あーと屋のほぼ大阪クラシック演奏会気まま日記

2018年12月

20181219日 ダニエル・ハーディング指揮 パリ管弦楽団 ザ・シンフォニーホール

 

ザ・シンフォニーホール

1L33

 

指揮            : ダニエル・ハーディング

ヴァイオリン    : イザベル・ファウスト

オーケストラ    : パリ管弦楽団

 

ベルク          : ヴァイオリン協奏曲 “ある天使の思い出に” 

  ――アンコール クルターグ :ヴァイオリンのためのサイン、ゲーム、メッセージ

   “遊び” から Für den, der Heimlichlaunched

マーラー        : 交響曲第1番『巨人』

  ――アンコール エルガー :エニグマ変奏曲から “ニムロッド”

 

イザベラ・ファウストの弾くベルクのヴァイオリン協奏曲、ひたすらソロ・ヴァイオリンの演奏を目で追いかけながら、その壮絶なテクニックに圧倒されるとともに、青白く閃光を放つような演奏に大いに感動してしまった。このソリストの演奏を2日前に東京サントリーホールで  “体験” しておいて、ほんと良かった。“温かみよりも少々醒めたような音色で、神経質なまでに意識をいきわたらせた(一昨日のブログに、そう書いた)” 演奏は、この日も同じ。勿論、ベートーベンとベルクでは作品自体まったく異なるし、ホールも違う。それでも両日の演奏を聴いて思い至ったこのヴァイオリニストの特性は  “外面的な冷淡さと、内向的でありながら壮絶なパッションが絶妙に調和”  していることであり、それはベートーベンよりもこの日のベルクのコンチェルトのほうがより相応しいように思える。アンコールは、サントリーホールのときと同じクルターグの小品ながら、別の曲だったらしい。ただしアンコール時には、“あっ同じ曲”   と思って聴いていた。

 

休憩後のマーラー の ”巨人”、充実度としては90パーセント位かな。100パーセントには、何かが少し欠けていたのか、それとも幾つかの箇所であともう少し(今となってはいちいち覚えていないけど)と感じたところがあったりしたからか。いずれにせよ、このオーケストラはスタイリッシュで素敵に上手い(これも一昨日のブログに記した表現どおり)。それにしても1楽章第1主題 “さすらう若人の歌” でのトランペット・ソロのなんともメローでとろけるような、まろやかな音だこと。舞台裏でファンファーレを吹いたのと同じ奏者、同じ楽器とはとても思えない。

 
パリ管_20181219


20181217日 ダニエル・ハーディング指揮 パリ管弦楽団 サントリーホール

 

サントリーホール

2階席LC5

 

指揮            : ダニエル・ハーディング

ヴァイオリン    : イザベル・ファウスト

オーケストラ    : パリ管弦楽団

 

ベルリオーズ    : オペラ『トロイアの人々』から“王の狩りと嵐”

ベートーベン    : ヴァイオリン協奏曲 二長調 

  ――アンコール クルターグ :ヴァイオリンのためのサイン

                        ゲーム、メッセージ、ケージへのオマージュからDoloroso

ベートーベン    : 交響曲第6番『田園』

  ――アンコール ベートーベン :コリオラン序曲

 

水曜日にベルクのヴァイオリン・コンチェルト(独奏者は今夜と同じイザベル・ファウスト)とマーラー“巨人”を大阪ザ・シンフォニーホールに聴きに行く予定にしているものの、なんとか東京出張をこの日に調整して、サントリーホールで別プログラムであるベートーベンのコンチェルトと田園シンフォニーをメインに据えた公演を聴く。重すぎることなどなく、最強奏トゥッツティでもまったく乱れることなどもない気品と優美さを失わない弦セクション、柔らかくも若干の翳りをおびた音色で達者ぞろいの木管セクション、そしてヴィジュアルにもスタイリッシュな演奏姿。第1曲目開始早々での木管のアンサンブルで一気に魅了されてしまった。日頃シンフォニーホールで聴く在阪のオーケストラとのあまりの格の違いを思い知らされる。このオーケストラの音は実に品がある、そして素敵に上手い。

