2017221日 『世界における我が国オーケストラのポジション』 アメリカ・英国・オーストリア・フランス・日本の音楽評論家によるシンポジウム

 

メールで氏名と勤務先を伝えて事前申し込みをおこない、文化庁と日本オーケストラ連盟主催のシンポジュウムを聞かせていただいた。場所は、岸里にある大阪フィルハーモニー会館。勤務先からは地下鉄で15分ほどの距離なので、夕方普通にオフィスを出てからでも6時半からのシンポジウムの後半セッション “世界における我が国オーケストラのポジション” に間に合う。

 

アメリカ・英国・オーストリア・フランスから著名な音楽評論家を招いて、N響(2/12定期)、広響(2/16定期)、九響(2/17定期)、大阪フィル(2/18定期)、アンサンブル金沢(2/19セビリアの理髪師公演)を聴いた後、日本人評論家も交えて“世界における我が国オーケストラのポジション”をテーマに語ってもらう、というもの。この2ヶ月ほど、いくつかのコンサート会場で無料配布されていたリーフレットに『率直に、実のところを外からの耳目によって、更なる成果を客観的に認識し、更なる進化を深める』と、なんだか分かったような、分からないような “いかにも” なお題目が示されているが、やれ税金をそんなことに使って何が得られるの?などとムズカシイことは一切考えずに、一音楽ファンとして楽しんで聞かせていただいた。このシンポジウムの内容は報告書として冊子化されるようなので、大阪フィル定期会員として大阪フィルに関してのコメントのみをメモを頼りにまとめ記しておく。

 

特に(ショスタコーヴィチの)11番に感動した。冷たく残虐であったが、この曲はそうでなければならない。指揮者(井上道義)はすばらしい。ウィーンの人にも紹介したい。

― ウォルフガング・シャフラー氏 ドイツ ユニバーサル・エディション国際宣伝部長

 

演奏に圧倒された。フェスティバルホールの大阪フィルの音はシカゴ響を思い出させた。あのような荒々しく、苦痛を感じさせる演奏こそ良いコンサートである。アメリカではショスタコーヴィチを演奏することは“コミュニストのプロパガンダ”と捉えられがちで、11番は演奏されるが12番が演奏されることはない。大阪フィルのようなコンサートが米国でも出来ればよいと思った。

― ポール・ペルコネン氏 アメリカ  音楽ジャーナリスト・評論家

 

大阪フィルのパワフルな弦に圧倒された。ppからffまで幅広く、残虐なトゥッティでもとても音楽的だった。(大阪フィルに限らず、今回聴いたどのオーケストラも)弦セクションは欧州的で、一方トランペットは米国的で強すぎた。ショスタコーヴィチを演奏する場合はそれが良い結果を生むが、たとえばメンデルスゾーン(2/17の九州交響楽団)では音が大きすぎる。

― クリスティアン・メルラン氏 フランス フィガロ

 

なお、3名の当時通訳者が交代で日英、英日の通訳を務めていたけど、クオリティに差がありすぎた。最初に岡部信一郎氏のコメントの英訳を担当した方などは、氏の発言の半分程度を何とか英語にしたものの、文章として成り立たずで、おそらく通訳を聞いていた外国人パネリスト4名は氏が何を言っているのかさっぱり分かっていなかったはず。彼らは全員意識してゆっくりと聞き取りやすい英語でしゃべっていたのに対し、岡部氏は普通にしゃべり倒していたけど、それでもちょっと・・でしょ。

 
シンポ2_取り直し

シンポ3_修正