あーと屋のほぼ大阪クラシック演奏会気まま日記

2018年06月

2018629日 読売日本交響楽団 第20回大阪定期演奏会 

 

フェスティバルホール

2階 1列目 定期会員席

 

マーラー: 交響曲第2番『復活』 

 

 指 揮        コルネリウス・マイスター

ソプラノ      : ニコール・カベル

メゾ・ソプラノ       : アン・ハレンベリ

合唱          : 新国立歌劇場合唱団

 

毎年3月から6月までをクラシック演奏会の前期シーズン、そして9月初旬の恒例“大阪クラシック”明けから11月までを後期シーズンとすれば、今回の読響大阪定期の“復活”は間違いなく前期シーズン最大の呼び物。NHK交響楽団と並んで国内トップレベルのオーケストラである読響がフル編成で新国立歌劇場合唱団とともにフェスティバルホールで“復活”を演奏するんだから、きっと名演になるに違いない・・・と、私は勿論のこと、ほぼ完売のホールに足を運んだ多くの人が期待していたに違いない。 そう、唯一ちょっとだけ気がかりは、コルネリウス・マイスターという未知数の若手指揮者であること、そしてちょっとだけ残念なのは、フェスティバル・ホールにはパイプオルガンが無いこと、だろうか。

 

最終楽章、賛歌がア・カペラで歌われ始めてからエンディングまでの10分間は奇跡的なまでに感動的で、大曲を聴き終えた後の充実感にたっぷりと浸ることができた。新国立歌劇場合唱団のみごとなこと。ピッチは完璧だし、ドイツ語発音は正確無比。大団円を迎えたところでのバンダも加えた巨大編成オーケストラに負けないどころか、その大音響をも覆い被せてしまうかのような声量に驚嘆。舞台袖のホルンとトランペットによる復活の合図の場が終わったあと、一瞬の沈黙もおかずに開始された合唱が徐々に高揚してゆく過程でのニュアンスに満ちた音楽の運びのすばらしいこと。もっとも、この運びの秀逸さについては指揮者によるものだろう。

 

でも・・・ねぇ、合唱にいたるまでの70分間には、正直“凡”なり“駄”なりを接頭したくなるほど。コルネリウス・マイスターは、合唱入りからのみごとな音楽を、どうして冒頭から聴かせてくれないのでしょう。第1楽章を振り終えたあと、指揮台の上でじっと静止したまま1分以上の間と取ったのも、作曲者指定を踏まえたものだろうけど、あんな演奏じゃ、満席のフェスティバル・ホールのなかで絶望の淵に追いやられた人など、さすがに一人もいないでしょう。加えてデリケートに処理されるべき箇所が、特に金管群がバンダも含めて、ことごとく雑になっていたのがとても残念。

 

読響の弦はいつもながら非常に強靭。終楽章の途中の行進曲開始の部分、弦の強奏の上にトランペットがソリで行進曲のテーマを吹き鳴らす箇所で、弦が少しでも痩せていると、とにかくアンバランスさを露呈してしまう、この曲を聴くときの私にとっての鬼門だけど、この日の演奏はまさに理想的なものだった。==というより、合唱入りまでの80分間で、さすが読響と思わせてくれた唯一の箇所だった。

 

ということで最後の合唱までは、なんだか残念な気持ちをいっぱい抱えたまま。でも、最後の復活の合唱で、まさに“復活”の大逆転。終わりよければ全てよし。

 


読響_大阪定期_20180629


前夜はワールドカップGL3戦(日本VSポーランド)をなんばHIPS5階のスポーツ・バーで深夜1時まで観戦した後、そのまま戎橋で“お祭り”を野次馬。
欄干の上には鉢巻とスイムパンツの飛び込み待ちが何人も。最終的に70名ほどがここからジャンプした。

戎橋_20180628

 

2018621日 関西フィルハーモニー管弦楽団 第293回定期演奏会

 

大阪ザ・シンフォニーホール

オルガン席Z29

 

大島ミチル: オーケストラと合唱のための組曲『アウグストゥス』

      ~ヘルマン・ヘッセの短編集“メルヒェン』より~

大島ミチル: 《塵JIN 》&《輪RIN

          ~クラリネット・マリンバ・オーケストラのための2つのラプソディー

シベリウス:交響曲第1番 ホ短調 作品39

 

指揮: 藤岡 幸夫

クラリネット: リチャード・ストルツマン

マリンバ: ミカ・ストルツマン

合唱: 大阪府立夕陽丘高等学校音楽科

 

