あーと屋のほぼ大阪クラシック演奏会気まま日記

2016年02月

2016228日 ≪アマチュア≫ 府中シティオーケストラ 春まちコンサート2016 

 


府中市文化センター大ホール

 


J.S. バッハ:管弦楽組曲第3番より「アリア」

スメタナ:「我が祖国」より「ヴルダヴァ」

ハイドン:トランペット協奏曲

シベリウス:交響曲第2

  -アンコールー  ケテルビー:ペルシャ市場にて

 


          : 槙本 啓志

 


演奏会の備忘録としてこのブログを開始して半年で、初めてのアマチュア演奏会の記録です。このオーケストラの団長と事務局の方に多少の御縁があり、先日の広響福山定期の会場で配布されたチラシを見て今日のコンサートを知り、聴きにでかけました。所要があり、聴けたのは後半のシベリウスからです。

 


まずは府中市とこのオーケストラについて・・・・

世間一般に、府中市といえば東京都府中市ですが、実は広島県東部(備後地方)にも同じ名前の市があります。地名トリビアとしてクイズになることもあるようですが、それぞれ市制申請がほぼ同時で、“国府”が置かれた地という意味を示す“府中”をどちらも譲らず、広島県府中市が1954331日に、そして東京都府中市が1日遅れの同年41日に市制施行されてから、そのまま現在に至っています。

 


府中市(広島県)は人口わずか4万人ほどですが、旧制中学からの歴史をもつ地元進学校は、一般には珍しくクラブ活動としてオーケストラがあり(その代りブラスバンドがない)、そのOBの中には国内の主要オケのメンバーとして何人も活躍されています。 府中シティオーケストラもこの高校学内オケのOBを中心にして1985年に活動を開始した団体で、地道に活動をしていらっしゃいます。ちなみに私は広島県の生まれでも、育ちでなく、当然この地元高校ともまったく無縁なのですが、前述の通り、団長さん方々に多少のご縁がある次第です。

 


さて、今日は前述の通り残念ながら後半のプログラムしか聴くことができませんでしたが、オーケストラのメンバーは全員、なかなかの熱演でした。地元学校で教鞭をとられている槙本さんも無理のない堅実なタクトさばきで演奏をまとめていらっしゃいました。もちろん地方のアマチュアオーケストラ故、楽器演奏のレベルもいろいろで、一部の奏者は早いパッセージのところでは手を止めていたけど、これもアマチュアならではで、とても微笑ましい(先日の大阪交響楽団の演奏を思い出す・・・我ながらシツコイなぁ)。なお読響の樋口誠さん(前述の地元高校OB)がコントラバス・トップについており音楽の土台を強力に支えていました。特に第4楽章練習番号J手前6小節のフルテシモのすごいこと。さすがプロ!

 


これからもこの地方オーケストラのご活躍を陰ながら応援しています。

 
府中シティー


2016226日 日本センチュリー交響楽団 第30回いずみ定期 


いずみホール

1階 後方席


ベートーベン: ヴァイオリン協奏曲

アンコール  
       J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番サラバンド

ハイドン: 交響曲第18番 ト長調

ハイドン: 交響曲第96番 ニ長調「奇蹟」


                    飯森規親

ヴァイオリン :  郷古 廉


ハイドンマラソンと題された日本センチュリーのいずみ定期は毎回、充実していますね。第4回目の今回は、第96番にもチェンバロを参加させ、流麗かつ華やかな演奏を聴かせてくれました。今日のようにほぼ正規メンバーでチェンバーオーケストラとして演奏したときのクオリティーは日本音楽文化の中心地、東京でもまったく引けを取らない、まさに 日本センチュリーと名乗るにふさわしいものだと思う。もちろん来シーズンのいずみ定期会員を更新しました(ちょっと訳ありで席位置を変更したけど)。


ベートーベンの協奏曲はヴァイオリンソロがオーケストラの向こうを張って、負けじと超絶技巧を披露するヴァルティオーソ・コンチェルトではないので、今日のように弦が8+8+6+4+3であると大変バランスがよく、飯森規親さんのソリストの呼吸をよく読みとった指揮によりとても生気に満ちた演奏でした。


