あーと屋のほぼ大阪クラシック演奏会気まま日記

2019年10月

、20191025日 大阪フィルハーモニー第532回定期演奏会 1日目

 

フェスティバルホール

前半    定期会員席

後半    18列(知人と席位置交換)

 

指揮            : 尾高 忠明

オーボエ        : フィリップ・トーンドゥル

ソプラノ        : ゲニア・キューマイヤー

 

R・シュトラウス : 13管楽器のためのセレナード 変ホ長調

R・シュトラウス : オーボエ協奏曲 ニ長調
  ーアンコール   ブリテン:オウィディウスによる6つの変容 より第1曲 Pan

R・シュトラウス : 交響詩『死と変容』 作品24

R・シュトラウス : 四つの最後の歌

 

R・シュトラウスの作品は “歌” に満ちている!改めてそう気づかせてくれた、いい定期だった。交響詩『死と変容』が引用されて曲を閉じる歌曲 “夕映えに包まれて” で終えるという誠に巧みなプログラミング。オーボエ・ソロのフィリップ・トーンドゥルも達者な奏者だったけど、なによりゲニア・キューマイヤーの “四つの最後の歌” がすばらしかった。

 

前夜の日本センチュリーの定期会場で偶然お会いしたオペラ愛好家の知人から、ゲニア・キューマイヤーを大阪で聴けることが如何に貴重なことであるかを、カウフマンを聴きにでかけたザルツブルクのラトル指揮『カルメン』でのミカエラ役の成功話とともにたっぷりお聞きしていた。(ビールを飲みながら聞かされた…が正しいかぁ)

 

そのゲニア・キューマイヤーの正確な音程と息深く深いトーン、そして目線の動きまで含めて全身に神経をいきわたらせた立ち居振る舞いも含めての “歌唱” に完全に魅了されてしまった。最後の一節“私たちはさすらいに疲れた…これが死というものだろうか?”と歌い終わった後、静かなオーケストラの後奏の間までも演奏を支配したかのようだった。

 

わずかに残念なことは、交響詩『死と変容』が終わったあと、まだ尾高忠明が拍手を受けて2度目にステージに現れたところなのに、終演時間を意識してか事務方がステージに上がって椅子を動かし始めたことくらいか。

 
20191025_大阪フィル_定期532


20191024日 日本センチュリー交響楽団 第239回定期

 

大阪ザ・シンフォニーホール

1階定期会員席

 

指揮            :飯森 範親

ソプラノ        :石橋 栄実

バス・バリトン  :平野 平

合唱            :ザ・カレッジ・オペラハウス合唱団、日本センチュリー合唱団

 

団 伊玖磨      :飛天繚乱

ブラームス      ;ドイツ・レクイエム 作品45

 

ウィーンからこの演奏会のために招聘した平野平の歌唱は良しとして、ソプラノ・ソロは高音部ばかりが強調されたスキャットかパレストリーナを聴いているみたい。またプロ・アマ混成の合唱は声が濁りすぎていただけない。各パート10名のザ・カレッジ・オペラハウス合唱団に対して、ソプラノ14名に対してバスがわずか4名のアマチュアが混ざった状態で完成度を追求するのは無理がある。通常、合唱付きオケ作品を振るとき巧みにオーケストラと合唱とで指揮を振り分けるものだけど(たとえば東混の正指揮者でもある山田和樹など、指揮をする後ろ姿を観ていてもその巧みさにほれぼれする)、どうも飯森範親はオケも合唱も同じにように振っている(ように見える)。そんなこんなで合唱がオケに合わないし、3楽章のフーガでは、もうあたふたしてしまい聴いていて辛くなってきた。

 