 

ベルリオーズの序曲は舞台後方に3名のティンパニ奏者を並べた16型フル編成。その後、協奏曲からアンコールのコリオラン序曲を含めてベートーベン3曲は全て12型弦でピリオド奏法による演奏。ベートーベンでは過度にエッジを効かせ過ぎることなく、パリ管の持つ優美さを保ちながらもメリハリとアクセントを十分に保った弦群、そして包み込むような音色の木管群とそれに溶け込むトランペットの音色。ハーディングの新鮮味を失わない音楽運び、それに見事に応えるパリ管の凄さ。ほんと、素晴らしい。

 

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、大向うを唸らせるようなヴィルテュオーソな演奏効果を求める作品ではないこともあり、凡様なソリストと指揮者・オーケストラによる演奏は、とにかく退屈の一言。そんな私にとって少々鬼門であるこの作品に今日ほど魅了されたことはない。イザベル・ファウストの独奏は、どちらかと言うと温かみよりも少々醒めたような音色で、神経質なまでに意識をいきわたらせた終始張り詰めた演奏。このような演奏を聴くと、彼女が現代最高のヴァイオリニストの一人と称されることもまったく肯ける。神々しいほどの名演だった。

 

休憩後の田園交響曲とアンコール曲 “コリオラン序曲” のまた、素晴らしいこと。“田園” 2楽章での木管群は柔らかくしなやかでニュアンスに富んでいて、このまま音楽に身を委ね続けたいと思ったし、嵐の楽章やコリオランでの少し個性的にも感じるアクセントを効かせたハーディングの解釈など、とにかく聴き所にあふれた演奏の連続。いや~実に満足。

 

終演は9時半。コリオラン序曲でお開きなんて、なんだかオール・ベートーベン・プロを聴いたような気分になった。翌朝の新幹線始発で大阪にもどって、水曜日はザ・シンフォニーホールでもう一度、パリ管を聴ける。なんと楽しみなことか。

 

パリ管_20181217


2018
126日 日本センチュリー交響楽団 第231回定期

 

大阪ザ・シンフォニーホール

1階定期会員席

 

指揮          川瀬 賢太郎

チェンバロ      マナン エスファハニ

 

アイヴズ        : 答えのない質問

バーバー        : 弦楽のためのアダージョ 作品11

ナイマン        : チェンバロ協奏曲 (日本初演)

  アンコール     ヘンリー・パーセル: グラウンド

アイヴズ        : 交響曲第2

 

川瀬賢太郎の指揮は、たしか4年ほど前に今はもう聴きに行くことのない在阪オケの12月定期で、第九をシンフォニーホールで聴いたことがある。寄せ集めのアマチュア合唱団のノルマ販売で満席となった会場で、正規価格で購入して素人合唱を聞かされた堪らない記憶があり、“◯◯憎けりゃ、袈裟まで・・・” じゃないけれど、川瀬賢太郎にも少々ネガティブな印象を抱いていた。お恥ずかしい・・・、とても才能のある指揮者です。

 

アイヴスの “答えのない質問” は、昨年の1月に新日本フィルの演奏をすみだトリフォニーホールで聴いている。そのときの演奏では、ソロ・トランペットを正面パイプオルガンの上手側バルコニーで吹かせることで直接耳にとどく生音による “問いかけ” がとても効果的だったことを覚えている。この日の演奏では、ソロトランペットを下手舞台裏に配置したことで、遠くから聞こえるミュートされた “問いかけ” とステージ上の弦楽合奏のバランスが、また違った作品のイメージをもたらしてくれたように思う。

 

