あーと屋のほぼ大阪クラシック演奏会気まま日記

2019420日 4オケ・スペシャル ~佐渡裕&4楽団合同オーケストラ~  『大阪4大オーケストラの饗宴』特別企画

 

フェスティバルホール

2階1列15番

 

指揮                    :佐渡 裕

オーケストラ            4楽団合同オーケストラ

                          大阪交響楽団

                          大阪フィルハーモニー管弦楽団

                          関西フィルハーモニー管弦楽団

                          日本センチュリー交響楽団

 

ホルスト               :組曲『惑星』

                         コンサートマスター 森下幸路

R・シュトラウス       :アルプス交響曲

                         コンサートマスター 田野倉雅秋

                         

プレイベンド

團伊玖磨        :大阪国際フェスティバルホール開幕式のためのファンファーレ

                  ブラス・アンサンブル

サン=サーンス  :死の舞踏(エドガー・ガーティン編)

                  森下幸路、岩谷祐之、林七奈、須山鴨大

 

4年前の第一回を聴いた以降プログラミングに魅力がなくなったこともあり、まったく興味を引かれなくなったこの大阪らしいイベントも、今年は聴き逃せない。例年この週末明けから長期出張が入るので、出張準備のための週末大阪滞在を見越して、発売早々にチケットを購入していた。フェスティバルホール2階最前列で聴く巨大オーケストラは壮観で、音圧も物凄く、演奏を十分に楽しんだ。アルプスシンフォニーの “頂上にて”直前の1番トランペットの跳躍音型や、"終末”のオルガンコーラルに重なる1番ホルン(さすが大阪フィルの高橋将純)など、金管の超難所もすべて見事に決まり、痛快な限り。

 

エンディングにしたがってホール後方に尾を引くように消えていく海王星の合唱は、てっきりPAを使っていると思って聴いていた。舞台袖ではなく客席後方のロビーで歌い、ドアの開け閉めのタイミングを調整して効果を高めたのだそうだ。お見事! 一方で、アルプスシンフォニーでバンダをステージ袖に登場させて吹かせたのは、残念。これは指定通り舞台袖から聞こえてほしい。

 

惑星もアルプスシンフォニーも弦18型。どうせなら惑星は16型でよいからアルプスシンフォニーを20型、いやいや22型でやってほしかった。18型までなら東京でも時々あるけど、さすがに22型(2220181614)となるとサントリーホールでは無理で、体育館のようなNHKホールでしかできない。“他では絶対に聴けない・大阪だからこそ”のイベントとなり、クラシック音楽文化の中心東京に向けたインパクトも強烈だっただろうのに、実にもったいないこと。実際、すでに弦は人数合わせでエキストラを加えて18型を二つ編成しているのだし、フェスティバルホールはフル編成110人でもまだまだ余裕の舞台スペース。

 

4つのオーケストラと適度な距離感を持ち、両曲が振れて、かつチケット販売につながる指揮者は佐渡裕くらいか。残念ながら佐渡裕の指揮は惑星もアルプスシンフォニーも写術性に乏しくつまらなかった。やはりこのようなスペクタクル曲なら大植英次だな、と面白みもなく進んでいく音楽を聴きながら思っていた。佐渡裕は3日後(23日火曜日)に、トヨタ・マスター・プレイヤーズ・ウィーンのメンバーと名古屋フィルの合同演奏(愛知芸術劇場)で同じアルプスシンフォニーを振るらしい。そういえば、今日、体調不良で当初予定の新井英治から急遽コンサートマスターを請け負った田野倉雅秋が終演後すぐにステージを降りたのも、名古屋にとんぼ返りしたからだろうか。

 
4オケスペシャル_20190420

20194月19日 トヨタ・マスター・プレーヤーズ・ウィーン・プレミアム・コンサート

 

大阪ザ・シンフォニーホール

120

 

トヨタ・マスター・プレーヤーズ・ウィーン

クラリネット    :グラルド・パッヒンガー

ヴィオラ        :エルマー・ランダラー

 

シューベルト                    :交響曲第5番 変ロ長調D485

ブルッフ                        :クラリネットとヴィオラのための協奏曲 ホ短調

=休憩

ヨハン・シュトラウスⅡ          :オペレッタ『ヴェネツィアの一夜』序曲

ランナー                        :ワルツ『ロマンティックな人々』

ヨーゼフ・シュトラウス          :ポルカ・マズルカ『遠方から』

ヨハン・シュトラウスⅡ          :宝石のワルツ

ヨハン・シュトラウスⅡ          :ポルカ・シュネル『急行列車』

ヨハン・シュトラウスⅡ          :入江のワルツ

  - アンコール

エドゥアルト・シュトラウスⅠ    :ポルカ・シュネル『テープは切られた』

ヨーゼフ・シュトラウス          :ポルカ・シュネル『短いことづて』

 

