あーと屋のほぼ大阪クラシック演奏会気まま日記

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このブログを始めるにあたって

小学校6年生の時、熱心だった音楽の先生が始めた音楽クラブになぜか誘われました。その時にアコーディオン・アンサンブルで演奏した曲がビゼーのアルルの女第二組曲の間奏曲旋律を奏でることの喜びやハーモニーがもたらす陰影を体感させてくれた、音楽の原体験です。

 

親に買ってもらったコンパクト盤(17cm, 33 1/3r.p.m.)を擦り切れるまで聴いたアルルの女第一、第二組曲が中学生になり学習指導要領の鑑賞教材として音楽の教科書に載っていたことで、幼い優越感を感じたときからすでに45年が経過しました。 7年前の転職を機に初めて大阪に暮らし始めて以来(週末は新幹線で1時間ほどの他県にある自宅に戻るのですが)、大阪のオーケストラを中心とした演奏会に都合が許す限りに足を運んでいます。

 

音楽の専門教育を受けたわけでも、楽器を演奏できるわけでもない、ごく普通の音楽好きのサラリーマンです。ましてや達意な文章を書く自信など毛頭ありませんが、まずは自分の聴いたコンサートの備忘を目的にこのブログを開始いたします。

。。。。NHK EテレでBCJのバッハ ロ短調ミサ曲を聴きながら。。。。

ブログ3年目

2016224日 大阪交響楽団 200回定期演奏会 

 


ザ・シンフォニーホール

1階中央

 


ジークフリート・ワーグナー:交響詩「憧れ」

リヒャルト・ワーグナー:楽劇「ニーベルングの指輪」より抜粋(児玉宏編)

 


指揮:児玉 宏

 


私はワグネリアンです。「ニーベルングの指輪」は大学進学のお祝い3万円を握りしめ下宿近くのレコードショップに駆け込み、棚の最上段に祭るようにおかれたショルティのLP22枚ボックスセット(デリック・クックのライトチーフ集を納めたLP3枚と豪華対訳本付)を買い求めて以来、40年来のお付き合い。 1987年のベルリン・ドイツ・オペラ来日公演の際、東京文化会館ロビーで日本ワーグナー協会に入会してからは、いつかバイロイト詣でを…と願いつつ、毎週末に書斎で「指輪」か「トリスタンとイゾルデ」を大音量でスピーカーから流し“パソコン仕事を捗らせるにはワーグナーが一番”と悦に浸っています。

 


2頁超に及ぶ充実した曲目解説をパンフレットに寄稿されている音楽評論家(当日、東京から駆けつけてお聴きになられたとのこと)がブログに、“もっと頑張っていただかなければならぬ”とお書きになられている(きっとお立場上、中庸な表現をせざるを得ないのでしょう)けど、大阪に縁も所縁もなく、音大出身でもなく、音楽業界などともまったく無縁ゆえ、一切のしがらみなどなく思うことを率直に記すと、本日の「指輪」はプロ演奏家として入場料を得て(S6,000円で大阪では大阪フィル定期と同額)演奏を披露するに値するとはとても思えない。

 


たとえば、ちょっとしたところで音を外した、などといった実演では当然あるだろうキズを取り上げて、演奏そのものを語るような偏狭では決してない。今日の演奏は全く次元の違う話で、パフォーマンスを提供し報酬を得るプロフェショナルとしてはお粗末の一言ということ。たとえばN響首席クラスをエキストラに呼んで欠員の首席パートを任せるまでの覚悟で、ハイドン連続演奏会に毎回臨んでいる日本センチュリーなどとは団体の目指すビジョンが本質的に異なるのでしょう。

 


とにかくアマチュアレベルの友人がたをかき集めてきたかのようなエキストラが半分を占める演奏は、どのパート・セクションも大変頼りなくワーグナーの音楽への敬愛も情熱も感じられない。弦は薄っぺらくピッチのずれもかなりなもの。ラインの波は全くはじけないし、救済の動機は音楽を大団円に至らしめない。最たるのは、槍の動機とともに“Loge, Hor”と歌いだす直前、ヴォータンの重大な決心を示す Vcの聴かせどころ(B -A –Dと最後のクレッシエンドをするところ)で肝心D音が数名、どっぱずれ。不協和音どころでなない、不気味な二重音がホールに鳴り響く。終盤に向かって何となく演奏もまとまってきたかのように聴こえるけど、あくまでも作品自体が充実しているからで、Bass Tr、ConBass Tbも含めた分厚いブラスに埋もれて目立たないだけ。

 


木管はピッチがずれまくりだけど(どうして演奏中にピッチ調整しないのだろう)、さらにひどいのは金管セクション。 舞台下手に2列に並んだ9本のホルンは精々4本分の音量で、開始早々の生成の動機からボロボロ。舞台袖で10人目の奏者が角笛のソロを吹くのだけど、こちらもパッセージを吹ききれない。(ファーフナーを洞窟から呼び起こし戦いを挑む最高難度の箇所ではなく、その後の“森のささやき”前あたりの角笛の動機を少々の間、吹くだけなのだけど)。Trbの運命の動機は各奏者のニュアンスがバラバラで絶望感など皆無。ただBass Trp201412月の第九演奏会の前半に演奏した「ブリュンヒルデの自己犠牲」で素人丸出しだったエキストラ奏者とは別の方だったのがせめての幸い。

 


NHKの収録があり414日のクラシック音楽館で放映予定とパンフレットに記されていたけど、Vcのどっぱずれの箇所など、無残な箇所は編集で調整するのだろうか?きっとプロデューサーも頭を抱えているに違いない。

 


