あーと屋のほぼ大阪クラシック演奏会気まま日記

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2020327日 片桐仁美・堅田京子ジョイントリサイタル ザ・フェニックスホール

 

ザ・フェニックスホール

1階B7

 

アルト                  :片桐 仁美

ピアノ                  :堅田 京子

ギター                  :増井 一友

 

リスト                  :楽に寄す D547

                              死と乙女 D531

                              夜 WoO

                              さすらい人の夜の歌 D768

 

リスト                  :ピアノ・ソナタ第18番 ト長調『幻想』 D894

 

       ~ 休憩

ブラームス              :ピアノのための4つの小品集

 

ヨーゼフ・マルクス     :風車

                                         窓辺にて

                                         煙

                                        雨

フーゴ・ヴォルフ       :ミニヨンの4つの歌

  ――アンコール

        ピチカート・ポルカ J・シュトラウスⅡ  ※ 堅田京子

        ウィーン・我が夢の街  ※ 片桐仁美、堅田京子、増井一友

 

今年は日本国内のワーグナー楽劇上演の当たり年だと思っていたら、主要公演は“神々の黄昏”(びわ湖ホール)に続いて“トリスタンとイゾルデ”(東京音楽祭・春)も中止となり、6月の“マイスターマイスタージンガー”だけとなってしまった。こうなってくるとワーグナーというワードに飢えてくる。この日の演奏会はクブファー演出バレンボイム指揮のバイロイト公演でジークルーネを歌った実績を持つ片桐仁美が、音大同級生の堅田京子とのジョイント・リサイタル。

 

都度に書いているとおり、このブログは作品説明は一切しないことをルールとしているけど、最初にシューベルトの有名リート3曲とともに歌われた“夜”(WoO:作品番号なし)については、ネット検索しても情報が得られなかったので、プログラム記事を以下に抜粋。

 

==QUOTE

今回取り上げる曲は、~略~、そして全く無名な「夜」です。この「夜」は長い間プライベートに所属されていたもので、初演は1989年です。ギター伴奏で書かれていて、ピアノ伴奏の楽譜は1990年に作らえて出版されています。今日は増井さん(今日の伴奏者:アート屋)所有の、19世紀前半の三大ギター名工の一人、ルイ・パノルモが1839年に作ったギターで演奏いたします。

==UNQUOTE

 

最初のシューベルトのリート4曲は、もともとピッチの曖昧さが魅力のギター伴奏ということもあったのだろうか、なんだか歌いにくそうで、また中域音程が時に喉に引っかかるようなころとがあって、少々不調気味。それでも後半は持ち直して、最後のヴォルフ“ミニヨンの4つの歌”は、感情をたっぷりとのせた貫禄の歌唱だった。

 

シューマンが形式的にも精神的にも完璧と絶賛したとされるシューベルトの幻想ソナタは、私には冗長に過ぎて、あまりに長すぎる。ワーグナー楽劇の5時間を全く長いなんて感じないのに、幻想ソナタの40分を聴きとおすのは結構キツイ。これを暗譜で弾くなんてプロは凄い。ブラームスのラプソディー“ピアノのための4つの小品集の4曲目”が一番聴いていて面白かった。やはり、ピアノ独奏曲は全般に聴きなれていない。

 
20200328_ジョイントリサイタル_フェニックスホール

 

2019818日 愛知祝祭管弦楽団 ワーグナー 楽劇『神々の黄昏』 コンサートオペラ

 

愛知芸術劇場コンサートホール 

343

 

指揮            三澤洋史

オーケストラ    :愛知祝祭管弦楽団

合唱            :愛知祝祭合唱団      

 

ブリュンヒルデ                 :基村昌代

ジークフリート                 :大久保亮

グンター                       :初鹿野剛

ハーゲン                       :成田眞

グートルーネ                   :大須賀園枝

ヴァルトラウテ                 :三輪陽子

アルベリヒ                     :大森いちえい

ヴークリンデ/3のノルン      :本田美香

ヴェルグンデ/2のノルン      :船越亜弥

フロスヒルデ/1のノルン      :加藤愛

 

まさに偉業。そして私は、幸せなるかな“ワーグナーの毒”に浸ることができた。

 

さすがに一昨年の新国“神々の黄昏”3週間連続の時のような、脳汁が溶け出したような麻痺状態が続くようことはないにしても、なにかしらリハビリテーションを無意識に求めてしまうほど、ワーグナーの毒気・魔力に浸らせてくれた演奏だった。一度の公演を聴いただけでこうなのだから、4年間全身全霊をかけて“指輪”全曲演奏に取り組んできたオーケストラメンバーなど、“指輪”の音楽に体が同期してしまって、四六時中、救済の動機やらウェルズング族の動機やらが頭の中で鳴っているのではないだろうか。どっぷりとワーグナーの毒に身を浸す…ワグネリアンの端くれとして、なんとも羨ましい限り。

 

ワーグナー指定通りにハープを6台、ホルンはアシスタントも含めて9人、一方でトランペットは3人で長丁場をこなした(別にバストランペット1人)。“私も吹きたい”、“僕ものせて…”といった安易な妥協など一切無し。シュティーアホルンは、さすがにトロンボーン(3人)で代用。東京には特殊楽器専門のレンタル屋さんがあるらしいけど(以前、タモリ俱楽部で観た)、さすがに調達の当てがなかったよう。“…なんとかシュティーアホルンをホールに響かせたかったぁ…”との情念のこもったかのような、あえて汚くつぶした音を吹かせていた。そのシュティーアホルン担当のトロンボーン奏者3名とともに、ホルンソロ奏者3名も、終演後舞台に上がって拍手を受けていた。ホルン奏者ならだれもあこがれるジークフリートの角笛ソロ、幕ごとに分担したのだろうか。

 

三澤洋史の指揮は、フレーズやモティーフ単位で、常に丁寧さを保ちながら徹底的に意味づけを行うことで、複雑に絡まった音楽を解きほぐすような演奏をオーケストラと歌手陣に終始求めていた。結果的に起伏を大きくもたせた音楽運びではないので、全体として少々緊張を逸した感もなくはない。いずれにせよ、その指揮に見事に応えていたオーケストラは、実に素晴らしい。

 

