2017年8月11日 日本センチュリー交響楽団 第36回いずみ定期
いずみホール
1階 定期会員席
ハイドン: 交響曲第60番 ハ長調 『うっかり者』
ディッタースドルフ: コントラバス協奏曲第1番 変ホ長調
ハイドン: 交響曲第54番 ト長調
ハイドン: 交響曲第78番 ハ長調
指 揮 : 飯森規親
コントラバス : 村田 和幸
コンサート最初の曲が “うっかり者” ということをうっかり忘れていた私はうっかり者だ。パンフレットの演奏曲目をよく見ずに(どうも最近よくある)聴き始めた最初の交響曲、“各楽章ともなかなか機知にとんだ佳作ではないか”などと思いながら聴き進んだ終楽章冒頭、コンサートマスター(おそらく隣りのフォアシュピーラーも一緒に)と飯森規親の見事な演技に“うっかり”騙されてしまった。
楽章開始早々の(見事なまでに不快な)不協和音、そして “おいおい!” といった表情でタクトを下ろし音楽を完全に止めた後、左耳を指差しながら “音が違う!” と調弦をコンマスに指示するマエストロの見事な役者ぶり。そしてすばやく調弦を済ませて演奏を再開するまでの一連の流れのスマートなこと。ちなみに広島の自宅に戻って唯一の手持ち音源、アダム・フィッシャー全集の同曲演奏を聴いてみると、調弦箇所もしっかり音楽的時間軸のなかで扱われていて、なんと面白みの無いことか。全曲をライブ録音することの意義は、まさにこうしたところにあるのだろう。
正直なところ日本センチュリーに特段の思い入れはないし、定期演奏会を軸としたハイドン交響曲のライブ全曲録音はいささか無謀な事業計画だと思わないでもない。でもこの演奏を聴いて、是非ともこのハイドン・マラソンを完走(全曲のライブ音源化)させていただきたいと切望してしまう。全集CDが発売になったら、必ず購入しますよ。ちなみに、この曲が“うっかり者”あることは、途中休憩中にパンフレットの曲目解説を読んでやっとで気づいた。
それにしても毎度の繰言だけど、コアメンバーで演奏される日本センチュリーの演奏クオリティーは実にすばらしい。後半第54番、第78番のそれぞれ第2楽章など、弦が綺麗に一本の線として聴こえる。15分の休憩を挟んで終演が9時15分だったのだから、完璧なる演奏を2時間ほど聴き続けたことになる。さすがに最後は聴くほうも集中力を保つのが辛い。特に今日のような最高度なレベルのハイドン演奏を聴かせてもらえるなら、わざわざキワモノのコンチェルトをプログラムに加えなくも十分に満たされるのだけど。
閑話休題
本文中に日本センチュリーに特段の思い入れが無いと記したのは、大阪生まれでも住民票を置いた大阪府民でもないからで、他意はない。一方で、大阪フィルは今から37年も前に “残響8秒で聞く至福のブルックナー” と盛んに前宣伝された東京カテドラル聖マリア大聖堂での朝比奈隆とのブルックナー8番 (1980年10月24日)に接して以来のファンであり、大阪府民(市民と記したほうが適当かな?)ではなくてもそれなりの思い入れがある。事実、10年ほど前に大阪に勤務先を移した早々に定期会員になってからは、定期演奏会通いを怠ってない。
日本センチュリーについて、大阪フィルと比べて明らかに不満足な点がひとつ。大阪フィルは、誰がコンマス席にすわろうとも、またどれだけアシスタントが加わろうとも、演奏終了後に指揮者がタクトを下ろすまで、誰一人弓を微動だにさせない。その統率美たるや実に見事なもので、特に静かに曲を閉じる作品を聴くとき(マーラー9番や “大地の歌” など)など、ホール一体となった素晴らしい音楽体験を得ることができる。翻って、日本センチュリーは、コンマス以下、だれかれお構いなしに指揮者のタクトが下りる前に“はい、おしまいです”と弓を下ろしてしまう。これだけは、どうもいただけない。