あーと屋のほぼ大阪クラシック演奏会気まま日記

2017年10月

201710月26日   いずみホール音楽講座第8

作曲家・西村朗が案内するクラシック音楽の愉しみ方「華麗なる変奏」

 

いずみホール

1M

 

講師          : 西村 朗 

 

ヴァイオリン  : 高木和弘

クラリネット  : 小谷口 直子

マリンバ      : 伊藤 朱美子

ピアノ        : 碇山典子

 

ヴィターリ    : シャコンヌ

パガニーニ    : 『うつろな心』による序奏と変奏曲 op38

ベートーベン  : トルコ・マーチによる変奏曲

西村 朗      : アリラン幻想曲

リスト        : 超絶技巧練習曲 第6番 イ短調『主題と変奏』

ウェーバー    : 変奏曲 変ロ長調 op33

一柳       : パガニーニ・パーソナル マリンバとピアノのための

 

作曲家であり東京音楽大学教授、そして “いずみシンフォニエッタ大阪” の音楽監督、なにより私にとっては “N響アワー” の司会者として、そのやわらかい語り口が忘れられない西村朗氏が講師となった、いずみホール音楽講座の8回目。西村朗氏のナビゲーションとともに一級の演奏家による演奏を楽しめる良質なエンターテイメント。シリーズとしてすでに8回目となり、毎回ワンコイン500円で楽しめるのだからすばらしい。

 

ところで、いずみシンフォニエッタの定期公演は、大阪に居ない週末土曜日開催のため、これまで一度も聴きに行けなくて、ほんとうに残念。次回(来年210日)など、第一回定期演目の再演とのこと。舞台上での西村朗氏の宣伝によるとカーゲルの“フィナーレ”は相当にハチャメチャなようで、たしかにチラシの写真(第一回定期公演の写真?)を見ると、なにやら指揮台横に指揮者が寝転がっていてる。面白そうじゃない!う~ん、観てみたいなぁ・・・。

 
いずみホール音楽講座_20171026

20171021日 日本センチュリー交響楽団 第220定期 2日目

 

大阪ザ・シンフォニーホール

1I列中央ブロック

 

ブラームス: 大学祝典序曲 

ブラームス: ヴァイオリン協奏曲 ニ長調

  ―アンコール バッハ: 無伴奏ヴァイオリンの為のパルティータ第2番“サラバンド”

シベリウス: 交響曲第1番 ホ短調

 

指揮               秋山 和慶

ヴァイオリン    アリーナ・イブラギモヴァ

 

序曲とコンチェルト、そして後半に交響曲を置いた王道のプログラム。フルートとファゴットにN響主席奏者二人を客演主席に迎えた122管編成の日本センチュリーが、毎度のこと実にいい。

日本センチュリーの定期に迎えるコンチェルト・ソリストは毎回、今“聴いてみたい”と思わせる実に巧みなブッキングだけど、その中でも個人的に最も聴いてみたいソリストが、今回のイブラギモヴァ。エリシュカ+大阪フィルとのお別れ公演と重なり、事務局にリクエストして第2日目に振り替えた。

 

そのイブラギモヴァのヴァイオリンソロが鮮烈にして繊細。音色を変化させながら、切り込むところは徹底的に鋭角でありながら、メロディーを甘美にねっとりと歌わせるなど、その表現は円熟したもの。指揮者との音楽の振幅を一致させる呼吸もまた見事。それにしても、かなり高いピンヒールを履いたうえで、あれだけ全身をくねらせていたら、演奏中に捻挫するんじゃないかと勝手な心配をしてしまった。

 

後半の交響曲も前半ブラームスから引き続いたロマン派然としたアプローチだったのではないか。結果的にこの曲を聴くといつも感じる、シベリウスのまだ未成熟な個性とシンフォニーの形式美のアンバランスさが際立ってしまう。ただし、秋山和慶はオケを豪快に鳴らすので、割り切って聴いてしまえば、暗すぎず、沈痛すぎずで、それはそれでよい。

 

どうやら、三週連続の“神々の黄昏”でワーグナーの毒が全身にまわってしまっていて、デトックスに時間がかかるみたい。昨晩までのドヴァルザークでは効果薄だったけど、今夜のイブラギモヴァのブラームス・コンチェルトは効果抜群。どこか頭の片隅で鳴り続けていたワーグナーの音楽がやっとで消えた。

 

 
日本センチュリー




20171020日 大阪フィルハーモニー第512回定期演奏会 2日目

 