関西フィルは、定期会員になっている大阪フィル、日本センチュリーとともに、都合が許す限り是非とも聴きに出かけたいオーケストラ。スポンサー企業を得て、ある程度資金的余裕があるから(・・・だろうか、会場使用料が割高でも集客が見込める?)週末土日公演が多く、私にとっては“残念ながら”見送りのコンサートが多い。ブログを遡って確認してみると、関西フィルの定期を聴くのは昨年9月の第286回定期以来のこと。いつもながらお気に入りのオルガン席最後列からホール内を見渡すと、ほぼ満席。

 

今回の演奏の感想については、あえて一切のコメントを控えることにしようと思う。前半2曲が終わった時点ですでに8時を過ぎるほどの、てんこ盛りのプログラミングを存分に楽しんだことは間違いありません。

 
関西フィル_20180621_第293回定期

2018620日 大阪フィルハーモニー交響楽団 マチネ・シンフォニー Vol.19

 

ザ・シンフォニーホール

一階席N

 

ビゼー: 歌劇『カルメン』前奏曲

ワックスマン:カルメン幻想曲

マルケス:タンソン第2

サン=サーンス: 序奏とロンド・カプリチオーソ イ短調

 ―アンコール  イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第5番 第2楽章“田舎の踊り”

バーンスタイン:ミュージカル『ウエストサイド物語』より“シンフォニックダンス”

 

指揮    : 井上 道義

ヴァイオリン: 成田 達輝

 

先日(618日)の大阪北部を直撃した大地震に被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

 

その日、私はすでに早朝の新幹線で大阪まで来ており、梅田地下街のカフェでモーニングを食べている最中でした。携帯のアラートが地震発生の警報を発したのが、すでに地下街全体が轟音を立てて揺れだした後だったこともあり、さすがに“ついに来たか!?”と...それでも、なぜか照明が点り続け、座った席からガラス越しに見える地下街もなぜか整然としたまま。その後、すべての交通機関が止まったことで地下街の人通りがいっきに途絶え、私の勤務する一帯はゾンビ映画に出てくるゴーストタウンのような、一種異様な静けさに包まれていました。

 

地震のあった日の梅田
淀川を越えたわずか数キロ先では、通勤・通学途上の人であふれ返っていたとは思えない、不気味なほどの静けさ。
大阪フィル_マチネコンサートVol.19_大阪_20180620



地震の影響で十分な練習時間が確保出来なかったため、との理由で当初予定されていたカルメン第1組曲を前奏曲のみとしたうえで、ワックスマンのカルメン前奏曲を連続して演奏、またマルケスのコンガ・デル・ヌエボが取りやめとなった。

 

後半のシンフォニック・ダンスが、時に艶めかしく、また時にキレッキレなリズム感ありの、実に生き生きとした演奏だった。この曲は聞き栄えがするからなのだろう、数年おきに実演に接する機会があって、ブログ記事を振り返ってみると2年前に墨田トリフォニーで新日本フィルの演奏を聴いているし、たしかその前年には大阪フィルの定期でもヒメノの指揮で聴いたはず(こちらはブログ開始前のことで、演奏の記憶も曖昧)。いつも実演を聴く度に、“日頃クラシック音楽どっぷりのオーケストラ奏者にこの曲を楽しく聴かせるのは所詮無理な話、と決め付けていたけど、間違いでした。すべて“指揮者の実力”次第です。この曲振ったら、井上道義が日本人で一番ではないか。

 

このマチネ・シンフォニーVol.19 のブログを書くにあたり、過去のマチネ・シンフォニーの記事を見直していていたら、先週の大阪フィル519回定期で聴いたシェエラザードも、丁度一年前のマチネ・シンフォニーVol.17で井上道義の指揮で聴いていたことが判った。改めてそのときのブログ(演奏会記録)を読み直すことでそのときの演奏が蘇ってきた。それも冒頭の音の厚みから始まって、最後のヴァイオリンソロの表情まで、かなり鮮明に(これが私にとってのブログの効用です)。そして気づいたことは、どうやら昨年のマチネ・シンフォニーでの井上道義との演奏が、先週の519回定期での演奏より魅力的だった、ということ。ちなみにコンサートマスターはどちらも田野倉雅秋だったので、先週のヴァイオリンソロが比較的淡々としたものだったことを思えば、ソロの味付けは指揮者の意向によるところも大きい、というとこのようだ。

