことになったので、“レニングラード”の正常な精神状態ではいられなくなるような音楽の渦に浸りたい、そんなマゾ的な期待をもって京響定期を2日続けて聴くことにした。

 

その“レニングラード”の演奏は、よく言えば〝純器楽的アプローチ”というのだろうか、破壊的な展開をあえて避けたかのような、まったく疲労感を覚えない演奏。第3楽章の木管によるコラールの後、ヴァイオリンの喉を掻きむしるような痛切な祈りのメロディーは、自分にとって最も聴きどころなのだけど、アクセルロッドの指揮は楽譜指定通りのフォルティシモ止まり。ここは渾身の最強奏であってほしい。“レニングラード”といえば、これまでの実演体験やメディア音源を聴いてきた中で、井上道義が首席指揮者だった大阪フィルとの2016年11月定期での暖かみを徹底的に排した冷酷で壮絶な演奏に止めを打つ。やはりショスタコーヴィチなら井上道義(井上道義といえば、ショスタコーヴィチ)ということか。

 

前プロ2曲は、たぶんどこかで実演を聴いたはずなのに一向に思い出せない。ブログ記事内検索をかけてもヒットしないので、この5年ほどのうちではないようだ。5分ほどの序曲はベートーヴェン・イヤーということで取って付けたようだし、ゲンダイオンガクの“ハリル”はいつもブログ記事で書いている通り、なんだかワカラナイのでパス。

 
20200118_京響_ショスタコーヴィチ_1

“201933日 びわ湖ホール プロデュースオペラ ワーグナー『ジークフリート』第2日目 

 

滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール

1階 1J16

 

指 揮           :沼尻 竜典

演 出           ミヒャエル・ハンペ

 

ジークフリート  : クリスティアン・フォイクト

ミーメ          : 高橋 淳

さすらい人      : ユルゲン・リン

アルベリヒ      : 大山 大輔

ファフナー      : 斉木 健詞

エルダ          : 八木 寿子

ブリュンヒルデ  : ステファニー・ミュター

森の小鳥        : 吉川 日奈子

ジークフリートの角笛 [ホルンソロ]  福川 伸陽

 

ブリュンヒルデ役のステファニー・ミュターの太く声量たっぷりの歌声は、時に録音で聴くビルギット・ニルソンを思わせるものの、ヒステリックな絶叫に近いところもあり、まだ夢見る乙女であるブリュンヒルデとしてはちょっと貫禄がありすぎたか。“神々の黄昏”であればピッタリはまりそうだ。それにしてもジークフリートがあまりにも非力だった。第1幕での高橋淳の熱演にかすんでしまったミーメとのやり取りも、聞かせどころの “鍛冶の歌” がオーケストラの強奏を突き破るように聞こえてこないのも、最終幕でのヴォータンとの対峙、そしてブリュンヒルデとの長大な2重唱に備えてのことだろうと贔屓目に聴いていたものの、一向に上向いてこないどころか最後の最後まで声が出ない。それだけジークフリートを歌える歌手はなかなかいない、ということなのだろう。

 

高橋淳のミーメは演技も含め、初日よりずっと良い(特に第1幕)。それでも狡猾で屈折したミーメの性格描写は残念ながらまだまだ弱い。ほんと、この役は(この役も…、か)難しい。ユルゲン・リンのヴォータンは、これぞワーグナー楽劇のバス歌いと思わせる声量で、野太い声で語るような歌いっぷりは、音程云々など向うに押しやってしまうような魅力でいっぱいだった。来年の“神々の黄昏”ではハーゲンを歌ってくれないかな。…とここまで書いて、またもやベルリンドイツオペラのリング日本初演(東京文化会館)で聴いたマッティ・サルミネンを思い出した。第1幕の“見張りの歌”を聴いた時の背筋が凍るような衝撃はいまだに忘れられない…。

 

“ラインの黄金” から継続する、常に舞台最前面に紗幕を下ろしたままでのプロジェクションマッピングとCGを駆使する舞台演出において、本作第2幕は空間を最大限に利用したという意味で、もっとも成功だったのではないか。舞台いっぱいに広がる暗く深い森、目線と同じ高さの等身大のジークフリート、舞台奥にプロジェクションマッピングで投影された巨大な蛇(まさに大蛇)、そして舞台前面の紗幕の見上げるような位置に投影された小鳥と、なんとみごとな構図だろう。さて、来年の “神々の黄昏” も舞台前面に終始、紗幕が下ろされているのだろうか。ハーゲンの軍勢が舞台いっぱいに登場する第2幕だけは紗幕を上げて、群衆(ギービヒ家の家臣たち)の動きをはっきり見せつけて欲しいのだけど…。

 

やはり今日の京響は吹っ切れたように鳴っていた。これは一昨年の “ラインの黄金”、そして昨年の “ワルキューレ での感想と全く一緒。第3幕第3場への舞台転換からブリュンヒルデの目覚めまでの音楽(“金切り声で叫ぶ歌手と大音量のオーケストラによる、ただうるさい音楽” とワーグナーの楽劇を切って捨てるアンチワーグナーの人にこそ、是非聴かせたい)での透明で精緻の極みのような演奏は、これぞ京響と思わずにいられない。