アイヴズに続いてバーバーの “弦楽のためのアダージョ” を連続して演奏するアイディアは秀逸。2年前に “答えのない質問” を始めて聴いた時のようなあっけなさを感じることなく、そしてバーバーの傑作を身構えることなく、とても自然なつながりで聴き始めることができた。

 

さて、日本初演のナイマンのチェンバロ協奏曲。第1楽章の途中あたりから寝落ちしました。感想・・・? 無し。でも、アンコールは鮮烈。リュートストップをかけた左手の規則正しい歩みにのって詩情豊かに(音量が一定のチェンバロなのに!)歌う右手の旋律。見事でした。

 

そして、後半のアイヴズの交響曲第2番の見事な事。日本センチュリーの今シーズン定期でもピカイチの名演だった。在阪プロオケの事務方がそろって聴きにきていたようなので、来年以降、大阪でも川瀬賢太郎の指揮する演奏を聴く機会が増えそうだ。

 

==閑話休題==

このブログの対象を演奏会に限っているけど、どうしても記しておきたい。。。

 

この演奏会の翌日、なんばパークスシネマにてメットライブビューイングのプッチーニ “西部の娘” を鑑賞。先月 “アイーダ” と “サムソンとデリラ” を見逃したので、この作品が今シーズ最初の鑑賞作品。

 

いやぁ、感動した。じつはイタリアオペラで感動したのは、この度が初めて。プッチーニの主要なオペラで唯一鑑賞する機会のなかったこの “西部の娘” 、他の作品とはちょっと毛色の違った作風で、唐突にアリアを歌いだすといったイタリアオペラっぽさが薄く、理屈っぽいドイツオペラ好きのワグネリアンとしては最も好きなプッチーニ作品になった。

 

このオペラ、なんと登場人物が一人も死なない。最後の最後、ジェリコ・ルチッチ演じるランスがミニーとともに舞台奥に去っていくヨナス・カウフマン演じるジョンソンを背後から拳銃で撃つのか、それとも自らの頭を打ち抜くのか、と緊張に満ちた舞台を下手斜め上方のカメラが舞台全景を見せる中、ランスが拳銃を持った右手を静かに下ろして終幕。第2幕での命を懸けたヴェストブルック演じるミニーとランスとのポーカーの場面の息詰るような音楽、第2幕そして終幕と愛の場面で流れるアンドルーロイド・ウェバーのオペラ座の怪人の “ミュージック・オブ・ザ・ナイト” のさびの旋律によく似た官能的な音楽など、プッチーニの音楽はどれも素晴らしい。できれば今週、もう一度鑑賞したい。

 

 
日本センチュリ_第231回定期_20181206


メット_西部の娘

201811月30日 ミュンヘン・フィル ゾリステン弦楽四重奏 イシハラホール

 

イシハラホール

A5

 

ハイドン        :弦楽四重奏曲 二長調 作品65-5『ひばり』

ウェーベルン    :弦楽四重奏のための暖徐楽章

シューベルト    :弦楽四重奏曲 ハ短調 D703『断章』

ドボルザーク    :弦楽四重奏曲 ヘ長調 作品96『アメリカ』

ピアソラ        :リベルタンゴ

 アンコール   

        ボロディン      :弦楽四重奏曲第2番 第3楽章  “ノクターン”

        映画『セント・オブ・ウーマン』より “タンゴ”

        ムーン・リバー

 

オデット・カウチ Odette Couch

クレメント・コーティン Clement Courtin

ヴォルフガング・ベルク Wolfgang Berg

トーマス・リューゲ Thomas Ruge

 

ミュンヘン・フィルの今年の日本ツアーは27日福岡(アクロス福岡)、28日名古屋(愛知県芸術劇場)、昨日の大阪フェスティバルホール、そして1日おいて土曜日と日曜日にサントリーホールで2公演。つまりツアー唯一の移動日である30日金曜日の夜に、4人のメンバーが弦楽四重奏を聴かせたことになる。なんとありがたいこと。

 