ところで編曲は世に多くある抜粋版とは異なったアプローチで、いわゆるコンサートピースをつなぎ合わせるのではなく、75分を連続したひとつの作品と意識させることを意図されていたと思う。ブリュンヒルデの自己犠牲”までは、あえてドラマティック過ぎないように配慮して曲をつないだことで全体の統一が図られていたとしても、一方その裏返しで、例えば“魔の炎の音楽”など重要な聞きどころが含まれていないことで面白味にかけたのも事実。

 


個人的には、ラインの黄金第2場への移行の場面で、霧がはれてヴァルハラ城が現れる(ヴァルハラの動機が完全な形で示される)シーンを挿入してくれたのはとてもうれしい一方で、死の告知の場面ではモチーフを一回だけの展示でなく、原曲通り執拗なくらいに繰り返すくらいに徹してほしかった。なお、ギービヒ家の群集集合のシーン(第2幕第5場)から連続して、第3場第2場のジークフリートがハーゲンの槍に倒れ、家来達が“Hagen, was tust du?と叫ぶ場面につなげるのは、とてもよいアイディアで、聴いていて“おっ、こう来るか”とちょっとニンマリ。

 


前半のめったに聴くことのできないジークフリートの交響詩を聴くことができたことは大変貴重で有意義なことに違いありません。後期ロマン派そのものといった作風と、表題が想起するいろいろな感性を巧みに表現した曲で、例えば“憧憬”、“思慕”、“雄心”などなどいろいろなイメージを抱きながら聴くことができました。しかしながら、前回定期の“なんちゃってチェンバロ”、そして今回定期と続いたことで決心しました。今後、貴重な時間とお金を消費してまでこの団体の演奏を聴きに行くことはもうないでしょう。

大阪交響楽団_200回定期

20161014日 関西フィルハーモニー管弦楽団 第278回定期演奏会

 

大阪ザ・シンフォニーホール

1D列中央

 

吉松隆:夢色モビールⅡ 作品58a

バルトーク:ヴァイオリン協奏曲 第2

シベリウス:交響曲第2番 ニ長調

 

指揮               藤岡 幸夫

ヴァイオリン: オーギュスタン・デュメイ

 

昨年の9月にこのブログを始めて以来、指揮者や演奏者をさん付けすることにしてきたものの、どうにも演奏会の記録を書き残すのに、この“さん”付けは座り悪いというか、キーボードのタイピングがスムーズにいかない。例えば先ごろサントリーホールで聴いた上岡敏之氏は私と同じ1960年生まれだし、今このブログで記そうとしている関西フィル定期の指揮者、藤岡幸夫氏は私の2歳年下でもあり、あえてシニオリティーに囚われる理由もないわけで、今後は演奏を聴かせてくれる指揮者・演奏者に敬意を表しつつ、敬称等は排してブログを記していくことにします。

 

さて、この日は新しい堂島のオフィスからシンフォニーホールへ徒歩で向かったところ、週末帰省のいつもの旅行ケースを転がしながらでもリッツカールトンホテルの横を通ってわずか15分ほどで着いてしまった。結果、いつもあえて聞かないように避けている指揮者プレトークを耳にしてしまう羽目に。藤岡幸夫はしゃべりは達者な方だけど、すくなくとも今夜のトークに関しては共演者デュメイへの賛辞と内容の乏しい曲目解説に終始して面白くもない。スポンサー企業への謝意を述べたいのであれば、いっそのことプレトークなどとせずに指揮棒を振り下ろす前に一礼して協賛企業への謝辞をストレートに述べてもらったほうがずっとすっきりする。

 

例えばそのプレトークで、シベリウスの交響曲第2楽章作曲当時の境遇など “プログラムの解説に書いてある通りですが・・・” と前振りするくらいなら、いっそのこと何も語らないでいてもらいたいもの。実際の演奏はと言うと、例えばコバケンのような振幅限度いっぱいの思わせたっぷりな演奏とは正反対の、英国や北欧の指揮者がいつも聴かせてくれる正統派な(この表現が適切か分からないけど)演奏解釈を目指していたにしても、冒頭から強めのボーイングで“音を出せ出せ”と始まり、そのまま最後まで一本調子の快速・ンテンポで突き進むばかり。わざわざ聞かされたその境遇話に心を寄せることも、心震わされることもないまま。それにしても第3楽章中間部のオーボエは音量が大きすぎる。

 

ディメイは2週間ほど前のいずみホールシリーズでの指揮をキャンセルしていたので、もしや今夜も・・・と心配していたけど、いつもの颯爽とした姿で聴かせてくれた。バルトークは普段からほとんど聴くことの無い作曲家でこの夜のコンチェルトも“初耳”な曲。吉松隆の1曲目に続いて演奏されたこともあって、大変面白く聴けました。

関西フィル_278回定期


2017
810日 関西フィルハーモニー Meet The Classic Vol.35 いずみホール

 

いずみホール

1J31番 

 

ルロイ・アンダーソン:舞踏会の美女

林 そよか: 弦楽と他楽器のための“Fantasia

J.S.バッハ: ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 BWV.1052

チャイコフスキー: 交響曲第6番 ロ長調『悲愴』

 

指揮: 藤岡 幸夫

ピアノ: 小川 理子

 

昨年10月に指揮者・演奏者への敬称をとりやめたのだけど(関西フィル第278回定期のブログ)、この日のピアニスト小川理子さんについては、同じビジネス・パースンとして(勿論、私などとは比べものにならないご経歴をお持ちの方です)尊敬の念を込めて“さん”付けで記させていただきます。

 