ところで、指揮者はノンビブラートを指示していたようだけど、Vcの一名のみ盛んにビブラートをかけていたのはとても目立ちましたよ。


日本センチュリー_いずみ定期30回


 


 


 


 


 


 








2016224日 大阪交響楽団 200回定期演奏会 

 


ザ・シンフォニーホール

1階中央

 


ジークフリート・ワーグナー:交響詩「憧れ」

リヒャルト・ワーグナー:楽劇「ニーベルングの指輪」より抜粋(児玉宏編)

 


指揮:児玉 宏

 


私はワグネリアンです。「ニーベルングの指輪」は大学進学のお祝い3万円を握りしめ下宿近くのレコードショップに駆け込み、棚の最上段に祭るようにおかれたショルティのLP22枚ボックスセット(デリック・クックのライトチーフ集を納めたLP3枚と豪華対訳本付)を買い求めて以来、40年来のお付き合い。 1987年のベルリン・ドイツ・オペラ来日公演の際、東京文化会館ロビーで日本ワーグナー協会に入会してからは、いつかバイロイト詣でを…と願いつつ、毎週末に書斎で「指輪」か「トリスタンとイゾルデ」を大音量でスピーカーから流し“パソコン仕事を捗らせるにはワーグナーが一番”と悦に浸っています。

 


2頁超に及ぶ充実した曲目解説をパンフレットに寄稿されている音楽評論家(当日、東京から駆けつけてお聴きになられたとのこと)がブログに、“もっと頑張っていただかなければならぬ”とお書きになられている(きっとお立場上、中庸な表現をせざるを得ないのでしょう)けど、大阪に縁も所縁もなく、音大出身でもなく、音楽業界などともまったく無縁ゆえ、一切のしがらみなどなく思うことを率直に記すと、本日の「指輪」はプロ演奏家として入場料を得て(S6,000円で大阪では大阪フィル定期と同額)演奏を披露するに値するとはとても思えない。

 


たとえば、ちょっとしたところで音を外した、などといった実演では当然あるだろうキズを取り上げて、演奏そのものを語るような偏狭では決してない。今日の演奏は全く次元の違う話で、パフォーマンスを提供し報酬を得るプロフェショナルとしてはお粗末の一言ということ。たとえばN響首席クラスをエキストラに呼んで欠員の首席パートを任せるまでの覚悟で、ハイドン連続演奏会に毎回臨んでいる日本センチュリーなどとは団体の目指すビジョンが本質的に異なるのでしょう。

 


とにかくアマチュアレベルの友人がたをかき集めてきたかのようなエキストラが半分を占める演奏は、どのパート・セクションも大変頼りなくワーグナーの音楽への敬愛も情熱も感じられない。弦は薄っぺらくピッチのずれもかなりなもの。ラインの波は全くはじけないし、救済の動機は音楽を大団円に至らしめない。最たるのは、槍の動機とともに“Loge, Hor”と歌いだす直前、ヴォータンの重大な決心を示す Vcの聴かせどころ(B -A –Dと最後のクレッシエンドをするところ)で肝心D音が数名、どっぱずれ。不協和音どころでなない、不気味な二重音がホールに鳴り響く。終盤に向かって何となく演奏もまとまってきたかのように聴こえるけど、あくまでも作品自体が充実しているからで、Bass Tr、ConBass Tbも含めた分厚いブラスに埋もれて目立たないだけ。

 


木管はピッチがずれまくりだけど(どうして演奏中にピッチ調整しないのだろう)、さらにひどいのは金管セクション。 舞台下手に2列に並んだ9本のホルンは精々4本分の音量で、開始早々の生成の動機からボロボロ。舞台袖で10人目の奏者が角笛のソロを吹くのだけど、こちらもパッセージを吹ききれない。(ファーフナーを洞窟から呼び起こし戦いを挑む最高難度の箇所ではなく、その後の“森のささやき”前あたりの角笛の動機を少々の間、吹くだけなのだけど)。Trbの運命の動機は各奏者のニュアンスがバラバラで絶望感など皆無。ただBass Trp201412月の第九演奏会の前半に演奏した「ブリュンヒルデの自己犠牲」で素人丸出しだったエキストラ奏者とは別の方だったのがせめての幸い。

 