 

それでも、昨日と同様、“愛の挨拶の動機” による最初の歓喜の場面から以降が弛緩した。沼尻竜典の全体的に遅めのテンポでも主役2人の歌唱でもなく、棒立ち気味につっ立ったまま歌わせた演出によるものだろうと思う。ブリュンヒルデが夢見る乙女(処女)から同床異夢の最後の2重唱に至るまでの心理的変化のプロセスが埋没してしまい、ややもすると退屈な時間にも感じる、そう、ワーグナー楽劇で最も避けたい状態に陥ってしまった。私として、今回の2日間の公演で唯一、残念な点だ。

 

さあ、びわこリングもいよいよ来年の3月に完結ですね。1年後、”愛の救済のモチーフ”ともに、ワーグナーの毒にどっぷりと浸かるのを今から楽しみにしております。

 

 
ジークフリート_びわこホール_20190302


1987年 ベルリンドイツオペラによるリング日本初演の会場(東京文化会館)で買ったポスター
パネルに入れて大事に保管
ルネ・コロのジークフリート、イエルサレムのジークムント
カタリーナ・リゲンツァのブリュンヒルデにロバート・ヘイルのヴォータン
そしてなんとマッティサル・ミネンはファーゾルト、フンディング、ファーフナー、ハーゲンの4役をこなした
いま思い出しても凄すぎる!!!!
神々の黄昏_11111



201932日 びわ湖ホール プロデュースオペラ ワーグナー『ジークフリート』第1日目 

 

滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール

1階 1J列18番

 

指 揮           :沼尻 竜典

演 出           ミヒャエル・ハンペ

 

ジークフリート  : クリスティアン・フランツ

ミーメ          : トルステン・ホフマン

さすらい人      : 青山 貴

アルベリヒ      : 町 英和

ファフナー      : 伊藤 貴之

エルダ          : 竹本 節子

ブリュンヒルデ  : 池田 香織

森の小鳥        : 吉川 日奈子

ジークフリートの角笛(ホルン) 福川 伸陽

 

明日も鑑賞するので、さっと備忘メモのみ。

ジークフリートのクリスティアン・フランツが期待通り素晴らしい。そして、青山貴と池田香織の2人がフランツの歌唱に全く引けを取らない、堂々たるさすらい人とブリュンヒルデを聴かせてくれた。トルステン・ホフマンは声質が純すぎてミーメの屈折した性格描写にそぐわない。

 

オーケストラが安全運転気味なのは一昨年のラインの黄金、昨年のワルキューレの初日以上かもしれない。第3幕前奏曲の激しい音楽の場面になっても一向に鳴らないのはどうしたことだろう。今日(二日目)でどこまで変わるだろうか? 第3幕最終場、“愛の挨拶の動機” による最初の歓喜の場面から以降が少々単調に感じられたのは、演出面以上に指揮の沼尻竜典による音楽運びによるものだろうか。今日の公演で確認したい。

 

ジークフリート_びわこホール_20190302

2018930日 【聴けなかった!】びわ湖ホール開館20周年記念マーラー 一千人の交響曲

 

“ぐすたふ”  様から29日に行われた緊急特別公演の終演直後に頂いたメールによると、およそ1,000人ほどの一千人ファンがその特別な場に駆けつけたとのこと。私は、とても残念なことに聴くことができなかった。

                                       

28日(金)の夕方、出張先の岩手花巻から伊丹に到着してすぐ空港バスを待ちながら、びわ湖ホールの公式HPを覗くと緊急告知が目に飛び込んだ。----9/30(日)の公演については、通常どおり開催する予定としておりますが、警報等の発令状況、交通機関等の運行状況等を考慮して・・・・。 この演奏会にあわせて週末大阪滞在にしたことで、土曜日(29日)は午後3時から日本センチュリーの豊中定期、そして夕方6時から梅田で近畿地区在住者による高校同窓会を予定していた。日本センチュリーには失礼だけど、豊中とびわ湖ホールを天秤にかけると、びわ湖が1000倍重い。でも・・・、高校の同窓会は普段、週末大阪にいない私のために幹事がわざわざこの日にセットしてくれたもの。私が不義理をするわけには絶対にいかない。

 

結局、びわ湖ホールHPの公式アナウンス冒頭の930日(日)の公演については、通常通り開催する予定としておりますが…”の言葉に一縷の望みを託すことに。もともと日曜日(30日)は一千人の交響曲終演後、その日の内に京都から新幹線で東京に移動する必要があったので、新幹線運行中止による大津泊まりを想定して、品川のホテルとは別に大津駅前のホテルをダブルブッキング。とにかく、公演が決行された場合は、万難を排してその演奏に立ち会うためにあらゆる策をとったのに….嗚呼っ、無情にも豊中ホールでの演奏会の途中休憩のホワイエでHPを覗き(“堪らずに、覗いてしまい” が適当かな)、正式な公演中止の発表を目にすることに。