日本センチュリーはコアメンバーによる210型の中型オケとして古典派からロマン派初期の作品を演奏するときにこそ、その実力を発揮できると常々思っている(毎度、同じことをブログに書いてますね)。でも、実際はブルックナー・マーラーから、今夜のようにドイツ・レクイエムといった合唱付き作品まで定期プログラムに置いてくる。すべて飯森範親の指揮であることを思えば、きっとご本人の強い意向なのだろう。プレトークで、ドイツ語歌詞・発音の蘊蓄とか、“この作品はドイツで何度も振った…”といった自慢話にすぎる話を聞かされるより、一切のバイアス無しで演奏に向かいたいもの(こちらも、毎度同じことをブログに書いてますね)。

 
20191024_日本センチュリー定期‗

k20191023日 究極のフレンチ・バロック ~絶対王政とその栄華の極み~

 

ザ・フェニックスホール

1階B17

 

ヴィオラ・ダ・ガンバ    :酒井 淳

ヴィオラ・ダ・ガンバ    :マリオン・マルティノ

チェンバロ             :クリストフ・ルセ

 

マラン・マレ    :組曲ト短調 ~ヴィオール曲集第1巻より

フォルクレ      :クラブサン曲に直されたヴィオール曲集より組曲第1番  -チェンバロ独奏

  休憩

マラン・マレ    :二つのヴィオールのための組曲ニ短調 ~ヴィオーレ曲集第1巻より

マラン・マレ    :メリトン氏へのトンボ―

マラン・マレ    :二つのヴィオールのためのシャコンヌ ト短調

 ――アンコール 

マラン・マレ    :二つのヴィオールのための組曲ニ短調より プレリュード、アルマンド

 

長年にわたりクラシック音楽を偏りなく聴いてきているつもりでも、この演奏会を機に振り返ってみると、バロック音楽といえばドイツ・バロックとイタリア・バロック。演奏会タイトルにあるフレンチ・バロックとしてはクープランとラモーの名前を知っているだけで、精々ラベルの“クープランの墓”を連想する程度。クラブサンがチェンバロのフランス語名称であることは知っていても、ヴィオールがヴィオラ・ダ・ガンバのフランス語名称であるとは、この度初めて知った。

 

ヴィオラ・ダ・ガンバの倍音をたっぷり含んだ、ふんわりとした音に耳が慣れてくると、典雅な演奏が大変心地よい。クリストフ・ルセはバッハ平均律のCD(つまりドイツ・バロック音楽)を通じて知っていたけど、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者の酒井淳とマリオン・マルティノは、両名とも私が単に知らないだけで、きっと名のある奏者に違いない。マレ作品ばかりの後プロは、決して(チコちゃんに叱られないように)ぼ~っとしていたつもりはないのに、気づいたらプログラム最後の曲が終わっていた。シャコンヌ”だから判りそうなものなのに、ちょっとショック・・・やはり、ぼ〜っと聞いていたのかな。

 

休憩中、ホール職員の了解を得てステージ写真を撮影。ヴィオラ・ダ・ガンバは2丁(単位は“丁”でいいのかなぁ?)とも7弦。席(前から2列目)からじっと眺めていても、どうやら7弦目は(もしかすると6弦目も)弾いていないみたい。イエペスが開発した10弦ギターの第710弦のように倍音を均等化させるためのものなのだろうか。それとも実際に弾いていたのかな?どうなのだろう。

20191023_究極のフレンチバロック

20191023_究極のフレンチバロック_2

20191023_究極のフレンチバロック_1

20191019日 前橋汀子 無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティータ全曲演奏会 ザ・シンフォニーホール

 

大阪ザ・シンフォニーホール

1G10

 

ヴァイオリン    :前橋 汀子

 

J.S.バッハ

無伴奏ヴァイオリン・ソナタ           1番 ト短調 BWV.1001

無伴奏ヴァイオリン・パルティータ     1番 ロ短調 BWV.1002

無伴奏ヴァイオリン・ソナタ           3番 ハ長調 BWV.1005

  休憩

無伴奏ヴァイオリン・ソナタ           2  イ短調  BWV.1003

無伴奏ヴァイオリン・パルティータ     3番 ホ長調 BWV.1006

無伴奏ヴァイオリン・パルティータ     2番 ニ短調 BWV.1004

 