破格のチケット代4,000円とはいえ有料公演である以上、プロの歌手陣についてストレートなコメントをすると、第2幕までの安全運転から一転、“自己犠牲”での迫真の歌唱のブリュンヒルデ役の基村昌代、そして少ない出番ながらアルベリヒ役の大森いちえいが及第点。バスの成田眞はハーゲンの性格に似ず声が明かるすぎ、しかもグンターの初鹿野剛と声質が似通っていて、聴かせどころの“見張りの歌”も、ブリュンヒルデとの復讐の3重唱も鬼気迫らずじまい。軽い声質の大久保亮は声量も乏しく、いくら何でもヘルデンテノールは無理でしょう。死の場面ではスタミナも途絶えて聴いていて辛い。

 

大阪でもプロオーケストラがワーグナーの楽劇(コンサート形式)を時折プログラムするも“ワーグナーの毒”など微塵も感じられない退屈な演奏ばかり(おっと、マズイ、さすがに言が過ぎるかぁ)。そもそもワーグナーの音楽に思いれの乏しい、まして楽劇を一度も観たことがない奏者の集団であれば、とたえプロオーケストラでも、ワーグナー音楽の魔力を聴き手に伝えることなど、できやしない。それをアマチュアオーケストラが、メンバー一人ひとりの限りない情熱と並々ならぬ努力で実現されてしまったのだから、畏敬の念しかない。

 
20190818_愛知祝祭管弦楽団‗神々の黄昏


20190818_愛知祝祭管弦楽団‗神々の黄昏 バッグ‗20190818

2019511日 尾高忠明 大阪フィル ブラームスティクルスⅠ

 

ザ・シンフォニーホール

1G4

 

ブラームス      :ハイドンの主題による変奏曲 作品56a

                  埋葬の歌

                 交響曲第1番 ハ短調 作品68

 

指揮            : 尾高 忠明

                  大阪フィルハーモニー管弦楽団

                  大阪フィルハーモニー合唱団

 

諸事情で週末を大阪で過ごすことになったので、急きょ平土間の前ブロック左端を購入。日ごろ聴きなじんだ席位置でのホール音響では無いため、たとえば尾高忠明がどのようなサウンド構築をオーケストラに求めたのか、といった聴き方まではさすがにできない。それでも尾高忠明が振る天下の名曲第1番交響曲は綿密で外連がまったくない。緩徐楽章での嫋やかな音楽と、両端楽章での重厚さが見事にバランスさせた名演だったと思う。演奏時間は第1楽章繰り返しを行って52分ほど。

 

まず他では聴くことのないだろう〝埋葬の歌” が、これまた魅力的な作品だった。安定したピッチ(冒頭の男性陣の歌いだしなど、超ムズ)とダイナミズムを持った合唱が木管群の暗い響きと見事に溶け合っていて、歌詞が語る世界にぐっと引き込まれた。こちらも大変立派な演奏。

 

《閑話休題》

この週末は難波パークスシネマで、メットライブビューイング〝ワルキューレ”を堪能。

忘備メモとして2点ほど

 

フィリップ・ジョルダンの指揮が良い。冒頭の嵐の音楽での早いテンポを聴いての〝ああ、こんな感じね” との最初の印象と大違いで、聴き進むうちに綿密な設計で全く飽きさせることのない音楽運びに完全に魅了された。オペラ指揮者としての高い才能を感じずにはいられない。

 

巨大な舞台装置(インタビューの中で、マシンと表現されていた)と、24枚のプランク(Plank)の説明が実に興味深かった。
 ★ 各プランクごとに選任の屈強なオペレーターがいて、バランスウェイトを抜き差ししていること、端に引っ掛けたロープを彼らが引いたり緩めたりしてワルキューレの騎行のシーン(第三幕1場)を演出している。
★ コンピュータ制御されたそれぞれのプランクの位置をセンサーが正確に読み取り、その位置データをコンピュータに返している。正確な位置認識の上で、上下左右6箇所から寸分のズレもなく正確にプロジェクションマッピングを投影することで、客席からはプランク間の物理的隙間を感じさせない。(なるほど、道理で舞台上の歌手に画像が被らない)
 

 


大阪フィル‗ブラームスチクルスNEW‗20190511


メット_ワルキューレ

“201933日 びわ湖ホール プロデュースオペラ ワーグナー『ジークフリート』第2日目 

 

滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール

1階 1J16

 

指 揮           :沼尻 竜典

演 出           ミヒャエル・ハンペ

 

ジークフリート  : クリスティアン・フォイクト

ミーメ          : 高橋 淳

さすらい人      : ユルゲン・リン

アルベリヒ      : 大山 大輔

ファフナー      : 斉木 健詞

エルダ          : 八木 寿子

ブリュンヒルデ  : ステファニー・ミュター

森の小鳥        : 吉川 日奈子

ジークフリートの角笛 [ホルンソロ]  福川 伸陽

 

ブリュンヒルデ役のステファニー・ミュターの太く声量たっぷりの歌声は、時に録音で聴くビルギット・ニルソンを思わせるものの、ヒステリックな絶叫に近いところもあり、まだ夢見る乙女であるブリュンヒルデとしてはちょっと貫禄がありすぎたか。“神々の黄昏”であればピッタリはまりそうだ。それにしてもジークフリートがあまりにも非力だった。第1幕での高橋淳の熱演にかすんでしまったミーメとのやり取りも、聞かせどころの “鍛冶の歌” がオーケストラの強奏を突き破るように聞こえてこないのも、最終幕でのヴォータンとの対峙、そしてブリュンヒルデとの長大な2重唱に備えてのことだろうと贔屓目に聴いていたものの、一向に上向いてこないどころか最後の最後まで声が出ない。それだけジークフリートを歌える歌手はなかなかいない、ということなのだろう。

 

高橋淳のミーメは演技も含め、初日よりずっと良い(特に第1幕)。それでも狡猾で屈折したミーメの性格描写は残念ながらまだまだ弱い。ほんと、この役は(この役も…、か)難しい。ユルゲン・リンのヴォータンは、これぞワーグナー楽劇のバス歌いと思わせる声量で、野太い声で語るような歌いっぷりは、音程云々など向うに押しやってしまうような魅力でいっぱいだった。来年の“神々の黄昏”ではハーゲンを歌ってくれないかな。…とここまで書いて、またもやベルリンドイツオペラのリング日本初演(東京文化会館)で聴いたマッティ・サルミネンを思い出した。第1幕の“見張りの歌”を聴いた時の背筋が凍るような衝撃はいまだに忘れられない…。

 

