あーと屋のほぼ大阪クラシック演奏会気まま日記

2016年11月


2016
1127日 京都市交響楽団 第607回定期演奏会 第2日目

 

京都コンサートホール

1階3列目

 

メシアン: トゥーランガリア交響曲

 

指揮  :高関 健

ピアノ : 児玉 桃

オンド・マルトノ : 原田 節

 

この曲は井上道義・大阪フィルの2013年第471回定期(場所はシンフォニーホール、ピアノとオンド・マルトノの奏者は今日と同じ)で聴いて以来2度目となる。つまり関西の主要2オケが定期演目にかけたことで、居を東京にでも移さない限り、私はこの曲の生演奏を聴く機会は恐らくもうないだろう。唯一所有しているケント・ナガノ指揮ベルリン・フィルのCDTELDEC)は、購入してから10年以上たったいまも、まともに聴き通したこともない。もしかしたら録音もふくめてこれから一度も耳にすることの無い曲なのかもしれない。

 

オーケストラは18型の弦に指定通りの管、打楽器、鍵盤楽器をずらりとステージに並べた巨大編成。オンド・マルトノを真直に見てみようと3列目の奏者前の席を購入したものの、これが失敗。指揮台の前に置かれたピアノの音が強く耳に入ってきて少々以上に“うるさい”、またピアノの向こうの指揮者もオーケストラもほとんど視界に入らない。ステージ上で鳴っている18型フル編成の音は、頭上を通過するようで、実にバランスが悪い。しかも目の前のピアノが邪魔でステージ全体が見えない。首を斜めに捻りながら左右のステージ横のガラスに映る指揮者とオーケストラをずっと見ていたので、首が痛くなった。児玉桃のドレスと同じ原田節が赤いソックスを履いていた。いずれにせよ、私にはこの曲はもうこれで十分。

 

ところで、このホールは少し下手(訂正:上手)にオフセットして設置されてた正面のパイプオルガンの上手側(訂正:下手側)に大小二つの箱型のバルコニー舞台のようなところが置かれている。これって、来年3月定期でのマーラー“一千人の交響曲”にドンピシャじゃないですか。パイプオルガンの横にある大きいほうの箱からバンダが吹き鳴らされ、そして小さいほうの箱から栄光の聖母がKomm!と客先に向かって呼びかるのを想像するだけで悶絶しそうになる。327日に本社の幹部を招いた大きな会社イベントが東京オフィスであるけど、万難を排してでも聴きのいくぞ。

ーー追記ー

ネットでこのホールを検索していると1995年のこけら落としで、井上道義指揮で一千人の交響曲が演奏されていた。(井上道義ってマーラー振るんだあ。てっきり避けてると思ってた)。その時の演奏のCD化されていて、ジャケット写真(今時ジャケットなんて言わないか)を見ると、なんとパイプオルガン横の箱にバンダが乗っているではないか。もしかしたら、この曲を演奏するために特別に設計されたかな?ますます来年3月が楽しみだ。


京都交響楽団_20161127

京都コンサートホール

20161126日 関西フィルハーモニー いずみホールシリーズ Vol.41

 

いずみホール

1B列中央 

 

ベートーベン:ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ニ長調

ベートーベン:ピアノ協奏曲第1番 ハ長調

―アンコール  ベートーベン ピアノソナタ第1番 第3楽章“メヌエット”  

ベートーベン:交響曲第1番 ハ長調

―アンコール  ビゼー:アルルの女第1組曲“アダージェット”

 

指揮:オーギュスタン・デュメイ

ピアノ: 小林 海都

 

ベートーベンのVnソナタ、Pコン、シンフォニーそれぞれ第1番を並べた上に、さらにピアノ奏者のアンコールもソナタ第1番から第3楽章が演奏された。その時点ですでに2時間を5分ほど過ぎていたけど、さらにアンコールでビゼーの“アダージェット”まで演奏する盛り沢山な内容。このアンコールはもともとデュメイが体調不良でカチェン・ウォンが代役指揮した前回Vol.40にデュメイ自身が予定していたものでしょうね。

 

最前列に人を入れていないので、B列は事実上の最前列。いずみホールはもともと中型ホールとしては最高に音響に優れているうえに最前列でもステージから少し距離があるので、ステージ前方のVnでも豊潤な間接音(所謂ホールトーン)を伴って聞えるので、B列中央は今日のような編成を聴くときには、迫力とバランスの両面が満たされる最良席。一曲目のソナタを弾くデュメイの深い息づかいがはっきりと聞きとれる。