 

常々、勤務先の人事トレーニングで “主体性を発揮する (フランクリン・コヴィー 7つの習慣”  について偉そうにノタマッテいながら、この度の台風24号襲来にともなう理性的判断・合理的決断までの心理的プロセスは、今になってみると複雑なものだった。社員に対して “自分にとってOut of Controlな事柄・出来事については意識を向けるべからず・・・” と言いながら、びわ湖に向かって、『せめて緊急特別公演の開始時間を15時にしてくれてれば!』と心の中で叫んでしまった。

 
びわ湖ホール_公演中止_1_20180930


ちなみに、当日(30日)は新大阪新幹線ホームは早くも朝8時過ぎには人の波で身動きが取れないほど。結局、こだまで品川にたどり着いた時は夕方になっていた。

台風一過の月曜日の東京湾の朝焼けのみごとなこと。

 
10月1日 早朝5時14分 品川のホテルの部屋から
びわ湖ホール_公演中止_20180930

2018422  ローム・ミュージックフェスティバル2018 オーケストラ・コンサート Ⅱ 

天才と英雄の肖像

 

ローム・シアター京都 サウスホール

1719

 

21日、22日開催のローム・フェスティバルの有料全6公演のチケットを押さえていたものの、月曜日からのスイス出張の準備に忙殺されて、どうしても聞き逃せないザ・スピリッツ・オブ・ブラスと京響2公演に限定。日記を書く時間も取れぬまま、ついにウィーンのホテルに到着してしまった。今夜から、カウフマンのアンドレア・シエニエ、セビリアの理髪師、アイーダとイタリア・オペラ三昧(文字通りだなぁ)。ということで、せっかくのウィーンなので、簡単に備忘メモとし、アップします。

 

モーツアルト               : ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K466

       ――アンコール          ショパン: ノクターン 第20番『遺作』

R・シュトラウス     : 交響詩『英雄の生涯』

 

指揮          : 下野 竜也

ピアノ        : 小林 愛美

オーケストラ  ; 京都市交響楽団

 

これまで下野竜也の指揮による演奏会は、変化球に飛んだ作品をプログラムする一方で曲目の主軸はベートーベン、ドボルザーク、ブルックナーであり、様式美を常に堅持させた演奏スタイルの指揮者との印象を持っている。“英雄の生涯”の演奏を聴く限りでは、どうやらリヒャルト・シュトラウスはあまり得意としていないよう。どの箇所でも特にもったいぶったところなどなく、耽美さ・妖艶さといった世紀末の香りなどはほとんど消し去ってしまっている。 

 

ホルンに大阪フィルと日本センチュリーから奏者がエキストラ参加していた。前日、フェスティバルホールで、4オケ合同の演奏会の翌日、当日リハだけで演奏会に加わった、とうことなのだろう。前日の14列目と違い7列目は音圧も十分で、またピアノソロも近く、大変楽しめた。

ロームミュージックフェスティバル_オーケストラ_20180422

2018421  ローム・ミュージックフェスティバル2018 オーケストラ・コンサート Ⅰ 

『日本』と『ジャポニズム』 ~我が故郷の調べ~

 

ローム・シアター京都 サウスホール

11434

 

21日、22日開催のローム・フェスティバルの有料全6公演のチケットを押さえていたものの、月曜日からのスイス出張の準備に忙殺されて、どうしても聞き逃せないザ・スピリッツ・オブ・ブラスと京響2公演に限定。日記を書く時間も取れぬまま、ついにウィーンのホテルに到着してしまった。今夜から、カウフマンのアンドレア・シエニエ、セビリアの理髪師、アイーダとイタリア・オペラ三昧(文字通りだなぁ)。ということで、せっかくのウィーンなので、簡単に備忘メモとし、アップします。

 

外山 雄三    : 管弦楽のためのラプソディー

武満 徹      : 3つの映画音楽

                     訓練と休憩の音楽 ~『ホゼー・トレス』より

                     葬送の音楽 ~『黒い雨』より

                     ワルツ ~『他人の顔』より

酒井 健治   : 日本民謡によるパラフレーズ ~オーケストラのための

G・プッチーニ       : 歌劇『蝶々婦人』(スペシャル・ハイライト版)

 

指揮          : 下野 竜也

ナビゲーター  : 朝岡聡  

オーケストラ  ; 京都市交響楽団

 

蝶々婦人      : 木下 美穂子

坂本 朱      : スズキ

宮里 直樹    : ピンカートン

大山 大輔    : シャープレス

 

後半の蝶々夫人で、ステージ後方でのスクリーン投影による演出はシンプルながら効果的。やはりこのオペラ、着物姿での所作は日本人歌手が一番しっくりいく。

 
ロームミュージックフェスティバル_オーケストラ_20180421

201834日 琵琶湖ホール プロデュースオペラ ワーグナー『ワルキューレ』第2日目 

 