“ラインの黄金” から継続する、常に舞台最前面に紗幕を下ろしたままでのプロジェクションマッピングとCGを駆使する舞台演出において、本作第2幕は空間を最大限に利用したという意味で、もっとも成功だったのではないか。舞台いっぱいに広がる暗く深い森、目線と同じ高さの等身大のジークフリート、舞台奥にプロジェクションマッピングで投影された巨大な蛇(まさに大蛇)、そして舞台前面の紗幕の見上げるような位置に投影された小鳥と、なんとみごとな構図だろう。さて、来年の “神々の黄昏” も舞台前面に終始、紗幕が下ろされているのだろうか。ハーゲンの軍勢が舞台いっぱいに登場する第2幕だけは紗幕を上げて、群衆(ギービヒ家の家臣たち)の動きをはっきり見せつけて欲しいのだけど…。

 

やはり今日の京響は吹っ切れたように鳴っていた。これは一昨年の “ラインの黄金”、そして昨年の “ワルキューレ での感想と全く一緒。第3幕第3場への舞台転換からブリュンヒルデの目覚めまでの音楽(“金切り声で叫ぶ歌手と大音量のオーケストラによる、ただうるさい音楽” とワーグナーの楽劇を切って捨てるアンチワーグナーの人にこそ、是非聴かせたい)での透明で精緻の極みのような演奏は、これぞ京響と思わずにいられない。

 

それでも、昨日と同様、“愛の挨拶の動機” による最初の歓喜の場面から以降が弛緩した。沼尻竜典の全体的に遅めのテンポでも主役2人の歌唱でもなく、棒立ち気味につっ立ったまま歌わせた演出によるものだろうと思う。ブリュンヒルデが夢見る乙女(処女)から同床異夢の最後の2重唱に至るまでの心理的変化のプロセスが埋没してしまい、ややもすると退屈な時間にも感じる、そう、ワーグナー楽劇で最も避けたい状態に陥ってしまった。私として、今回の2日間の公演で唯一、残念な点だ。

 

さあ、びわこリングもいよいよ来年の3月に完結ですね。1年後、”愛の救済のモチーフ”ともに、ワーグナーの毒にどっぷりと浸かるのを今から楽しみにしております。

 

 
ジークフリート_びわこホール_20190302


1987年 ベルリンドイツオペラによるリング日本初演の会場(東京文化会館)で買ったポスター
パネルに入れて大事に保管
ルネ・コロのジークフリート、イエルサレムのジークムント
カタリーナ・リゲンツァのブリュンヒルデにロバート・ヘイルのヴォータン
そしてなんとマッティサル・ミネンはファーゾルト、フンディング、ファーフナー、ハーゲンの4役をこなした
いま思い出しても凄すぎる!!!!
神々の黄昏_11111



201932日 びわ湖ホール プロデュースオペラ ワーグナー『ジークフリート』第1日目 

 

滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール

1階 1J列18番

 

指 揮           :沼尻 竜典

演 出           ミヒャエル・ハンペ

 

ジークフリート  : クリスティアン・フランツ

ミーメ          : トルステン・ホフマン

さすらい人      : 青山 貴

アルベリヒ      : 町 英和

ファフナー      : 伊藤 貴之

エルダ          : 竹本 節子

ブリュンヒルデ  : 池田 香織

森の小鳥        : 吉川 日奈子

ジークフリートの角笛(ホルン) 福川 伸陽

 

明日も鑑賞するので、さっと備忘メモのみ。

ジークフリートのクリスティアン・フランツが期待通り素晴らしい。そして、青山貴と池田香織の2人がフランツの歌唱に全く引けを取らない、堂々たるさすらい人とブリュンヒルデを聴かせてくれた。トルステン・ホフマンは声質が純すぎてミーメの屈折した性格描写にそぐわない。

 

オーケストラが安全運転気味なのは一昨年のラインの黄金、昨年のワルキューレの初日以上かもしれない。第3幕前奏曲の激しい音楽の場面になっても一向に鳴らないのはどうしたことだろう。今日(二日目)でどこまで変わるだろうか? 第3幕最終場、“愛の挨拶の動機” による最初の歓喜の場面から以降が少々単調に感じられたのは、演出面以上に指揮の沼尻竜典による音楽運びによるものだろうか。今日の公演で確認したい。

 

ジークフリート_びわこホール_20190302

201922日 新国立劇場 オペラ『タンホイザー』

 

新国立劇場

1928

 

指揮:                アッシャー・フィッシュ

演出:                ハンス=ペーター・レーマン

オーケストラ:        東京交響楽団

 

領主ヘルマン           :妻屋 秀和

タンホイザー           :トルステン・ケール

ヴォルフラム           :ローマン・トレーケル

ヴァルター             :鈴木 准

ビーテロルフ           :荻原 潤

ハインヒリ             :与儀 巧

ラインマル             :大塚 博章

エリーザベト           :リエネ・キンチャ

ヴェーヌス             :アレクサンドラ・ペーターザマー

牧童                   :吉原 圭子

 

この週末の東京出張の予定がほぼ固まってきた約1カ月まえ、チケットぴあを覗いたら、なっなっなんと平土間9列中央の席がポッコリ空いてるではないですか。もう、即買い! とにかくピットに入った東京交響楽団の鳴りっぷりのみごなこと。金管は太く安定してるし、弦もけっしてブラスの響きに埋もれない。最終幕ではうねるようなワーグナーの音楽を堪能した。1888年板(パリ版)によるヴェーヌスベルグの場面での新国バレエのパフォーマンスが素晴らしかったし、また巡礼の合唱を感動的に聴かせてくれた新国合唱団も本当に上手い。

 

タイトルロールのトルステン・ケールは声の抜けが悪く、歌合戦の場面では歌唱そのものもヴォルフラム(ローマン・トレーケル)どころかビーテロルフ(荻原潤)にも歌い負け。エリーザベトの命乞いの歌唱に続く“ああっ、なんて哀れななこの身よ”の叫びなど、完全にオーケストラに埋もれてしまってる。それでも、第3幕の“ローマ語り”で圧倒的な盛り返しにより、終わりよければ全てよし、といったところだろうか。

 

それにしても、高さ8 meter以上ありそうなパイプを装した半円形の舞台装置は、考えてみると実に凄い。剛性と安定性を確保しながらも舞台上で黒子1人が動かせるほどに軽量で、かつ再演に備えて分解・組立できる構造でないといけない。

 
新国立劇場‗タンホイザー‗20190202

201834日 琵琶湖ホール プロデュースオペラ ワーグナー『ワルキューレ』第2日目 

 