 

ソナタの演奏は深い息づかいとともに、立ち上がり音のエッジをきかせた緊迫感さえ感じさせる大変に追い込んだような演奏。CDで聴くマリア・ピリシュとの演奏(2001年)では、モーツアルト弾きとして高く評価されているピリシュのピアノとの大変に調和のとれた演奏だけど、今夜は現在のデュメイの求める表現を若手の小林海都に求めたかのよう。実際、緊迫感をはらんだ追い込むような演奏は、次の小林海都がソロを弾くコンチェルトでも、そして第1交響曲でも一貫していた。交響曲終楽章のコーダに突入するところなど、出だしの2nd Vnがちょっとアタフタするくらいに前のめりにオーケストラをドライブさせた。

 

ところでデュメイが指揮をする時の呼吸は、ソロを弾くときの息づかいと大きくつながっている。デュメイって以前からあんなに大きな息づかいで演奏してたのだろうか?それとも指揮者としてキャリアを積み始めてから、変わってきたのだろうか? とにかく大満足な演奏会だった。

 

1年後の1123日のデュメイ指揮の第288回定期(場所はシンフォニーホール)は大変魅力的なプログラムが用意されている。

  フランク:Vnソナタ(伴奏:横山幸雄)

  サンサーンス:第2Pコン(ピアノソロ:横山幸雄)

  ベルリオーズ:序曲“ローマの謝肉祭”

  デュカス:序曲“魔法使いの弟子”

1曲目で、横山幸雄と共にフランクのソナタを弾く…きっと深い深い息づかいで....これは聞き逃せない!

 
関フィル_いずみVOL41_20161126

20161125日 日本センチュリー交響楽団 第213定期 1日目

 

大阪ザ・シンフォニーホール

1A16

 

モーツアルト:歌劇『後宮からの逃走』序曲

モーツアルト:ピアノ協奏曲第21番 ハ長調 K467

  ―― アンコール: モーツアルト ピアノソナタ第11番 第3楽章

                      トルコ行進曲 ファジル・サイ編

ファジル・サイ:交響曲第1番“イスタンブール・シンフォニー” Op28

 

指揮:飯森 範親

ピアノ:ファジル・サイ

パーカッション: タンス・カルプナル

ネイ: アリ・テュフェキチ

カーヌーン: ムヒッティン・ケマル・テメル

 

今期日本センチュリーで一番魅力的なプログラムで、聞き逃すわけにはいかない。WEBを通じて購入した席は、通常のオケ並びでコンマスの真下、コンチェルトでは指揮者とサイの目線の延長にしてサイの息遣いと右足(時には両足)が踏み鳴らす靴タップが真直に見える位置。ファジル・サイは演奏の合間では大きく右下を向いて客先に(私に向かって)微笑んだり、左に向いてヴァイオリンセクションを眺めたり、また時にオーケストラを指揮するかのように右手を軽く振り回していたり、そして弾き始めるとメロディアスな箇所で声に出して歌いながら、またアップテンポになると足を何度もタップさせたりで、とても個性的な演奏姿。

 

演奏自体も、時にオーケストラとのバランスとは関係なく自由奔放に強弱をつけてみたり、一瞬ジャジーな色合いをちょっとだけ感じさせたりと、こちらも演奏姿同様に個性的。それと(たぶん即興の)カデンツァがこれまたユニークで、特に第1楽章のカデンツァでは思いもしない曲調の展開に思わず笑ってしまったほど。飯森範親もニコニコしながらサイの顔をじっと眺めていた。

 

ところで協奏曲での飯森範親の指揮はいつもの通り実に上手だけど、最前列で特に1stVnの直接音を聞いていると、プルト前後での音の処理やニュアンスのちょっとした不一致やピッチのズレがどうしても気になる。なにせ、数週間前に同じ会場で内田光子とマーラー・チェンバーオーケストラの神がかった演奏を体験してしまったので分が悪い。

 

