あーと屋のほぼ大阪クラシック演奏会気まま日記

タグ:オペラ

2020216  新国立劇場 『セビリアの理髪師』

 

新国立劇場オペラパレス

1523

 

指揮            :アントネッロ・アッレマンディ

演出            :ヨーゼフ・E・ケップリンガー

オーケストラ    :東京交響楽団

チェンバロ      :小埜寺 美樹

 

アルマヴィーヴァ伯爵   :ルネ・バルベラ

ロジーナ               :脇園 彩

バルトロ               :パオロ・ボルドーニャ

フィガロ               :フローリアン・センペイ

ドン・バジリオ         :マルコ・スポッティ

ベルタ                  :加納 悦子

フィオレッロ           :吉川 健一

 

“セビリアの理髪師” は大好きで、いつも観終わった後、幸せな気分になる。今回のように歌手全員のバランスが取れていて、しかも演出を楽しめる公演では、終わったあとに“もう一度通して観たい”とすら思ってしまう。

 

ポップなデザインで統一された立体的な舞台装置とそれを生かし切った演出は秀逸の一言で、吊りと照明でお茶を濁す、ありがちなオペラ公演とは違う。オペラハウスはこうでなきゃね。5列目中央の席なので、計算された廻り盆と舞台上の人物の動きを、理想的な位置から鑑賞できたのは何よりだった。チェンバロは柔らかく温かい音で魅力的だったし、小型編成のオーケストラは弦が薄くならず、管楽器もふくよかな音色で良く弦とバランスして、満足のひとこと。やはりオペラは良い席で観るに限る。

 

序曲演奏の時、主要人物6人が順次パントマイムで登場しながら舞台前方の紗幕手前に整列すると、奥舞台の廻り盆の上に組まれたバルトロ邸が前にスライドしてきて、フィガロの合図とともに全員がバルトロ邸の中外に散っていくといく、という洒落た演出で、早々から虜にされてしまった。

 

1幕フィナーレで登場人物を徐々に増やしていきながら早口でセリフをまくしたて、フィガロを加えた主要登場人物6人がユニゾンとオクターブで同じ旋律を歌うまでの所謂ロッシーニ・クレッシェンドに対して、案外に第2幕の終わりがあっけなく感じるのも、また毎度のこと。兵士達がバルトロ邸内で洗濯物やら書類やらを引っ掻き回したり、空中に放り上げたりの大騒動が視覚として加わって、アドレナリンが放出されっぱなしの興奮状態を脳が覚えているため、なおさら。“あっ、終わっちゃった。もっと(この音楽に)もっと浸っていたいのに…(残念)”と思いながらの終幕。

 

いずれ再演されたら、また是非観たい。


※ オペラのタグを作りました。


20200206_新国_セヴィリアの理髪師
 

 

202029日 長崎 出島 カピタン部屋 コンサート 長崎県オペラ協会 

 

長崎 出島 カピタン部屋 2

 

冬のメドレー

長崎の歌メドレー

ドゥ-ニ:音楽劇『二人の猟師とミルク売り娘』より“ペレットの歌”

マスカーニ:『カヴァレリア・ルスティカーナ』より間奏曲“アヴェマリア”

J・シュトラウスⅡ:『こうもり』よりアデーレの笑いのアリア“私の侯爵様”

見上げてごらん夜の星を

J・シュトラウスⅡ:『こうもり』より“シャンパンの歌”

 

妻との長崎市内観光で訪れた長崎出島で、たまたま聴くことができたカピタン部屋の2階での30分ほどのミニ・コンサート。“カピタン部屋”といっても、鎖国時代にオランダから日本の出島に赴任してきた商館長の住居兼事務所で、出島で最も大きく、日本側の役人との接待・社交の場としての役割を担っていた、2階建ての大きな建物。その2階にある豪華なダイニングスペースに続く、南側に面した20畳(?)ほどの大広間に電子ピアノを置き、畳のうえに赤い毛氈を敷いてコンサートスペースとしたもの。

 

観光中にこのコンサートのチラシや案内を見かけたわけでもなく、たまたまボランティアによる約一時間の出島紹介ツアーの後、ダイニングスペースをじっくり鑑賞したい、という妻の求めでカピタン部屋に立ち寄ったことで出会えたコンサート。観客は私たち夫婦の他にあと10名ほど。歌い手は、長崎県オペラ協会の女性歌手3名。歌手名のアナウンスもプログラム配布もない、とてもささやかなコンサート。それでも観光で訪れた地で、こうした暖かく優しい雰囲気の演奏会に出会えることは本当にうれしいものだ。


演奏された作品やその作曲者については、一切書かないことをこのブログ上でのルールにしているけど、『二人の猟師とミルク売り娘』に限っては備忘として記しておきます。

曲名だけは携帯メモに控えたものの、後で調べてみると江戸時代文政の1820年に出島で初めて、つまり日本で初めて、当時の商館長の愉しみとして、ここカピタン部屋の広間で上演されたオペレッタなのだそうだ。イタリア人 エジーディオ・ロムアルド・ドゥーニによるフランス語オペラ・コミックが、オランダ人によって上演されたらしい。それが大変うけて長崎奉行を迎えて再演されたとのことなど、クラシック音楽ファンとしては、なんとも興味深い歴史が垣間見えてきた。こうした珍しくも貴重な作品を歌って聴かせてくれた、長崎県オペラ協会の歌手の皆さんに感謝!

ちなみに、イタリア人によるフランス語オペラ・コミックがオランダ人により日本で上演…ということなのだけど、今、知人に紹介されて読んでいる石井宏著“クラシック音楽意外史”でのクラシック音楽におけるイタリアオペラの位置づけに重ねると大変興味深い。

演奏会の終了後に、ブログ掲載の許可を頂いて撮った写真がこちら。ピアニスト(左)と長崎県オペラ協会所属の歌手の方々。
20200209_出島コンサート


2019125日 新国立劇場 ヴェルディ『椿姫』

 

新国立劇場オペラパレス

1319

 

日本センチュリー定期(129日)と読響大阪定期(1224日)は、やんごとなき事情でパス。特に読響は唯一の第九、かつ2019年締めくくりの演奏会とする予定だっただけにとても残念。新年を迎えて、やっとで12月に聴いた演奏会4つを備忘メモとしてアップ。

 

125_ヴェルディ『椿姫』(新国オペラパレス)

126_井上道義・読響のマーラー3番(東京芸術劇場)

127_ウィグルワース・東響の川崎73回定期(ミューザ川崎)

1218_関西弦楽4重奏(ザ・フェニックスホール)

 

 

指揮:                イヴァン・レプシッチ

演出:                ヴァンサン・ブサール

オーケストラ:        東京フィルハーモニー交響楽団

 

ヴィオレッタ    :ミルト・パパタナシュ

アルフレード    :ドミニク・チェネス

ジェルモン      :須藤 慎吾

フローラ        :小林 由佳

 

席は平土間3列の中央少し下手より。開始早々の夜会の場面を見ながら、オペラパレスのほぼ同じ席位置で鑑賞した2年ほど前の“こうもり”の時のことを思い出した。舞台間近の席は目線が舞台と同じなため、奥行きが全く感じられず演出を楽しむには不向き。しかも字幕に目をやることは諦めないといけないなど、いささかストレスを感じながらのオペラ鑑賞となる。それでも最終場でのミルト・パパタナシュのヴィオレッタの死の場面では、臨場感抜群。ピアノからよく落ちないものだ、と結構ハラハラしながらも熱唱に聞き惚れた。やはりヴィオレッタ役は美人に限る。

 

ただ、やはりヴェルディには心が震えないなあ。

20191205_椿姫_新国


20191205_椿姫_新国_2

20191205_椿姫_新国_1

2019818日 愛知祝祭管弦楽団 ワーグナー 楽劇『神々の黄昏』 コンサートオペラ

 