滋賀県立芸術劇場 琵琶湖ホール

1階 1U14

 

指 揮           :沼尻 竜典

演 出           ミヒャエル・ハンペ

 

ジークムント    : 望月 哲也

フンディング    : 山下 浩司

ヴェータン      : 青山 貢

ジークリンデ    : 田崎 尚美

ブリュンヒルデ  : 池田 香織

フリッカ        : 中島 郁子

ゲルヒルデ      : 基村 昌代

オルトリンデ    : 小川 里美

ワルトラウテ    : 澤村 翔子

シュヴェルトライテ: 小林 昌代

ヘルムヴェーゲ  : 岩川 亮子

ジークルーネ    : 小野 和歌子

グリムゲルデ    : 森 季子

ロスワイセ      : 平舘 直子

 

終演後そのまま京都から新幹線で東京まで移動して、今日月曜日は、朝から東京のオフィスで仕事。メール処理をしていても、ミーティングをしていても、めくるめく押し寄せる壮大な終幕の音楽が頭の中で鳴っている。“冬の嵐は過ぎ去りて”のところ、紗幕いっぱいに映し出された春風にゆれるトネリコの大木の新緑のシーンを何度も思い出してしまう。う~ん、またワーグナーの毒に犯されたようだ。ただし、今回は昨年の新国“神々の黄昏”のときほど重症ではない。その最大の理由は、初日の不完全燃焼によることが大きい。恐らく土曜日だけの観劇であれば、毒に犯されることは無かったのでは。

 

ピットでは、下手端にハープ2台、上手にティンパニ2セット、さらにHr8Tr 4といった指定どおりの管楽器の陣容に、12型の弦がところ狭し。新国は舞台に潜り込むようにもう一列ほどのスペースがあり、“神々の黄昏”ではハープが4台ほど並んで置かれていたのに比べると、びわ湖ホールはオペラ専用劇場でありながらワーグナーの楽劇を上演するにはピットが小さすぎる。故にだろうか、初日はとにかく京響の演奏が抑え気味。それが2日目になると、金管は吹っ切れたように吹きまくるし、弦も合奏精度を気にせず、といった感じで、熱気に満ちた演奏に打って変わった。やはり“楽劇”はこうでなくっちゃと、ここまで書いて、ふっと思い出した。昨年も“ラインの黄金”二日目でもまったく同じ感想を書いてる。

 

初日の演奏は特に第1幕が低調で不完全燃焼。ジークムントもジークリンデも2日目のほうがヴェルズング族としての英雄的声質に適していたし、沼尻竜典の指揮も明らかに2日目のほうがよりオーケストラをドライブしていた。京響が手馴れてきたのだろうか、それとも指揮者とジークムント・ジークリンデ役との息の合い方の問題なのだろうか。わずか2日間の公演でありながら全役をダブルキャスト(限られた機会しか得られない歌手への配慮なのだろうか、まったく知る由もないし興味もないけど)にすることで、やはり公演のクオリティーに影を落とすのは、聴く者としては残念なところ。あの役は初日で、この役は二日目で聴いたら・・・と、あれこれ思ってしまうのも、ワーグナー好き故かな。あ~ぁ、なんのかのと言っても、ワーグナーの音楽が好き。もっと毒に浸っていたい。

 

昨年“ラインの黄金”での、上階席から“新国に負けるな~っ!”との猛烈な声援まで聞えてきたほどの熱狂まではないにしろ、演出へのブーが飛んだり、それをかき消すほどのブラボーがかかったりと、ワグネリアンにとってはたまらない2日間だったことは間違いない。

 

閑話休題

4月最終週のスイス出張のついでにウィーンに足を伸ばすことにして国立歌劇場のチケットを代理店にお願いしたら、なっなっなんとアンドレア・シェニエ、セヴィリアの理髪師、アイーダと3日連続で平土間席3列目、4列目の中央席が取れてしまったぁ。カウフマン様、お願いだからドタキャンしないで!。

 
びわ湖ホール_ワルキューレ_20180304



201833日 琵琶湖ホール プロデュースオペラ ワーグナー『ワルキューレ』第1日目 

 

滋賀県立芸術劇場 琵琶湖ホール

1階 1U

 

指 揮           :沼尻 竜典

演 出           ミヒャエル・ハンペ

 

ジークムント    : アンドリュー・リチャーズ

フンディング    : 斉木健詞

ヴェータン      : ユルゲン・リン

ジークリンデ    : 森谷 真理

ブリュンヒルデ  : ステファニー・ミュター

フリッカ        : 小山 由美

ゲルヒルデ      : 小林 厚子

オルトリンデ    : 増田 のり子

ワルトラウテ    : 増田 弥生

シュヴェルトライテ: 高橋 華子

ヘルムヴェーゲ  : 佐藤 路子

ジークルーネ    : 小林 沙季子

グリムゲルデ    : 八木 寿子

ロスワイセ      : 福原 寿美枝

 

申し込みのタイミングが僅かに遅くSS席(昨年の“ラインの黄金”はH 18番という、最高な場所)を逃してしまったものの、平土間中央で舞台全体を楽しめる申し分の無い席位置。昨年と同様、二日目も鑑賞するので、演奏や演出の感想等は明日の日記でまとめて記します。

 

びわ湖ホール_ワルキューレ_20180304

20171017日 新国立劇場 ワーグナー 楽劇 神々の黄昏 1017日公演

 

新国立劇場

110列中央ブロック

 

指揮:              飯守 泰次郎

演出:              ゲッツ・フリードリヒ

オーケストラ:      読売日本交響楽団

 

ジークフリート:    ステファン・グールド

ブリュンヒルデ:    ぺトラ・ラング

アルベリヒ:         島村 武男

グンター:           アントン・ケレミチェフ

ハーゲン:           アルベルト・ペーゼンドルファー

グートルーネ:              安藤 赴美子

ヴァルトラウテ:         ヴァルトラウト・マイヤー

ヴォークリンデ:         増田 のり子

ヴァルグンデ:              加納 悦子

フロスヒルデ:              田村 由貴絵

第一のノルン:              竹本 節子

第二のノルン:              池田 香織

第三のノルン:              橋爪 ゆか

 