演奏会は常々 “万難を排して” ではあるけど、さすがにオーバーナイト便で関空到着後、そのままオフィスで仕事をした後のコンサートは体力的に少々きつい。でも強引に都合をつけて聴きに出かけるに十分見合った価値ある演奏会だった。

 

本日のピアノストであるパナソニック執行役員小川理子さんのお名前は、以前よりいくつかのビジネス誌を通じて存じていて、特に自らが部門責任者としてご活躍されている“テクニクス”ブランド復活のストーリーは若き頃の高級オーディオへの憧れを呼び覚ましてくれたもの。プレジデント誌の記事で玄人はだしのジャズピアニストであることは知性に溢れた笑顔のお写真とともに存じており、この日は是非ともその小川理子さんの弾くバッハを聴きたかった。

 

ピアノの音は一粒々々が均一ではなく、厳しく評したら正当なバッハ演奏ではなかったかもしれない。でもそんなことなど彼方に押しやってしまうほどのパッションと、ピアニストの豊かな人間性すら感じさせる心のこもった演奏だったのではないか。両端楽章の独奏箇所での均整を保った中でのシンコペーションを効かせたジャジーな味付けの素敵なこと。ピアノに向かっているときの凛とした佇まい、そして終演後の笑顔のたいそう素敵なこと。

 

開演前にキャンセルチケット待ちの列がホール前に出来るほどの満員御礼となったのも、小川理子さんのバッハとともに、地元出身の若手作曲家による新作初演がなされたことが大きかったはず。Fantasia” と題されたその作品は、東京芸大大学院首席で卒業の20代作曲家(私の斜め前にお座りで、妙齢の女性だった)にとって、初めて本格的作曲の機会を得た秀作というところか。弦楽5部と打楽器からなる作品は、5声部が常に和声的に重なり合ったり、追いかけたりといった “オーケストレーション頑張ってます” 状態が延々と続き、どんな作品だろうかと興味深々でいる当方は聴いていて(実演を見ていて)とても疲れてしまう。シンプルにそぎ落とされた瞬間があれば印象が違っていたかもしれないけど。オーケストレーションもパーカッションの扱いは特に挑戦的・実験的アプローチもなく、またはっとさせられる瞬間もない。

 

15分の休憩を挟んでのチャイコフスキーのシンフォニーを聞くと、冒頭部分のオーケストレーションの巧みさに改めて驚く。長く聴き続けられる作品なのだと改めて認識させられる。ただし演奏は凡演。最後は盛り上がって終わる4番、5番の交響曲なら、どんな演奏でもそれなりに興奮させられて終わるものだけど、6番となると特に終楽章の弦楽合奏のクオリティーが演奏の成否を決める。翌日の同ホールで、すばらしい日本センチュリーの演奏を聴いた後では、やはり大きな違いを感じざるを得ない。弦 に艶が無いし合奏が荒すぎる。"熱演、爆演" で押し切れる曲では無い。
 

 
関西フィル_MeetTheClasic35_20170810


ブログ三年目を迎えて

どうにも年を追うごとに物覚えが悪くなる一方。週末にMHKドラマ“ひよっこ”を一週間分イッキ観しながら『あの女優さん、誰だっけ。え~っと、ほらリーガル・ハイの弁護士(堺正人の名前が出てこない)と結婚した・・・』てな会話が日常茶飯。先日も、とある人生の師と再会した折にメット・ライブビューイングの話題になり、今シーズンは何作品を観たかを話し始めたのはいいけれど、グノーのオペラ“ロメオとジュリエット”のタイトル名が出てこない。“えーっと、フレンチオペラで……そう、グノーの…” と言ったところでフリーズしてしまった。同名異曲がポピュラーだったことを足がかりにあれやこれや思案したあげく、グノーの "ドン・ファン" と頓珍漢なことを言ってしまう始末。

ところが、自らの備忘録として始めたこのブログのおかげで、2年ほど経過した今でも不思議なほどにそのときの演奏を記憶している。勿論、観賞日誌としては薄っぺらい内容で恥じ入る限りだけど、それはそれとして割り切ってしまえば、自身の音楽体験を記録に残すことはなかなかに楽しいことではあるし、また拙文・駄文にも関わらず少なからずの方々がブログを訪れてくださっていることは大変に励みにもなっています。

ということで、ありがたくもご訪問くださった方々へ、このブログに関して私なりの決め事をお伝えしておきます。

  • 実演に接した演奏会は、プロ・アマ、ジャンルを問わず、ブログ対象とすること。

実際に接した演奏会の記録に限定して、たとえばCDDVDBlu-ray等メディアの感想や、音楽に関係した諸事・意見は極力記さない。勿論、大阪のプロ・オーケストラ事情について多々思うところもあるけど、そうしたことは触れないことにしています。

  • 演奏者ならびに曲目の紹介・説明は記さない。

このIT社会、どんなに珍しい作品であってもその気になれば電網を通じて誰でもかなりの情報を入手できる。わざわざ無理にかき集めてブログに書いてもしょうがない。

  • ホールのどのあたりで聴いたか、席位置についても可能な範囲で記録する。

一昨日(9月10日)の日経新聞日曜版 Nikkei The Styleでの永田音響設計、豊田泰久氏の特集記事で “クラシックコンサートとは『ホールが鳴らす音』を聴くものである” との1文がある。また、氏の『(ホールに)ベストの席はありません、すばらしい席はあります。どんなレパートリーが、誰によって演奏されるか。さらには耳を傾ける人の好みが反映されて、その時々に最上の席が生まれる。』との言葉が紹介されている。まったくの同感です。故に、わたしにとってどの席でその演奏を聴いたのかを記録しておくことは、大変意味のあることなのです。
 