前橋汀子が半生を自ら語った昨年10月の日経新聞【私の履歴書】の最終話“生涯現役(第30話)”で語られていた今回の全曲演奏会、どうしても聴いておきたかった。

 

日経新聞【私の履歴書】最終回より

QUOTE- 

最初の挑戦は1988年に録音したアルバム『無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全集』。これは89年度の文化庁芸術作品賞をいただいた。

 

あれから30年。私も年齢を重ね、同じ楽譜を弾いても当時とはテンポや間の取り方などかなり違う。音符には書かれていない行間の部分に深遠な背景があるということだ。このバッハの無伴奏は演奏家のその時のすべてが現れる作品なのだ。 

 

私は1415年に国内各地で全曲演奏会を開いた。来年も夏以降に東京、大阪、横浜で全曲演奏会に挑むことが決まっている。この公演をバッハの集大成にしたいと思う。

-UNQUOTE-

 

ステージ中央の譜面台に楽譜(冊子)が置かれていたものの、一度も開かれることはなかった。バッハへの畏敬の念を示してのことだろうか。一作品の演奏が終わるたび会場からの拍手を受けると、笑顔で軽くお辞儀をした後にすぐに姿勢を整え、深い呼吸とともに次の作品に向かっていく。厳しいまでに張り詰めた雰囲気のなか、緊張の全く途切れぬ充実の3時間だった。終演後は、私のお隣の女性とともに、たまらずスタンディングオベーション。立ち上がって拍手をしたのは、20143月の大植英次の大阪フィル定期最後の公演(シンフォニーホール)以来でのことではないか。感動のバッパだった。

 
20191019_前橋汀子_バッハ無伴奏_1


20191019_前橋汀子_バッハ無伴奏_3

20191018日 大阪フィルハーモニー交響楽団 ソアレ・シンフォニー Vol.14

 

ザ・シンフォニーホール

1階席J7

 

指揮            :大友 直人

ヴァイオリン    :服部 百音

 

エルガー               :弦楽セレナーデ ホ短調 作品20

シベリウス             :ヴァイオリン協奏曲 作品47

チャイコフスキー       3大バレエ音楽ハイライト

                         「眠りの森の美女」より

“ワルツ”、“パノラマ”

                         「くるみ割り人形」より

                               “行進曲”、“金平糖の踊り”
                “トレパック”、“花のワルツ”

                         「白鳥の湖」より

                               “ワルツ”、“情景”、“四羽の白鳥の踊り”
                “ハンガリーの踊り”、“終曲”

  ―― アンコール    「白鳥の湖」よりマズルカ(第3幕)

 

この週末はプレヴィン・ロンドン響の三大バレエ全集(CD6枚セット)をBGMにして、ため込んだ未処理メールの処理作業。希代のメロディーメーカー・チャイコフスキーの幾多の名旋律のなかでも、白鳥の湖の“情景”のメロディは、オーケストレーションによりその魅力が幾倍にもなるという意味で、最も優れたもののひとつではないだろうか。ソロ楽器がメローなトーンで感傷的に演奏すれば哀愁、郷愁といった感情が心の襞を揺するし、盛り上がりの到達点で全弦楽器(ベース以外)がテュッティで演奏すれば、ドラマディックこの上ない。

 

劇的な展開の白鳥の湖“終曲”を3大バレエ音楽ハイライトのエンディングに置くと、当然ながら“四羽の白鳥の踊り”等の有名曲を挟んで“情景”が適度な位置に必要になる。冒頭曲をどれにするか、有名な幾つもの“ワルツ”をどうバランスよく配置するか、などなど悩みどころばかり。今回の選曲は、オリジナルの曲順も考慮すれば、なかなか知恵を絞ったものじゃないだろうか。

 