愛知芸術劇場コンサートホール 

343

 

指揮            三澤洋史

オーケストラ    :愛知祝祭管弦楽団

合唱            :愛知祝祭合唱団      

 

ブリュンヒルデ                 :基村昌代

ジークフリート                 :大久保亮

グンター                       :初鹿野剛

ハーゲン                       :成田眞

グートルーネ                   :大須賀園枝

ヴァルトラウテ                 :三輪陽子

アルベリヒ                     :大森いちえい

ヴークリンデ/3のノルン      :本田美香

ヴェルグンデ/2のノルン      :船越亜弥

フロスヒルデ/1のノルン      :加藤愛

 

まさに偉業。そして私は、幸せなるかな“ワーグナーの毒”に浸ることができた。

 

さすがに一昨年の新国“神々の黄昏”3週間連続の時のような、脳汁が溶け出したような麻痺状態が続くようことはないにしても、なにかしらリハビリテーションを無意識に求めてしまうほど、ワーグナーの毒気・魔力に浸らせてくれた演奏だった。一度の公演を聴いただけでこうなのだから、4年間全身全霊をかけて“指輪”全曲演奏に取り組んできたオーケストラメンバーなど、“指輪”の音楽に体が同期してしまって、四六時中、救済の動機やらウェルズング族の動機やらが頭の中で鳴っているのではないだろうか。どっぷりとワーグナーの毒に身を浸す…ワグネリアンの端くれとして、なんとも羨ましい限り。

 

ワーグナー指定通りにハープを6台、ホルンはアシスタントも含めて9人、一方でトランペットは3人で長丁場をこなした(別にバストランペット1人)。“私も吹きたい”、“僕ものせて…”といった安易な妥協など一切無し。シュティーアホルンは、さすがにトロンボーン(3人)で代用。東京には特殊楽器専門のレンタル屋さんがあるらしいけど(以前、タモリ俱楽部で観た)、さすがに調達の当てがなかったよう。“…なんとかシュティーアホルンをホールに響かせたかったぁ…”との情念のこもったかのような、あえて汚くつぶした音を吹かせていた。そのシュティーアホルン担当のトロンボーン奏者3名とともに、ホルンソロ奏者3名も、終演後舞台に上がって拍手を受けていた。ホルン奏者ならだれもあこがれるジークフリートの角笛ソロ、幕ごとに分担したのだろうか。

 

三澤洋史の指揮は、フレーズやモティーフ単位で、常に丁寧さを保ちながら徹底的に意味づけを行うことで、複雑に絡まった音楽を解きほぐすような演奏をオーケストラと歌手陣に終始求めていた。結果的に起伏を大きくもたせた音楽運びではないので、全体として少々緊張を逸した感もなくはない。いずれにせよ、その指揮に見事に応えていたオーケストラは、実に素晴らしい。

 

破格のチケット代4,000円とはいえ有料公演である以上、プロの歌手陣についてストレートなコメントをすると、第2幕までの安全運転から一転、“自己犠牲”での迫真の歌唱のブリュンヒルデ役の基村昌代、そして少ない出番ながらアルベリヒ役の大森いちえいが及第点。バスの成田眞はハーゲンの性格に似ず声が明かるすぎ、しかもグンターの初鹿野剛と声質が似通っていて、聴かせどころの“見張りの歌”も、ブリュンヒルデとの復讐の3重唱も鬼気迫らずじまい。軽い声質の大久保亮は声量も乏しく、いくら何でもヘルデンテノールは無理でしょう。死の場面ではスタミナも途絶えて聴いていて辛い。

 

大阪でもプロオーケストラがワーグナーの楽劇(コンサート形式)を時折プログラムするも“ワーグナーの毒”など微塵も感じられない退屈な演奏ばかり(おっと、マズイ、さすがに言が過ぎるかぁ)。そもそもワーグナーの音楽に思いれの乏しい、まして楽劇を一度も観たことがない奏者の集団であれば、とたえプロオーケストラでも、ワーグナー音楽の魔力を聴き手に伝えることなど、できやしない。それをアマチュアオーケストラが、メンバー一人ひとりの限りない情熱と並々ならぬ努力で実現されてしまったのだから、畏敬の念しかない。

 
20190818_愛知祝祭管弦楽団‗神々の黄昏


20190818_愛知祝祭管弦楽団‗神々の黄昏 バッグ‗20190818

2019627日 福井敬 スペシャルリサイタル ザ・フェニックスホール

 

ザ・フェニックスホール

1階A6

 

福井 敬

 

 =スペシャルゲスト

清水華澄  メゾ・ソプラノ

高橋宏奈  ソプラノ

 

谷池重紬子 ピアノ

 

1

セレナーデ      福井敬          リヒャルト・シュトラウス      

愛を抱いて       福井敬            ≎同上≎

万霊節                清水華澄          ≎同上≎

献呈                  清水華澄          ≎同上≎

 

ほおずき              福井敬          三善晃/荻原                   

悲しくなったときは    福井敬          大中恩/寺山修司

悲しくなったときは  清水華澄        中田喜直/寺山修司

歌をください      清水華澄        中田喜直/渡辺達生

 

2 

ビゼー 歌劇『カルメン』より  

 

1

ハバネラ〝恋は野の鳥”         清水華澄(カルメン)

母の便りを                     高橋宏奈(ミカエラ)、福井敬(ドン・ホセ)

行きましょうセギディーリャへ   清水華澄、福井敬

2

酒場で~〝花の歌”             清水華澄、福井敬

3

何を恐れることがありましょう   高橋宏奈

4

闘牛場の前で                   清水華澄、福井敬

 

 ――アンコール 

                からまつ        福井敬

                乾杯の歌        福井敬、清水華澄、高橋宏奈

 

福井敬氏承認の非営利ファンサイト 福井敬. net主催のスペシャル・リサイタル。第5回目の今回は日本を代表するメゾ・ソプラノ清水華澄さんと若手ソプラノ高橋宏奈さんを呼んで、前半にリート、後半にカルメン抜粋という贅沢なプログラム。この団体のお世話役のお1人で日ごろお世話になっている知人ご厚意で、なんと最前列かぶりつきの席で聴かせていただいた。

 

前半リートでの細やかな息づかいと技巧の何たるすばらしさ。特に日本語の歌を聴くと、言葉の一つひとつをいかに丁寧に扱っているかがはっきりと感じ取れる。寺山修司の〝悲しくなったときは”を、二人の作曲家がそれぞれ歌にしたものを福井敬さんと清水華澄さんとで続けて歌うという、凝った選曲もすばらしい。

 

2部カルメン抜粋では、福井敬さんがデュトワ・大阪フィル〝サロメ”でヘロデを歌っていた、その同じ時間に東京での二期会〝サロメ”で清水華澄さんがヘロディアスを歌っていた、その二人が目の前で歌い演じるカルメンとドン・ホセをわずか1メートルほどの至近で観るという、これまたなんとも贅沢の極み。日本を代表するテノールとカルメンがはまり役のメゾ・ソプラノなのだから、魅せられないわけがない。それにしてもお二人とも何たる声量だこと。華麗なミカエラの高橋宏奈さんも加わり、とにかく魅力満載のリサイタルだった。

 

終演後、福井敬さん、清水華澄さん、高橋宏奈さんも参加してのオフ会で、楽しいひと時を過ごした。

 

福井敬_リサイタル_20190629

201968日 デュトワ指揮大阪フィルハーモニー  リヒャルト・シュトラウス 『サロメ』

 

フェスティバルホール

2329

 

指揮            : シャルル・デュトワ

サロメ          : リカルダ・メルベート(ソプラノ)