滋賀県立芸術劇場 琵琶湖ホール

1階 1U14

 

指 揮           :沼尻 竜典

演 出           ミヒャエル・ハンペ

 

ジークムント    : 望月 哲也

フンディング    : 山下 浩司

ヴェータン      : 青山 貢

ジークリンデ    : 田崎 尚美

ブリュンヒルデ  : 池田 香織

フリッカ        : 中島 郁子

ゲルヒルデ      : 基村 昌代

オルトリンデ    : 小川 里美

ワルトラウテ    : 澤村 翔子

シュヴェルトライテ: 小林 昌代

ヘルムヴェーゲ  : 岩川 亮子

ジークルーネ    : 小野 和歌子

グリムゲルデ    : 森 季子

ロスワイセ      : 平舘 直子

 

終演後そのまま京都から新幹線で東京まで移動して、今日月曜日は、朝から東京のオフィスで仕事。メール処理をしていても、ミーティングをしていても、めくるめく押し寄せる壮大な終幕の音楽が頭の中で鳴っている。“冬の嵐は過ぎ去りて”のところ、紗幕いっぱいに映し出された春風にゆれるトネリコの大木の新緑のシーンを何度も思い出してしまう。う~ん、またワーグナーの毒に犯されたようだ。ただし、今回は昨年の新国“神々の黄昏”のときほど重症ではない。その最大の理由は、初日の不完全燃焼によることが大きい。恐らく土曜日だけの観劇であれば、毒に犯されることは無かったのでは。

 

ピットでは、下手端にハープ2台、上手にティンパニ2セット、さらにHr8Tr 4といった指定どおりの管楽器の陣容に、12型の弦がところ狭し。新国は舞台に潜り込むようにもう一列ほどのスペースがあり、“神々の黄昏”ではハープが4台ほど並んで置かれていたのに比べると、びわ湖ホールはオペラ専用劇場でありながらワーグナーの楽劇を上演するにはピットが小さすぎる。故にだろうか、初日はとにかく京響の演奏が抑え気味。それが2日目になると、金管は吹っ切れたように吹きまくるし、弦も合奏精度を気にせず、といった感じで、熱気に満ちた演奏に打って変わった。やはり“楽劇”はこうでなくっちゃと、ここまで書いて、ふっと思い出した。昨年も“ラインの黄金”二日目でもまったく同じ感想を書いてる。

 

初日の演奏は特に第1幕が低調で不完全燃焼。ジークムントもジークリンデも2日目のほうがヴェルズング族としての英雄的声質に適していたし、沼尻竜典の指揮も明らかに2日目のほうがよりオーケストラをドライブしていた。京響が手馴れてきたのだろうか、それとも指揮者とジークムント・ジークリンデ役との息の合い方の問題なのだろうか。わずか2日間の公演でありながら全役をダブルキャスト(限られた機会しか得られない歌手への配慮なのだろうか、まったく知る由もないし興味もないけど)にすることで、やはり公演のクオリティーに影を落とすのは、聴く者としては残念なところ。あの役は初日で、この役は二日目で聴いたら・・・と、あれこれ思ってしまうのも、ワーグナー好き故かな。あ~ぁ、なんのかのと言っても、ワーグナーの音楽が好き。もっと毒に浸っていたい。

 

昨年“ラインの黄金”での、上階席から“新国に負けるな~っ!”との猛烈な声援まで聞えてきたほどの熱狂まではないにしろ、演出へのブーが飛んだり、それをかき消すほどのブラボーがかかったりと、ワグネリアンにとってはたまらない2日間だったことは間違いない。

 

閑話休題

4月最終週のスイス出張のついでにウィーンに足を伸ばすことにして国立歌劇場のチケットを代理店にお願いしたら、なっなっなんとアンドレア・シェニエ、セヴィリアの理髪師、アイーダと3日連続で平土間席3列目、4列目の中央席が取れてしまったぁ。カウフマン様、お願いだからドタキャンしないで!。

 
びわ湖ホール_ワルキューレ_20180304



201833日 琵琶湖ホール プロデュースオペラ ワーグナー『ワルキューレ』第1日目 

 

滋賀県立芸術劇場 琵琶湖ホール

1階 1U

 

指 揮           :沼尻 竜典

演 出           ミヒャエル・ハンペ

 

ジークムント    : アンドリュー・リチャーズ

フンディング    : 斉木健詞

ヴェータン      : ユルゲン・リン

ジークリンデ    : 森谷 真理

ブリュンヒルデ  : ステファニー・ミュター

フリッカ        : 小山 由美

ゲルヒルデ      : 小林 厚子

オルトリンデ    : 増田 のり子

ワルトラウテ    : 増田 弥生

シュヴェルトライテ: 高橋 華子

ヘルムヴェーゲ  : 佐藤 路子

ジークルーネ    : 小林 沙季子

グリムゲルデ    : 八木 寿子

ロスワイセ      : 福原 寿美枝

 