フェスティバルホール

2L5

 

指揮            : ラドミル・エリシュカ

ソプラノ        : 木下 美恵子

バリトン        : 青山 貴

合唱            : 大阪フィルハーモニー合唱団

 

オール・ドヴォルザーク

伝説曲 作品59より 第1~4

テ・デウム 作品103

交響曲第6番 ニ長調 作品60

 

いい演奏会だった。昨日に続き、大阪フィルから温かみのある音色を引き出したエリシュカの指揮に感服。演奏終了後、いつものパターン(三度指揮者がステージに現れたあと、ホール照明が全点灯)の後も、まったく拍手がおさまらない会場の雰囲気を感じたコンマス田野倉が解散のお辞儀をしない。すでに客席にむかって“さよなら”の手を振って袖に引っ込んだエリシュカがステージに現れると会場もスタンディングオベーションで迎える。左翼2階のL5列から見ると8割がたの人が立ち上がって拍手を送っていたのでは。

 

テ・デウムも独唱2名と大阪フィルハーモニー合唱団が好演。特に昨日、若干気になった男性パートの音程のずれも感じられず、またソプラノ木下美恵子、バリトン青山貴のソロもすばらしい。途中休憩前に置かれた曲の、しかもあまり歌唱パートが多くないにもかかわらず、実力十分な歌手をブッキングしてエリシュカ+大阪フィルのファイナルに応えた事務局の本気度を感じる。青山貴は来年3月のびわこリング“ワルキューレ”でヴォータンを歌うようだ。いまから楽しみ。

 

 
大阪フィル_第512回定期_20171020

20171019日 大阪フィルハーモニー第512回定期演奏会 1日目

 

フェスティバルホール

1階定期会員席

 

指揮            : ラドミル・エリシュカ

ソプラノ        : 木下 美恵子

バリトン        : 青山 貴

合唱            : 大阪フィルハーモニー合唱団

 

オール・ドヴォルザーク

伝説曲 作品59より 第1~4

テ・デウム 作品103

交響曲第6番 ニ長調 作品60

 

オランダBrilliantレーベルの廉価BOX CDセットで第1番から順番に聴きとおしていくと、第6交響曲が思いのほか秀作であることがわかる。この曲は、数年前ちょっとしたマイブームであったけど、実演を聴くのは今回が初めて。第7番ほどブラームスの影を感じさせず、またスラブ色も過度にならず、何よりその後の作品に色濃い“日本人はみんな大好き”の哀愁に満ちた旋律を持つわけでもない。でも中欧のイメージに重なる、少し柔らかな日の光と豊かな自然をそのまま感じさせるような、ほんとに素敵な曲だ。そしてエリシュカ指揮する大阪フィルの演奏が、この曲の魅力に沿った、なんとも柔らかで暖かい演奏を聴かせてくれた。

 

エリシュカと大阪フィルの演奏も、今日と明日の定期公演2回が見納め、聴き納め。日本センチュリーのシンフォニー定期チケットを明日に振り替えてもらい、今日、もう一度聴きにいきます。

 
大阪フィル_第512回定期_20171020

20171017日 新国立劇場 ワーグナー 楽劇 神々の黄昏 1017日公演

 

新国立劇場

110列中央ブロック

 

指揮:              飯守 泰次郎

演出:              ゲッツ・フリードリヒ

オーケストラ:      読売日本交響楽団

 

ジークフリート:    ステファン・グールド

ブリュンヒルデ:    ぺトラ・ラング

アルベリヒ:         島村 武男

グンター:           アントン・ケレミチェフ

ハーゲン:           アルベルト・ペーゼンドルファー

グートルーネ:              安藤 赴美子

ヴァルトラウテ:         ヴァルトラウト・マイヤー

ヴォークリンデ:         増田 のり子

ヴァルグンデ:              加納 悦子

フロスヒルデ:              田村 由貴絵

第一のノルン:              竹本 節子

第二のノルン:              池田 香織

第三のノルン:              橋爪 ゆか

 

今回の新国立劇場 “神々の黄昏” は全6公演のうち、3公演を観ることができた。休憩を含めて6時間の長丁場。我ながら、よくも飽きもせず・・・である。でも、とにかく好きなのだからしょうがない。何度でも、毎週でも観たい・聴きたい。ワーグナーの毒にずっとずっと浸っていたいのだ。11日のブログに記した通り今回は、舞台左右の字幕に一切目を遣ることなく、ひたすら目と耳を舞台とピットから聞えてくる音楽に集中しきっていた。