NHKの収録があり414日のクラシック音楽館で放映予定とパンフレットに記されていたけど、Vcのどっぱずれの箇所など、無残な箇所は編集で調整するのだろうか?きっとプロデューサーも頭を抱えているに違いない。

 


ところで編曲は世に多くある抜粋版とは異なったアプローチで、いわゆるコンサートピースをつなぎ合わせるのではなく、75分を連続したひとつの作品と意識させることを意図されていたと思う。ブリュンヒルデの自己犠牲”までは、あえてドラマティック過ぎないように配慮して曲をつないだことで全体の統一が図られていたとしても、一方その裏返しで、例えば“魔の炎の音楽”など重要な聞きどころが含まれていないことで面白味にかけたのも事実。

 


個人的には、ラインの黄金第2場への移行の場面で、霧がはれてヴァルハラ城が現れる(ヴァルハラの動機が完全な形で示される)シーンを挿入してくれたのはとてもうれしい一方で、死の告知の場面ではモチーフを一回だけの展示でなく、原曲通り執拗なくらいに繰り返すくらいに徹してほしかった。なお、ギービヒ家の群集集合のシーン(第2幕第5場)から連続して、第3場第2場のジークフリートがハーゲンの槍に倒れ、家来達が“Hagen, was tust du?と叫ぶ場面につなげるのは、とてもよいアイディアで、聴いていて“おっ、こう来るか”とちょっとニンマリ。

 


前半のめったに聴くことのできないジークフリートの交響詩を聴くことができたことは大変貴重で有意義なことに違いありません。後期ロマン派そのものといった作風と、表題が想起するいろいろな感性を巧みに表現した曲で、例えば“憧憬”、“思慕”、“雄心”などなどいろいろなイメージを抱きながら聴くことができました。しかしながら、前回定期の“なんちゃってチェンバロ”、そして今回定期と続いたことで決心しました。今後、貴重な時間とお金を消費してまでこの団体の演奏を聴きに行くことはもうないでしょう。

大阪交響楽団_200回定期

2016223日 大阪フィルハーモニー コンサート+バレエ

 


フェスティバルホール

3階中央ブロック 1列目

 


指揮:井上道義

バレエ:青山季可&中家正博、下村由理恵&佐々木大、上野水香&柄本弾

 


すべてチャイコフスキー

前半 - オーケストラのみー

幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」

幻想序曲「ロメオとジュリエット」

後半 - 3大バレエ

「くるみ割り人形」より第14曲金平糖の精と王子のパ・ド・ドゥ 青山季可&中家正博 

「眠れる森の美女」より第28曲グラン パ・ド・ドゥ 下村由理恵&佐々木大 

「白鳥の湖」より黒鳥のグラン パ・ド・ドゥ 上野水香&柄本弾 

 


バレエ教室の発表会は別として、プロのバレエを見たのは生まれて初めて。素人すぎてどのように表現してよいか全く言葉が思いつかないけれど、三組ともとても素敵。是非、プロのバレエ公演を観てみたいと心から思います。とくに上野水香さんの姿の美しいこと。

 


例えば最初のポーズに入っていく途中から音楽がアウフタクトで始まるなど、バレエにオーケストラ演奏を合わせるにはバレエの深い知識と経験が必要な、プロフェショナルな仕事であることがよく解りました。しかも今日のようにピットでななく、舞台奥に位置した指揮台から前方のバレエと呼吸をあわえるのはとても困難なことのはず。井上道義さんが後半開始前のトークで“ショスタコーヴィチを振るより緊張している”と言って笑いを誘っていたけど、なるほどたしかにとても大変に違いない。

 


なお、前半のオーケストラのみの2曲は、さほどりっぱな演奏とも言えず、特にフランチェスカ・ダ・リミニは管のアンサンブルが悪すぎる。今後も是非、この素敵なイベントを続けてほしいのだけれど、もっとバレエとの共演を増やして、オーケストラだけの演奏はそこそこに、お願いします。大阪フィル_コンサートバレエ

2016219日 バレンボイム ベルリン国立歌劇場管弦楽団

ブルックナーチクルス⑧

 


サントリホール

2RD3列目

 


ブルックナー:交響曲第8

 