今年のトヨタ・マスター・プレーヤーズ・ウィーンは、後プロが本場のポルカとワルツ。しかも大好きな『ヴェネツィアの一夜』の序曲と“入江のワルツ”が聴ける、なんとも魅力的なプログラム。これはもう、期待しないわけにはいかない。席は、コンマスのフォルクハルト・シュトイデやドリアン・ジョジなどなど、珠玉の面々を間近にすることができるステージ前のC20番を選択。

 

演奏は、もちろんのこと最高の一言。奏者全員、シュトイデが弾きだすのを聞いて、ほんの一瞬後に音を出すその絶妙な間の見事さ、ワルツのリズムを刻むセカンド・ヴァイオリンやヴィオラ奏者のなんとも楽し気な様子、ブルッフでのソリストの息づかいなど、C20番は正解だった。アンコールの後、ステージ前に全員が一列に並んだ時、ウィンナ・ホルンを小脇に抱えたロナルド・ヤネツェックを見て、ミーハー的に感激してしまった。

 

トヨタマスターズプレーヤー_20190419



2019412日 大阪フィルハーモニー第527回定期演奏会 1日目

 

フェスティバルホール

定期会員席

 

指揮            : 尾高 忠明

 

藤倉 大        :レア・グラヴィティ

マーラー        :交響曲第9番 ニ長調

 

この日のマーラー演奏をどのように書き残そうかと、あれやこれやと適当な言葉を探しているうちに、気がつけば演奏会から一週間が経過してしまった。文筆家なら達意な言葉で語れることだろうし、音楽評論家であれば耳ざわりの良い提灯記事で行を埋めることもあるだろうけど、私には意味ないこと。真に感動した演奏であればあるほど、詳細を文字に置き換えて記録に残すことなどできやしない、と改めて思い知らされた。それでも、あえてこの日の演奏を記憶に刻むために思いついた言葉は“一期一会”。そう、この言葉が最も相応しい。

 

バーンスタインなみに尾高忠明が飛び上がり、オーケストラがそれに呼応するかのように猛烈なPrestoに突入した第3楽章。そして、ほんの一息の間をおいてのヴァイオリンG線の慟哭。終楽章冒頭2小節の壮絶なまでの最強奏があって故の、息絶えるかのような終結。1週間経った今でも、本当に心が震える。

 

前プロも記しておかなきゃ。元来、現代音楽はからっきしで、何が良いんだかさっぱりわからない。不快な響きをひたすら聞かされたり、精々、過去に観たSFファンタジー映画で耳にしたようなサウンドだったり。ところが藤倉大の作品は、今まで聴いたことのない不思議な音楽だった、そして実に面白い曲だった。これならまた是非聴いてみたい。

 

終演後、マーレリアンの知人とホワイエで顔を合わせた際、開口一番に“明日2日目を聴きにこられないのが残念”と語ったところ、“今日で十分、あえて明日を聴かないでいたほうが良い”と返された。確かにおっしゃる通り。この日の演奏は、まさに一期一会。

 

さてと、仕事も一区切りだし、クラシック音楽バーにいくとしましょ。


大阪フィル_527回定期

 

 

2019411日 日本センチュリー交響楽団 第234回定期

 

大阪ザ・シンフォニーホール

1階定期会員席

 

指揮          :飯森 範親

 

ワーグナー      : 交響曲 ホ長調 第1楽章

ブルックナー    : 交響曲第9番 ニ短調 コールス改訂版

 

平日の演奏会の後は、大概オフィスに戻ってやり残しの仕事を片付けるか、将又、西成のクラシック音楽バーに直行するかなので、演奏会の当日にブログ記事を書きとめることはまずしない(できない)。時間の経過とともに演奏の詳細が記憶から徐々に薄れていくのと引き換えに、演奏に対する自分なりの捉え方が整理されていくもので、大概はそれで良いのだけど、その翌日に強烈な音楽的体験をしてしまうと少々困った事になる。

 

昨年11月の日本センチュリー230回定期が良い例で、翌日の土曜日に封切り早々のボヘミアン・ラプソディーを観たおかげで、記憶に留めておいた演奏の印象が完全に吹っ飛んでしまった。同じように翌日の尾高忠明・大阪フィルのマーラー9番のあまりに鮮烈な演奏を聴いてしまった今、前日の日本センチュリーの内容を振り返られないでいる。このブログ記事を書くにあたり当日の演奏を辿りあれこれと思い出すことにより、マーラー9番の奇跡的な演奏の記憶の詳細をかき消してしまうのではないか、と心配でたまらない。