ヘロデ          : 福井 敬(テノール)

ヘロディアス    : 加納 悦子(メゾ・ソプラノ)

ヨナカーン      : 友清 崇(バリトン)

 

デュトワがサロメを振る。こんな大イベント、聴き逃すわけにはいかない。

幸いにして〝サロメ”は登場人物が多い割に比較的単純なストーリー展開の作品。要所でステージ上部に表示された字幕に目をやる程度にして、極力、聞こえてくる音に集中してリヒャルト・シュトラウスの音楽を、そしてデュトアの指揮を堪能した。かつて幾度となくガッカリな演奏を聴かされてきた大阪フィルの、あまりにハイレベルな演奏に大変満足。聴き終わった直後〝あ~そうだった、これ大阪フィルだったんだ”とおもわず声に出してしまった。

 

場面転換の音楽や、全曲のなかでも異質な音楽〝7つのヴェールの踊り”の、ここぞとばかりにオケを操るデュトワに応えた大阪フィルが見事だったのは勿論のこと、全曲を通じてテキストにそって緻密に描かれた音楽を、時に艶めかしく妖艶に、また時に冷酷にと描き分けたデュトワの手腕は、まったく凄いとしか言いようがない。2週間前のフレンチ・プログラムの定期、そして今回のサロメの体験を通じて〝偉大な指揮者は、オーケストラの音を変えることができるのだ”と、改めて実感した。

 

416型フル編成のオーケストラの大音量をものともせず長い最後のモノローグを歌ったタイトル・ロールのリカルダ・メルベートだけでなく、福井敬のヘデロ、加納悦子のヘロディアス、そして友清崇のヨナカーンと、日本人の主要役も負けず劣らずで、今回の公演の完成度・満足度を大いに押し上げた。でも天井に吊るされたスピーカーからのヨナカーン(地下牢)のエコーを効かせた声が舞台上の歌手の生声よりも大きいのは明らかにPA調整の失敗。 

 
サロメ‗デュトワ‗20190608

“201933日 びわ湖ホール プロデュースオペラ ワーグナー『ジークフリート』第2日目 

 

滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール

1階 1J16

 

指 揮           :沼尻 竜典

演 出           ミヒャエル・ハンペ

 

ジークフリート  : クリスティアン・フォイクト

ミーメ          : 高橋 淳

さすらい人      : ユルゲン・リン

アルベリヒ      : 大山 大輔

ファフナー      : 斉木 健詞

エルダ          : 八木 寿子

ブリュンヒルデ  : ステファニー・ミュター

森の小鳥        : 吉川 日奈子

ジークフリートの角笛 [ホルンソロ]  福川 伸陽

 

ブリュンヒルデ役のステファニー・ミュターの太く声量たっぷりの歌声は、時に録音で聴くビルギット・ニルソンを思わせるものの、ヒステリックな絶叫に近いところもあり、まだ夢見る乙女であるブリュンヒルデとしてはちょっと貫禄がありすぎたか。“神々の黄昏”であればピッタリはまりそうだ。それにしてもジークフリートがあまりにも非力だった。第1幕での高橋淳の熱演にかすんでしまったミーメとのやり取りも、聞かせどころの “鍛冶の歌” がオーケストラの強奏を突き破るように聞こえてこないのも、最終幕でのヴォータンとの対峙、そしてブリュンヒルデとの長大な2重唱に備えてのことだろうと贔屓目に聴いていたものの、一向に上向いてこないどころか最後の最後まで声が出ない。それだけジークフリートを歌える歌手はなかなかいない、ということなのだろう。

 

高橋淳のミーメは演技も含め、初日よりずっと良い(特に第1幕)。それでも狡猾で屈折したミーメの性格描写は残念ながらまだまだ弱い。ほんと、この役は(この役も…、か)難しい。ユルゲン・リンのヴォータンは、これぞワーグナー楽劇のバス歌いと思わせる声量で、野太い声で語るような歌いっぷりは、音程云々など向うに押しやってしまうような魅力でいっぱいだった。来年の“神々の黄昏”ではハーゲンを歌ってくれないかな。…とここまで書いて、またもやベルリンドイツオペラのリング日本初演(東京文化会館)で聴いたマッティ・サルミネンを思い出した。第1幕の“見張りの歌”を聴いた時の背筋が凍るような衝撃はいまだに忘れられない…。

 

“ラインの黄金” から継続する、常に舞台最前面に紗幕を下ろしたままでのプロジェクションマッピングとCGを駆使する舞台演出において、本作第2幕は空間を最大限に利用したという意味で、もっとも成功だったのではないか。舞台いっぱいに広がる暗く深い森、目線と同じ高さの等身大のジークフリート、舞台奥にプロジェクションマッピングで投影された巨大な蛇(まさに大蛇)、そして舞台前面の紗幕の見上げるような位置に投影された小鳥と、なんとみごとな構図だろう。さて、来年の “神々の黄昏” も舞台前面に終始、紗幕が下ろされているのだろうか。ハーゲンの軍勢が舞台いっぱいに登場する第2幕だけは紗幕を上げて、群衆(ギービヒ家の家臣たち)の動きをはっきり見せつけて欲しいのだけど…。

 

やはり今日の京響は吹っ切れたように鳴っていた。これは一昨年の “ラインの黄金”、そして昨年の “ワルキューレ での感想と全く一緒。第3幕第3場への舞台転換からブリュンヒルデの目覚めまでの音楽(“金切り声で叫ぶ歌手と大音量のオーケストラによる、ただうるさい音楽” とワーグナーの楽劇を切って捨てるアンチワーグナーの人にこそ、是非聴かせたい)での透明で精緻の極みのような演奏は、これぞ京響と思わずにいられない。

 

それでも、昨日と同様、“愛の挨拶の動機” による最初の歓喜の場面から以降が弛緩した。沼尻竜典の全体的に遅めのテンポでも主役2人の歌唱でもなく、棒立ち気味につっ立ったまま歌わせた演出によるものだろうと思う。ブリュンヒルデが夢見る乙女(処女)から同床異夢の最後の2重唱に至るまでの心理的変化のプロセスが埋没してしまい、ややもすると退屈な時間にも感じる、そう、ワーグナー楽劇で最も避けたい状態に陥ってしまった。私として、今回の2日間の公演で唯一、残念な点だ。

 

さあ、びわこリングもいよいよ来年の3月に完結ですね。1年後、”愛の救済のモチーフ”ともに、ワーグナーの毒にどっぷりと浸かるのを今から楽しみにしております。

 

 
ジークフリート_びわこホール_20190302


1987年 ベルリンドイツオペラによるリング日本初演の会場(東京文化会館)で買ったポスター
パネルに入れて大事に保管
ルネ・コロのジークフリート、イエルサレムのジークムント
カタリーナ・リゲンツァのブリュンヒルデにロバート・ヘイルのヴォータン
そしてなんとマッティサル・ミネンはファーゾルト、フンディング、ファーフナー、ハーゲンの4役をこなした
いま思い出しても凄すぎる!!!!
神々の黄昏_11111



201932日 びわ湖ホール プロデュースオペラ ワーグナー『ジークフリート』第1日目 

 

滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール

1階 1J列18番

 

指 揮           :沼尻 竜典

演 出           ミヒャエル・ハンペ

 

ジークフリート  : クリスティアン・フランツ

ミーメ          : トルステン・ホフマン

さすらい人      : 青山 貴

アルベリヒ      : 町 英和

ファフナー      : 伊藤 貴之

エルダ          : 竹本 節子

ブリュンヒルデ  : 池田 香織

森の小鳥        : 吉川 日奈子

ジークフリートの角笛(ホルン) 福川 伸陽

 