申し込みのタイミングが僅かに遅くSS席(昨年の“ラインの黄金”はH 18番という、最高な場所)を逃してしまったものの、平土間中央で舞台全体を楽しめる申し分の無い席位置。昨年と同様、二日目も鑑賞するので、演奏や演出の感想等は明日の日記でまとめて記します。

 

びわ湖ホール_ワルキューレ_20180304

2017416日 京都市交響楽団 大阪特別演奏会

 

ザ・シンフォニーホール

1P

 

ベートーベン :交響曲第5番 ハ短調

ハチャトゥリアン :組曲「仮面舞踏会」

ワルツ・夜想曲・マズルカ・ロマンス・ギャロップ

ストラヴィンスキー :バレエ組曲「火の鳥」 1919年版

 

   アンコール  ビゼー:アルルの女から「アダージョト」

 

指揮 :広上 淳一

 

演奏会日記のアップをかなりサボっていました。414日の広響から429日の関フィル定期まで、7つの演奏会を一気にアップします。

 

京響って、ほんとに上手いなあ。大阪にいると、今日のような演奏会などなかなかに聴けたものではない。特に火の鳥など、これだけ完璧な演奏を聴かせてくれるオーケストラなど、海外オケの来日公演でもそうそう体験できないのではないか? 

 

ハチャトゥリアンもストラヴィンスキーもオーケストラレーションを楽しめる曲でこのオケの実力を示すにはもってこいの曲だけど、もっと重厚なプログラミングでの京響を聴きたかった、と思うのは贅沢すぎるか。

京都市交響楽団_大阪_20170416

2017326日 京都市交響楽団 第610回定期演奏会 マーラー『一千人の交響曲』 第2日目

 

京都コンサートホール

1階225

 

マーラー: 交響曲第8番 変ホ長調『一千人の交響曲』

 

指揮  :      広上 淳一

 

独唱          高橋 絵里      ソプラノ1 罪深き女

                田崎 尚美      ソプラノ2 懺悔する女

                石橋 栄美     栄光の聖母

                清水 華澄      アルト1 サマリアの女

                富岡 明子      アルト2 エジプトのマリア

                福井 敬        テノール マリア崇敬の博士

                小森 輝彦      バリトン 法悦の教父

                ジョン・ハオ    バス 瞑想する教父

 

合唱    :京響コーラス

児童合唱:京都市少年合唱団

 

期待以上の “超” のつく名演。40年近く偏愛する(201674日新日本フィル第560回定期の演奏会で記したとおり)この型破りの大曲を理想的な演奏で体験できたことに感謝したい。京響コーラスを中心に編成された混声合唱も、そして京都市少年合唱団も実にみごと。終演後のレセプションで広上マエストロから聞くところによると、合唱は一年以上も前から準備をされたのだそうだ。特に第2部での隅々まで血の通ったオーケストラの演奏クオリティーについて言えば、昨年7月にサントリーホールで聴いたハーディング指揮新日本フィルの演奏よりはるかに優れている。

 

広上淳一の指揮は、祝祭的な第1部に対して、一転第2部ではテンポを大きく変化させながら、各ソリストに与えられた登場人物ごとの性格描写を深堀して、パッションや情念を解き放つかのようなロマンティシズムに満ちたものだった。普段よりもずっと大きな手振りと息づかいで、ときに高くジャンプしながら(革靴のソールが幾度も目に飛び込む)ステージ上に大きく展開した100人を超えるオーケストラ、自身を取り囲んだ7人の独唱、200名超の2部に分かれた混声合唱団、そして児童合唱団の隅々まで明確な指示を出していく。きっとリハーサルで求めた指示通りに演奏がすすんだのだろう。幾度となく右手の親指を立てて “GOOD!” っとサインを送る。そんな芸術創造の過程を目の当たりにした、刺激的でエキサイティングな時間でもあった。

 

それにしても12列目のほぼ中央の席で聴く“一千人の交響曲”の迫力はすさまじい。冒頭パイプオルガン重低音の音圧を真正面から浴びるように全身で感じる(パイプの真ん前に位置した第2コーラス最後列はきっと五臓六腑が震えていたに違いない)。私の席からは指揮者を挟んで真正面に位置した高橋絵里のハイCが脳髄に響く。先日の “びわこリング:ラインの黄金” 第2日目でフロー役を務めたテノールの福井敬とファーフナー役のジョン・ハオの歌唱を再び真近で聴く事ができたことがうれしい。若干の不満とすれば、石橋栄美の “栄光の聖母” が 神聖さに乏しく “歌ってしまっていた” こと、神秘の合唱をもっと微細に開始してもらいたかったくらいだろうか。

 

残念で仕方がないのは、月曜日に広島の自宅を出るときにポケットスコアを鞄に入れてこなかったこと。耳慣れない仕掛け2ヵ所を確認できないまま、月曜日からの会議に向けて東京に新幹線で移動した。(たぶん第1部での)合唱が一瞬沈黙した(ように感じた)ゲネラルパウゼ?そして(たしか第2部だったか)第2コーラスのアルトパートのみが音を引き伸ばした箇所。BSフジの収録は何時オンエアされるのだろう?

