2019年1月31日 読売日本交響楽団 第22回大阪定期演奏会
フェスティバルホール
2階 1列目 定期会員席
ワーグナー :楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲
モーツァルト :ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K488
アンコール ジャズ小品
ブラームス :交響曲第1番 ハ短調
指 揮 :サッシャ・ゲッツェル
ピアノ :小曾根 真
ホール入場時に手渡された来週月曜日のブラームス交響曲第1番・第2番を演奏するリッカルド・ムーティ指揮シカゴ交響楽団の公演チラシを手に持ったまま席に着いたことで、否応なくいま耳に聞こえている演奏が、ムーティ・シカゴ響とどれほどに違うものなのか(もしムーティ・シカゴ響を聴いたら、どのように違いが感じられるものだろか)と想像しながら読響のブラームスを聴いていた。
う~ん、どうだろう。シカゴ響なら金管群、特にトランペットはもっと艶やかでニュアンスに富んでいるだろうか、木管群もやはり格の違いを感じるだろうか、でも弦はどうだろう、いま耳に聞こえてる読響も十分に凄いぞ。もっともシカゴ響をライブで聴いたのはショルティとの1986年のザ・シンフォニーホール土日2公演(マーラーの5番とブルックナーの7番がそれぞれのメインだった)が唯一の記憶で、まして次週月曜日のフェスティバルホール公演など、大枚(読響の5倍以上もする)をはたいてまで聴きにいくつもりなど毛頭ないので、そもそも比較のしようなど全くないのだけど。
第1曲目は理想とする演奏とは少し違っていたけど、ワグネリアンとしては“マイスタージンガー前奏曲”が生で聴ければ、もうすれで十分。でも、次のモーツァルトのPコンは“弾けてる”だけでは、ただただ凡庸でつまらないものだ、ということを再認識させられた。例えば内田光子や小山実稚恵のモーツァルト演奏を経験してしまった耳にはかなり辛いものがある。
コメント
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これだけのブラームスが日本のオーケストラから聞けるのなら、東京の聴衆はわざわざ高いチケット代を払って外オケのブラームスをわざわざ聞く必要は無いんじゃないでしょうか?