閑話休題:そのNikkei The Styleの記事で、ある年の元旦にゲルギエフがヤンソンスと食事中に、ミューズ川崎と札幌キタラのどちらの音がいいか議論になって、豊田泰久氏にサンクトペテルブルグからわざわざ国際電話をかけてきたエピソードが紹介されていたけど、数年前の朝日新聞 Be on Saturday で永田音響設計と豊田泰久氏が特集され、件のエピソードも紹介されていた。さすがの日経新聞も文化面では朝日新聞の後追いかな。

ということで、当ブログにお立ち寄りいただきました皆様、今後とも、あーと屋の“ほぼ大阪クラシック演奏会気まま日誌”をよろしくお願い申し上げます。

 

あーと屋
 

ブログ3年目


 

2017113日 ロシア国立交響楽団 ザ・シンフォニーホール公演

 

ザ・シンフォニーホール

1L8

 

ボロディン: 歌劇『イーゴリ公』より“韃靼人の踊り”

チャイコフスキー: 交響曲第4番 ヘ短調

チャイコフスキー: 大序曲『1812年』

チャイコフスキー: 交響曲第5番 ホ短調

  ――アンコール  ショスタコーヴィチ: バレエ音楽『ボルト』より“荷馬車引きの踊り”

 

指揮               ヴァレリー・ポリャンスキー

 

妻を大阪に呼んでのコンサート。休憩を挟んで、正味2時間ほど、続けざまに爆音系はキツイ。この長丁場ではアゴーギク満載のコッテリ演奏でなかったことがある意味で幸いだったかも。ただ、曲ごとの演奏の出来や、感想はというと、わざわざ一流半のオケ演奏をじっと座って聴かなくても、と思わないでもない。

 

プログラムの異様さは途中休憩20分後の後半プログラムで5番シンフォニーの前に『1812年』を演奏すること。最も、それに惹かれて他の多くの人と同じようにチケットを買った訳だけど(しかも妻まで誘ってしまい、後で“何が楽しいのかさっぱりワカランと言われてしまった)、バンダ役でステージにのった2本のTp.がロシア・オケの昔ながらのペラペラなラッパの音を聞かせてたくらいで、演奏自体はちょっと以上に淡白。大植英次が指揮する大阪フィルのほうが、ずっと面白い。そのあとの5番シンフォニーに備えて、あえて拍手を抑制させるかのように、エンディングで鐘を打ち鳴らしながらディミヌエンドさせた。

 

閑話休題

終演後のホールを出て街路樹の下を歩いていると、いつもの学生オーケストラの演奏会ビラ配りに混じって、男性が『新今宮でクラシック音楽・バーやってます』と声をかけながら小さなビラを配ってた。普段はビラを受け取ることなどまずない(福島の駅ホームのゴミ箱に入れてしまう)のだけど、このときは“クラシック・バー”の言葉に引っかかり、ビラを受け取った。

 

これぞ一期一会ですね。素敵な場所を見つけました。“クラシック音楽”にイメージされるスノッブさなど皆無。クラオタ度合いでは私など足元にも及ばない酒飲みの愛すべき店長(マスター)が、ひたすらクラシック音楽をかなりの音量でかけている。ちなみに、店長もロシア国立交響楽団の演奏会を聴きに来ていて、途中休憩でワインを飲んだ勢いで、手元に持っていた店のビラ(写真)を配ったらしい。

 

木曜日から日曜日の夕方から夜11時まで。つまみは柿ピーくらいだけど、お酒は店長の趣味で大変豊富。なによりクラシックCD3,000枚が透明ケースの衣装箱に入れられて山積み -ここから、私の様なクラオタ客のリクエストに応じて店長が記憶を頼りにほじくり出す(笑)。そして、呆れるくらいのクラシック音楽関係の本の山。ちなみに自宅に、まだ別にCDを3,000枚ほどお持ちだそう。

とにかく聴かせてくれるCDが面白い。カツァリスのグリーグPコン、ムラビンスキーのブラームスなどなど。愛すべきクラオタ店長に会いに、ほぼ毎週木曜日の夜、11時の閉店間際に顔を出しています。ちなみに、静かにお酒を飲みながらクラシック音楽を…という訳には大概の場合行かない(勿論、客がたまたま自分ひとりの場合など、そんな時もある)ので、もし訪ねてみられる方は十分にご承知おきを。ちなみに、昨夜は閉店前の店長と二人だけの音楽鑑賞会状態でショスタコーヴィッチの12番だった。

 

 
ココルーム


ココルーム2


ロシア国立_20171103

2018320日 読売日本交響楽団 第610回名曲シリーズ サントリーホール 

 

サントリーホール

11132

 

ロッシーニ: 歌劇『セビリアの理髪師』序曲

ビゼー: 『アルルの女』第2組曲

ベルリオーズ:幻想交響曲 作品14

―― アンコール  マスカーニ:歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より“間奏曲”

 

 指 揮          小林 研一郎

 

『アルルの女』第2組曲の思い入れは “このブログを始めるにあたって”  に記したとおり。東京への日帰り出張の予定があったことで、一泊してなにか聴きにいけるコンサートを探したら、この読響の名曲コンサートとインバル・都響の東京文化会館での『レニングラード』の二者択一。もし『アルルの女』がプログラムに無ければ、上野にしていた。

 

品川のオフィスを610分に飛び出して、ホールに飛び込んだのが658分。毎度のこと、ぎりぎりのタイミングで前半2曲も平土間11列で聴くことができた。かつて北区王子の独身寮にいた当時、南北線の開通とともに“陸の孤島”状態ほどではなくなったにせよ、それでも溜池山王駅からサントリーホールは遠い。