 

ホール入り口で “お茶会” が開催されていた。松江で生まれ育った私にとって、奇跡の “一千人” とともに至福の “いっぷく” を味わうことのできた素敵な週末だった。

 
京響_一千人_20170326

京響_お茶会

京響_お茶会2

201735日 琵琶湖ホール プロデュースオペラ ワーグナー『ラインの黄金』第2日目 

 

滋賀県立芸術劇場 琵琶湖ホール

1階 1H 18

 

指 揮           :沼尻 竜典

演 出           ミヒャエル・ハンペ

 

ヴェータン      :青山 貴

フリッカ        :谷口 睦美

ローゲ          :清水 徹太郎

アルベリヒ      :志村 文彦

ミーメ          :高橋 淳

エルダ          :池田 香織

ドンナー        :黒田 博

フロー          :福井 敬

ファゾルト      :片桐 直樹

ファーフナー    :ジョン・ハオ

ヴォークリンデ  :小川 里美

ヴェルグンデ    :森 季子

フロスヒルデ    :中島 郁子

 

オーケストラ、歌、演技、プロジェクションマッピングとのシンクロなど、あらゆる点で昨日よりずっと出来がよい。初日に比べ劣っていたのは、ほんの些細なことだけどエルダ登場のシーン・・舞台の景色が宇宙空間(?)に一瞬にして変わる最もイマジネーションにとんだ演出箇所・・・で、今日は地面が数秒早く開き始めたことくらい。

 

京響の演奏は実にすばらしく、ラインの乙女が登場するまでの序奏で早くも涙が出てしまった。安全運転に終始した昨日と打って変わって、完全に吹っ切れたように開始早々から最後まで“楽劇”を聴かせてくれた。ハープ3台、ティンパニ2セットなど、ところ狭しと配置された狭いピットにどうにか納まった12型弦は高弦からベースまでよく鳴っていたし、昨日は遠慮がちだった金管もかなり音量をあげて吹き鳴らしていた。たとえば第4場でアルベリヒが指輪を突き刺すのに合わせて小人役が悲鳴をあげてニーベルハイムに逃げ去るシーンで、初日は子供たちの悲鳴が耳に大きく届いたのに、今日は金管の強奏が悲鳴をかき消すほど。やはり“楽劇”はこうでなくちゃ。

1日目は女性歌手に力負けした感の男性は、今日は声量でも演技でもまったく互角。なにより全員のレベルが一定だったことは、登場人物が多いこの楽劇にとってはかなり重要な要素。昨日は棒立ち気味だったフローも今日はしっかり演技していたし、アルベリヒも音程は少々目を瞑ってでも役になりきった歌唱と演技だった今日のほうがずっと良い。

 

演出は限られた予算で最大の効果を得ることに成功していたと思う。前述したとおりエルダ登場の場で、音楽の変化に合わせて舞台最前面の透明スクリーンに宇宙空間(?)が映る幻想的なシーンはとてもとても素敵だった。エルダがヴェータンを諭す重要な場面なのだから、あらかじめフローは他の歌手と同じように舞台奥に立たせて置いて、背景に姿を沈ませればなお良かったのに。

 

ほとんど台本に沿った分かりやすい演出だった。ただ、エルダが去ったあと剣が地面に突き刺さっている、という演出は何を意味しているのだろう?エルダが剣をヴェータンに授けたのだろうか?(実は初日の演奏を聴いたときから、今にいたるまでずっとその演出意図を考えている。私も一端のワグネリアンのようだ)。これから“びわ湖リング”を見続けていくと演出の中に解が示されるのだろうか?いまからもう来年3月のワルキューレが楽しみでたまらない。

 
琵琶湖ホール_ラインの黄金

201734日 びわ湖ホール プロデュースオペラ ワーグナー『ラインの黄金』第1日目 

 

滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール

1階 1H 18

 

指 揮           :沼尻 竜典

演 出           ミヒャエル・ハンペ

 

ヴェータン      :ロッド・ギルフリー

フリッカ        :小山 由美

ローゲ          :西村 悟

アルベリヒ      :カルステン・メーヴェス

ミーメ          :与儀 功

エルダ          :竹本 節子

ドンナー        :ヴィタリ・ユシュマノフ

フロー          :村上 敏明

ファゾルト      :デニス・ビシュニャ

ファーフナー    :斉木 健詞

ヴォークリンデ  :小川 里美

ヴェルグンデ    :小野 和歌子

フロスヒルデ    :梅津 貴子

 

明日も同じ席(H 18番)で鑑賞するので、演奏や演出の感想等は明日の日記でまとめて・・・と記しながらも、オケについて一言だけ。ピットに入った京響はかなり控えめな安全運転でいささか物足りなかった。第3場から最終場になってある程度までギアを上げてきたけど、それでもまだまだ京響本来のパワーではない。明日にはどの程度までギアアップしてくるだろうか?

