あーと屋のほぼ大阪クラシック演奏会気まま日記

2021年04月

2021323日 新国立劇場 ワルキューレ 323日公演

 

新国立劇場

317

 

指揮:                城谷 正博

演出:                ゲッツ・フリードリヒ

オーケストラ:        東京交響楽団

 

ジークムント:        村上 敏明 第一幕

                       秋谷 直之 第2

ジークリンデ:         小林 厚子

ヴォータン:           ミヒャエル・クプファー=ラデツキー

ブリュンヒルデ:      池田 香織

フンディング:         長谷川 顕

フリッカ:             藤井 美穂子

 

不要不急の東京往来をしないで…との都知事の発言を報道で耳にしながら、地方在住ワグネリアンとして城谷正博の指揮は絶対に聴き逃すわけにはいかない…という強い自己肯定で臨んだワルキューレ千秋楽。ブログタイトル通り、‟気ままに…”というつもりはまったく無いのだけど、いつもながら実際の公演日から数週間が経過してしまった。薄れつつある記憶をEvernoteのメモを頼りに書き留めなきゃ。

 

2週間前の初日に比べオーケストラが非常に生き生きとして音色もヴィヴィッドで、鳴りっぷりが凄い。さすがに第3幕の後半あたりは鳴らしすぎの弊害なのか、演奏が雑になるところもあったにせよ、この千秋楽での指揮に全身全霊を注いだであろう指揮者のワーグナー音楽への情熱がオーケストラの音とともに伝わってくるようだった。

 

ヴォータンの別れの場で思わず涙腺が緩むのは毎度のこととして、この日は特に第2幕がとても楽しめた。いまや日本人唯一のブリュンヒルデ歌いとなった感のある池田香織、貫禄の藤村美穂子のフリッカとミヒャエル・クプファー=ラデツキーのヴォータンの三役が登場する第2幕が圧巻。ステージが360度以上(1回り以上に)回転してしまうことで、神々の世界と地上界とが寸断されてしまい、奥から現れたブリュンヒルデがジークムントとフィンディングの戦いの場に向かえない、といった装置演出は心憎い。

 

最後に、ジークムント役のカバーに入ったお二人の公演完遂にむけたリスク覚悟の献身に対して最大限の賛辞を贈ります。

 
20210311_新国ワルキューレ

2021318日 日本センチュリー交響楽団 第253回定期 

ザ・シンフォニーホール

定期会員席 

 

指揮    : 佐渡 裕

ピアノ  : 清水 和音

 

ベートーベン    :ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 『皇帝』

  アンコール   ショパン :英雄ポロネーズ

ラフマニノフ    :交響曲第2番 ホ短調

 

指揮者とピアニストが当初予定のジョナサン・ブロックスハムとブルーノ=レオナルド・ゲルバーから佐渡裕と清水和音に変更。今年の東京ハルサイの目玉公演の一つとして招聘のブルーノ=レオナルド・ゲルバーを大阪で、しかも皇帝コンチェルトが聴けるという絶好の機会は叶わず。

 

会場は、普段の定期では観客の頭数を簡単に数えられる程度の入りの日本センチュリーにして、なんと満席に近い入り。左右バルコニーが頭上に被さり、おそらくザ・シンフォニーホールで唯一音響に不満を感じる平土間1,2列、と3940列までもギッシリと埋まるとは、まあ噂に聞いていたけど指揮者の人気度の凄いこと。

 

ピアニストが冒頭から最後の最後まで、徹底的に剛腕一直線で弾ききった皇帝協奏曲は ‟暴”の一言。アンコールの英雄ポロネーズとともに会場は沸きに沸いたけど、私にはどちらも感性の許容限度を突き抜けてしまってる。ここは清水和音のアプローチに沿って演奏した指揮者とオーケストラを賞賛すべきか…う~ん、どう捉えようか悩ましい。でもコンチェルトは爆演の一言で括れるにして、アンコールのショパンは、今も思い出したくない…。

 

後プロのラフマニノフは感性の振幅最大限でラフマニノフ節ムンムンの超ロマンティシズムで、日本センチュリーの完成度の高い演奏もあり大満足(そもそもこの曲、大好きなんですね)。まあ、とにかく久々に疲労感の残った演奏会。

20210318_日本センチュリー定期_1

 

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