明日も鑑賞するので、さっと備忘メモのみ。

ジークフリートのクリスティアン・フランツが期待通り素晴らしい。そして、青山貴と池田香織の2人がフランツの歌唱に全く引けを取らない、堂々たるさすらい人とブリュンヒルデを聴かせてくれた。トルステン・ホフマンは声質が純すぎてミーメの屈折した性格描写にそぐわない。

 

オーケストラが安全運転気味なのは一昨年のラインの黄金、昨年のワルキューレの初日以上かもしれない。第3幕前奏曲の激しい音楽の場面になっても一向に鳴らないのはどうしたことだろう。今日(二日目)でどこまで変わるだろうか? 第3幕最終場、“愛の挨拶の動機” による最初の歓喜の場面から以降が少々単調に感じられたのは、演出面以上に指揮の沼尻竜典による音楽運びによるものだろうか。今日の公演で確認したい。

 

ジークフリート_びわこホール_20190302

201922日 新国立劇場 オペラ『タンホイザー』

 

新国立劇場

1928

 

指揮:                アッシャー・フィッシュ

演出:                ハンス=ペーター・レーマン

オーケストラ:        東京交響楽団

 

領主ヘルマン           :妻屋 秀和

タンホイザー           :トルステン・ケール

ヴォルフラム           :ローマン・トレーケル

ヴァルター             :鈴木 准

ビーテロルフ           :荻原 潤

ハインヒリ             :与儀 巧

ラインマル             :大塚 博章

エリーザベト           :リエネ・キンチャ

ヴェーヌス             :アレクサンドラ・ペーターザマー

牧童                   :吉原 圭子

 

この週末の東京出張の予定がほぼ固まってきた約1カ月まえ、チケットぴあを覗いたら、なっなっなんと平土間9列中央の席がポッコリ空いてるではないですか。もう、即買い! とにかくピットに入った東京交響楽団の鳴りっぷりのみごなこと。金管は太く安定してるし、弦もけっしてブラスの響きに埋もれない。最終幕ではうねるようなワーグナーの音楽を堪能した。1888年板(パリ版)によるヴェーヌスベルグの場面での新国バレエのパフォーマンスが素晴らしかったし、また巡礼の合唱を感動的に聴かせてくれた新国合唱団も本当に上手い。

 

タイトルロールのトルステン・ケールは声の抜けが悪く、歌合戦の場面では歌唱そのものもヴォルフラム(ローマン・トレーケル)どころかビーテロルフ(荻原潤)にも歌い負け。エリーザベトの命乞いの歌唱に続く“ああっ、なんて哀れななこの身よ”の叫びなど、完全にオーケストラに埋もれてしまってる。それでも、第3幕の“ローマ語り”で圧倒的な盛り返しにより、終わりよければ全てよし、といったところだろうか。

 

それにしても、高さ8 meter以上ありそうなパイプを装した半円形の舞台装置は、考えてみると実に凄い。剛性と安定性を確保しながらも舞台上で黒子1人が動かせるほどに軽量で、かつ再演に備えて分解・組立できる構造でないといけない。

 
新国立劇場‗タンホイザー‗20190202

201858日 東京フィルハーモニー 第907回サントリー定期 歌劇『フィデリオ』演奏会形式 

 

サントリーホール

110 35

 

ベートーベン    : 歌劇『フィデリオ』 演奏会形式

 

 指 揮                  チョン・ミュンフン

 

フロレスタン                     : ベーター・ザイフェルト

レオノーレ                         : マヌエラ・ウール

ドン・フェルナンド           : 小森 輝彦  

ドン・ピツァロ                  : ルカ・ピサローニ

ロッコ                                : フランツ=ローゼフ・ゼーリヒ

マルツェリーネ                  : シルヴィア・シュヴァルツ                           

ヤキーノ                            : 大槻 孝志 

 

合唱                                   : 東京オペラシンガーズ

 

『フィデリオ』って、楽聖ベートーベン唯一のオペラ作品として有名(名前がよく知られている)でありながら、作品自体は耳にする機会がありそうで、なかなか無い。週末に自宅のCDラックを確認したら、15年ほど前に『まっ、いつか聴くでしょ』と買っていたマゼール・ウィーン国立歌劇場とクレンペラー・フィルハーモニアOの全曲セットがどちらも未開封のまま、埃を被ってた。普段は演奏会に先立ってCDで事前に聴いておくことは一切“しない派”だけど、今回だけは、事前に“予習”をしておけばよかったようだ。ミュンフン・東京フィルの実演を聴いても、どうにもピンと来なかった『フィデリオ』も、この週末にマゼールとクレンペラーの両録音を聴いて作品の魅力が多少は判ってきた気がする。

 

全曲を暗譜で指揮したチョン・ミュンフンの切れ味鋭い指揮姿と、それに応えた東京フィルの演奏がみことだったけど、なにより東京オペラシンガーズがこんなにも達者な団体だとは知らなかった。演奏会形式だとオーケストラ演奏のダイナミズムが際立つ一方で、主役・準主役級とその他歌手の実力差がはっきりとしてしまう。そんな中、第2幕序奏後のベーター・ザイフェルトの“神よ、なんと暗い闇か!”の最初の言葉 Gott! の扱いが、録音で聞くジェームズ・マクラッケン(マゼール盤)やジョン・ヴィッカーズ(クレンペラー盤)の冒頭から張り上げるような歌いっぷりと異なり、苦悶の果てに心の底から搾り出すかのような歌いだしだったのがとても印象的だった。

 

下手前方席からの“早く演奏しろ!”との叫びは論外にしても、常々ブログに書いているとおり、余分なバイアスを与えてしまう所謂“前説”は、出来れば耳を塞いででも聞きたくない。その意味では幸いなことに作品紹介に徹した単なる“お話”だったにしても、なんとも中性的な俳優の語り口は“これからベートーベンのオペラを!”と気持ちを切り替えていたところには不釣合いだった。

 

 
東京フィル_フィデリオ_20180508



20185月1日  ウィーン国立歌劇場 アイーダ

 

ウィーン国立歌劇場

平土間右2列目3

RPARKETT RECHTS REIHI2、 PLATZ 3

 

ヴェルディ : 歌劇『アイーダ』

 

 

指揮          :エヴェリーノ・ピッドー

演出          : ニコラ・ジョエル

オーケストラ  :ウィーン国立歌劇場オーケストラ

合唱          :ウィーン国立歌劇場合唱団

 

エジプト王    : アイリーン・ファスト・グリーン

アムネリス    : アニタ・ラチヴェリシュヴィリ

アイーダ      : クリスティン・ルイス

ラダメス      : ホルヘ・デ・レオン

ラムフィス    : ソリン・コリバン

アモナスロ    : パオロ・ルメッツ

 

席は平土間ピットから2列目、上手端から3番目。一昨日、昨日と大きく異なり日本人旅行客が驚くほど多い。この旅で知り合いとなったN氏(後述)をお待ちして劇場入り口に立っていると、日本人の旅行客がやたらと目に付く。新婚旅行然とした若いカップルから、数名の女性グループ、そしてもちろん壮齢のご夫婦まで。私の席の周りだけでもざっと10人は日本人だったから劇場全体で150人、もしかすると200人近くが日本人だったとしても、決しておかしくは無い。

 