 

終演後、日本ワーグナー協会の懇親会に参加して楽しい時間を過ごすことができた。ベルリン・ドイツ・オペラによるトンネル・リングの公演会場で入会申し込みして以来、すでに30年も経過したことになる。たしか入会当初900番前後だった会員番号もだんだんと繰り上がり今は300番ほどにまでなったけど、つまりは協会発足当初からのワグネリアンが私の前に300人以上もいらっしゃるということ。今日の懇親会にも40人ほどが参加され、その多くが東京からいらっしゃったはず。皆さんのお話を聞くにつけ、つくづく思う。『やっぱ筋金入りの“ワグネリアン”はすごいわ』

琵琶湖ホール_ラインの黄金


2016
1127日 京都市交響楽団 第607回定期演奏会 第2日目

 

京都コンサートホール

1階3列目

 

メシアン: トゥーランガリア交響曲

 

指揮  :高関 健

ピアノ : 児玉 桃

オンド・マルトノ : 原田 節

 

この曲は井上道義・大阪フィルの2013年第471回定期(場所はシンフォニーホール、ピアノとオンド・マルトノの奏者は今日と同じ)で聴いて以来2度目となる。つまり関西の主要2オケが定期演目にかけたことで、居を東京にでも移さない限り、私はこの曲の生演奏を聴く機会は恐らくもうないだろう。唯一所有しているケント・ナガノ指揮ベルリン・フィルのCDTELDEC)は、購入してから10年以上たったいまも、まともに聴き通したこともない。もしかしたら録音もふくめてこれから一度も耳にすることの無い曲なのかもしれない。

 

オーケストラは18型の弦に指定通りの管、打楽器、鍵盤楽器をずらりとステージに並べた巨大編成。オンド・マルトノを真直に見てみようと3列目の奏者前の席を購入したものの、これが失敗。指揮台の前に置かれたピアノの音が強く耳に入ってきて少々以上に“うるさい”、またピアノの向こうの指揮者もオーケストラもほとんど視界に入らない。ステージ上で鳴っている18型フル編成の音は、頭上を通過するようで、実にバランスが悪い。しかも目の前のピアノが邪魔でステージ全体が見えない。首を斜めに捻りながら左右のステージ横のガラスに映る指揮者とオーケストラをずっと見ていたので、首が痛くなった。児玉桃のドレスと同じ原田節が赤いソックスを履いていた。いずれにせよ、私にはこの曲はもうこれで十分。

 

ところで、このホールは少し下手(訂正:上手)にオフセットして設置されてた正面のパイプオルガンの上手側(訂正:下手側)に大小二つの箱型のバルコニー舞台のようなところが置かれている。これって、来年3月定期でのマーラー“一千人の交響曲”にドンピシャじゃないですか。パイプオルガンの横にある大きいほうの箱からバンダが吹き鳴らされ、そして小さいほうの箱から栄光の聖母がKomm!と客先に向かって呼びかるのを想像するだけで悶絶しそうになる。327日に本社の幹部を招いた大きな会社イベントが東京オフィスであるけど、万難を排してでも聴きのいくぞ。

ーー追記ー

ネットでこのホールを検索していると1995年のこけら落としで、井上道義指揮で一千人の交響曲が演奏されていた。(井上道義ってマーラー振るんだあ。てっきり避けてると思ってた)。その時の演奏のCD化されていて、ジャケット写真(今時ジャケットなんて言わないか)を見ると、なんとパイプオルガン横の箱にバンダが乗っているではないか。もしかしたら、この曲を演奏するために特別に設計されたかな?ますます来年3月が楽しみだ。


京都交響楽団_20161127

京都コンサートホール

2016417日 京都市交響楽団 創立60周年記念 大阪特別演奏会

 


ザ・シンフォニーホール

1階P列31

 


リヒャルト・シュトラウス: ツァラトゥストラはかく語りき

サンサーンス:交響曲第3番『オルガン付』

   アンコール  マスカーニ: カヴァレリアルスティカーナ『間奏曲』

 


指揮 :広上 淳一

オルガン:アレシュ・バールタ

 


一言“すごい!” 国内トップレベルの演奏団体のひとつと巷で評されるのも頷けます。個人的には大阪フィルの30年来のファンだけど、演奏団体のレベルは京響のほうが一ランク上でしょう。時につまらない指揮者で凡庸な演奏を聴いたときは、気付かぬうちに日常のことをふっと考えていたりするものだけど、二つの大曲とも一瞬も気持ちが離れることのない濃密な音楽体験でした。

 