 

読響は、弦も管も、ソロも合奏もさすがに上手い。でもなぜか、どの曲も少々お行儀の良い演奏で “炎のコバケン” ではなかったなぁ。新大阪朝6時始発 “のぞみ” から始まった、長い1日のお疲れモードだったためかもしれない。 すでに大震災から10日ほど経ったのですが、お亡くなりになられた方々への鎮魂として” と前置きして、「カヴァレリア・ルスティカーナ」の“間奏曲”が演奏された。このアンコールが一番、心に沁みた。

 

閑話休題

入場時に頂いた読響月刊誌  “Monthly Orchestra”  に載っていた恩田陸氏の、チャイコフスキーの〔劇伴〕職人としての凄まじさを語ったエッセー  “サントラ・マエストロの職人芸”  が、読み応えが有り実に面白かった。ホテルでバスタブに浸かりながら熟読。さすが読響、こうした冊子も、なかなかに良質です。

 



2018322日 ザ・シンフォニーホール =これぞカスタマーファースト= 

大阪フィル70周年 X ザ・シンフォニーホール35周年 特別コンサートにて

 

演奏会の記録は別ブログ記事として、以下は私が体験したザ・シンフォニーホールのすばらしき顧客対応についてです。

 

時間ぎりぎりにオフィスを出てザ・シンフォニーホールにたどり着いたのは、いつもながらの開演5分前。ところがチケットを入れているはずの長財布をまさぐっても“チケットが無い”。何度探しても“無い”。どうやら直前の東京出張もあり、平日住まいの大阪の自宅部屋に置き忘れたようだ。“チケットを忘れてきたようです”と自分のドジ加減を自嘲気味に告げたところ、受付担当の男性が、直ぐ横のチケットカウンターに私を連れて行った。

 

“どうやら、チケットを持ってくるのを忘れてしまったようです”(私)

“席はどのあたりだったか覚えていらっしゃいますか?”(カウンターの女性)

“たぶん、このあたり(座席表のいつもの平土間中央あたりを漠然と示した)”

“お名前は?”(カウンターの女性)

“○○です”

 

私の名前とおおよその席位置を聞いた後、直ちに数名のスタッフが販売伝票の控えの束をテーブルに並べて、いっせいに購入履歴の確認を始めた。(ホワイエのスピーカーからは、指揮者を迎える拍手の音が聞こえてる)

 

“あの~~う、もしかしたら、チケット・ピアで購入したかもしれません”(私)

すると早速、一人のスタッフがピアに電話をかけて購入履歴の問い合わせを始めた。==夕方7時をすぎてもピアに確認できる術があるんだぁ、と驚き==。ちなみに、私もiPadからピア・マイページにアクセスして、ピアで購入履歴がないことを確認して伝えた。(スピーカーからは、英雄交響曲の冒頭音楽が聞こえてきた)

 

“あっ、もしかしたら大阪フィルのチケットセンターから購入したかも?”(私)

すると、さらに別のスタッフが大阪フィル・チケットセンターの販売履歴一覧を持ってきて、私の名前を探し始めた。==販売一覧の控えを持ってるんだぁ、と又も驚き==。(すでに710分を経過して、スピーカーからは第1楽章が聞こえる)

 

複数のスタッフが手分けをして履歴を探している間、申し訳なく思いながらホワイエから聞こえてくる演奏に耳を傾けていた。

 

スタッフの一人が気遣って話しかけてくれる。

“チケットの色を覚えてらっしゃいますか?こちら(ザ・シンフォニーホールのチケットオフィス)でご購入ならピンク色なのですが…?”

“う~ん、覚えてないです”(私)

 

“あの~~、もし完売でなければ、改めて別のチケットを買いたいのですが。。。。。”と言ったそのとき、ホワイエ奥から別の女性が駆け足でやってきた。

“ご住所はどちらですか?”

“○○県○○市です”。(私)。

“(笑みとともに)ザ・シンフォニーホールのネットでお求めでした。確認できましたので、再発行しますね”

 

という顛末で、再発行されたチケットと、自宅部屋に置き忘れたチケットの写真がこちら。

 
大阪フィル_20180322


ザ・シンフォニーホールのオペレーションは、実にすばらしい。 “来場するすべての人に音楽を楽しんでもらいたい”という意識、そしてカスタマー・ファーストを実践するため行動規範がスタッフ全員に浸透しているからこその対応ですね。翌日、職場でこのエピソードを同僚に話したら、皆一様に“普通、ありえない”、“凄い、信じられない”の大合唱。そうですよね、私もそう思う。

 

ザ・シンフォニーホールのスタッフの皆様、ありがとうございました。英雄交響曲を途中から、そして楽しみにしていたアルプス交響曲をお気に入りの席で聴くことができました。

 
最初のザ・シンフォニーフォール詣での際に、ホール内のショップで買った ”残響2秒”。残念ながら初版ではなく、1985年の第3版。

残響2秒

~ ブログ4年目を迎えて ~

拙ブログ “あーと屋のほぼ大阪クラシック演奏会気まま日誌” にお立ち寄りいただきまして、ありがとうございます。

 

実のところ、ブログタイトルは3年前にあれこれ思い悩んで決めたものの、いささか長ったらしい・・・・と、気恥ずかしく感じています。タイトルの中に“ほぼ”の文字を加えたのは、“大阪に限らず・・・” ではなく、“クラシック音楽に限らず” の意味を込めたつもりです。“音楽ならジャンルを問わず何でも聴くもんね”、“クラシックしか聴かない偏狭クラオタじゃないのよ” などと心のなかで声を上げながらも、ブログ3年間の記事を振り返ってみると、クラシック音楽以外では レ・ミゼラブルとビッグバンド・ジャズ(ザ・シンフォニーホール・ビックバンド)のみ。学生時代から10年ほど嗜んできた尺八や三曲(お琴、三味線、尺八)演奏会に足を向けることも無く(それでも、毎月最終日曜の夜の “古典芸能への招待” は、欠かせない)、大阪が誇る無形文化遺産である人形浄瑠璃文楽はまだ一度も観に行っていない。う~いかん!大いに反省。今シーズンは、かならず文楽を観なきゃ。