 

3公演では歌手、オーケストラ共に千秋楽のこの日が最もクオリティーが高かったようだ。ぺトラ・ラングは、全幕を通して緩めることなく緊張感を保ったままで、最後の自己犠牲も実にドラマチックに歌いきったし、ステファン・グールドもペース配分で巧みに乗り切った感のある4日、そして第2幕までを飛ばし気味だった故か終幕で雑さを感じさせた11日に対し、今日は最後の最後まで丁寧さとスタミナを失うことなく ジークフリートを “歌って” くれた。

 

アルベルト・ペーゼンドルファーのハーゲンも4日、11日よりずっとよい。軽い気管支炎と事前通知された11日は致し方なしとして、4日も“さほどには”と感じたのは、今日思えば座った席の関係もあったようだ。4日は中央ブロック2列目の右端だったので、演出上のハーゲンの立ち位置が概ね舞台下手で、たとえば見張りの歌などは右横から歌を聞くことになり、声がまっすぐに届いてこなかったからなのだろう。今日の席は11列目ほぼ中央という最良席(友の会の会員でも特別斡旋でもないのに、チケットピアで良くぞこんな良席が取れたものだ)で聴くと、なかなかの声量と役にあった低音域の太く沈んだ声で、容姿も合わせて見事なハーゲンだった。ただし、“トンネル・リング”でのマッティ・サルミネンを“体験”してしまったものにとっては、申し訳ないがどうしても聞き劣りがしてしまう。

 

演出は、ゲッツ・フリードリヒのオリジナルをどこまで徹していたのか(徹せざるを得なかったのか)知る由もないけど、氏が他界した現在において、せめて演技については舞台監督の裁量でもっと意味のある動作(少なくとも首を傾げることの無い)に手直しできたろうに、と思うところが多々あった。その際たるのは、第2幕第4場でグートルーネの手を引いて上手から現れたジークフリートの姿をみて、それまでうな垂れていたブリュンヒルデがグンターの手を振り払ってジークフリートに飛びつき、首に手を回す場面。喜々としたブリュンヒルデの姿を目の当たりにしながら、グートルーネが能面で突っ立っているのは、明らかに不自然。ついでに不快な違和感といえば、第1幕早々のギービヒ家の大広間でグンターとグートルーネの近親相姦の関係性を想像させる接吻行為。いったい何の意図だろう。

 

運命の赤い糸が、第2幕、そして第3幕では舞台前面にまっすぐに置かれ、地上界と神々の住む天上界の境界を示しており、しかもその中央部分がノルンが引きちぎってしまった網を示唆するのかのように切断されている。そしてその切断されたところから、要所でブリュンヒルデがステージ最前部に踏み出て天上のヴォータンに呼びかけることになる。第2幕では2度ほど。1度目は “Heil’ge Gotter 天上の神々は・・・” と歌うシーン(前に進み出て、両手高く上げてと指示されたところ)。そして2度目はグンター、ハーゲンとの呪いの三重唱で、グンターと共に“罰を受けた全知の神々よ”と歌うところ。ちなみに、一度目のシーンでは、ジークフリートは上手で赤い糸を掴んだままだし、二度目のシーンでは、同じ歌詞を歌う下手のグンターは赤い糸に右足をかけているだけで、天上に向かって踏み出してはいない。 第3幕でも2度で、1度目は “Ruhe, Ruhe, du Gott!”  口に手をあてヴォータンに神々の終焉を伝えるところ(11日のブログでも書いたけど、自己犠牲の場で最も好きな箇所)、そして、最後にラインの乙女に呼びかけるシーン。

 

それにしても演出については、どうにもピンと来ないことがいくつかある。その最たるのは“最後の7小節”のところでブリュンヒルデを登場させたこと。“トンネル・リング“ も白い布が舞台一面を覆うことで、“ラインの黄金” 冒頭シーンへの輪廻転生が示されていたけど、今回、“白い布の下から現れたブリュンヒルデが遠い彼方をじっと見つめる”ことにどんな意味があるのだろう。今日は、ヴァルハラ城崩壊後に群集がステージから掃けていくなか、どのように白い布を手に取り被るのかを見定めようと、ずーっとぺトラ・ラングの動きを目で追っていた。

 