今回の新国立劇場 “神々の黄昏” は全6公演のうち、3公演を観ることができた。休憩を含めて6時間の長丁場。我ながら、よくも飽きもせず・・・である。でも、とにかく好きなのだからしょうがない。何度でも、毎週でも観たい・聴きたい。ワーグナーの毒にずっとずっと浸っていたいのだ。11日のブログに記した通り今回は、舞台左右の字幕に一切目を遣ることなく、ひたすら目と耳を舞台とピットから聞えてくる音楽に集中しきっていた。

 

3公演では歌手、オーケストラ共に千秋楽のこの日が最もクオリティーが高かったようだ。ぺトラ・ラングは、全幕を通して緩めることなく緊張感を保ったままで、最後の自己犠牲も実にドラマチックに歌いきったし、ステファン・グールドもペース配分で巧みに乗り切った感のある4日、そして第2幕までを飛ばし気味だった故か終幕で雑さを感じさせた11日に対し、今日は最後の最後まで丁寧さとスタミナを失うことなく ジークフリートを “歌って” くれた。

 

アルベルト・ペーゼンドルファーのハーゲンも4日、11日よりずっとよい。軽い気管支炎と事前通知された11日は致し方なしとして、4日も“さほどには”と感じたのは、今日思えば座った席の関係もあったようだ。4日は中央ブロック2列目の右端だったので、演出上のハーゲンの立ち位置が概ね舞台下手で、たとえば見張りの歌などは右横から歌を聞くことになり、声がまっすぐに届いてこなかったからなのだろう。今日の席は11列目ほぼ中央という最良席(友の会の会員でも特別斡旋でもないのに、チケットピアで良くぞこんな良席が取れたものだ)で聴くと、なかなかの声量と役にあった低音域の太く沈んだ声で、容姿も合わせて見事なハーゲンだった。ただし、“トンネル・リング”でのマッティ・サルミネンを“体験”してしまったものにとっては、申し訳ないがどうしても聞き劣りがしてしまう。

 

演出は、ゲッツ・フリードリヒのオリジナルをどこまで徹していたのか(徹せざるを得なかったのか)知る由もないけど、氏が他界した現在において、せめて演技については舞台監督の裁量でもっと意味のある動作(少なくとも首を傾げることの無い)に手直しできたろうに、と思うところが多々あった。その際たるのは、第2幕第4場でグートルーネの手を引いて上手から現れたジークフリートの姿をみて、それまでうな垂れていたブリュンヒルデがグンターの手を振り払ってジークフリートに飛びつき、首に手を回す場面。喜々としたブリュンヒルデの姿を目の当たりにしながら、グートルーネが能面で突っ立っているのは、明らかに不自然。ついでに不快な違和感といえば、第1幕早々のギービヒ家の大広間でグンターとグートルーネの近親相姦の関係性を想像させる接吻行為。いったい何の意図だろう。

 

運命の赤い糸が、第2幕、そして第3幕では舞台前面にまっすぐに置かれ、地上界と神々の住む天上界の境界を示しており、しかもその中央部分がノルンが引きちぎってしまった網を示唆するのかのように切断されている。そしてその切断されたところから、要所でブリュンヒルデがステージ最前部に踏み出て天上のヴォータンに呼びかけることになる。第2幕では2度ほど。1度目は “Heil’ge Gotter 天上の神々は・・・” と歌うシーン(前に進み出て、両手高く上げてと指示されたところ)。そして2度目はグンター、ハーゲンとの呪いの三重唱で、グンターと共に“罰を受けた全知の神々よ”と歌うところ。ちなみに、一度目のシーンでは、ジークフリートは上手で赤い糸を掴んだままだし、二度目のシーンでは、同じ歌詞を歌う下手のグンターは赤い糸に右足をかけているだけで、天上に向かって踏み出してはいない。 第3幕でも2度で、1度目は “Ruhe, Ruhe, du Gott!”  口に手をあてヴォータンに神々の終焉を伝えるところ(11日のブログでも書いたけど、自己犠牲の場で最も好きな箇所)、そして、最後にラインの乙女に呼びかけるシーン。

 

それにしても演出については、どうにもピンと来ないことがいくつかある。その最たるのは“最後の7小節”のところでブリュンヒルデを登場させたこと。“トンネル・リング“ も白い布が舞台一面を覆うことで、“ラインの黄金” 冒頭シーンへの輪廻転生が示されていたけど、今回、“白い布の下から現れたブリュンヒルデが遠い彼方をじっと見つめる”ことにどんな意味があるのだろう。今日は、ヴァルハラ城崩壊後に群集がステージから掃けていくなか、どのように白い布を手に取り被るのかを見定めようと、ずーっとぺトラ・ラングの動きを目で追っていた。

 

あまり好みではない“せかせかハイスピードなリング”とは無縁の飯守泰次郎の指揮による読売交響楽団の演奏も、やはり千秋楽の今日が最も良い。とにかく安定している。場面転換での “何もしない、なにも起きない” つまらない演出のおかげで、“ジークフリートのラインへの旅” や “ジークフリートの葬送行進曲” など、フルオーケストラの演奏を堪能できた。

 
神々の黄昏_2


ベルリン・ドイツ・オペラ日本公演から30年。東京文化会館のロビーで買ったポスターをフレームに入れてクローゼット奥に仕舞っていたのを思い出した。先日、新居引越以来10数年ぶりに引っ張り出して、写真をパチリ。“壮大なスケールと膨大な費用、さらに名歌手と名指揮者が必要なゆえに、日本では実現不可能なワーグナー不朽の名作!”  そして"陶酔の四夜、堂々15時間を超える空前のオペラ体験 " とある。ジークフルート・イエルゼレムにルネ・コロ、カタリーナ・リゲンツァ、そしてマッテイ・サルミネンなどなど。ほんとに凄い公演だったなあ。当時の勤務先の広島の独身寮から、夜行で東京3往復したことが忘れられない。ああ、思い出したぞ。寮の部屋に戻ってTVつけたら、ニュースステーションで“歴史的公演”として久米宏が、確かワルキューレ終幕の炎のシーンを“特別に許可を得て” とか言って放送していたことを・・・。そうだ、たしかステージで本物の炎を燃やすことは消防法違反で許可が得られず、その規制をクリアするためにかなりの苦労をしたらしい、といった逸話があったことを・・・。懐かしいなあ。

 
神々の黄昏_1

20171011日 新国立劇場 ワーグナー 楽劇 神々の黄昏 1011日公演

 

新国立劇場

116列左ブロック

 

指揮:              飯守 泰次郎

演出:              ゲッツ・フリードリヒ

オーケストラ:      読売日本交響楽団

 