 

さて、昨年の “ブログ3年目を迎えて” でも記しましたが、改めてこのブログに関しての私なりの決め事をお伝えさせていただきます。

 

  • 演奏会は、プロ・アマ、ジャンルを問わず、ブログ対象とすること。

ただし実際に接した演奏会の記録に限定して、たとえばCDDVDBlu-ray等メディアの感想や、音楽に関係した諸事・意見は極力記さない。

 

  • 演奏者ならびに曲目の紹介・説明は記さない。

このIT社会、どんなに珍しい作品であってもその気になればインターネットを通じて誰でも入手できる。まして演奏者のプロフィールなら、ググればいつでも手に入る。

 

  • ホールのどのあたりで聴いたか、席位置についても可能な範囲で記録する。

昨年の日本経済新聞日曜版にサントリーホール設計者、永田音響設計豊田泰久氏の言葉 『ベストの席はありません、すばらしい席はあります。どんなレパートリーが、誰によって演奏されるか。さらには耳を傾ける人の好みが反映されて、その時々に最上の席が生まれる』が紹介されていました。まったくの同感です。私にとって、どの席でその演奏を聴いたのかを記録しておくことは、大変意味のあることです。

 

そして、今年さらにもう一つ

 

  • 作曲者・演奏者の名前は省略しないで記す。

ショスタコーヴィチなど、さすがに言いづらいので、会話で “ショスタコ” と略すのは致し方なしとして、ブルックナーを “ブル”、ドヴォルザークを “ドボ” となると、さすがに度が過ぎるというか、学生オケのメンバーが仲間内でクラオタ談義をしているみたいで、どうにも好きにはなれない。世間一般の感覚からみると、そもそもクラオタの会話なんてスノッブ臭プンプンだろうし、ましてや電車の中で『マラ6が好きで』なんて会話を耳にしたら、普通の人なら変態オヤジのエロ話と勘違いされそう。文学ファンが太宰治を “ダザイ” と言うことはあれ、ドストエフスキーを“ドスト” などと言わないだろうし、美大の学生がミケランジェロを “ミケラ” などと言ったりはしないでしょう(きっと)。

 

ということで、これからも “気まま” にブログを続けていきたいと思います。今後とも、“あーと屋のほぼ大阪クラシック気まま日誌” を、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

あーと屋

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201895日 読売日本交響楽団 第21回大阪定期演奏会 

 

フェスティバルホール

2階 1列目 定期会員席

 

ベルリオーズ: 序曲『ローマの謝肉祭』

チャイコフスキー: ヴァイオリン協奏曲 二長調

ドビュッシー: 交響詩『海』

ラベル: ボレロ 【未聴】

 

 指 揮        ジョセフ・バスティアン

ヴァイオリン  : 神尾 真由子

 

先日の台風21号で被害にあわれた皆様に心からお見舞い申し上げます。私は幸いなことに、恐らく“大阪市内で最も自然災害の影響を受けない”公共交通機関、四つ橋線利用なので通勤に支障がなく、台風通過の際もただ一人オフィスで勤務していました。先日の地震のときと同様、帰宅難民など無縁でしたが、オフィスのあるビルの最上階は猛烈な風を受けて揺れに揺れ続けて、30分余り船酔状態でした。

 

それでも思わぬところに台風の余波が・・・!本社幹部を6日早朝(この演奏会の翌朝)に関空でピックアップの予定だったのが、空港閉鎖の緊急対応で成田行きに変更となったおかげで、翌朝7時半までに成田空港に行かなければならなくなってしまった。さすがにフェスティバルホール終演からでは、どう手段を講じても翌朝7時半までに成田空港に到着することは不可能。幸いなるかな、プログラムの後半演目が“海”と“ボレロ”なので、“海”を聴いた後に席を立って、どうにか東京行き最終のぞみ(923分発)に飛び乗った。もしプログラムが前回定期の“復活”のような一曲ものだったら、アウトだったあ~!。

 

さて、この日の演奏についてどのような感興を得たか、をブログに残すに先立って、記しておかなければならないことが

 

私は絶対音感を持っていません。また“このブログを始めるに当たって”に記したとおり音楽の専門教育を受けてもいません。ということで、以下に書くことについては、素人の一音楽ファンのブログ記事としてご容赦(最も、このブログの記事すべて、ですけど)のほどを….