3列目のほぼセンターで聴いたとき(一昨日のアンドレア・シェニエ)の身震いするほどの感興に一切ひたれなかったのは、明らかに席位置の違いだろう。目の前はヴィオラの最後尾でその奥にトランペットとトロンボーン。その直ぐ右横(上手)にはティンパニが置かれ、とにかくバランスが悪い。ただし、舞台から2列目は、特に上手よりで歌ったときの襞のような細部までとても良くわかる。全体的には歌唱パフォーマンスにバラつきがあったようで、アムネリス役のドラマチック・ソプラノ アニタ・ラチヴェリシュヴィリが一番の出来だったのに対して、アイーダ役のクリスティン・ルイスの、低域での声の弱さゆえの表現の単調さと中・高域にかけてのつながりの悪さがどうにも聞こえ悪く、実際、終演後のカーテン・コールでかなりのブーイングが浴びせられていた。そのカーテン・コールはわずか1回だけ。昨日のセヴィリアの理髪師2回、一昨日のアンドレア・シェニエがヨナス・カウフマン主演もあり平土間総立ちのスタンディング・オベーションとともに長時間続いたことを思うと、私の今回のオペラ3作品の満足度とみごとに相関する。

 

それにしてもやはり、ヴェルディは苦手だ。これまでも、お金を払ってまで聴きたいとは思わない“食わず嫌い”の作曲家。今回、初めて実演を聴いてハッキリ認識した。誰になんと言われようと、ヴェルディは私の趣向に合わない。日頃ワグネリアンを自認していてもイタリア・オペラは嫌いではないし、実際プッチーニは初期作品から晩年トゥーランドットまで、どれも楽しんできた。でも、ヴェルディはやはり、だめだ。

 

ウィーンの3日間の滞在では、素敵な出会いもあった。滞在初日のアンドレア・シェニエで偶然、隣に座られたご年配の紳士N氏とはその後のセヴィリアの理髪師、アイーダ、そしてこの日の午前11時からの楽友協会大ホールでのウィーン・ヨハン・シュトラウス・オーケストラのスプリング・コンサートともすべてご一緒で、毎回開演30分前に会場入口でお会いしてお話をさせていただいた。楽友協会を出た後、ご宿泊先であるインペリアル・ホテルで昼食までご一緒させていただき、いろいろと楽しいお話をさせていただいた。35年ほど前、ウィーン国立歌劇場でグルベローヴァのアデーレを聴いて以来のオペラファンであること、毎年、大晦日の『こうもり』とニュー・イヤー・コンサートを聴きにウィーンにいらっしゃること、そして今回はもう数日滞在しハーディング・ウィーンフィルのマーラー5番を聴いてから帰国なされること、などなど。3日間を通じ、ご人徳あふれる語り口とお人柄あふれた笑顔のN氏と演奏会の前後に会話を交わすことで、私の一人旅をさらに心豊かなものにすることができました。ありがとうございました。

 ウィーン国立歌劇場_アイーダ_20180501



ウィーン国立歌劇場_アイーダ_1_20180501


2018430  ウィーン国立歌劇場 セビリアの理髪師

 

ウィーン国立歌劇場

平土間左4列目10

RPARKETT LINKS REIHI4、 PLATZ 10

 

ロッシーニ : 歌劇『セビリアの理髪師』

 

アルマヴィーヴァ伯爵 : Jinxu Xiaho

バルトロ             : Martin Winkler

ロッジーナ           : Rachel Frenkel

フィガロ             : Boris Pinkhasovich

バジリオ             : Ryan Speedo Green

フィオレッロ         : Igor Onishchenko

 

指揮          :アレクサンダー・ソディー

演出          :ギュンター・レンネツト

オーケストラ  :ウィーン国立歌劇場オーケストラ

合唱          :ウィーン国立歌劇場合唱団

 

席は昨日のアンドレア・シェニエとほぼ同じ、平土間の前から4列目、中央から左に5つ下手に寄ったところ。前列に座った方の頭がまったく邪魔することなく、舞台全体が見える一方で、コンマスがちょうど右斜め前の方の陰になってしまって、誰だったか判らずじまい。

 

オーケストラはベースが3本だったから、弦は10型だったのだろうか。(昨日のアンドレア・シェニエはベース6本だった) 序曲冒頭、ベースからふわっと音を積み重ねていく音作りが、昨日とまったく違う。常に重くならず軽やかに歌い、時に大きく盛り上がる弦、柔らかなホルンの響き。さすがに昨日のように音圧に圧倒されるようなことは一切無く、ステージ上の声をまったく邪魔しない。

 

演出は、とにかく手堅く練りこまれており、特にバルトロ役のマーティン・ウィンクラーの芸達者な動きが楽しい。何人ものオーケストラ・メンバーが演奏の合間に(それこそ、指揮者が棒を振り下ろす直前まで)舞台上に組まれた3階建てのバルトロ邸で繰り広げられるコメディーをじっと見上げているのが、いかにも演奏慣れしている感じで面白かった。

 

二回ほどのカーテン・コールを持って終演。そういえば、昨日のアンドレア・シェニエは、異例なほどにカーテン・コールが続いて、最後はスタンディング・オベーションとなったこと、忘れないようにここに記しておく。

ウィーン国立歌劇場_セビリアの理髪師_1_20180430

ウィーン国立歌劇場_セビリアの理髪師_20180430


2018429  ウィーン国立歌劇場 アンドレア・シェニエ

 

ウィーン国立歌劇場

平土間3列目12

RPARKETT LINKS REIHI3、 PLATZ 12

 

ジョルダーニョ : 歌劇『アンドレア・シェニエ』

 

アンドレア・シェニエ : ヨナス・カウフマン

カルロ・ジェラール   : ロベルト・フロンターリ

マッダレーナ         : アンニャ・ハルテロス

 

指揮          :マルコ・アルミニアート

演出          :オットー・シェンク

オーケストラ  :ウィーン国立歌劇場オーケストラ

合唱          :ウィーン国立歌劇場合唱団

 

席は平土間の前から3列目、しかも中央から僅かに下手によっただけ。ヨナス・カウフマンがタイトル・ロールを歌うとあってほとんど入手を諦めていたにもかかわらず、代理店がキャンセルチケットを定価で確保してくれた。

 

この位置できくウィーン国立歌劇場オーケストラの演奏に完酔。分厚くオーケストラ全体を下支えする低弦、一糸みだれぬ滑らかな高弦、ピット左右の管楽器群と一体になった完璧な音響バランス。目の前から聞こえてくるコンサートマスターのソロ・ヴァイオリンの音色、下手から聞こえてくる2本のハープと豊かで太いウィンナホルン、そして指揮者の息づかい。いままでに一度も体験したことのない、奇跡的なほどの臨場感に満ち溢れていた。

 

期待のアンドレア・シェニエ役のカウフマンにも増して圧巻だったのが、マッダレーナ役のアンニャ・ハルテロス。抜群に歌が上手い上に、容姿が美しくカウフマンの相手役として申し分ない。幕切れのアンドレア・シェニエとマッダレーナの圧巻の二重唱は、徐々に盛り上がるオーケストラの音と相まって感動的な時間だった。心が震えてしまった。

 

さて今日はほぼ同じ席位置で、大好きなオペラ『セビリアの理髪師』を鑑賞。あれやこれや書き残しておきたいこともあるけど、やっとのことでたどり着いたウィーン。開演までの半日、街歩きをしてくることにしよう。

 
ウィーン国立歌劇場_アンドレアシェニエ_20180429

ウィーン国立歌劇場_アンドレアシェニエ_1_20180429

2018421  ローム・ミュージックフェスティバル2018 オーケストラ・コンサート Ⅰ 

『日本』と『ジャポニズム』 ~我が故郷の調べ~

 

ローム・シアター京都 サウスホール

11434

 

21日、22日開催のローム・フェスティバルの有料全6公演のチケットを押さえていたものの、月曜日からのスイス出張の準備に忙殺されて、どうしても聞き逃せないザ・スピリッツ・オブ・ブラスと京響2公演に限定。日記を書く時間も取れぬまま、ついにウィーンのホテルに到着してしまった。今夜から、カウフマンのアンドレア・シエニエ、セビリアの理髪師、アイーダとイタリア・オペラ三昧(文字通りだなぁ)。ということで、せっかくのウィーンなので、簡単に備忘メモとし、アップします。