ジークフリート:    ステファン・グールド

ブリュンヒルデ:    ぺトラ・ラング

アルベリヒ:         島村 武男

グンター:           アントン・ケレミチェフ

ハーゲン:           アルベルト・ペーゼンドルファー

グートルーネ:              安藤 赴美子

ヴァルトラウテ:            ヴァルトラウト・マイヤー

ヴォークリンデ:            増田 のり子

ヴァルグンデ:              加納 悦子

フロスヒルデ:              田村 由貴絵

第一のノルン:              竹本 節子

第二のノルン:              池田 香織

第三のノルン:              橋爪 ゆか

 

先週4日の公演ブログで記したとおり、とにかく今回の新国立劇場“神々の黄昏”は何が何でも観たかった。週末公演に向けて広島の自宅から時間とコストをかけて東京往復するよりも、何とか平日公演を東京出張に合わせて・・・ということで、実は4日、11日、そして17日の平日3公演のチケットを購入済み。業務を上手く遣り繰りすれば最悪でもどれか1公演には臨めるだろうとの、かなりやけっぱち気味の覚悟でいたら今回の11日も、そして来週17日も都合がつけられそうだ。ということで飯守泰次郎の音楽作りやらゲッツ・フリードリヒ演出やらといった“神々の黄昏”公演の全体的な感想は17日公演のブログに記することにして、以下は11日の公演についてのみ。

 

開演前にチーフプロデューサーから、『ハーゲン役のアルベルト・ペーゼンドルファーが軽い気管支炎を患っているが予定通り出演する』との説明あり。たしかに特に低域の張りがなかったようだが、そもそも4日公演でもあまり感心するほどではなかったので、17日公演で再度実力のほどを確認しておきたい。

 

4日公演では長丁場のペース配分が上手くいき第3幕での見事なヘルデン・テノールを聴かせてくれたステファン・グールドは、この日は第2幕で少しオーバーペース気味だったのか、結果第3幕は少し無理を押した雑さを感じた。一方で、ぺトラ・ラングは全幕を通じてテンションを落とすことなく上手く乗り切った。Ruhe, Ruhe, du Gott! (自己犠牲で一番好きなところ)など、4日よりずっとよい。あとラインの乙女のコーラスは4日に比べ格段にまとまっていた。

 

もう40年あまりの付き合いでテキストは大体のところ覚えてしまっているし、先週、今週の2回で演出は大体のところ把握した。次回17日は、一切字幕には目を遣らないことに決めた。舞台の歌とピットのオーケストラに耳目を傾けて、ワーグナー畢生の大作を存分に堪能します。

 

 
神々の黄昏_20171011


2017104日 新国立劇場 ワーグナー 楽劇神々の黄昏 104日公演

 

新国立劇場

1階中央ブロック2列目

 

指揮:              飯守 泰次郎

オーケストラ:      読売日本交響楽団


演出:              ゲッツ・フリードリヒ

ジークフリート:    ステファン・グールド

ブリュンヒルデ:    ぺトラ・ラング

アルベリヒ:         島村 武男

グンター:           アントン・ケレミチェフ

ハーゲン:           アルベルト・ペーゼンドルファー

グートルーネ:      安藤 赴美子

ヴァルトラウテ:     ヴァルトラウト・マイヤー

ヴォークリンデ:     増田のり子

ヴァルグンデ:       加納 悦子

フロスヒルデ:       田村 由貴絵

第一のノルン:       竹本 節子

第二のノルン:       池田 香織

第三のノルン:       橋爪 ゆか

 

今年1月から予定されていた明日の東京オフィス会議にドンピシャ照準を合わせて有給休暇を取得。チケットピアで購入できたのが、なんと中央ブロック第2列目。バイロイト主役級のワーグナー歌手の歌を、そしてワーグナー指定どおりの巨大編成の読売日本交響楽団の音を、休憩を挟んで6時間、じっくりと堪能。(開演45分、終演105分)そして終幕、強烈なカタルシスに浸った。

 

とにかくワーグナー作品の中で、いや全オペラ作品の中で、いやいやすべてのクラシック音楽の中で“神々の黄昏が最も好き。とにかく好きで好きでたまらない。にもかかわらず実演は3回だけ。1987年のベルリン・ドイツ・オペラ、2006年のマリンスキー・オペラの指輪4部作上演、それと1991年の二期会による単独上演。キース・ウォーナーの東京リングは、地方在住のサラリーマンにはどうにもならなかった。だから、この新国での上演は万難を排して観たかった。

 

ステファン・グールドもぺトラ・ラングも特に最終幕の歌唱がすばらしい。ステファン・グールドはグンターの知略から徐々に英雄的性格をとりもどし、最後に背中を刺されるまでの叙事語りは、これぞ“ヘルデン・テノール”だったし、ぺトラ・ラングも最終場での自己犠牲での深く沈んだ低域での絶望から張り詰めた高域まで、大変見事。

 

見事といえば、読響の演奏もすばらしい。中央ブロック第2列目の上手側だったので、ピット壁越しとはいえ、ズンズンと聞こえてくる金管の響きの分厚いこと。左右バルコニーのシュティーアホルンも自席からはちょうど真左・真右から聞こえて迫力満点。

 

東京非在住の現役サラリーマンゆえ、どのような突発理由で観れなくなるかわからない。そういうことで、“万が一”に備えて別の日のチケットも購入というリスクマネージメント実施ずみ。11日水曜日公演、うまく都合がつけば(いやいや、なんとか都合をつけて・・)もう一度。演出や飯守泰次郎の指揮やら、あれこれ書こうかな。それとも、今日と同様、強烈なカタルシスに浸って“良かった”“凄い”に終始するかも。

 
新国_神々のたそがれ_20171004

201735日 琵琶湖ホール プロデュースオペラ ワーグナー『ラインの黄金』第2日目 

 

滋賀県立芸術劇場 琵琶湖ホール

1階 1H 18

 

指 揮           :沼尻 竜典

演 出           ミヒャエル・ハンペ

 

ヴェータン      :青山 貴

フリッカ        :谷口 睦美

ローゲ          :清水 徹太郎

アルベリヒ      :志村 文彦

ミーメ          :高橋 淳

エルダ          :池田 香織

ドンナー        :黒田 博

フロー          :福井 敬

ファゾルト      :片桐 直樹

ファーフナー    :ジョン・ハオ

ヴォークリンデ  :小川 里美

ヴェルグンデ    :森 季子

フロスヒルデ    :中島 郁子

 