あまり好みではない“せかせかハイスピードなリング”とは無縁の飯守泰次郎の指揮による読売交響楽団の演奏も、やはり千秋楽の今日が最も良い。とにかく安定している。場面転換での “何もしない、なにも起きない” つまらない演出のおかげで、“ジークフリートのラインへの旅” や “ジークフリートの葬送行進曲” など、フルオーケストラの演奏を堪能できた。

 
神々の黄昏_2


ベルリン・ドイツ・オペラ日本公演から30年。東京文化会館のロビーで買ったポスターをフレームに入れてクローゼット奥に仕舞っていたのを思い出した。先日、新居引越以来10数年ぶりに引っ張り出して、写真をパチリ。“壮大なスケールと膨大な費用、さらに名歌手と名指揮者が必要なゆえに、日本では実現不可能なワーグナー不朽の名作!”  そして"陶酔の四夜、堂々15時間を超える空前のオペラ体験 " とある。ジークフルート・イエルゼレムにルネ・コロ、カタリーナ・リゲンツァ、そしてマッテイ・サルミネンなどなど。ほんとに凄い公演だったなあ。当時の勤務先の広島の独身寮から、夜行で東京3往復したことが忘れられない。ああ、思い出したぞ。寮の部屋に戻ってTVつけたら、ニュースステーションで“歴史的公演”として久米宏が、確かワルキューレ終幕の炎のシーンを“特別に許可を得て” とか言って放送していたことを・・・。そうだ、たしかステージで本物の炎を燃やすことは消防法違反で許可が得られず、その規制をクリアするためにかなりの苦労をしたらしい、といった逸話があったことを・・・。懐かしいなあ。

 
神々の黄昏_1

20171011日 新国立劇場 ワーグナー 楽劇 神々の黄昏 1011日公演

 

新国立劇場

116列左ブロック

 

指揮:              飯守 泰次郎

演出:              ゲッツ・フリードリヒ

オーケストラ:      読売日本交響楽団

 

ジークフリート:    ステファン・グールド

ブリュンヒルデ:    ぺトラ・ラング

アルベリヒ:         島村 武男

グンター:           アントン・ケレミチェフ

ハーゲン:           アルベルト・ペーゼンドルファー

グートルーネ:              安藤 赴美子

ヴァルトラウテ:            ヴァルトラウト・マイヤー

ヴォークリンデ:            増田 のり子

ヴァルグンデ:              加納 悦子

フロスヒルデ:              田村 由貴絵

第一のノルン:              竹本 節子

第二のノルン:              池田 香織

第三のノルン:              橋爪 ゆか

 

先週4日の公演ブログで記したとおり、とにかく今回の新国立劇場“神々の黄昏”は何が何でも観たかった。週末公演に向けて広島の自宅から時間とコストをかけて東京往復するよりも、何とか平日公演を東京出張に合わせて・・・ということで、実は4日、11日、そして17日の平日3公演のチケットを購入済み。業務を上手く遣り繰りすれば最悪でもどれか1公演には臨めるだろうとの、かなりやけっぱち気味の覚悟でいたら今回の11日も、そして来週17日も都合がつけられそうだ。ということで飯守泰次郎の音楽作りやらゲッツ・フリードリヒ演出やらといった“神々の黄昏”公演の全体的な感想は17日公演のブログに記することにして、以下は11日の公演についてのみ。

 

開演前にチーフプロデューサーから、『ハーゲン役のアルベルト・ペーゼンドルファーが軽い気管支炎を患っているが予定通り出演する』との説明あり。たしかに特に低域の張りがなかったようだが、そもそも4日公演でもあまり感心するほどではなかったので、17日公演で再度実力のほどを確認しておきたい。

 

4日公演では長丁場のペース配分が上手くいき第3幕での見事なヘルデン・テノールを聴かせてくれたステファン・グールドは、この日は第2幕で少しオーバーペース気味だったのか、結果第3幕は少し無理を押した雑さを感じた。一方で、ぺトラ・ラングは全幕を通じてテンションを落とすことなく上手く乗り切った。Ruhe, Ruhe, du Gott! (自己犠牲で一番好きなところ)など、4日よりずっとよい。あとラインの乙女のコーラスは4日に比べ格段にまとまっていた。

 

もう40年あまりの付き合いでテキストは大体のところ覚えてしまっているし、先週、今週の2回で演出は大体のところ把握した。次回17日は、一切字幕には目を遣らないことに決めた。舞台の歌とピットのオーケストラに耳目を傾けて、ワーグナー畢生の大作を存分に堪能します。

 

 
神々の黄昏_20171011


2017109日 ルツェルン祝祭管弦楽団 京都コンサートホール

 