 

外山 雄三    : 管弦楽のためのラプソディー

武満 徹      : 3つの映画音楽

                     訓練と休憩の音楽 ~『ホゼー・トレス』より

                     葬送の音楽 ~『黒い雨』より

                     ワルツ ~『他人の顔』より

酒井 健治   : 日本民謡によるパラフレーズ ~オーケストラのための

G・プッチーニ       : 歌劇『蝶々婦人』(スペシャル・ハイライト版)

 

指揮          : 下野 竜也

ナビゲーター  : 朝岡聡  

オーケストラ  ; 京都市交響楽団

 

蝶々婦人      : 木下 美穂子

坂本 朱      : スズキ

宮里 直樹    : ピンカートン

大山 大輔    : シャープレス

 

後半の蝶々夫人で、ステージ後方でのスクリーン投影による演出はシンプルながら効果的。やはりこのオペラ、着物姿での所作は日本人歌手が一番しっくりいく。

 
ロームミュージックフェスティバル_オーケストラ_20180421

201834日 琵琶湖ホール プロデュースオペラ ワーグナー『ワルキューレ』第2日目 

 

滋賀県立芸術劇場 琵琶湖ホール

1階 1U14

 

指 揮           :沼尻 竜典

演 出           ミヒャエル・ハンペ

 

ジークムント    : 望月 哲也

フンディング    : 山下 浩司

ヴェータン      : 青山 貢

ジークリンデ    : 田崎 尚美

ブリュンヒルデ  : 池田 香織

フリッカ        : 中島 郁子

ゲルヒルデ      : 基村 昌代

オルトリンデ    : 小川 里美

ワルトラウテ    : 澤村 翔子

シュヴェルトライテ: 小林 昌代

ヘルムヴェーゲ  : 岩川 亮子

ジークルーネ    : 小野 和歌子

グリムゲルデ    : 森 季子

ロスワイセ      : 平舘 直子

 

終演後そのまま京都から新幹線で東京まで移動して、今日月曜日は、朝から東京のオフィスで仕事。メール処理をしていても、ミーティングをしていても、めくるめく押し寄せる壮大な終幕の音楽が頭の中で鳴っている。“冬の嵐は過ぎ去りて”のところ、紗幕いっぱいに映し出された春風にゆれるトネリコの大木の新緑のシーンを何度も思い出してしまう。う~ん、またワーグナーの毒に犯されたようだ。ただし、今回は昨年の新国“神々の黄昏”のときほど重症ではない。その最大の理由は、初日の不完全燃焼によることが大きい。恐らく土曜日だけの観劇であれば、毒に犯されることは無かったのでは。

 

ピットでは、下手端にハープ2台、上手にティンパニ2セット、さらにHr8Tr 4といった指定どおりの管楽器の陣容に、12型の弦がところ狭し。新国は舞台に潜り込むようにもう一列ほどのスペースがあり、“神々の黄昏”ではハープが4台ほど並んで置かれていたのに比べると、びわ湖ホールはオペラ専用劇場でありながらワーグナーの楽劇を上演するにはピットが小さすぎる。故にだろうか、初日はとにかく京響の演奏が抑え気味。それが2日目になると、金管は吹っ切れたように吹きまくるし、弦も合奏精度を気にせず、といった感じで、熱気に満ちた演奏に打って変わった。やはり“楽劇”はこうでなくっちゃと、ここまで書いて、ふっと思い出した。昨年も“ラインの黄金”二日目でもまったく同じ感想を書いてる。

 

初日の演奏は特に第1幕が低調で不完全燃焼。ジークムントもジークリンデも2日目のほうがヴェルズング族としての英雄的声質に適していたし、沼尻竜典の指揮も明らかに2日目のほうがよりオーケストラをドライブしていた。京響が手馴れてきたのだろうか、それとも指揮者とジークムント・ジークリンデ役との息の合い方の問題なのだろうか。わずか2日間の公演でありながら全役をダブルキャスト(限られた機会しか得られない歌手への配慮なのだろうか、まったく知る由もないし興味もないけど)にすることで、やはり公演のクオリティーに影を落とすのは、聴く者としては残念なところ。あの役は初日で、この役は二日目で聴いたら・・・と、あれこれ思ってしまうのも、ワーグナー好き故かな。あ~ぁ、なんのかのと言っても、ワーグナーの音楽が好き。もっと毒に浸っていたい。

 

昨年“ラインの黄金”での、上階席から“新国に負けるな~っ!”との猛烈な声援まで聞えてきたほどの熱狂まではないにしろ、演出へのブーが飛んだり、それをかき消すほどのブラボーがかかったりと、ワグネリアンにとってはたまらない2日間だったことは間違いない。

 

閑話休題

4月最終週のスイス出張のついでにウィーンに足を伸ばすことにして国立歌劇場のチケットを代理店にお願いしたら、なっなっなんとアンドレア・シェニエ、セヴィリアの理髪師、アイーダと3日連続で平土間席3列目、4列目の中央席が取れてしまったぁ。カウフマン様、お願いだからドタキャンしないで!。

 
びわ湖ホール_ワルキューレ_20180304



201833日 琵琶湖ホール プロデュースオペラ ワーグナー『ワルキューレ』第1日目 

 

滋賀県立芸術劇場 琵琶湖ホール

1階 1U

 

指 揮           :沼尻 竜典

演 出           ミヒャエル・ハンペ

 

ジークムント    : アンドリュー・リチャーズ

フンディング    : 斉木健詞

ヴェータン      : ユルゲン・リン

ジークリンデ    : 森谷 真理

ブリュンヒルデ  : ステファニー・ミュター

フリッカ        : 小山 由美

ゲルヒルデ      : 小林 厚子

オルトリンデ    : 増田 のり子

ワルトラウテ    : 増田 弥生

シュヴェルトライテ: 高橋 華子

ヘルムヴェーゲ  : 佐藤 路子

ジークルーネ    : 小林 沙季子

グリムゲルデ    : 八木 寿子

ロスワイセ      : 福原 寿美枝

 

申し込みのタイミングが僅かに遅くSS席(昨年の“ラインの黄金”はH 18番という、最高な場所)を逃してしまったものの、平土間中央で舞台全体を楽しめる申し分の無い席位置。昨年と同様、二日目も鑑賞するので、演奏や演出の感想等は明日の日記でまとめて記します。

 

びわ湖ホール_ワルキューレ_20180304

2018121日 新国立劇場 J・シュトラウス『こうもり』 121日公演

 

新国立劇場

1321

 

指揮:              アルフレート・エシュヴェ

演出:              ハインツ・テェドニク

オーケストラ:      東京交響楽団

 

アイゼンシュタイン   :アドリアン・エレート

ロザリンデ           :エリーザベト・フレヒル

フランク             :ハンス・ペーター・カンマーラー

オルオフスキー公爵   :ステファニー・アタナソフ

アルフレード         :村上 公太

ファルケ博士       :クレメンス・ザンダー

アデーレ             :ジェニファー・オローリン

プリント博士         :大久保 光哉

フロッシュ           :フランツ・スラーダ

イーダ               :鵜木 絵里

 

『こうもり』は、とにかく思い入れがある。20年ほど前に東京から地方都市に転勤移動の際に所有LPをディスクユニオンにまとめて叩き売った際にも、お年玉で買ったクライバー・バイエルン国立歌劇場の2枚組LPボックスだけは手放さず、今もキャビネットの中に大事にしまって残している。(売り払った中には朝比奈隆の聖マリア大聖堂ブルッナー選集ボックスセット--- 愛蔵家番号入りなど、今思えばかなりのお宝があった)それ以来、このLP盤、そしてオットー・シェンクの名演出舞台のVHSビデオ 、そしてDVDと、いったいこれまでに何回、クライバーの演奏を鑑賞してきたことだろう。ヘルマン・プライがアイゼンシュタインを歌ったコヴェント・ガーデン王立歌劇場の上演動画も素敵だけど、やはりクライバー・バイエルン国立の上演動画は何時観ても飽きない。