後半のファジル・サイ作曲の交響曲第1番は、7部からなる演奏時間50分の大曲だけど、オーケストラの好演により大変楽しめた。第3曲やら第5曲(だったかな)で、7拍刻み(たぶん)のビートに乗って中東特有の旋律が続くと、自然に体がその不思議な昂揚感に満たされてしまう。丸い歌口のエッジに息を吹きかけて音を出すネイの倍音をたっぷりと含んだ音やら、カーヌーンの日本のお琴の“引きいろ”≪柱(じ)の左側の絃を引っ張って音程を下げる≫に似た奏法があったりと、これらもまた見ていても面白かった。


日本センチュリー_第213定期_20161125

 

20161123日 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団 兵庫芸術文化センターKOBELCOホール

 

兵庫芸術文化センター KOBELCOホール

1RB列 

 

マーラー: 交響曲第9

 

指揮:マリス・ヤンソンス

 

梅田で時間を取りすぎてしまい阪急快速が西宮北口に到着したのが、なんと開演予定時刻を2分過ぎた202分!。まさに“一縷の望み”を託して猛ダッシュしたら、奇跡的にチューニングを終えて指揮者の登場を待つところでギリギリ着席できた。いやぁ、よくぞ間に合ったものだ。阪急西宮北口のホームから改札を駆け上がり、長い連絡通路を抜けKOBELCOホールまでなんて、かなり距離ありますよ。あと10秒駆け込むのが遅かったら、きっと入場できなかったかも。日頃の早朝ジョギングがこんな時に役立つとは、と思いつつもさすがに息を落ち着かせるのにしばらくかかった。

 

よりによって直前に予定外の短距走をしたこともあって、第1楽章は心を浸して音楽に聞き入ることができなかったけど、本日の演奏の白眉は間違いなく終楽章。再現部から終結にかけての張りつめた緊張を保ちながら、最後の沈黙に向かってひたすら音楽が浄化させていく音楽のみごとなこと。たしかマーラーは楽譜に“死に絶えるように”と記していたはずだけど、今日の演奏は“死”に向かうのではなく、透明なものに向かってゆっくりと世界がホワイト・アウトしていくような体験だった。ちなみに、いつも思うけどヤンソンスは欧州本社のボスに顔がそっくりだ。

ヤンソンス_バイエルン_20161112

20161122日 ダニエル・ハーディング指揮 パリ管弦楽団

 

ザ・シンフォニーホール

一階席O

 

メンデルスゾーン: ヴァイオリン協奏曲 ホ短調

  ――アンコール J.S.バッハ 無伴奏Vnパルティータ第3番 ガボットとロンド

マーラー: 交響曲第5

 

指揮:  ダニエル・ハーディング

オーケストラ : パリ管弦楽団

ヴァイオリン: ジョシュア・ベル

 
最近にしては珍しく、演奏会当日にこの日記を書いています(これからしばらくコンサートが続くので、あまりほっておけない)。おかげでほとんど推敲することなく書き連ねています。

まずはコンチェルト。ジョシュア・ベルの演奏を聴いていて、かつてLPでよく聴いていたナタン・ミルシテイン(勿論、実演は聴いたことなど一度もないけど)を思い出した。見た目のオーバーアクションとは正反対に線はとても細く、第2楽章など大きく歌うオーケストラに時に埋もれそうになるほどだけど、実に上品にして優美で気品に満ちたヴァイオリン。そしてバックのオーケストラも実に上手い! これは、後半のマーラーに大いに期待が高まるというもの。

 

さて、そのマーラーの第5番交響曲。いやぁ、良かったなぁ。パリ管って、ほんと機能美と洗練された優美さを兼ね備えたオーケストラですね。なにより感心したのは、どんなに最強音でもシンフォニーホールに響く音が全く濁らないこと。いままで多くのオーケストラ演奏をほぼ同じ席位置(1NからO列あたり)で聴いているけど、初めての体験。奏者の音色と音程が見事に調和しているからなのかしらん(吉田秀和みたいな文体だぁ)。実際、弦の各セクションはどんなに厚みがあっても常に一本の線に聴こえてくるし、ブラスもどんなに強奏しても常に輝かしい音色のままでまったく濁りがない。

 

今年7月にサントリーホールで聴いた新日フィルとの“一千人の交響曲”ではとても淡泊だったハーディングの指揮は、今夜は全くの正反対で、特に最初の2つの楽章で思いれたっぷりに粘って歌わせる。やはりこの曲は、こうでなくちゃ。ところで、第3楽章開始早々からホルンのトップ奏者をずっと立たせていたのは粋で面白い。もっともCornoObbligato6月に聴いた読響のホルン(再記するけど、練習番号1028直前のソロをまったく臆することなく猛烈に吹き通してフェスティバルホールの大空間を震わせた!)や、また9月定期での大阪フィル高橋首席のソロのほうが秀逸だった。