実のところこれまで、シンフォニーホールのパイプオルガンについてはあまり高く評価しておりませんでした。例えば他のホールでの腹部が震えるような重低音や、いずみホールのパイプオルガン演奏で耳元の空気が微かに振動するかのような微弱音といった体験を得た記憶がまったくないのです。サンサーンスのオルガン交響曲に限っても幾度となくこのホールのパイプオルガンを聴いてきたけど、恐らく“ゴージャスな”という表現のふさわしくない中型規模の楽器なのだろうからこの程度なんだろう、と思い納得しておりました。ところが、それも今夜の演奏で覆りです。

 


2楽章後半部分で、ハ長調の和音がホール全体に圧倒的に響き渡ったのを聴いたのは今日が初めてです。まったくの素人推測ですが、ストップの選択の結果なのでしょうか。だとしたらアレシュ・バールタさんという一級のオルガン奏者を招へいしたことが大正解だった、ということでしょう。

 


毎度のこと、パイプオルガンのハ長調の和音が鳴り響いた途端に、涙腺が緩んでしまいます。この曲は“ライブ”できかないと面白さがわからないオーケストラ曲の最右翼でしょう。


京都市交響楽団_大阪特別


2016313日 京都市交響楽団 第599回定期演奏会

 


京都コンサートホール

P オルガン階323

 


マーラー:交響曲第6

 


指揮  :高関 健

 


大阪からJR線と地下鉄を乗り継いで会場に到着したのが、開演わずか10分前。通路の扉から高関さんのプレトークの最後あたりを立ち聞きしてから自席のオルガン席へ着くと、正面1階平土間は大変寂しくせいぜい6割程度の入り。どうやら最安値の(でも音は申し分ない)オルガン席が最も埋まっていたみたい。

 


あまり大きくないステージ上にぎっしり埋まったカウベルなどの数々の打楽器群、ハープ2台、チェレスタ2台まで含めた110名フル編成のオーケストラは全員が大熱演で、最後まで異常なまでの緊張感が途切れることがない。弦セクションは後ろのプルトまで集中しまくりだし(大阪フィルもこうならないかなぁ)ブラス群もみんなとても上手。特にホルンの深みのある音色とTop奏者のソロの安定感はすばらしい。舞台手前左右に高いひな壇が置かれ、両翼配置のVn最後尾プルトはちょうど私の目線位置まで持ち上がっていたおかげで、弦セクションの音がどんどん飛んでくる一方で、ブラスの刺激的な音圧は正面に抜けていく。もしかしたら本日の編成、配置では最高の席だったかもしれない。

 


高関さんの指揮はマーラー演奏で用いられる常套句 “情念の起伏” とか “カタルシス” などと表現される、少なくとも私が聴きなじんできた演奏スタイルには背を向けた解釈で、特に第1楽章など曲のもつ推進力そのままに突き進んでいく。日頃からのファーストチョイスであるバーンスタイン(新旧両盤)やテンシュテントの演奏と比較しながら聴いてしまった上に、プレトークで耳にした“細かな指揮者自身による改訂”箇所が気になって、どうにも音楽に浸りきれなかった、というのが正直なところ。いつもなら全曲を聴き通すたびに疲労困憊するこの曲も今日の演奏は聴き終えてもまったく精神的に “疲れない” 演奏でした(もちろん決して悪い意味ではありません)。できるならもう一度あたまから全曲聴き通したい、と思ったほど。もしこの日が定期初日(土曜)なら、迷わず当日券で翌日も出掛けたことでしょう。

 


ちなみに私には今日の演奏のようにアンダンテ、スケルツォの順がすっきりと腑に落ちます。第1楽章が破壊的であるほど後に続くアンダンテに安らぎを感じられるし、また低弦ピチカートに続いてチェレスタとハープの分散和音で開始される悲劇の最終章の前には、面妖なスケルツォこそふさわしい。

 


閑話休題

どうもこのホールはアクセスも館内のフロアデザインもあまり好きになれません。地下鉄の最寄駅出口から会場まで別の施設を迂回しないといけない、正面玄関を入ると無意味に長いスロープを360度ぐるりと歩かされる、館内のトイレの位置がわかりにくい、などなど。加えて特に1階席前方はステージを高く見上げるようだし、後方の席はステージから音が飛んでこない。個人的にはオルガン席の上段がベストチョイスだけど、唯一の難点は木製のベンチシートであること。誰かが深く座りなおしたり、背もたれにすがったり(逆に背をうかしたり)すると列全体に波及してしまい、特に今日のように80分余りの大曲になると、どうにも気を使ってしまいます。

 


ところでオーケストラが乗っている舞台と同様、このオルガン席も全体が大きな一つの木箱のような構造になっており、木製の長椅子がその木箱の上に置かれているようです。実はここ最近、足にできた “魚の目” に悩まされており演奏会に出かけると、着席と同時にこっそり靴を脱いで演奏を聴いているのですが、開演前のウォーミングアップ時からチューバの音に床が振動してビリビリと足裏に伝わってくるのがわかります。見渡すとホール全体が木製の筐体となるような構造のようです。残念ながらフルオーケストラには決して適した音響のホールとは思わないのですが、ピアノや室内楽の演奏には最適なのかもしれませんね。

 
京響第599回定期


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