オーケストラ、歌、演技、プロジェクションマッピングとのシンクロなど、あらゆる点で昨日よりずっと出来がよい。初日に比べ劣っていたのは、ほんの些細なことだけどエルダ登場のシーン・・舞台の景色が宇宙空間(?)に一瞬にして変わる最もイマジネーションにとんだ演出箇所・・・で、今日は地面が数秒早く開き始めたことくらい。

 

京響の演奏は実にすばらしく、ラインの乙女が登場するまでの序奏で早くも涙が出てしまった。安全運転に終始した昨日と打って変わって、完全に吹っ切れたように開始早々から最後まで“楽劇”を聴かせてくれた。ハープ3台、ティンパニ2セットなど、ところ狭しと配置された狭いピットにどうにか納まった12型弦は高弦からベースまでよく鳴っていたし、昨日は遠慮がちだった金管もかなり音量をあげて吹き鳴らしていた。たとえば第4場でアルベリヒが指輪を突き刺すのに合わせて小人役が悲鳴をあげてニーベルハイムに逃げ去るシーンで、初日は子供たちの悲鳴が耳に大きく届いたのに、今日は金管の強奏が悲鳴をかき消すほど。やはり“楽劇”はこうでなくちゃ。

1日目は女性歌手に力負けした感の男性は、今日は声量でも演技でもまったく互角。なにより全員のレベルが一定だったことは、登場人物が多いこの楽劇にとってはかなり重要な要素。昨日は棒立ち気味だったフローも今日はしっかり演技していたし、アルベリヒも音程は少々目を瞑ってでも役になりきった歌唱と演技だった今日のほうがずっと良い。

 

演出は限られた予算で最大の効果を得ることに成功していたと思う。前述したとおりエルダ登場の場で、音楽の変化に合わせて舞台最前面の透明スクリーンに宇宙空間(?)が映る幻想的なシーンはとてもとても素敵だった。エルダがヴェータンを諭す重要な場面なのだから、あらかじめフローは他の歌手と同じように舞台奥に立たせて置いて、背景に姿を沈ませればなお良かったのに。

 

ほとんど台本に沿った分かりやすい演出だった。ただ、エルダが去ったあと剣が地面に突き刺さっている、という演出は何を意味しているのだろう?エルダが剣をヴェータンに授けたのだろうか?(実は初日の演奏を聴いたときから、今にいたるまでずっとその演出意図を考えている。私も一端のワグネリアンのようだ)。これから“びわ湖リング”を見続けていくと演出の中に解が示されるのだろうか?いまからもう来年3月のワルキューレが楽しみでたまらない。

 
琵琶湖ホール_ラインの黄金

201734日 びわ湖ホール プロデュースオペラ ワーグナー『ラインの黄金』第1日目 

 

滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール

1階 1H 18

 

指 揮           :沼尻 竜典

演 出           ミヒャエル・ハンペ

 

ヴェータン      :ロッド・ギルフリー

フリッカ        :小山 由美

ローゲ          :西村 悟

アルベリヒ      :カルステン・メーヴェス

ミーメ          :与儀 功

エルダ          :竹本 節子

ドンナー        :ヴィタリ・ユシュマノフ

フロー          :村上 敏明

ファゾルト      :デニス・ビシュニャ

ファーフナー    :斉木 健詞

ヴォークリンデ  :小川 里美

ヴェルグンデ    :小野 和歌子

フロスヒルデ    :梅津 貴子

 

明日も同じ席(H 18番)で鑑賞するので、演奏や演出の感想等は明日の日記でまとめて・・・と記しながらも、オケについて一言だけ。ピットに入った京響はかなり控えめな安全運転でいささか物足りなかった。第3場から最終場になってある程度までギアを上げてきたけど、それでもまだまだ京響本来のパワーではない。明日にはどの程度までギアアップしてくるだろうか?

 

終演後、日本ワーグナー協会の懇親会に参加して楽しい時間を過ごすことができた。ベルリン・ドイツ・オペラによるトンネル・リングの公演会場で入会申し込みして以来、すでに30年も経過したことになる。たしか入会当初900番前後だった会員番号もだんだんと繰り上がり今は300番ほどにまでなったけど、つまりは協会発足当初からのワグネリアンが私の前に300人以上もいらっしゃるということ。今日の懇親会にも40人ほどが参加され、その多くが東京からいらっしゃったはず。皆さんのお話を聞くにつけ、つくづく思う。『やっぱ筋金入りの“ワグネリアン”はすごいわ』

琵琶湖ホール_ラインの黄金

2016715日 関西フィルハーモニー管弦楽団 第276回定期演奏会

 


大阪ザ・シンフォニーホール

1D列中央

 


ワーグナー :楽劇『トリスタンとイゾルデ』第3

 


 


指揮                              飯森 泰次郎

 


トリスタン                      :二塚 直樹

イゾルデ                          :畑田 弘美

マルケ王                          :片桐 直樹

ブランゲーネ                  :福原 寿美枝

クルヴェナール                            :荻原 寛明

牧童                                  :谷 浩一郎

 


歌手の息遣いをまじかに体験したくて、普段オーケストラコンサートでは選択しない、指揮台真正面の舞台から4列目を購入。左右舞台袖の字幕スーパーに目をやると首が捻挫してしまいそうな席位置ではありますが、歌詞に目を奪われずに音楽に集中できる最良席です。楽劇の一幕上演(昨年の定期は“ジークフリート第3幕”)を定期のプログラムに乗せる関西フィルですが、オーケストラの安定感は私が聴き始めて最も安定していました。日頃212型のオケが楽劇をやるのはそもそも無理が多く、ちっとも面白くないのですが、トリスタンの第3幕なら無理なくこなせた、というところでしょうか。

 


トリスタン役の二塚直樹さんが素晴らしかった。個人的にはもう少し伸びと深みを伴った声質を望みたい役柄ではあるけど、憧憬・渇望・希望・絶望とさまざまな感情の変化の末に死に至る様は、これぞプロフェショナルなパフォーマンスで、D列中央を選択した価値ありです。一方、イゾルデ役は、特に“愛の死”では歌い出しからオケを無視して自由に歌っているようなところがあり“楽劇”ではなくしてしまったような感がしたのが残念。

 