パリ管_20161122

20161116日 大阪フィルハーモニー交響楽団 マチネ・シンフォニー Vol.16

 

ザ・シンフォニーホール

一階席M

 

チャイコフスキー: ピアノ協奏曲第2

  ――アンコール バレエ“くるみ割り人形”から 

金平糖と王子のパ・ド・ドゥ アダージョ (プレトニョフ編)

チャイコフスキー: 交響曲第5

 

指揮:  井上道義

ピアノ : アレクセイ・ヴォロディン

 

2時からマチネ・シンフォニーコンサートと、5時半上映開始の難波パークスシネマでのメット・ライブビューイング“トリスタンとイゾルデ”を観るために午後から休暇を申し出ていたものの、結局オフォスを出たのが午後1時半過ぎてしまい、開演直前にシンフォニー・ホール滑り込み。チケットは6月のVol.15とセットで購入済みで、よく曲目を確認せずにいたことで1曲目のコンチェルトはショパンの第2番だと思い込んでしまっていた。お蔭で指揮棒が振り下ろされたとたん、まったく聴きなじみのない序奏がはじまって面喰ってしまった。“あれ、なんだぁ・・この曲は?”としばらくあれこれ考えても全然曲名が思いつかず、第1楽章が終わったところで入場時に手渡されたパンフレットを見てやっとでチャイコフスキーの第2番と分かった次第。確か、誰かのCDを持っていたはずだけどCDプレーヤーに乗せた記憶もなくたぶん初耳の曲。第2楽章にVnVCの長い二重奏が置かれているなど、どうにも構成の不思議さが先立ってしまい私にはあまり波長があわない。

 

アレクセイ・ヴォロディンは相当にテクニックのあるピアニストのようだけど、技巧を見せつかるかの如く快速で弾き始めたアンコールの曲などかなり粗っぽい。かなりの難曲そうだけどオリジナル曲冒頭のハープを模した動きなど、アルペッジョの処理がぞんざいで、“う~ん、そんなに力任せに弾かなくてもよかろうのに。。。”と思ってしまう。

 

後半の第5交響曲は、おそらく今まで大阪フィルで聴いたなかでもベストな演奏。この曲は、ハイテンポのまま全曲を終えてしまうようなあっさりとした演奏だとまったく面白くもないし、かと言って大植英次のような“策士策に溺れる”がごとくの空回りな演奏もたまったものではないが、今日のように十分な緩急を付けながら隅々まで血の通った演奏で聴くチャイコフスキー5番は実に面白いし興奮させられる。14型にベース7本で厚みを持たせた弦セクションはこれぞ“大フィルサウンド”だし、菅も大変安定。Tr.にアシを置いたことで(コンチェルトで1stを吹いていた首席がアシに回った)終楽章フィナーレの運命の動機を隙なくソステヌートで聴かせるなど、あらゆるところで首席指揮者井上道義の意思が明確に音として伝わっている。それにしても高橋Hrトップの安定した第2楽章カンタービレはさすが。数年前までのニワトリの首を絞めたような音色で、しかも音を外すのがお決まりだったかつてのトップ奏者のことを思うと、今の大フィルは(高橋主席が吹いているときは)本当に安心して聴ける。

 

予定通り終演後、難波に移動して事前にネット購入済みのメット・ライブビューイング“トリスタンとイゾルデ”を鑑賞した。


大阪フィル_マチネー第16回


メット_トリスタン

20161111日 大阪フィルハーモニー第503回定期演奏会 1日目

 

フェスティバルホール

1階 定期会員席

 

ブラームス:悲劇的序曲 作品81

ブラームス:運命の歌 作品54

ブラームス:交響曲第2番 作品73

 

指揮: シモーネ・ヤング

合唱:大阪フィルハーモニー合唱団

 

タクトを振る後ろ姿を見ていると大きな腕の振りで颯爽としたシモーネ・ヤングは、じっと目を閉じて聴いていると、第2番交響曲などかなり大きな緩急をつけてパッションに満ちた音楽運びであることに驚かされる。“運命の歌”は大変よく準備された大阪フィルハーモニー合唱団による合唱が素晴らしく、冒頭曲での正確な音程とコントロールされた弱音でのアルトパートの歌い出しのところではちょっと身震いした。