京都コンサート・ホール

3RC25

 

指揮: リッカルド・シャイー

ルツェルン祝祭管弦楽団

 

リヒャルト・シュトラウス

       交響詩『ツァラトゥストラはこう語った』 

       交響詩『死と変容』

       交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』

       ―― アンコール 楽劇『サロメ』 7つのヴェールの踊り

 

メディアに収録された演奏は、なんどもテイクを重ねた上で小さなキズまで補正したり、複数のライブ音源のいいとこ取りしたりと、完璧に作り込まれた商品。だからこそコンサートホールに出かけ、少々雑だろうが演奏ミスが多少あろうが、そうした“作り物”では絶対に得られない生の体験は貴重だし、『やっぱり生演奏はいいね』『たまにはこうして演奏会を聞きにでかけなきゃね』といった会話も自然に生まれるもの。ところが・・・・ルツェルン祝祭管弦楽団は、どんなメディアに収録された音源にも勝るとも劣らない、完璧な演奏をしてしまう。たとえば、このブログを開始してからの2年あまりで、“ツァラトゥストラはこう語った”  を新日フィル(上岡敏之指揮、サントリーホール)と京都市響(広上淳一指揮、ザ・シンフォニーホール)で聴いており特に京都市響など、なるほど上手いなと思ったものだけど、ルツェルン祝祭管弦楽団はとにかく次元がまったく違う。まさにスーパー・オーケストラ。

 

このオーケストラの音をどう表現していいのか。あえて言葉にすると“壮音”かな。ステージ上手のRC席からシャイー越し正面に見える1st18名、2 nd16名(購入したプログラム冊子にある来日メンバーリストでは2 ndVn 15名記載だけど?)は全員が前のめりで弾きこんでいて、どんなに最強奏でも埋もれず聞えるし、低弦は下から湧き上がるように分厚い。ツァラトゥストラの “学問について” で、VcBsがそれぞれ4声に分かれて複雑なフーガを開始するところ、徐々に厚みを増して2nd Vnが入ってきた時点ですでに普通のオケでは弦の音量頂点に達している。聞いていて、これからさらに1stVnが重なってきたらどうなることか、と恐ろしさまで感じてしまった。勿論、管楽器も "超" のつく名手ぞろいで、特にティル・オイレンシュピーゲルでの際立ったソロの見事なこと。とにかくはじめから終わりまで唖然として終わった2時間だった。

 

京都コンサートホールの3RC列は、たとえばサントリー・ホールでは2RBブロック前列あたり相当するにもかかわらず、舞台手前三分の一が見切れるので、チケットクラスはB席扱い。そこからホール全体を眺めると、ステージ後方P席のみ埋まっているだけで、あとは1階フロアも2階もガラガラ。せいぜい500人くらいの入りだろうか。“完売に違いない” と思い込んでいただけに大いに拍子抜け。なお、終演後、地下鉄ホームで電車待ちしていると、なんとトランペットのラインホルト・フリードリッヒが体に似合わず小さなキャリーバックとともに目の前に現れてびっくり。快く握手に応じてくれた。

ルツェルン祝祭_20171009

2017106日 アンサンブル・ウィーン=ベルリン いずみホール

 

いずみホール

1N番左ブロック

 

アンサンブル・ウィーン=ベルリン

Fl     カール=ハインツ・シュルツ   ウィーン・フィル ソロフルート

Ob     ジョナサン・ケリー          ベルリン・フィル 首席奏者

Cl     アンドレアス・オッテンザマー       ベルリン・フィル 首席奏者

Fg     リヒャルト・ガラー          ウィーン響 首席奏者

Hr     シュテファン・ドール        ベルリン・フィル 首席奏者

 

ツェムリンスキー:   ユモリスク

バルトーク:         ルーマニア民俗舞曲 BB68

ヒンデミット:        小室内音楽 op.24-2

リゲティ:           6つのバガデル

ロータ:             ささやかな音楽の捧げ物

ブリッチャディ:     『セビリアの理髪師』による幻想的なポプリ

レスピーギ:         木管五重奏曲 ト短調 P.21

ベルオ:             オーバス・ナンバー・Zoo(作品番号獣番)

 

―アンコール  ドビュッシー:『子供の領分』第6曲ゴリウォーグのケークウォーク

 

 