 

新国で数年おきに再演されている『こうもり』も、いつか機会があれば観たいと思っていた。幸いにも週明け月曜日から東京オフィスで会議が決まったこともあり、急遽新国立劇場チケットサイトを検索したら、中央ブロックど真ん中、指揮者の真後ろ3列目という思いもかけない最良席を押さえることができた。昨年の“神々の黄昏”のときもそうだったように、公演数週間前でも運さえよければ良席チケットが手に入るなんて、新国立劇場のチケット販売システムは実にフェアで有難い。

 

ただし、本来ならオペラ特等席であるはずの自席も、残念ながらこの演出には最適ではなかったようだ。左右の字幕スーパーに目をやるのが大変で、フロッシュの台詞が見づらいのは致し方ないにして、なにより安っぽい舞台装置と少々賞味期限を越えたような演出が気になってしまう。第2幕後半の舞踏会、舞台前面の役どころの一団から離れた奥のようで“雷鳴と電光”の演奏とともに合唱団がサークルを成して踊っているところなど、どうにも間の抜けた演出に感じられてしまう。中間から後方にかけての舞台を俯瞰できる場所からの鑑賞であれば、もっと違った印象を受けたのだろうか。

 

おっと、なんだが酷評しているようだけど、この最高にハッピーなオペレッタの最高傑作、たっぷりと楽しみましたよ。ロザリンデもアデーレも上手かったし、アイゼンシュタインもフランクも演技がこなれていて、長身で舞台栄えがする。少々色あせ気味の演出と舞台装置に目をつぶれば、とっても楽しい3時間だったのは間違いない。

 
新国立_こうもり_20180121


こうもり_クライバーLP


20171123日 メシアン 歌劇『アッシジの聖フランチェスコ』 びわ湖ホール 

 

滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール

1階 1M 25

 

またもやブログ更新をサボってしまった。しかも今回は4週間近くも。演奏後直ぐにiPhoneEvernoteに残したメモ書き(ノート)を頼りに演奏の防備録として順次、ブログに残します。

 

指 揮           :シルヴィン・カンブルラン

オーケストラ    : 読売日本交響楽団

 

天使                    : エメーケ・バラート

聖フランチェスコ        : ヴァンサン・ル・テクシエ

思い皮膚病を患う人      : ペーター・ブロンダー

兄弟レオーネ            : フィリップ・アディス

兄弟マッサオ            : エド・ライオン

兄弟エリア              : ジャン=ノエル・ブリアン

兄弟ベルナルド          : 妻屋 秀和

兄弟シルヴェストロ      : ジョン ハオ

兄弟ルフィーノ          : 畑山 茂

 

合唱    : 新国立歌劇場合唱団

          びわ湖ホール声楽アンサンブル

 

オンド・マルトノ        : ヴァレリー・アルトマン=クラヴリー

                          大矢 素子

                          小川 遥

 

昨年11月の京響定期で“トゥーランガリア交響曲”を聴いて、この曲はもうこれで十分、とブログ記事にしてしまった。また、年明け1月のサントリーホールでの東響定期のブログ記事で“メシアンは苦痛でしかない”と記してしまった。ああっ、なんということを・・・。

昨年11月の関西フィル・いずみホールシリーズVol.41 のブログ記事で、“1123日の

ディメイのフランクのソナタは聞き逃せない!“と記している。いやいや、この日の“アッシジの聖フランチェスコ”こそ、絶対に聞き逃してはならない。東京での2公演は完売だったらしい(当然!)のに、びわ湖ホールは1階席後方にまだ100席程度の空席があったようだった。このような一大イベントを関西のクラシックファンで満席にならないなんて、なんてもったいなく残念なことか。

 

それにしても、先週のサントリーホールでの二晩の演奏会ブログを何とかアップして、さて残りの演奏会も・・・とその気になったものも、この歌劇『アッシジの聖フランチェスコ』をどう、ブログ記事にしようか思いあぐねてしまい、結局、大阪フィルのソアレ演奏会の記事アップを始めとして、またもや数週間ほど挫けてしまった。

 

Evernoteのメモ冒頭に“傑作なり、名演なり”と記している。そうそう、超巨大な編成による音楽は濃密でありながら、明晰。第7幕、第8幕の奇跡の合唱、天使の神々しい歌声、鳥を表現したまったくミスの無い脅威の打楽器奏者たち。後半幕において複雑で時に怪奇な響きの果てに鳴り渡る純粋で無垢の長和音の響きの恍惚。200人近い合唱も含めて300人を超える演奏者の音と声の響きがまったく濁りもない。

 

“畢生”との形容はワーグナーの“指輪”とともに、この曲にも値するこの作品を歌劇として舞台上演は出来るのだろうか。仮に演奏者の配置を奇跡的にクリアできたとして、第5幕、第6幕の音楽をどの様なイマジネーションで舞台演出させるのだろうか。



アッシジの聖フランチェスカ_20171123

20171017日 新国立劇場 ワーグナー 楽劇 神々の黄昏 1017日公演

 

新国立劇場

110列中央ブロック

 

指揮:              飯守 泰次郎

演出:              ゲッツ・フリードリヒ

オーケストラ:      読売日本交響楽団

 

ジークフリート:    ステファン・グールド

ブリュンヒルデ:    ぺトラ・ラング

アルベリヒ:         島村 武男

グンター:           アントン・ケレミチェフ

ハーゲン:           アルベルト・ペーゼンドルファー

グートルーネ:              安藤 赴美子

ヴァルトラウテ:         ヴァルトラウト・マイヤー

ヴォークリンデ:         増田 のり子

ヴァルグンデ:              加納 悦子

フロスヒルデ:              田村 由貴絵

第一のノルン:              竹本 節子

第二のノルン:              池田 香織

第三のノルン:              橋爪 ゆか

 

今回の新国立劇場 “神々の黄昏” は全6公演のうち、3公演を観ることができた。休憩を含めて6時間の長丁場。我ながら、よくも飽きもせず・・・である。でも、とにかく好きなのだからしょうがない。何度でも、毎週でも観たい・聴きたい。ワーグナーの毒にずっとずっと浸っていたいのだ。11日のブログに記した通り今回は、舞台左右の字幕に一切目を遣ることなく、ひたすら目と耳を舞台とピットから聞えてくる音楽に集中しきっていた。

 

3公演では歌手、オーケストラ共に千秋楽のこの日が最もクオリティーが高かったようだ。ぺトラ・ラングは、全幕を通して緩めることなく緊張感を保ったままで、最後の自己犠牲も実にドラマチックに歌いきったし、ステファン・グールドもペース配分で巧みに乗り切った感のある4日、そして第2幕までを飛ばし気味だった故か終幕で雑さを感じさせた11日に対し、今日は最後の最後まで丁寧さとスタミナを失うことなく ジークフリートを “歌って” くれた。

 

アルベルト・ペーゼンドルファーのハーゲンも4日、11日よりずっとよい。軽い気管支炎と事前通知された11日は致し方なしとして、4日も“さほどには”と感じたのは、今日思えば座った席の関係もあったようだ。4日は中央ブロック2列目の右端だったので、演出上のハーゲンの立ち位置が概ね舞台下手で、たとえば見張りの歌などは右横から歌を聞くことになり、声がまっすぐに届いてこなかったからなのだろう。今日の席は11列目ほぼ中央という最良席(友の会の会員でも特別斡旋でもないのに、チケットピアで良くぞこんな良席が取れたものだ)で聴くと、なかなかの声量と役にあった低音域の太く沈んだ声で、容姿も合わせて見事なハーゲンだった。ただし、“トンネル・リング”でのマッティ・サルミネンを“体験”してしまったものにとっては、申し訳ないがどうしても聞き劣りがしてしまう。