 

と、長い前置きをしてしまったけど、実は前半のヴァイオリン・コンチェルトは、とても“不快”だった。ソロ・バイオリンの音程が余りにハズレすぎている(と私には感じた)。ピンボケ写真を凝視しつづけたような、もしくは眼鏡を外して裸眼(近視、老眼、加えて加齢による軽度の斜視)で街を彷徨っているような不快な感覚に襲われてしまった。長い第1楽章の途中、席を立ってホール外に出ようか、と半分真剣に思ったくらい。前述の台風通過時の船酔気分のほうが、ビル1階という逃げ場があるのでマシだったかも。これでは、さすがに盛んな拍手を受けてステージに呼び出されてもアンコールは“無し”でしょう。ただし第1楽章の後、拍手が起こったくらいだし、終演後は盛んにブラボーが飛んでいたので、あくまでも私個人が“そう感じた”ということ。

 

なお、オープニング曲ベルリオーズも後半のドビュッシーも、読響の各パートの実力通りの演奏。特に“海”での色彩とニュアンスに富んだ各楽器のソロ、精緻なアンサンブル、そして特に終楽章終結部での深すぎず、厚くなりすぎない深い呼吸のブラスが加わってからの、終曲までの音楽のなんと素晴らしいこと。数年前に同じフェスティバルホール(ただし席は異なるけど)で聴いた大阪フィルの演奏とは数段の違い。ラベルの“ボレロ”を聴かずに、後ろ髪を惹かれるように、ホールを後にした。

 
読響_大阪定期_20180905


ブログ5年目を迎えて

 

拙ブログ “あーと屋のほぼ大阪クラシック演奏会気まま日誌” にお立ち寄りいただきまして、ありがとうございます。

 

還暦まであと半年ほど、そろそろ定年退職日まで〇〇日とカウントダウンが始まります。たぶん今の勤め先と継続雇用契約を結んで、平日は大阪、週末は自宅(中国地方の某都市)に戻る、といった出稼ぎモードを今後も続けることになりそうです。とはいえ、もともと、いつ “明日から来なくていいよ” と言われても、と覚悟の外資勤めなので “ぼぼ大阪・・・”  とタイトルしたこのブログをいつまで続けられるか皆目わからないのですが…。とにかく、聴いた演奏会の記録を欠かすことなく4年間も続けられたこと、まずは めでたしめでたし。

 

この一年、件のクラシック音楽バーを通じての素晴らしきクラオタの方々との出会いが人生の宝物となっております。つながりの起点となったヒロノミンさん、そして愛すべきバーの店長サタケさんに改めて感謝!それにしても、お酒とクラシック音楽、そしてクラオタの相乗効果は素晴らしい。

 

拙ブログは、音楽コマーシャルの中でドマイナーなクラシック音楽の、しかも文化発信の中心である首都東京をメインとするわけでもなく、さらには一介の勤め人である私が実際に聞いた演奏会を記録としてブログにアップする(つまり、演奏会を聴きにいかない限り更新されない)という、マイナー要素を3乗したようなもの。それでも、こうしてご訪問いただける方がいらっしゃることが励みとなっております。

 

毎回、“ブログ〇年を迎えて…” に書いておりますが、改めて私なりの決め事をお伝えさせていただきます。(な~んて、つまりは1年前、2年前のコピペです)

 

  • 演奏会は、プロ・アマ、ジャンルを問わず、ブログ対象とすること。

ただし実際に接した演奏会の記録に限定して、たとえばCDDVDBlu-ray等メディアの感想や、音楽に関係した諸事・意見は極力記さない。

 

  • 演奏者ならびに曲目の紹介・説明は記さない。

このIT社会、どんなに珍しい作品であってもその気になればインターネットを通じて誰でも入手できる。まして演奏者のプロフィールなら、ググればいつでも手に入る。

 

  • ホールのどのあたりで聴いたか、席位置についても可能な範囲で記録する。

以前、日本経済新聞日曜版にサントリーホール設計者、永田音響設計 豊田泰久氏の言葉 『ベストの席はありません、すばらしい席はあります。どんなレパートリーが、誰によって演奏されるか。さらには耳を傾ける人の好みが反映されて、その時々に最上の席が生まれる』が紹介されていました。まったくの同感です。私にとって、どの席でその演奏を聴いたのかを記録しておくことは、大変意味のあることです。

 

  • 作曲者・演奏者の名前は省略しないで記す。

ショスタコーヴィチなど、さすがに言いづらいので、会話で “ショスタコ” と略すのは致し方なしとして、ブルックナーを “ブル”、ドヴォルザークを “ドボ” となると、さすがに度が過ぎるというか、学生オケのメンバーが仲間内でクラオタ談義をしているみたいで、どうにも好きにはなれない。世間一般の感覚からみると、そもそもクラオタの会話なんてスノッブ臭プンプンだろうし、ましてや電車の中で『マラ6が好きで』なんて会話を耳にしたら、普通の人なら変態オヤジのエロ話と勘違いされそう。文学ファンが太宰治を “ダザイ” と言うことはあれ、ドストエフスキーを“ドスト” などと言わないだろうし、美大の学生がミケランジェロを “ミケラ” などと言ったりはしないでしょう(きっと)。

 

これからも “気まま” にブログを続けていきたいと思います。今後とも、“あーと屋のほぼ大阪クラシック気まま日誌” を、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

あーと屋

 
20190826 ブログ5年目を向かえて


“あーと屋のほぼ大阪クラシック演奏会気まま日誌” にお立ち寄りいただきまして、ありがとうございます。

 

拙ブログは、音楽コマーシャルの中でドマイナーなクラシック音楽の、しかも文化発信の中心である首都東京をメインとするわけでもなく、さらには一介の勤め人である私が実際に聞いた演奏会を備忘録としてブログにアップする(つまり、聴きにいかない限り更新されない)という、マイナー要素を3乗したようなもの。それでも、こうしてご訪問いただける方がいらっしゃることが励みとなっております。

 

もしコロナ禍に見舞われなければ、この春は、神々の黄昏(びわ湖ホール)、トリスタンとイゾルデ(東京音楽祭・春)、マイスタージンガー(上野、新国、芸文)とワーグナーの毒にどっぷりと浸り続けた毎日を送っていたはず~~でも、いま思うと、そういったことなど、仕事や生活環境に大きな影響を受けている多くの方々からすれば、申し訳ないくらいに些細なこと。公私ともに相変わらず、変化と刺激に満ちた生活を送ることができていることに感謝しないといけません。