超一級のソリスト5名と、いずみホールの極上の音空間で聴く木管5重奏を堪能した。オーケストラの弦、金管、木管の各郡で組まれる重奏として、弦楽4重奏、金管5重奏(Tr2+Tb1+Hr1+Tb1が一般的かな)に比べてFl,Ob,Cl, Fg,Hrによる木管5重奏は、それぞれの楽器の個性の違いによるアンサンブルの違和感がどうしても強く、実演でもメディアの録音でも、一度も音楽を聴く楽しみを感じたことがなかった。そんな木管5重奏に対する偏見と苦手意識も今日でおしまい。これまで、実力の乏しい奏者の演奏だったり、音響的に不十分な(おそらくデッド過ぎる)貧相な演奏ばかりを聴いてきたのだろう。

 

とにかく5人とも息を呑むくらいに(そして笑っちゃうくらいに)べらぼうに上手い。その彼らがお互いを聞き合いながらのアンサンブルは、演奏された多くの現代作品でも不快な音のぶつかり合いなど一切なく、どのような不協和音でも完全に音楽的な響き。この点については音程の微調整が可能なホルンのシュテファン・ドールのテクニックによるところが大きいのだろう。

 

ところでオーバス・ナンバー・Zooの最終曲“ねこのねこ”の冒頭せりふ“大阪の真ん中で”は、他の公演都市ではどのように語られたのだろう?

 

 
アンサンブルうぃーん=ベルリン_20171006


2017104日 新国立劇場 ワーグナー 楽劇神々の黄昏 104日公演

 

新国立劇場

1階中央ブロック2列目

 

指揮:              飯守 泰次郎

オーケストラ:      読売日本交響楽団


演出:              ゲッツ・フリードリヒ

ジークフリート:    ステファン・グールド

ブリュンヒルデ:    ぺトラ・ラング

アルベリヒ:         島村 武男

グンター:           アントン・ケレミチェフ

ハーゲン:           アルベルト・ペーゼンドルファー

グートルーネ:      安藤 赴美子

ヴァルトラウテ:     ヴァルトラウト・マイヤー

ヴォークリンデ:     増田のり子

ヴァルグンデ:       加納 悦子

フロスヒルデ:       田村 由貴絵

第一のノルン:       竹本 節子

第二のノルン:       池田 香織

第三のノルン:       橋爪 ゆか

 

今年1月から予定されていた明日の東京オフィス会議にドンピシャ照準を合わせて有給休暇を取得。チケットピアで購入できたのが、なんと中央ブロック第2列目。バイロイト主役級のワーグナー歌手の歌を、そしてワーグナー指定どおりの巨大編成の読売日本交響楽団の音を、休憩を挟んで6時間、じっくりと堪能。(開演45分、終演105分)そして終幕、強烈なカタルシスに浸った。

 

とにかくワーグナー作品の中で、いや全オペラ作品の中で、いやいやすべてのクラシック音楽の中で“神々の黄昏が最も好き。とにかく好きで好きでたまらない。にもかかわらず実演は3回だけ。1987年のベルリン・ドイツ・オペラ、2006年のマリンスキー・オペラの指輪4部作上演、それと1991年の二期会による単独上演。キース・ウォーナーの東京リングは、地方在住のサラリーマンにはどうにもならなかった。だから、この新国での上演は万難を排して観たかった。

 

ステファン・グールドもぺトラ・ラングも特に最終幕の歌唱がすばらしい。ステファン・グールドはグンターの知略から徐々に英雄的性格をとりもどし、最後に背中を刺されるまでの叙事語りは、これぞ“ヘルデン・テノール”だったし、ぺトラ・ラングも最終場での自己犠牲での深く沈んだ低域での絶望から張り詰めた高域まで、大変見事。

 

見事といえば、読響の演奏もすばらしい。中央ブロック第2列目の上手側だったので、ピット壁越しとはいえ、ズンズンと聞こえてくる金管の響きの分厚いこと。左右バルコニーのシュティーアホルンも自席からはちょうど真左・真右から聞こえて迫力満点。

 

東京非在住の現役サラリーマンゆえ、どのような突発理由で観れなくなるかわからない。そういうことで、“万が一”に備えて別の日のチケットも購入というリスクマネージメント実施ずみ。11日水曜日公演、うまく都合がつけば(いやいや、なんとか都合をつけて・・)もう一度。演出や飯守泰次郎の指揮やら、あれこれ書こうかな。それとも、今日と同様、強烈なカタルシスに浸って“良かった”“凄い”に終始するかも。

 
新国_神々のたそがれ_20171004

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