 

井上道義が2014年に首席指揮者に就任して以来、大阪フィルのレパートリー幅をドイツ・オーストリアから広げようと取り組んでいるものの、“大阪はラテン系だ”との意味不明な掛け声とともにグローフェの“大渓谷”やらドビュシーの“海”やら、オーケストラの特性にマッチしたとは思えない曲を定期のメインプロに置いているけど、その演奏を聴く限りどうにも成功しているようには思えない。不器用な象(巨象とまでは言わないが)のような大阪フィルの魅力は、やはり今夜のようなドイツ・オーストラリアものでしょう。

 
大阪フィル_第503回定期



2016
1106日 備後オペラ団体 “ムジカ・アヴァンティ” ドニゼッティ『愛の妙薬』

 

福山 福山芸術ホール リーデンローズ

1L87番(ピットから2列目)

 

ドニゼッティ: 歌劇『愛の妙薬』

 

指揮: 山上 純司

演出:  豊田 千晶

管弦楽:  府中シティオーケストラ

合唱:  アヴァンティ合唱団

 

アディーナ: 土井 範江

ネモリーノ:    松本 敏雄

ベルコーレ:   山岸 玲音

ドゥルカマーラ: 西田 昭広

ジャンエッタ: 福永 真弓

 

“ブラボー”の一言です。

 

これまで福山市は文化不毛の地と思っていました。芸術・文化に対する意識と熱意が行政から民間まで広く行きわたり根付いている隣県の倉敷市(イオンモール内のMOVIX倉敷でメットライブビューイングを見られる)に対して、同じ瀬戸内工業地域でありながら、大手製鉄所を中心として栄えた福山市には文化の成熟度を全く感じられない、というのが正直なところでした。でも、今日の公演を観て、猛省です。

 

よくぞここまでの舞台を作り上げたものです。恐らく相当に低予算での公演だったのでしょう。舞台装置(いやいや、そもそも装置などないか)は徹底的にお金をかけていない。左右の反響板のデザインをそのままに、ホームセンターで売っているラティスフェンスを左右と舞台奥に並べて、見事にステージを第一幕“村の広場”と第二幕“婚礼の場”にしてしまった。“なるほど、よくぞ考え付きましたねぇ!”と、知恵を絞った演出に唸ってしまいました。

 

アマチュアの合唱は演技も歌もなかなか見事なもの。恐らくステージパフォーマンスをしたことなどないだろうのに、実に“それらしく”演技をしていて、見ていて本当に楽しい舞台になっている。舞台慣れしたように大きな身振りの一部の女性メンバーがいる一方で、多少堅い表情と動作の男性メンバーがいたりで、逆に群集の自然な雰囲気を感じさせた。一人ひとりが考え抜かれたプロフェショナルな演技をする一流歌劇場を見たときの“芸”としての高度な見栄えとは全く違う、群集の“普通さ”が表現できていたのでしょう。

 

府中シティオーケストラの演奏もたいしたもの。開演1時間以上前に会場に行き当日券を買い求めたピットから2列目で聴いたオーケストラの音は、弦も管もピッチが安定していて、音が痩せることなくドニゼッティらしい音楽を楽しく聴かせてくれました。

 

いやあ、とにかく面白かった。合間で拍手したり、2幕のネモリーノのアリアでブラボーかけたりといたしました(普段のコンサートでブラボーかけることなど、まったくない)。やはりイタリアオペラを楽しむには“ノリ”が大事ですからね。

愛の妙薬_20161106

 

20161103日 神尾 真由子 ヴァイオリン・リサイタルKOBELCOホール

 

兵庫芸術文化センター KOBELCOホール

2階2LB列 

 

ベートーベン:ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ニ長調

ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ニ短調

   

ショスタコーヴィッチ: 24の前奏曲 OP.34 よりNO.10,15,16,24

チャイコフスキー:歌劇『エフゲニー・オネーギン』より“青春は遠く過ぎ去り”

チャイコフスキー:“なつかしい土地の思いで”よりメロディー

プロコフィエフ:歌劇『三つのオレンジへの恋』より行進曲

ショスタコーヴィチ:映画『馬あぶ』より“ロマンス”

ハチャトゥリアン:バレイ『ガイーヌ』より“剣の舞”