指揮:ダニエル・バレンボイム

ベルリン国立歌劇場管弦楽団

 


週後半から東京出張となり木曜日のいずみホールでの樫本大進&リフシッツ・デュオコンサートのチケットを友人に譲ってしまったけど、それと引き換えに千歳一会の演奏会を聴くことができた。

 


オーケストラアンサンブルは精緻の極み。どの瞬間を切り取っても奇跡的な響きがホールを満たしている。タクトに乱れずついていく分厚い弦(さすがにスケルツォ開始早々の盛り上がり部分では縦の線が合わずに合奏が進んだけど)、深みのある音色の木管群、咆哮するブラス群。特に9人からなるホルン・ワーグナーチューバの素晴らしいこと。第2楽章123小節目からのピアニシモからフォルテまで前打音を伴いながらレの音(G音)が徐々に音量を増していくところのHr.Top奏者の完璧なソロには身震いした。

 


しかしながら、椅子から立ち上がれないほどの感動に満たされた演奏であったかと問えば、残念ながらそうではない。バレンボイムさんのかなり頻繁に速度を変化させる音楽の運びや、微弱音から轟音に至る抑揚は実に自然で、恣意性などまったくなかったにしても、私の中にあるこの曲の“絶対的な価値基準”とかけ離れてしまっている。

 


私にとってこの敬愛するブルックナーの第8交響曲は“愛聴曲”という言葉はふさわしくない。古今のあらゆる交響曲において最も深遠で崇高な作品であるこのシンフォニーを聴くという行為は、大げさに言えば常に覚悟をもって対峙することを自らに求めてしまう。 “人の一生を記した大河小説”を読破したかのような感動とともに時に徒労感さえ入り混じったかのような“(読後感ならぬ)聴後感”を感じさせられる演奏こそが理想で、16歳の時にセル・クリーブランドSOLPで出会って以来40年、常にそのような体験を求めて数々の演奏を聴き続けてきた。フルトベングラーのLP盤で聴かれるアッチェレランドなど言語道断だし、妙にテンポを揺らすとかアゴーギクをほんの少しでも伴った恣意的解釈は絶対に無用であり、一般に名演と言われるヨッフム・シュターツカペレの演奏なども終楽章の高貴な主題の展開の後の強奏部でギアを上げたようにテンポアップされたとたん興奮から覚めてしまう。

 


バレンボイムさんは私にとって、ワーグナーをもっともロマンティックに聴かせてくれる当代最高の指揮者であれど、残念ながら“ブルックナー指揮者”ではないということなのでしょう。

 バレンボイム_ブルックナー


2016211日 パヴェル・コーガン指揮 モスクワ国立交響楽団 大阪公演

 


ザ・シンフォニーホール

2階LD6

 


グリンカ:歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲

チャイコフスキー: ピアノ協奏曲

  -----アンコール---    リゲティ:エチュード15番「White on White

チャイコフスキー: 交響曲第5番

-----アンコール---    ボッケリーニ:メヌエット

                                   ドヴォルザーク:スラブ舞曲第21

                                   パガニーニ:無窮動

 


指揮:パヴェル・コーガン

ピアノ:ダニール・ハリトーノフ

 


やはり演奏会の防備禄はできる限り聴いたその日に書き留めるべきですね。一週間以上時間を置いてしまうと、若干18歳のチャイコフキー・コンクール第3のピアニストの演奏の迫力に興奮を覚えたことも、すっかり醒めた記憶となってしまっています。

 


オーケストラは弦の編成を14+12+10+10+8とベースを厚くしているけど、特段に重心低いかつてのロシアンサウンドを聴かせるわけでもなく、また管セクションは取り立てて上手いとは思わない。アンコール3曲目でVn 26名全員でパガニーニの無窮動を一糸乱れず弾いてみせるほどに弦セクションはなかなか達者だった。

 


チャイコフスキーのシンフォニーは、全体を通じて、はっとさせられる響きも思いれめいた表現なども特になく、終楽章最後の全休止も気付かなかったほど素っ気なく聴き終えてしまった。LD最前列の自席ではティンパニが耳障りなほど、叩き付けて煩かったことが一番記憶に残っている。

 