シベリウスのコンチェルトについて。たとえば今年3月に聴いたアレクサンドラ・スムがそうであったように、華奢な体格とは全く関係なく、楽器を鳴らし切った強靭でダイナミックな演奏を聴かせるヴァイオリニストを何人も見てきた。それに比べて、ではないけど服部百音のヴァイオリンは芯が細くか弱いため、表現の深みと幅がとても狭まって聞こえてしまう。う~ん、平土間10列目の下手よりの席ですらそう感じたのだから、2階席後方などには果してどのように聴こえたのだろうか。

 

20191018_大阪フィル_ソワレ

20191018_大阪フィル_ソワレ_1

2019年10月16日 関西フィルハーモニー管弦楽団 第305回定期演奏会

 

大阪ザ・シンフォニーホール

1K35

 

指揮            :藤岡幸夫

ヴァイオリン    :神尾 真由子

 

ウォルトン             :ヴァイオリン協奏曲

ハチャトゥリアン       :交響曲第2番 ホ短調『鐘』

 

在阪プロオケの中で群を抜いて挑戦的な関西フィルの今シーズン定期ラインナップのなかで、最も尖っている今夜のプログラム。普段、関西フィルを聴くときはオルガン席か3階バルコニー席と決めているものの、今回は一階S席を一般券発売開始早々に購入。関西フィルを平土間で聴くのは、3年前のトリスタンとイゾルデ第3幕以来ではないか。

 

それにしてもサブタイトル “轟音警鐘・・・阿鼻叫喚の音楽絵巻、壮絶無比の野心作” には、またもや見事につられてしまった。阿鼻叫喚だの壮絶無比だのとくれば、例えばショスタコーヴィチの戦争シンフォニーのごとく、金管や打楽器が大暴れしながら麻痺させるような轟音につつまれるかのような曲イメージが刷り込まれてしまう。毎度のこと、関西フィルのこうした釣り文句はいかがなものかと思いつつも、補助席販売までするほどの集客力を発揮したのだからマネジメントとしては大成功に違いない。サポート企業の招待客らしきスーツ姿の男性も多く、私の周りにはいくつも連続で空席が目立ったのは、完売公演だけに気持ちとしては微妙なところでもある。

 

いつもの通り復習を兼ねて、唯一の手持ち音源であるチェクナヴォリアン&アルメニア・フィルのボックスセット(この曲に限らずの爆演ばかり)でハチャトゥリアンの“鐘”を聴き直し。剛腕チェクナヴォリアンのCD40分ほどの快速に対し、関西フィルの演奏は45分以上かけていたことからも明らかなように、壮絶な展開の終楽章などでも無謀な煽りやハイテンポで突っ走るといったことなどなく、節度を保った演奏だった。もっとも基本爆演系の指揮者である藤岡幸夫(だと、私は日頃から思っているのだけど)にしてみれば、もっと豪胆・奔放にやりたくても、オーケストラ側の能力が限界だったのかもしれない。実際、弦パートなどで、ちょっと厳しいところも散見された。いずれにせよ、よくぞこの難曲をプログラムに載せてくれたものだ。藤岡幸夫と関西フィルに感謝。

 

そう、初めて聴いたウォルトンのコンチェルトについても記しておかないと。数年前まで、実演を聴くたびにいささか首を傾げてしまっていた神尾真由子は、3月のいずみシンフォニエッタとのリゲティの協奏曲に引き続きこの日も安定感が抜群。彼女の演奏については、メン・チャイなどよりこうした近・現代の作品のほうがしっくりくる。いつものようにソロ・アンコールは無し。

 
20191016_関西フィル定期


2019107  七吹神喇叭倶楽部演奏会 其の六 大阪フィルハーモニー会館

 

 

大阪フィルハーモニー会館

 

徳永洋明             :祝祭ファンファーレ ~令和を記念して~

追栄祥               4本のトランペットのための3つの小品

ムチンスキー         :トランペット三重奏 作品11-1

プレスティ           5本のトランペットのための組曲

団伊玖磨             :祝典行進曲 (D. シロズヴィッチ編)