 

 
大阪フィル_マチネコンサートVol.19_20180620


大阪フィル_マチネコンサートVol.19_チラシ2_20180620









2018615日 大阪フィルハーモニー第519回定期演奏会 1日目

 

フェスティバルホール

1階定期会員席

 

指揮            : ヤデル・ビニャミーニ

ピアノ          : アンヌ・ケフェレック

 

ベルト                  : フェスティナ・レンテ

モーツァルト            : ピアノ協奏曲第22番 変ホ長調 K482

      ――アンコール  ヘンデル:メヌエットト短調 HMV.434 (ケンプ編)

リムスキー=コルサコフ  :交響組曲『シェエラザード』

 

ここ最近、イタリアの気鋭指揮者を立て続けに聴いている。529日と30日にルスティオーニ(1983年生まれ)を大阪フィルの前回定期で、61日にバッティストーニ(1987年生まれ)を東フィル定期で、そして今回が1976年生まれのビニャミーニ。若手が早くから才能を開花できるのはオペラを指揮することが当然のイタリアゆえの環境があるにせよ、こんなに続くのはきっと招聘元のマーケティングが反映しているに違いない。“指揮者の聞き比べ”などといった大それた意識など全く無いにしても、こうして3名の名前を一度に意識してしまうと、将来彼らがどのようなキャリアを積んでいくのか、一クラシック愛好家として大変興味深い。

 

さて演奏についての感想。モーツァルトのコンチェルトはピアニストが志向する音楽性といつもの鈍重なオーケストラとのミスマッチが感じられた。ケフェレックのピアノは、とにかく柔らかく、音の粒を際立たせるのではなく全体に円やかでやさしい。それに対してなんとも大阪フィルの重たいこと。相変わらずのヘタレ気味のホルンと円やかさに欠ける弦のアンサンブルは、モーツァルトの演奏ではいつものこと。たしかに大阪フィルの演奏でモーツァルトを楽しんだこと、一度もないなぁ。

 

シェエラザードは解釈がどうのこうのといった御託は抜きにして、とにかく楽しんで聴きたい曲の筆頭。管の各ソロにもうワンランク上を求めたくもなるが、そこはすべて横に押しやって、大フィルサウンドを堪能いたしました。

 
大阪フィル_519回定期

2018614日 日本センチュリー交響楽団 第226定期

 

大阪ザ・シンフォニーホール

1階定期会員席

 

指揮          飯森 規親

 

ワーグナー:    舞台神聖祝典劇『パルジファル』より“聖金曜日の音楽”

ブルックナー:  交響曲第7番 ハース版

 

弦はオリジナルメンバーによる12+10+8+8+6Vn対抗配置で、金管楽器の後ろにコントラバスを一列にならべた布陣。ホルン4本を木管群の左(舞台下手)に、そしてワーグナーチューバー4本を右(舞台上手)にと、ちっと見慣れない配置。7番は、8番、9番と異なりワーグナーチューバーが5-8番奏者の持ち替え指定ではないので、なるほどこの手もあったのかと思う。第2楽章での葬送の部分など大変効果的だし、終楽章でのフルサウンドでの音のまとまり具合など、センターに据えたベースの音響的な下支えも含めてすばらしいものだった。

 

もっとも演奏自体は、というと“う~ん…”ってとこかな。今年1月定期の第4番での10型からもう1プルト増やして12型にしていても、この編成でのブルックナー後期作品は無理がある。強奏部と弱奏部が交互に出てくる第4楽章や、のどかな中間部とスケルツッオが対比する第3楽章は、まだどうにかなる。(それでも1月定期と同様、小さなゴム風船を破裂寸前まで膨らませているような、限度いっぱいな印象は同じ)。でも、2つの主題を展開させながら頂点を目指して音楽を積み上げていく第2楽章では、せいぜい67合目あたりまでしか登りきらない不完全燃焼さがどうしても拭えない。

 

この楽章の魅力は、ひたすら高みに向かって上り詰めていく、陶酔的で息詰まるようなオーケストレーション、頂点 (個人的には、やはりシンバルのひと鳴りが欲しい) を迎えた後に鳴り響く厳粛な葬送(ワーグナーチューバ)と胸が張り裂けんばかりの叫び(ホルン)、そして長調による浄化されたエンディングと続く、長い旅路のようなものであり、この曲を聴くことは、そこにわが身をどっぷりと浸すこと。残念ながらこの日の演奏では、一切の陶酔もなしに醒めたまま音楽を聴いている自分がいた。