終演後、そのまま難波に移動して、18:30からのメット・ライブビューイングでビゼーの「真珠取り」を鑑賞した。



201627日 広島交響楽団 福山第22回定期演奏会

 


福山リーデンローズ

1階R2910

 


チャイコフスキー: ヴァイオリン協奏曲

チャイコフスキー: 交響曲第6番「悲愴」

-----アンコール----  チャイコフスキー: 歌劇「エフゲニー・オネーギン」からポロネーズ

 


指揮:小泉和裕

ヴァイオリン:木嶋真優

 


妻を誘って福山芸術文化ホールのリーデンローズで行われた広島交響楽団の福山定期演奏会を聴く。広響の演奏を聴いたのは今回が初めてだったけど、なかなかどうして実力は在阪の某プロオケに勝るとも劣らないのではないか。後ろのプルトまで全員が真剣勝負で弾いているし、中国地方唯一のプロオーケストラとしての気構えが音に乗って伝わってくる。

 


リーデンローズは中国地方最大のキャパ2003席を持ち事実上の多目的ホールでありながら、永田音響設計がホール設計を手掛けたことで残響2秒の豊かな響きでオーケストラ演奏に大変適している。 聴きに行こうと思い立ったのが演奏会の2週間前だったので、1階席のかなり後方(2階席が上にすこし被さる)を選択せざるを得なかったけど、音響的にはまったく不満がない。悲愴の終楽章半ばで金管が強奏しても12型の弦は掻き消されることなく響いているし、コンチェルトではヴァイオリンソロが特に低域から中域にかけて、豊かな音で聴こえてくる。

 


チャイコフスキーの協奏曲は時にソロヴァイオリンがシンフォニックなオケに負けてしまい(特に第1楽章)大変聴き心地の悪いつまらない曲になってしまうのだけど、木嶋真優さんは聴く前に勝手に想像していた“線の細い女流ヴァイオリニスト”などではなく、確かなテクニックのうえに見事に音を響かせて、バックのオーケストラを完全に従えていた。(昨年11月の大阪フィルのソアレコンサートを聴きそびれたのは誠に残念)。ただ超一級ヴァイオリニストの演奏でハイポジションの身悶えするようなメロディー扱いといった“凄み”を感じさせるほどではないけど。

 


ところでビジネスとしてのクラシック業界の東高西低(という表現があるか知らないけど)の象徴がコンサートマスターで、2012年に大植英次さんの音楽監督退任と同時に大阪フィルの長原幸太さんが読響のコンマスとして移ったあと、そのポストに当時広響のコンマスだった田野倉雅秋さんが着いて現在に至っている。そして、入れ替わるようにそれまで大阪フィル2nd Vnトップだった佐久間聡一さんが広響のコンマスのポジションを得ている。今回初めて広響を聴いたけど、東京から西に大きく離れた地方都市で今日のような熱演を聴かせてくれるこのオーケストラをこれからも応援したい。来年から音楽総監督に就任される下野竜也さんの捻りの効いた選曲を、福山のような地方定期でもプログラムに載せてもらえないかなあ。

 
広響福山22回




201625日 大阪フィルハーモニー 495回定期演奏会 1日目

 


フェスティバルホール

1階中央ブロック 中央 定期会員席

 


マーラー:交響曲第7番「夜の歌」

 


指揮:ヨエル・レヴィ

 


さすがにこの曲は東京以外の地方在住者にとって実演に接する機会が少なく、私にとって唯一実演未聴だったこの取っ付きにくい長大なシンフォニーを今夜ついに体験することができた。

 


レヴィさんは全曲を暗譜で振り切った。私の席は指揮者を真後ろから見る位置だけど、そのタクトさばきを見ていると、とにかく拍を示すポイントが非常にわかりやすい。恣意的なテンポの変化もなく見通しよく音楽を進めていくので、大編成のオーケストラも縦の線がきれいにそろっている。

 


高橋さん率いるホルンがとても安定していたし、テノールホルンも素晴らしかった。やはり曲冒頭のソロは音がまろやかになりすぎるユーフォニアムでなく、細い管を吹き鳴らした倍音の少ない独特な音色のテノールホルンがふさわしい。あと特筆すべきはトランペットトップの秋月さん。さすがに最後の最後でちょっとバテたようだったけど、非常に音の取りにくそうな跳躍やらハイトーンが頻発するパッセージを巧みに吹ききった。