津堅直弘             :胃腸薬の主題による4つの変奏曲

ロッシーニ           :猫の二重奏

ガーシュウィン       :パリのアメリカ人(山崎恒太朗編)

 ―― アンコール

       ひょっこりひょうたん島

       宝島

 

篠崎 孝      大阪フィル

小曲 俊之    日本センチュリー

白水 大介    関西フィル 

徳田 友希    大阪交響楽団

西馬 健史    京都交響楽団

稲垣 路子    京都交響楽団

神代 修      大阪教育大学

 

中桐 綾奈    ピアノ

 

年一回のペースで開催の関西プロオケのトランペット奏者を中心としたアンサンブルで、会場は大阪フィルの拠点である大阪フィルハーモニー会館。ここを訪れるのは20172月の『世界における我が国オーケストラのポジション』以来の2度目。

 

メンバーが所属するオーケストラ演奏会で盛んにチラシが折り込まれていた割には、チケットが購入できるのは梅田の楽器店2か所のみ。私のような大阪非在住の一音楽ファンには全く困ったもので、西梅田の勤務先から楽器店まで徒歩で往復1時間以上もかけてチケットをやっとで購入。あんなにチラシをバラまいて宣伝するなら、もう少しチケット購入のハードルさげてくれないかなぁ、と思いつつ会場の大阪フィルハーモニー会館へ向かうと、まあネ、ある程度予想はしていたけど、観客は大阪市内のブラバンの生徒がほとんどで、しかも当日券での入場が余裕で可能だったみたい。

 

少々期待を持ちすぎたのかもしれないけど、全体に余暇的アンサンブルの延長のような演奏。前半の4曲は聴き進むうちに飽きてくるし、ピアノ伴奏を加えた後半のメイン曲“パリのアメリカ人”も、特段にスリリングさもなく、達者なオケメンバーによる、クラシック音楽流儀の型にハマった演奏、っといった感じ。せっかくだから、自由にジャジーにやればきっともっと面白いのに…。

本来、チューバやユーホニウム・ホルンが担う中低音域をピアノが請け負った上に、ちょっとしたオブリガードまで右手がこなしてしまうと、7本のラッパの音が厚いばかりで(勿論ピッコロとバストランペットを加えて音域を広げるにしても)面白みがそがれたのではと思うのだけど、どうだろう。

アンコール2曲目で演奏された宝島が一番面白かったかな。

 

 20191007_七吹神

2019103日 ザ・シンフォニーホール・ビッグバンド Vol.14

 

大阪ザ・シンフォニーホール

2階FF

 

Music Director       :菊池 寿人

Special Gust         :古澤 巌

 

プログラム

Take The A Train

Moonlight Serenade

Little Brown Jug

In The Mood

Spain

Sing Sing Sing

 

How High the Moon

Stardust

Summer Splash

Limpida ~潤いの時~

Passacaglia

 

アンコール

 Mr. Lonely

Livertango On Fire  

 

昨年の年4回のハイペースはさすがに息切れか、今年は春のVol.13につづいて2度目。“スイング・ジャズ名曲選”との副題が効いたのか、2階中央ブロックが最終列まで埋まるほどで、間違いなくこのシリーズ最大の客入り。思い返せば、Vol.1でシャンパン付きの特別席を設けたりと趣向を凝らしながらも、どうにか半分程度の入りだったことを思うと、やっとこさで実力相応に知名度が上がってきたということか。

 

菊池寿人がバンマスよろしく前にたってハイトーンをブリブリ聞かせてくれ第1曲目からエンジンン全開で、定番アンコールのパイプオルガン独奏をフィーチャーしたリベルタンゴ・オン・ファイアーまで、古澤巌とメンバー全員のパフォーマンスの高さに魅せられっぱなし。次回開催を決定しているものの、日程はまだ調整中とのこと。昨年のようなハイペースでの公演でなくてよいから、実力のあるゲストプレーヤーをフィーチャーしたハイレベルなパフォーマンスを聴かせて頂戴ませ。