ラフマニノフ:ヴォカリーズ

バッジーニ:妖精の踊り

 

 ―― アンコール フォーレ: 夢のあとに

                    R・コルサコフ:歌劇『サルタン皇帝の物語』より“熊蜂の飛行”

                    グルック:メロディー(クライスラー編)

 

ヴァイオリン:神尾 真由子

ピアノ:ミロスラフ・クルティシェフ

 

神尾真由子の実演は、大阪フィルが井上道義を首席指揮者に迎えフェスティバル・ホールに本拠地を移した2014年度最初定期でチャイコフスキーのコンチェルトを聴いて以来。客席は最上階までほぼ満席。なじみ易いアンコールピースを並べた後半からアンコールにかけての会場の盛り上がりは、さすが地元のコンサートだけあります。CD購入者を対象とした終演後のサイン会もざっと100人近いひとが、会場の外まで列をつくったほど。

ブラームス以降は、振幅の大きいヴィブラートをたっぷりと効かせたロマンティシズム溢れる演奏で、実に艶っぽい。夢見心地な時間を満喫した肩の凝らない、祭日の午後にふさわしい演奏会でした。

 
神尾真由子_2016年11月


2016
1102日 内田光子 with マーラー・チェンバー・オーケストラ

 

大阪ザ・シンフォニーホール

1階M列席

 

モーツアルト: ピアノ協奏曲第19番 ヘ長調K459

武満徹:弦楽のためのレクイエム

モーツアルト: ピアノ協奏曲第20番 ニ短調K466

 - アンコール  スカルラッティ:ソナタ ニ短調 K9

 

ピアノと指揮:内田光子

マーラー・チェンバー・オーケストラ

 

56歳にして最高の音楽体験。最初のコンチェルトを聴きながら、今耳にしている音楽をどのように受けとめればいいのかずっと言葉を探し続けていたけれど、最後まで見つかりません。思い浮かぶあらゆる言葉を探し出しても伝えきれないまさに奇跡的な音楽です。

 

ピアノとオーケストラが完全に一体化してひとつの個体として音楽を奏でていることに驚きです。例えば主題提示でピアノの旋律の扱いを次に引き継いだオーケストラが全く同じニュアンスで奏でたり、また例えば緩徐楽章で低弦の柔らかい動きをうけて、内田光子の左手がやさしくそれに応えていたり。内田光子と40人ほどのオーケストラメンバー全員が、お互いを認め尊重しあい、どのような音楽を目指すのかについて完全に気持ちが一致していない限りあのような奇跡的な音楽は生まれない。

 

“自己の表現の深化を常に目指していくものこそが真の芸術家”とすれば内田光子こそまさにその言葉にふさわしい。DVDで映像化されている10年以上前のカラメータ・ザルツブルグとの第20番のコンチェルトを愛聴しているけど、ずっとゆっくりとしたテンポと起伏をもって始められた今夜の演奏は、演奏の運びもアンサンブルも、そして細かいニュアンスを含めた旋律線の扱いも、まさにずっと“深化”している。もうこのようなモーツアルトのコンチェルトに接することはできないかもしれません。まさに一期一会です。

 
うちだ


20161028日 日本センチュリー交響楽団 第212定期 1日目

 

大阪ザ・シンフォニーホール

2LLD

 

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番

―アンコール  スカルラッティ ピアノソナタヘ短調 L118

プロコフィエフ:アレクサンドル・ネフスキー 作品78

 

指揮:アラン・ビリバエフ

ピアノ:エフゲニー・スドビン

メゾ・ソプラノ: 小山由美

合唱:大阪センチュリー合唱団・大阪音楽大学合唱団

 

エフゲニー・スドビンをネットで検索すると、“21世紀の最も才能あるピアニストの一人”とか“巨匠への道を歩む運命の無名演奏家(意味不明ですね)”とかいろいろと評されているけど、本当のそうなのだろうか、と言うのが率直な印象。ピアノから近距離の3階バルコニーの自席からは、音がとにかくとても濁って聴こえる。どのような理由かは皆目わからないけど、常々“濁りの無いタッチで・・・”などといったピアノ演奏評を見て、音の濁りってなんぞや?と思っていたのだけど、今夜逆説的にその表現が腑に落ちた次第。演奏自体はミスタッチをものともしない前がかりなピアニストにオケが合わせるのに苦慮しっぱなしといった感じで、序奏部のピアノとオーケストラの掛け合いの箇所では“これからどうなることか”と思うほど危うかったけど、とにかく巧みなビリバエフの指揮で最後まで乗り切った感じ。

