フェスティバルホール
2階 1列目 定期会員席
マーラー: 交響曲第2番『復活』
指 揮 : コルネリウス・マイスター
ソプラノ : ニコール・カベル
メゾ・ソプラノ : アン・ハレンベリ
合唱 : 新国立歌劇場合唱団
毎年3月から6月までをクラシック演奏会の前期シーズン、そして9月初旬の恒例“大阪クラシック”明けから11月までを後期シーズンとすれば、今回の読響大阪定期の“復活”は間違いなく前期シーズン最大の呼び物。NHK交響楽団と並んで国内トップレベルのオーケストラである読響がフル編成で新国立歌劇場合唱団とともにフェスティバルホールで“復活”を演奏するんだから、きっと名演になるに違いない・・・と、私は勿論のこと、ほぼ完売のホールに足を運んだ多くの人が期待していたに違いない。 そう、唯一ちょっとだけ気がかりは、コルネリウス・マイスターという未知数の若手指揮者であること、そしてちょっとだけ残念なのは、フェスティバル・ホールにはパイプオルガンが無いこと、だろうか。
最終楽章、賛歌がア・カペラで歌われ始めてからエンディングまでの10分間は奇跡的なまでに感動的で、大曲を聴き終えた後の充実感にたっぷりと浸ることができた。新国立歌劇場合唱団のみごとなこと。ピッチは完璧だし、ドイツ語発音は正確無比。大団円を迎えたところでのバンダも加えた巨大編成オーケストラに負けないどころか、その大音響をも覆い被せてしまうかのような声量に驚嘆。舞台袖のホルンとトランペットによる復活の合図の場が終わったあと、一瞬の沈黙もおかずに開始された合唱が徐々に高揚してゆく過程でのニュアンスに満ちた音楽の運びのすばらしいこと。もっとも、この運びの秀逸さについては指揮者によるものだろう。
でも・・・ねぇ、合唱にいたるまでの70分間には、正直“凡”なり“駄”なりを接頭したくなるほど。コルネリウス・マイスターは、合唱入りからのみごとな音楽を、どうして冒頭から聴かせてくれないのでしょう。第1楽章を振り終えたあと、指揮台の上でじっと静止したまま1分以上の間と取ったのも、作曲者指定を踏まえたものだろうけど、あんな演奏じゃ、満席のフェスティバル・ホールのなかで絶望の淵に追いやられた人など、さすがに一人もいないでしょう。加えてデリケートに処理されるべき箇所が、特に金管群がバンダも含めて、ことごとく雑になっていたのがとても残念。
読響の弦はいつもながら非常に強靭。終楽章の途中の行進曲開始の部分、弦の強奏の上にトランペットがソリで行進曲のテーマを吹き鳴らす箇所で、弦が少しでも痩せていると、とにかくアンバランスさを露呈してしまう、この曲を聴くときの私にとっての鬼門だけど、この日の演奏はまさに理想的なものだった。==というより、合唱入りまでの80分間で、さすが読響と思わせてくれた唯一の箇所だった。
ということで最後の合唱までは、なんだか残念な気持ちをいっぱい抱えたまま。でも、最後の復活の合唱で、まさに“復活”の大逆転。終わりよければ全てよし。
前夜はワールドカップGL第3戦(日本VSポーランド)をなんばHIPS5階のスポーツ・バーで深夜1時まで観戦した後、そのまま戎橋で“お祭り”を野次馬。
欄干の上には鉢巻とスイムパンツの飛び込み待ちが何人も。最終的に70名ほどがここからジャンプした。
コメント
コメント一覧 (2)
新常任がヴァイグレ氏になる読響、是非に新シェフのお披露目に同曲の再演をと思うのはわたしくらいでしょうか?
過日はありがとうございました。
なんのかの言っても、やはり読響はスゴイですね。もともと期待MAXゆえの感想なのかもしれません。
毎年、本拠地東京と全く同じ内容の重量級演目を聴かせてくれるって、本当に有難いことですね。まして、多彩なプログラムを展開している中、あえて莫大な費用が掛かる復活を持ってきてくれたことを、素直に感謝すべきでしょう。今年度、第九がプログラムされないことで、より魅力的で多彩なプログラミングになりました。はやくも次回が楽しみでたまりません。