 

さて、以下は毎度“ブログ〇年を迎えて…”にて書いております、このブログに関しての私なりの決め事です。

 

  • 演奏会は、プロ・アマ、ジャンルを問わず、ブログ対象とすること。

ただし実際に接した演奏会の記録に限定して、たとえばCDDVDBlu-ray等メディアの感想や、音楽に関係した諸事・意見は極力記さない。

 

  • 演奏者ならびに曲目の紹介・説明は記さない。

このIT社会、どんなに珍しい作品であってもその気になればインターネットを通じて誰でも入手できる。まして演奏者のプロフィールなら、ググればいつでも手に入る。

 

  • ホールのどのあたりで聴いたか、席位置についても可能な範囲で記録する。

以前、日本経済新聞日曜版にサントリーホール設計者、永田音響設計 豊田泰久氏の言葉 『ベストの席はありません、すばらしい席はあります。どんなレパートリーが、誰によって演奏されるか。さらには耳を傾ける人の好みが反映されて、その時々に最上の席が生まれる』が紹介されていました。まったくの同感です。私にとって、どの席でその演奏を聴いたのかを記録しておくことは、大変意味のあることです。

 

  • 作曲者・演奏者の名前は省略しないで記す。

ショスタコーヴィチなど、さすがに言いづらいので、会話で“ショスタコ” と略すのは致し方なしとして、ブルックナーを“ブル”、ドヴォルザークを “ドボ” となると、さすがに度が過ぎるというか、学生オケのメンバーが仲間内でクラオタ談義をしているみたいで、どうにも好きにはなれない。世間一般の感覚からみると、そもそもクラオタの会話なんてスノッブ臭プンプンだろうし、ましてや電車の中で『マラ6が好きで』なんて会話を耳にしたら、普通の人なら変態オヤジのエロ話と勘違いされそう。文学ファンが太宰治を “ダザイ” と言うことはあれ、ドストエフスキーを“ドスト” などと言わないだろうし、美大の学生がミケランジェロを “ミケラ” などと言ったりはしないでしょう(きっと)。

 

 

今後とも、“あーと屋のほぼ大阪クラシック気まま日誌”を、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

あーと屋

 
20200908_ブログ6年目

ブログ開設7年目を迎えて

 

“あーと屋のほぼ大阪クラシック演奏会気まま日誌” にお立ち寄りいただきまして、ありがとうございます。

 

昨年の 『ブログ6年目を迎えて』 の中で、〝もしコロナ禍に見舞われなければ~云々~” と書いたけど、今だに終息に向かうどころか、先月のマイスタージンガー(東京文化会館)や、レ・ミゼラブル大阪公演(フェスティバルホール)が複数関係者の感染を理由に直前で中止決定されるなど、むしろ業界の置かれた状況は厳しさは増すばかり・・・。空けない夜はない・・・といっても、いったいつになるんでしょうか。とにかく、公私ともに相変わらず、変化と刺激に満ちた生活を送ることができていることに感謝しないといけません。

 

拙ブログは、音楽コマーシャルの中でドマイナーなクラシック音楽の、しかも文化発信の中心である首都東京をメインとするわけでもなく、さらには一介の勤め人である私が実際に聴いた演奏会を備忘録としてブログにアップする(つまり、聴きにいかない限り更新されない・・・)という、マイナー要素を3乗したようなもの。それでも、こうしてご訪問いただける方がいらっしゃることが励みとなっております。

以下は毎度“ブログ〇年を迎えて…”にて書いております、このブログに関しての私なりの決め事です 

 

l  演奏会は、プロ・アマ、ジャンルを問わず、ブログ対象とすること。

ただし実際に接した演奏会の記録に限定して、たとえばCDDVDBlu-ray等メディアの感想や、音楽に関係した諸事・意見は極力記さない。

 

l  演奏者ならびに曲目の紹介・説明は記さない。

このIT社会、どんなに珍しい作品であってもその気になればインターネットを通じて誰でも入手できる。まして演奏者のプロフィールなら、ググればいつでも手に入る。

 

l  ホールのどのあたりで聴いたか、席位置についても可能な範囲で記録する。

以前、日本経済新聞日曜版にサントリーホール設計者、永田音響設計 豊田泰久氏の言葉 『ベストの席はありません、すばらしい席はあります。どんなレパートリーが、誰によって演奏されるか。さらには耳を傾ける人の好みが反映されて、その時々に最上の席が生まれる』が紹介されていました。まったくの同感です。私にとって、どの席でその演奏を聴いたのかを記録しておくことは、大変意味のあることです。

 

l  作曲者・演奏者の名前は省略しないで記す。

ショスタコーヴィチなど、さすがに言いづらいので、会話で “ショスタコ” と略すのは致し方なしとして、ブルックナーを“ブル”、ドヴォルザークを “ドボ” となると、さすがに度が過ぎるというか、学生オケのメンバーが仲間内でクラオタ談義をしているみたいで、どうにも好きにはなれない。世間一般の感覚からみると、そもそもクラオタの会話なんてスノッブ臭プンプンだろうし、ましてや電車の中で『マラ6が好きで』なんて会話を耳にしたら、普通の人なら変態オヤジのエロ話と勘違いされそう。文学ファンが太宰治を “ダザイ” と言うことはあれ、ドストエフスキーを “ドスト” などと言わないだろうし、美大の学生がミケランジェロを “ミケラ” などと言ったりはしないでしょう(きっと)。

 

 

今後とも、“あーと屋のほぼ大阪クラシック気まま日誌”を、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

あーと屋

 

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