2017年3月26日 京都市交響楽団 第610回定期演奏会 マーラー『一千人の交響曲』 第2日目
京都コンサートホール
1階2列25番
マーラー: 交響曲第8番 変ホ長調『一千人の交響曲』
指揮 : 広上 淳一
独唱 : 高橋 絵里 ソプラノ1 罪深き女
田崎 尚美 ソプラノ2 懺悔する女
石橋 栄美 栄光の聖母
清水 華澄 アルト1 サマリアの女
富岡 明子 アルト2 エジプトのマリア
福井 敬 テノール マリア崇敬の博士
小森 輝彦 バリトン 法悦の教父
ジョン・ハオ バス 瞑想する教父
合唱 :京響コーラス
児童合唱:京都市少年合唱団
期待以上の “超” のつく名演。40年近く偏愛する(2016年7月4日新日本フィル第560回定期の演奏会で記したとおり)この型破りの大曲を理想的な演奏で体験できたことに感謝したい。京響コーラスを中心に編成された混声合唱も、そして京都市少年合唱団も実にみごと。終演後のレセプションで広上マエストロから聞くところによると、合唱は一年以上も前から準備をされたのだそうだ。特に第2部での隅々まで血の通ったオーケストラの演奏クオリティーについて言えば、昨年7月にサントリーホールで聴いたハーディング指揮新日本フィルの演奏よりはるかに優れている。
広上淳一の指揮は、祝祭的な第1部に対して、一転第2部ではテンポを大きく変化させながら、各ソリストに与えられた登場人物ごとの性格描写を深堀して、パッションや情念を解き放つかのようなロマンティシズムに満ちたものだった。普段よりもずっと大きな手振りと息づかいで、ときに高くジャンプしながら(革靴のソールが幾度も目に飛び込む)ステージ上に大きく展開した100人を超えるオーケストラ、自身を取り囲んだ7人の独唱、200名超の2部に分かれた混声合唱団、そして児童合唱団の隅々まで明確な指示を出していく。きっとリハーサルで求めた指示通りに演奏がすすんだのだろう。幾度となく右手の親指を立てて “GOOD!” っとサインを送る。そんな芸術創造の過程を目の当たりにした、刺激的でエキサイティングな時間でもあった。
それにしても1階2列目のほぼ中央の席で聴く“一千人の交響曲”の迫力はすさまじい。冒頭パイプオルガン重低音の音圧を真正面から浴びるように全身で感じる(パイプの真ん前に位置した第2コーラス最後列はきっと五臓六腑が震えていたに違いない)。私の席からは指揮者を挟んで真正面に位置した高橋絵里のハイCが脳髄に響く。先日の “びわこリング:ラインの黄金” 第2日目でフロー役を務めたテノールの福井敬とファーフナー役のジョン・ハオの歌唱を再び真近で聴く事ができたことがうれしい。若干の不満とすれば、石橋栄美の “栄光の聖母” が 神聖さに乏しく “歌ってしまっていた” こと、神秘の合唱をもっと微細に開始してもらいたかったくらいだろうか。
残念で仕方がないのは、月曜日に広島の自宅を出るときにポケットスコアを鞄に入れてこなかったこと。耳慣れない仕掛け2ヵ所を確認できないまま、月曜日からの会議に向けて東京に新幹線で移動した。(たぶん第1部での)合唱が一瞬沈黙した(ように感じた)ゲネラルパウゼ?そして(たしか第2部だったか)第2コーラスのアルトパートのみが音を引き伸ばした箇所。BSフジの収録は何時オンエアされるのだろう?
ホール入り口で “お茶会” が開催されていた。松江で生まれ育った私にとって、奇跡の “一千人” とともに至福の “いっぷく” を味わうことのできた素敵な週末だった。