 
20191003_シンフォニーホールビッグバンド

20191003_シンフォニーホールビッグバンド_1

2019102日 尾高忠明 大阪フィル ブラームスティクルスⅡ

 

ザ・シンフォニーホール

1階L列28

 

ブラームス      : アルトラプソディー 作品53

                   運命の歌 作品54

                  交響曲第2番 二長調 作品73

 

指揮            : 尾高 忠明

アルト          : 清水 華澄

                  大阪フィルハーモニー管弦楽団

                  大阪フィルハーモニー合唱団

 

特にドイツ・ロマン派の音楽で、前シェフ井上道義が低重心のバスから順次ピラミッド状に音を積み重ねていくに対して、尾高忠明の指揮は全体の点を揃えて各パートのバランスを重視しながらオーケストラをまとめていくもので、昨年のベートーベン、そして今年のブラームスのシンフォニーティクルと大阪フィルの合奏力を高めるという意味で成功してきたと思う。ただ、今夜のブラームスの2番についてはどうだろう。前2回(5月の第1番9月の3番)と比べて具体的にどうこうでなないのだけど…いまの大阪フィルならまだまだできるでしょう…と思うところが多々あった。細かいキズを云々言うつもりはないけど、金管(とくに1st Tp)はもっと集中してほしかった。

 

今回のティクル公演はすべて単券購入。毎回、平土間中央列の異なった席位置で聴くことになる。今回のティクルⅡは、振替公演ということで席選択の条件がよく、いつも聴きなじんだお気に入りのエリアの席。ゲストコンサートマスターの田野倉雅秋とトップサイドに座った須山暢大がコミュニケーションを取り合って、いい関係を続けていることが感じられる。

 

今年6月の福井敬リサイタル(福井敬NET主催)と、その後のオフ会で魅了された清水華澄の笑顔が素敵だった。

 

 
20191002_大阪フィル_ブラームス2番


2019930日 ディレク・アルトマン 時の終わりのための音楽 フェニックスホール 

ザ・フェニックスホール

2AA20

 

ラヴェル        :ヴァイオリンとチェロのためのソナタ

マーラー        :アンサンブルのための4つの歌(M.ウィキ編)

          “ラインの伝説”  《少年の魔法の角笛》より

          “私はよく思う、子供たちはちょっと出かけただけなのだと”

                    《なき子をしのぶ歌》より

          “無駄な骨折り”  《少年の魔法の角笛》より

          “高き知性への賛歌”《少年の魔法の角笛》より

 

メシアン        :世の終わりのための四重奏曲

 

~アンコールとして

マーラー        :“私はこの世に捨てられて”(M.ウィキ編)

               リュッケルトの誌による5つの歌曲)より

 

クラリネット    ディレク・アルトマン 

ヴァイオリン    白井 圭       

チェロ          横坂 源

ピアノ          岡本 麻子

 

“時の終わりのための音楽” と題された、なんとも深く重たい内容の演奏会。このようなコンサートが企画され、アルトマンとの共演にふさわしいソリストを揃えて催行されるとは、大阪も捨てたもんじゃない。惜しむらくは月曜日ということもあり、満席には程遠かったということくらいだろうか。

 

第1曲は、なんとシュテュットガルト放送交響楽団のソロ・クラリネット奏者であるディレク・アルトマンが(そしてピアニストも)ステージに登場せず、ヴァイオリンとチェロによるラヴェルのソナタ。“クロード・ドビュッシーの追憶に” と副題された、複雑で感情のひだがむき出しになったような厳しい音楽。一転して全員が重く暗い響きに徹することで、諦念に満ちた独特の香りを漂わせた “歌” の無いマーラーの歌曲作品。そして、20分の休憩の後の、あまりにも圧倒的なメシアンの“世の終わりのための四重奏曲”。4人の名手とザ・フェニックスホールの特徴である閉ざされた空間でこその、異様なまでに特別な音楽体験だった。

 

20190930_時の終わりのための音楽_




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