 

演奏の終了後、フライングとまでは言わないけど、まだ指揮者が胸の位置に手を置いているにもかかわらず早々に拍手が起こってしまった。その後の拍手も、決して“熱狂”とはいえないものだった。私と同じような戸惑いを感じた方が少なからずいらっしゃったのだろうか。

 

日本センチュリ_第225回定期_20180531

201861日 東京フィルハーモニー 第118回東京オペラシティー定期演奏会  

 

東京オペラシティーコンサートホール

3C3 7

 

ボロディン: 歌劇『イーゴリ公』より韃靼人の踊り“

ショスタコーヴィチ: ヴァイオリン協奏曲第1

ショスタコーヴィチ: 交響曲第5番 

 

 指 揮                  アンドレ・バッティストーニ

ヴァイオリン                     : パヴェル・ベルマン

 

10代のころ、取り憑かれたように聴いたムラビンスキーのモノラル録音(LP時代に一体、何種類の音源を持っていたのだろうか)で聴くロシア重戦車を思わせる“超”スローテンポ。そして、しばらく後にリリースされたバーンスタインの1979年東京ライブ盤の、ムラビンスキーとは真逆のアプローチ。ショスタコーヴィッチの第5交響曲において、両者を演奏解釈の二通りのありようとしてベンチマークとして刷り込みしてしまい、その後に聴く演奏がどちらに振れたものであるか、といった聴き方をしてしまう。

 

ところがこの日の演奏はそのコーダにおいて、どう捉えようか困ってしまうような解釈を見せたことに戸惑ってしまった。スローテンポでコーダを開始した後、ホルンがソリで吹き鳴らすところ(299小節)で突然ギアを数段上げたかのようなスピードアップ。その後、フォルテシシモの箇所に向かって徐々にテンポを落としたかと思うと、再びテンポを速め、340小節あたりでまた一気にギヤダウンして、最後はムラビンスキーばりの超スローテンポで曲を締めくくった。

 

うーん、どうだろう。リスクを恐れず小さくまとまらないことこそ若者の特権であり、バッティストーニはまさにそれを体現して成功を掴みつつある若手指揮者と思う。思いっきりオーケストラをドライブさせた“韃靼人の踊り”も、ヴァイオリン協奏曲でのオーケストラの扱いも立派なものだった。それでも最後の最後での“コネクリまわした”感が残念でならない。

 

ちなみに、このブログを書くにあたり、自宅書棚にあった“ショスタコーヴィチの証言”(ソロモン・ヴォルコフ著・水野忠夫訳)を引っ張りだして再読してみた。昭和5510月発行の初版本なので、ちょうど私が二十歳のときに買ったようだ。あまりにも有名な真贋論争により、後に大変なインパクトをもたらした本だけど、実際のところ全400頁にも及ぶこの本のなかで、第5交響曲についての記述は『ムラビンスキーが私の音楽をまるで理解していないと知って愕然とした』の一節から始まる有名なくだり(本の265頁)で出てくる程度。時折、この交響曲の解説で“ショスタコーヴィチの証言”以降….などと、作品解釈の分岐点として扱われるのはどうにも違和感がある。

 

おっと、ホールのことを書くの忘れてた。東京オペラシティーコンサートホール“タケミツ メモリアル”。私のなかで、東京でベストなホールです。シューボックスの上にピラミッドのような高い天井による独特な空間が作り出す豊かな音響はもちろんのこと、初台駅から会場までのアプローチ、ホワイエの雰囲気まで含めた、総合評価では東京で随一でしょう。

 

東京フィル_東京オペラシティー_20180601

東京フィル_東京オペラシティー_証言_20180601





2018531日 日本センチュリー交響楽団 第225定期

 

大阪ザ・シンフォニーホール

1階定期会員席

 

指揮          ジョセフ・ウォルフ

ヴァイオリン    クロエ・ハンスリップ

 

ベートーベン: 『コリオラン』序曲 ハ短調 作品62

ベートーベン: ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61

  ―― アンコール  J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番“サラバンド”

ベートーベン: 交響曲第4番 変ロ長調 作品60

 