 

演出は、ゲッツ・フリードリヒのオリジナルをどこまで徹していたのか(徹せざるを得なかったのか)知る由もないけど、氏が他界した現在において、せめて演技については舞台監督の裁量でもっと意味のある動作(少なくとも首を傾げることの無い)に手直しできたろうに、と思うところが多々あった。その際たるのは、第2幕第4場でグートルーネの手を引いて上手から現れたジークフリートの姿をみて、それまでうな垂れていたブリュンヒルデがグンターの手を振り払ってジークフリートに飛びつき、首に手を回す場面。喜々としたブリュンヒルデの姿を目の当たりにしながら、グートルーネが能面で突っ立っているのは、明らかに不自然。ついでに不快な違和感といえば、第1幕早々のギービヒ家の大広間でグンターとグートルーネの近親相姦の関係性を想像させる接吻行為。いったい何の意図だろう。

 

運命の赤い糸が、第2幕、そして第3幕では舞台前面にまっすぐに置かれ、地上界と神々の住む天上界の境界を示しており、しかもその中央部分がノルンが引きちぎってしまった網を示唆するのかのように切断されている。そしてその切断されたところから、要所でブリュンヒルデがステージ最前部に踏み出て天上のヴォータンに呼びかけることになる。第2幕では2度ほど。1度目は “Heil’ge Gotter 天上の神々は・・・” と歌うシーン(前に進み出て、両手高く上げてと指示されたところ)。そして2度目はグンター、ハーゲンとの呪いの三重唱で、グンターと共に“罰を受けた全知の神々よ”と歌うところ。ちなみに、一度目のシーンでは、ジークフリートは上手で赤い糸を掴んだままだし、二度目のシーンでは、同じ歌詞を歌う下手のグンターは赤い糸に右足をかけているだけで、天上に向かって踏み出してはいない。 第3幕でも2度で、1度目は “Ruhe, Ruhe, du Gott!”  口に手をあてヴォータンに神々の終焉を伝えるところ(11日のブログでも書いたけど、自己犠牲の場で最も好きな箇所)、そして、最後にラインの乙女に呼びかけるシーン。

 

それにしても演出については、どうにもピンと来ないことがいくつかある。その最たるのは“最後の7小節”のところでブリュンヒルデを登場させたこと。“トンネル・リング“ も白い布が舞台一面を覆うことで、“ラインの黄金” 冒頭シーンへの輪廻転生が示されていたけど、今回、“白い布の下から現れたブリュンヒルデが遠い彼方をじっと見つめる”ことにどんな意味があるのだろう。今日は、ヴァルハラ城崩壊後に群集がステージから掃けていくなか、どのように白い布を手に取り被るのかを見定めようと、ずーっとぺトラ・ラングの動きを目で追っていた。

 

あまり好みではない“せかせかハイスピードなリング”とは無縁の飯守泰次郎の指揮による読売交響楽団の演奏も、やはり千秋楽の今日が最も良い。とにかく安定している。場面転換での “何もしない、なにも起きない” つまらない演出のおかげで、“ジークフリートのラインへの旅” や “ジークフリートの葬送行進曲” など、フルオーケストラの演奏を堪能できた。

 
神々の黄昏_2


ベルリン・ドイツ・オペラ日本公演から30年。東京文化会館のロビーで買ったポスターをフレームに入れてクローゼット奥に仕舞っていたのを思い出した。先日、新居引越以来10数年ぶりに引っ張り出して、写真をパチリ。“壮大なスケールと膨大な費用、さらに名歌手と名指揮者が必要なゆえに、日本では実現不可能なワーグナー不朽の名作!”  そして"陶酔の四夜、堂々15時間を超える空前のオペラ体験 " とある。ジークフルート・イエルゼレムにルネ・コロ、カタリーナ・リゲンツァ、そしてマッテイ・サルミネンなどなど。ほんとに凄い公演だったなあ。当時の勤務先の広島の独身寮から、夜行で東京3往復したことが忘れられない。ああ、思い出したぞ。寮の部屋に戻ってTVつけたら、ニュースステーションで“歴史的公演”として久米宏が、確かワルキューレ終幕の炎のシーンを“特別に許可を得て” とか言って放送していたことを・・・。そうだ、たしかステージで本物の炎を燃やすことは消防法違反で許可が得られず、その規制をクリアするためにかなりの苦労をしたらしい、といった逸話があったことを・・・。懐かしいなあ。

 
神々の黄昏_1

20171011日 新国立劇場 ワーグナー 楽劇 神々の黄昏 1011日公演

 

新国立劇場

116列左ブロック

 

指揮:              飯守 泰次郎

演出:              ゲッツ・フリードリヒ

オーケストラ:      読売日本交響楽団

 

ジークフリート:    ステファン・グールド

ブリュンヒルデ:    ぺトラ・ラング

アルベリヒ:         島村 武男

グンター:           アントン・ケレミチェフ

ハーゲン:           アルベルト・ペーゼンドルファー

グートルーネ:              安藤 赴美子

ヴァルトラウテ:            ヴァルトラウト・マイヤー

ヴォークリンデ:            増田 のり子

ヴァルグンデ:              加納 悦子

フロスヒルデ:              田村 由貴絵

第一のノルン:              竹本 節子

第二のノルン:              池田 香織

第三のノルン:              橋爪 ゆか

 

先週4日の公演ブログで記したとおり、とにかく今回の新国立劇場“神々の黄昏”は何が何でも観たかった。週末公演に向けて広島の自宅から時間とコストをかけて東京往復するよりも、何とか平日公演を東京出張に合わせて・・・ということで、実は4日、11日、そして17日の平日3公演のチケットを購入済み。業務を上手く遣り繰りすれば最悪でもどれか1公演には臨めるだろうとの、かなりやけっぱち気味の覚悟でいたら今回の11日も、そして来週17日も都合がつけられそうだ。ということで飯守泰次郎の音楽作りやらゲッツ・フリードリヒ演出やらといった“神々の黄昏”公演の全体的な感想は17日公演のブログに記することにして、以下は11日の公演についてのみ。

 

開演前にチーフプロデューサーから、『ハーゲン役のアルベルト・ペーゼンドルファーが軽い気管支炎を患っているが予定通り出演する』との説明あり。たしかに特に低域の張りがなかったようだが、そもそも4日公演でもあまり感心するほどではなかったので、17日公演で再度実力のほどを確認しておきたい。

 

4日公演では長丁場のペース配分が上手くいき第3幕での見事なヘルデン・テノールを聴かせてくれたステファン・グールドは、この日は第2幕で少しオーバーペース気味だったのか、結果第3幕は少し無理を押した雑さを感じた。一方で、ぺトラ・ラングは全幕を通じてテンションを落とすことなく上手く乗り切った。Ruhe, Ruhe, du Gott! (自己犠牲で一番好きなところ)など、4日よりずっとよい。あとラインの乙女のコーラスは4日に比べ格段にまとまっていた。

 

もう40年あまりの付き合いでテキストは大体のところ覚えてしまっているし、先週、今週の2回で演出は大体のところ把握した。次回17日は、一切字幕には目を遣らないことに決めた。舞台の歌とピットのオーケストラに耳目を傾けて、ワーグナー畢生の大作を存分に堪能します。

 

 
神々の黄昏_20171011


このページのトップヘ