 


大阪フィルやるじゃないか!今回の定期は第2日目を続けて聴けないのが実に残念。


大阪フィル定期第495回

201623日 関西フィルハーモニー管弦楽団 第271回定期演奏会

 


大阪ザ・シンフォニーホール

P(オルガン)席

 


ブラームス:悲劇的序曲

ブラームス:弦楽五重奏曲第2番ト長調 弦楽合奏版

ブラームス:交響曲第2

 


指揮:ヴォルフラム・クリフト

 


ザ・シンフォニーホールのオルガン席は曲目と演奏次第では一般的に言われるバランスの悪さもさほど気にならず、指揮者の音楽つくりを目の当たりにできることもあり、大変お気に入り。 特にオルガン横のZ列はステージから適度に離れることで見事にブレンドされたホールトーンを楽しめる。 ピアノやホーン楽器(ホルンは唯一例外)など音が前方に向かう楽器のコンチェルトなどは最悪な一方で、たとえば室内弦楽アンサンブルを聴くときなどはチケット価格を思うと一階中央席よりはるかに満足できる。

 


さて、そういうことで弦楽五重奏曲弦楽合奏版を楽しみにオルガン席に座ったのだけれど(X列)、どうにも席位置のハンディを掻き消してくれるだけの演奏だった、とは言えない。ここ数年“デュメイに鍛えられた弦楽パート”の好印象を持っていて、昨年10月の定期では密度の濃い演奏を聴かせてくれた(オルガン席のほぼ同じ座席位置だった)けど、それも指揮者の統率力次第で変わるものなのでしょうか。後半のシンフォニーも凡庸で、さらに管パートの粗さも目立ってしまい、定期演奏会としては物足りない。

 


2016131日 ザ・タロー・シンガーズ 20周年記念コンサートⅡ 「冬の旅」全曲 無伴奏混成合唱版

 


いずみホール

1D24

 


フランツ・シューベルト

歌曲集「冬の旅」全曲  

無伴奏混成合唱版 (編曲:千原 英喜)

 


――アンコール 

       歌曲集「白鳥の歌」から“セレナーデ”

        「冬の旅」第21曲“宿屋”

 


指揮            :里井 宏次

合唱            :ザ・タロー・シンガーズ

 


先日の大阪交響楽団定期でのチェンバロニストの呆れた “弾いたふりパフォーマンス”を思い出すたび不愉快になる日が続いていたのだけれど ―― 時たま、ほんの申し訳程度に音を出したあと、観客に気付かれないようにこっそりと両手を鍵盤から離し静かに膝の上においていた、あの姑息な振る舞いが目に焼き付いて離れない ――今日のザ・タロー・シンガーズのコンサートは、その不愉快な気分を完全に消し去ってくれました。

 


ソプラノ、アルト、テナー各5名、バス6名によるア・カペラでの演奏がどれだけ困難なことか素人には全く想像ができないけど、こんなに感動したのは実に久しぶり。「冬の旅」の抑制されたモノトーンな世界に、ドラマチックさや浄化された世界感まで見事に表現している。どの曲もすばらしかったけど、特に感動したのが第11曲と第21曲。第21曲は調性的にもこの曲集の心理的なクライマックスではないのか。大変ありがたいことにアンコールでこの曲をもう一度聞かせてくれた。

 


大変よく考えらえた編曲で、例えば第6曲の “雪よ、僕の思いを知っているだろう。言ってくれ、お前はどこに流れていくの” の節をアルトの一名が語りかけるようにしたり(曲を思い出せないけど、後半にも男性と女性2名が語り合うような場面も)、第14曲などでバス独唱が織り交ぜられたりと、まったく集中が切れることなく聴き通せた。完全無伴奏の合唱も第1曲目から数曲続いた音程の多少の不安定感もやがてなくなり、第16曲では曲頭から続いた無調的な音楽が最後に柔らかなドミナントの響で閉じられたところで、音楽の緊張から一瞬、解き放たれて大きくため息をついてしまったほど。

 


大阪にはこのような素晴らしいプロの合唱団がいらっしゃるのですね。

冬の旅
冬の旅1

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