時間をかけて調べ尽くしてはいないものの、どうやらミュンヘン・フィル ゾリステン弦楽四重と名乗っているものの、弦楽四重団として常時活動をしている団体では無いらしい。ネットを検索しても情報が得られず、常日頃どのような演奏活動をしているかまったく窺い知れない。

 

とにかく第1曲ハイドンの終楽章で早々に魅了されてからは、トップレベルのオーケストラメンバーが本気で組んだらこんな演奏が聴けるのかと、とにかくため息の連続だった。各パートが自己主張をしながらも、正に小さなオーケストラのごとく有機体となって雄弁に音楽を聴かせてくれる。在阪プロオーケストラのメンバーが余暇的に室内楽を演奏するといった趣とは、まったく次元の違う音楽だった。

 

ミュンヘンフィルぞリスデンSQ_20181130

20181129日 ワレリー・ゲルギエフ指揮 ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団

 

フェスティバルホール

3613

 

ブラームス      : ピアノ協奏曲第2

 アンコール    シューベルト(リスト編):糸を紡ぐグレートヒン

                ビゼー(ホロヴィッツ編):カルメンの主題による変奏曲から

                                2幕ジプシーの歌(ホワイトハウスバージョン)

 

ブルックナー:交響曲第9

 

 指 揮  : ワレリー・ゲルギエフ

ピアノ  : ユジャ・ワン

 

コンチェルトの後のソリストアンコール2曲を弾き終わった時点ですでに820分、そしてブルックナー終演が940分と、超重量級プログラム。ミュンヘンフィルの完璧なまでに整ったサウンドと、ゲルギエフの奇をてらうことの無いブルックナーの音楽に誠実に向き合った演奏を大いに堪能した。一方でブラームスではユジャ・ワンの、繊細さと豪胆さの弾き分けとかパッセージ処理といった演奏の真価を実感することなく、1楽章や終楽章でのアクロバティックな両手の動きを三階席の高い位置から目で追いかける程度の聞き方(ここでは “聴く”  とは書けない)しかできなかった。

 

実のところ前半のコンチェルトでは、雄弁に書かれた箇所でもオーケストラは意外なほどに抑制されて聞こえ、またなによりピアノの音も耳に届いてこないことにかなり戸惑ってしまった。というのも、今年3月のオラモ指揮BBC交響楽団での強烈な体験があったから。

 

改めて今年3月のサカリ・オラモ指揮 BBC交響楽団の演奏会のブログにこう書いている。

 

==フェスの3階席はなかなか音が良いことを知っている関西のクラシックファンは多く、普通にネットで購入を試みてもこのあたりの席は、なかなか買えない“裏”プラチナ席。前列の方が終始、頭を下げて寝入っていたおかげで左右に大きく広がるステージを俯瞰できたし、なにより音が減衰するどころか、巨大なホールスピーカーの中に頭を突っ込んだような豊潤でふくよかな響きを堪能した。==

 

う~ん、今回のミュンヘンフィルのチケットもBBC響のときと同じようにチケットピアのプラチナパスを使った先行抽選予約で購入した36列目(BBC響が席番号22番に対し今回は、13番)、でもBBC響のときのような “巨大なホールスピーカーの中に頭を突っ込んだような豊潤でふくよかな響き”といったサウンド的な満足感は確かになかった。恐らくミュンヘンフィルは本来、轟音で圧倒するような演奏をするオーケストラではないのだろう。ただ、それにしても前半のコンチェルトの“薄さ”はなんだったんだろう。ユジャ・ワンは実はピアニスティックな見た目と違い案外に線が細く、またあまり音を飛ばすタイプのピアニストでは無いということなのか。

 

それでも、ブルックナーはまったく素晴らしかった。咆哮とか感傷に溺れるといったことなど一切無い純粋無垢な音楽に浸ることができた。このブルックナーだけでも十分に聴く価値のある演奏会だった。

 

ミュンヘンフィル_フェス_20181129



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