なお音楽の最後、トリスタン和音がついに解決してTrpD#に導かれて長和音が響きわたり、そして静かに消えゆく果ての静寂こそこの曲の最大の価値であるのに、まだホール全体がこの偉大な作品の余韻に浸っているところで、それをぶち壊す不遜極まるフライング“ブラボー”を叫んだ輩がいらっしゃった。(“輩”にいらっしゃった、との敬語は不要か)。このオーケストラには演奏会の一曲目だろうとなんだろうと、兎に角、曲が終わらぬうちにブラボーを叫ぶ方がいらっしゃるのが、実に残念。

 


2016224日 大阪交響楽団 200回定期演奏会 

 


ザ・シンフォニーホール

1階中央

 


ジークフリート・ワーグナー:交響詩「憧れ」

リヒャルト・ワーグナー:楽劇「ニーベルングの指輪」より抜粋(児玉宏編)

 


指揮:児玉 宏

 


私はワグネリアンです。「ニーベルングの指輪」は大学進学のお祝い3万円を握りしめ下宿近くのレコードショップに駆け込み、棚の最上段に祭るようにおかれたショルティのLP22枚ボックスセット(デリック・クックのライトチーフ集を納めたLP3枚と豪華対訳本付)を買い求めて以来、40年来のお付き合い。 1987年のベルリン・ドイツ・オペラ来日公演の際、東京文化会館ロビーで日本ワーグナー協会に入会してからは、いつかバイロイト詣でを…と願いつつ、毎週末に書斎で「指輪」か「トリスタンとイゾルデ」を大音量でスピーカーから流し“パソコン仕事を捗らせるにはワーグナーが一番”と悦に浸っています。

 


2頁超に及ぶ充実した曲目解説をパンフレットに寄稿されている音楽評論家(当日、東京から駆けつけてお聴きになられたとのこと)がブログに、“もっと頑張っていただかなければならぬ”とお書きになられている(きっとお立場上、中庸な表現をせざるを得ないのでしょう)けど、大阪に縁も所縁もなく、音大出身でもなく、音楽業界などともまったく無縁ゆえ、一切のしがらみなどなく思うことを率直に記すと、本日の「指輪」はプロ演奏家として入場料を得て(S6,000円で大阪では大阪フィル定期と同額)演奏を披露するに値するとはとても思えない。

 


たとえば、ちょっとしたところで音を外した、などといった実演では当然あるだろうキズを取り上げて、演奏そのものを語るような偏狭では決してない。今日の演奏は全く次元の違う話で、パフォーマンスを提供し報酬を得るプロフェショナルとしてはお粗末の一言ということ。たとえばN響首席クラスをエキストラに呼んで欠員の首席パートを任せるまでの覚悟で、ハイドン連続演奏会に毎回臨んでいる日本センチュリーなどとは団体の目指すビジョンが本質的に異なるのでしょう。

 


とにかくアマチュアレベルの友人がたをかき集めてきたかのようなエキストラが半分を占める演奏は、どのパート・セクションも大変頼りなくワーグナーの音楽への敬愛も情熱も感じられない。弦は薄っぺらくピッチのずれもかなりなもの。ラインの波は全くはじけないし、救済の動機は音楽を大団円に至らしめない。最たるのは、槍の動機とともに“Loge, Hor”と歌いだす直前、ヴォータンの重大な決心を示す Vcの聴かせどころ(B -A –Dと最後のクレッシエンドをするところ)で肝心D音が数名、どっぱずれ。不協和音どころでなない、不気味な二重音がホールに鳴り響く。終盤に向かって何となく演奏もまとまってきたかのように聴こえるけど、あくまでも作品自体が充実しているからで、Bass Tr、ConBass Tbも含めた分厚いブラスに埋もれて目立たないだけ。

 


木管はピッチがずれまくりだけど(どうして演奏中にピッチ調整しないのだろう)、さらにひどいのは金管セクション。 舞台下手に2列に並んだ9本のホルンは精々4本分の音量で、開始早々の生成の動機からボロボロ。舞台袖で10人目の奏者が角笛のソロを吹くのだけど、こちらもパッセージを吹ききれない。(ファーフナーを洞窟から呼び起こし戦いを挑む最高難度の箇所ではなく、その後の“森のささやき”前あたりの角笛の動機を少々の間、吹くだけなのだけど)。Trbの運命の動機は各奏者のニュアンスがバラバラで絶望感など皆無。ただBass Trp201412月の第九演奏会の前半に演奏した「ブリュンヒルデの自己犠牲」で素人丸出しだったエキストラ奏者とは別の方だったのがせめての幸い。

 


NHKの収録があり414日のクラシック音楽館で放映予定とパンフレットに記されていたけど、Vcのどっぱずれの箇所など、無残な箇所は編集で調整するのだろうか?きっとプロデューサーも頭を抱えているに違いない。

 


ところで編曲は世に多くある抜粋版とは異なったアプローチで、いわゆるコンサートピースをつなぎ合わせるのではなく、75分を連続したひとつの作品と意識させることを意図されていたと思う。ブリュンヒルデの自己犠牲”までは、あえてドラマティック過ぎないように配慮して曲をつないだことで全体の統一が図られていたとしても、一方その裏返しで、例えば“魔の炎の音楽”など重要な聞きどころが含まれていないことで面白味にかけたのも事実。

 


個人的には、ラインの黄金第2場への移行の場面で、霧がはれてヴァルハラ城が現れる(ヴァルハラの動機が完全な形で示される)シーンを挿入してくれたのはとてもうれしい一方で、死の告知の場面ではモチーフを一回だけの展示でなく、原曲通り執拗なくらいに繰り返すくらいに徹してほしかった。なお、ギービヒ家の群集集合のシーン(第2幕第5場)から連続して、第3場第2場のジークフリートがハーゲンの槍に倒れ、家来達が“Hagen, was tust du?と叫ぶ場面につなげるのは、とてもよいアイディアで、聴いていて“おっ、こう来るか”とちょっとニンマリ。

 


前半のめったに聴くことのできないジークフリートの交響詩を聴くことができたことは大変貴重で有意義なことに違いありません。後期ロマン派そのものといった作風と、表題が想起するいろいろな感性を巧みに表現した曲で、例えば“憧憬”、“思慕”、“雄心”などなどいろいろなイメージを抱きながら聴くことができました。しかしながら、前回定期の“なんちゃってチェンバロ”、そして今回定期と続いたことで決心しました。今後、貴重な時間とお金を消費してまでこの団体の演奏を聴きに行くことはもうないでしょう。

大阪交響楽団_200回定期

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