演奏会から2週間近く経過してしまった。この翌日の東京出張のついでに武満メモリアルで東フィルを聴いたあと、週明けに大阪に一度もどってから直ぐにマレーシア出張。9日の夜に帰国後直ぐにまた東京出張、とかなり過密スケジュール。それでも何とか演奏会を聴けないものかと探してみると、移動日10日の午後にNC定期(訂正、A定期でした)を見つけた。ところが午前便で東京に入っていたのに、スーツケースの鍵が壊れて開かないという自力では対処しようのないトラブルのために、結局代々木まで出かけることが出来なかった。“NHKホールでN響を聴くなら3階自由席に限る”との知人の助言のおかけで、ふいにしたチケット代が1,500円ですんだのが不幸中の幸い。

 

このブログも東京のホテルにて書き始めて、おおっと気づいた。この日の演奏曲目、なんと作品番号が606162と連番ではないか。日本センチュリー、なかなかやるな。こうやって気づくのも、ブログを書いているからこそだろう。さて演奏はというと、いつもの日本センチュリーらしくない。いつも隙の無い合奏を聞かせてくれるのに、この日に限っては後半の交響曲になっても縦の線が合わないまま。『う~ん、どうしたの?』と思いながら聴いていたこともあり、演奏はみごとに記憶に残らない演奏会だった。こんな日もある。

 
日本センチュリ_第225回定期_20180531

2018530日 大阪フィルハーモニー第518回定期演奏会 2日目

 

フェスティバルホール

2R52

 

指揮            : ダニエール・ルスティオーニ

ソプラノ        : 小林 沙羅

 

メンデルスゾーン       : 交響曲第4番“イタリア”

マーラー                : 交響曲第4

 

 “イタリア”は中学生のころアンセルメ・スイスロマンド管弦楽団のLP (たしかB面は“真夏の夜の夢” 抜粋だったはず) を繰り返し聴いたものだけど、記憶を振り絞ってみると、どうやら実演を聴いたのは今回が初めて。こうして聴くと実に聴き栄えのする作品だった。2日目のほうが、より歌謡性と伸びやかさに富んでいたように感じられたけど、ステージからの直接音が比較的良く届く昨日の1階中央ボックス席の真後に比べて2階バルコニーのほうが豊かなホールトーンに包まれたいたことも、その理由だったかもしれない。ただし演奏の精緻さという意味では、たとえば第3楽章中間部など初日のほうが優れていたように思えたのだけど、どうだろうか。

 

準・メルクルに似た指揮姿のルスティオーニは、長い手足をいっぱいに使った大きな身振りの指揮をする。その見た目に反して、マーラー第4番は両日ともテンポをゆらすことも過度なアゴーギクもなく淡白とした音楽作りで、特に遅めのテンポで進んだ第1楽章など、再現部に入って音楽の歩みに変化を効かせるまでは、ほとんど退屈だった。丸く柔らかな表現は全曲を通じていて、たとえば第2楽章のトランペットの楔のような音形(200小節)も全く刺激的にでない。ただ、同じ第2楽章最後あたりでのハープのグリッサンド(254小節)をフォルテで際立たせるようにくっきりと弾かせたところなど、面白かった。(もっとも2日目は意識して聞いていても初日ほどの印象を持たなかったのは、ハーブから遠く離れた上手バルコニーだったからだろうか)。それでも第3楽章など、ゆっくり目のテンポでありながら全く弛緩することなく、コーダで音量が最大値に達するところでの息を呑むようなうねりとロマンティシズムの表出はさすが。

 

ソプラノを歌った小林沙羅はテクニックは申し分ないけど、どうにも声質が独特で正直なところ違和感が先にたつ。(特に直接声が席に届く初日)。もっともマーラーが子供のような声を求めたことを思うと、これはこれでぴったりだったのかもしれない。

 
大阪フィル_518回定期

2018529日 大阪フィルハーモニー第518回定期演奏会 1日目

 

フェスティバルホール

1階定期会員席

 

指揮            : ダニエール・ルスティオーニ

ソプラノ        : 小林 沙羅

 

メンデルスゾーン       : 交響曲第4番“イタリア”

マーラー                : 交響曲第4

 

今、パソコンに向かってこのブログ記事を書いているのは演奏会から2日経過した61日朝6時。翌日2日目も聴いているので、演奏の感想などは2日目公演のブログ記事にて書きます。今日はこれから東京に出張。今夜は東京オペラシティでバッティストーニ・東フィルを聴きに行く予定なので、図らずもイタリアの若き天才指揮者の聴き比べになりますね。

大阪フィル_518回定期

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