 

プロコフィエフのカンタータは、もちろん初耳だけど、大変聴きごたえのある面白い曲だった。音大の学生が2/3近くを占めた合唱もしっかりしていたけど、なによりビリバエフの指揮が上手い。いい指揮者ですね。首都圏のオーケストラにも呼ばれても良いのに、と思います。

 

それにしても客席のさみしいこと。ホール全体を俯瞰できる自席から数えたところ精々550人程度で1704人定員の1/3程度の入り。これがハイシーズン10月の定期演奏会というのでは、マネジメントとしては大いに問題ありということでしょう。たとえば昨年のフェスティバルホールでの4大オーケストラの響演で、“今、一番やりたい曲”としてプログラムにサンサーンスのオルガン交響曲をもってくる頓珍漢さ(中型オケがパイプオルガンの無い巨大ホールでやる曲ではないでしょう)を思っても、このオーケストラはなんだか自らの“あるべき姿”を誤って思い描いているように思えてならない。やはりこの団体は、高度なアンサンブルを目指した122菅に徹してこそ存在意義があると思うのだけど・・・。


日本センチュリー第212

20161014日 関西フィルハーモニー管弦楽団 第278回定期演奏会

 

大阪ザ・シンフォニーホール

1D列中央

 

吉松隆:夢色モビールⅡ 作品58a

バルトーク:ヴァイオリン協奏曲 第2

シベリウス:交響曲第2番 ニ長調

 

指揮               藤岡 幸夫

ヴァイオリン: オーギュスタン・デュメイ

 

昨年の9月にこのブログを始めて以来、指揮者や演奏者をさん付けすることにしてきたものの、どうにも演奏会の記録を書き残すのに、この“さん”付けは座り悪いというか、キーボードのタイピングがスムーズにいかない。例えば先ごろサントリーホールで聴いた上岡敏之氏は私と同じ1960年生まれだし、今このブログで記そうとしている関西フィル定期の指揮者、藤岡幸夫氏は私の2歳年下でもあり、あえてシニオリティーに囚われる理由もないわけで、今後は演奏を聴かせてくれる指揮者・演奏者に敬意を表しつつ、敬称等は排してブログを記していくことにします。

 

さて、この日は新しい堂島のオフィスからシンフォニーホールへ徒歩で向かったところ、週末帰省のいつもの旅行ケースを転がしながらでもリッツカールトンホテルの横を通ってわずか15分ほどで着いてしまった。結果、いつもあえて聞かないように避けている指揮者プレトークを耳にしてしまう羽目に。藤岡幸夫はしゃべりは達者な方だけど、すくなくとも今夜のトークに関しては共演者デュメイへの賛辞と内容の乏しい曲目解説に終始して面白くもない。スポンサー企業への謝意を述べたいのであれば、いっそのことプレトークなどとせずに指揮棒を振り下ろす前に一礼して協賛企業への謝辞をストレートに述べてもらったほうがずっとすっきりする。

 

例えばそのプレトークで、シベリウスの交響曲第2楽章作曲当時の境遇など “プログラムの解説に書いてある通りですが・・・” と前振りするくらいなら、いっそのこと何も語らないでいてもらいたいもの。実際の演奏はと言うと、例えばコバケンのような振幅限度いっぱいの思わせたっぷりな演奏とは正反対の、英国や北欧の指揮者がいつも聴かせてくれる正統派な(この表現が適切か分からないけど)演奏解釈を目指していたにしても、冒頭から強めのボーイングで“音を出せ出せ”と始まり、そのまま最後まで一本調子の快速・ンテンポで突き進むばかり。わざわざ聞かされたその境遇話に心を寄せることも、心震わされることもないまま。それにしても第3楽章中間部のオーボエは音量が大きすぎる。

 

ディメイは2週間ほど前のいずみホールシリーズでの指揮をキャンセルしていたので、もしや今夜も・・・と心配していたけど、いつもの颯爽とした姿で聴かせてくれた。バルトークは普段からほとんど聴くことの無い作曲家でこの夜のコンチェルトも“初耳”な曲。吉松隆の1曲目に続いて演奏されたこともあって、大変面白く聴けました。

関西フィル_278回定期

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