 

ブルックナーは “完全” には至らないものの、なかなかの秀演。終楽章の最後の最後、ワーグナー・チューバがバテてしまったのが残念。得心がいかないのはプログラミング。ブルックナーの前にワーグナー未完のホ長調交響曲の第1楽章を、休憩を挟まずに連続して演奏する意図は何なんだろう? 唯一完全な形で残された第1楽章はもっとハツラツと軽快であってほしいのに、重くシンフォニックに演奏をしてしまってまで、ブルックナーの9番につなげる必然が私には感じられない。せっかくなら断章となった4分半ほどの2楽章アダージオ・カンタービレまで演奏したうえで休憩を挟み、気持ちを切り替えてからブルックナー9番を聴かせてほしかった。

 

コールス改定は、通常耳にする版と、どのような違いがあるあるのだろう。第1楽章第2主題提示直前の和音やら、第2楽章中間部での木管のパッセージなど、おやっと思ったところなど…おっと、ここまで。これ以上続けると、昨日のマーラー9番の記憶が忘却の彼方に…。



 日本センチュリー‗定期‗20190411

2019331日 関西フィルハーモニー管弦楽団 第299回定期演奏会

 

大阪ザ・シンフォニーホール

2LE1

 

モーツァルト    :ヴァイオリン協奏曲第5番 イ長調K.219“トルコ風”

   ―アンコール プロコフィエフ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ アンダンテと変奏曲

ブルックナー    :交響曲第9 ニ短調〈ノヴァーク版〉

 

指揮            :飯守 泰次郎

ヴァイオリン    :ヴェロニカ・エーベルレ

 

私にとってブルックナー晩年の8番と9番は特別な作品。40年以上もの長きに渡って大事に聴き続けていると、演奏に対して“こうあるべき”ものが存在していて、指揮者には“作為の無い”音楽を求めるし、オーケストラ演奏は "完全” (演奏キズの無い "完璧な"ではない) でないといけない。8番の終楽章コーダで無用なアッチェレランドなどしようものなら、それまでどんなに感動的な演奏であってもその一瞬で醒めてしまうし、未完の9番はどんな熱演も、けっして名演にはなり得ない。この2曲に関しては、私はとても頑迷でメンドクサイのです。

 

飯守泰次郎ブルックナー・ティクルス最終回としての人気はかなりのようで、チケットは当日券(補助席?)も含めて完売。ヴェロニカ・エーベルレ好演のコンチェルトが終わったあとのホワイエは、メイン曲への期待感と高揚感が入り混じったような独特な雰囲気に満ちていた。

 

シンフォニーの演奏開始からしばらくしは、そうした"期待感と高揚感”を共有できていたものの、それも第1楽章の始まりとともに少しずつ薄くなってしまい、弦がフォルティシモのトゥッティで階段を踏みしめるように上がるところ(練習番号Lの直前)あたりで完全に萎んでしまった。コンサート・サブタイトルは"彼岸の美”だけど…う~ん、それはないな。

 

関西フィル‗299回‗20190331


2019
326日 ベルリン・フィルのメンバーによる室内楽  ~ピアノ四重奏の夕べ ザ・フェニックスホール

 

ザ・フェニックスホール

1階C18

 

ヴァイオリン    : ノア・ベンディックス=バルグリー

ヴィオラ        : アミハイ・グロス

チェロ          : オラフ・マニンガー

ピアノ          : オハッド・ベン=アリ

 

マーラー        :ピアノ四重奏曲 イ短調(断片)

シューマン      :ピアノ四重奏 変ホ長調

ブラームス      :ピアノ四重奏曲 第1番 ト短調

 

もし、“凄い”に英語のMOREMOSTといった比較級、最上級表現があったとしたら“凄い”を最上級にするための接頭語は “とてつもなく” だろうか、それとも “恐ろしいまでに” だろうか…、などとクダラナイことから書き出してしまったのだけど… いやはや、もの凄いメンバーによる、モノスゴイ演奏を聴いてしまった。

 

ベルリン・フィルの第1ソロコンサートマスターのノア・ベンディックス=バルグリー、第1ソロ・ヴィオラ奏者のアミハイ・グロス、ソロ・チェロ奏者のオラフ・マニンガーがアンサンブルを組むのだから超一級の演奏になるのは、当然といえば当然。ピアニストのオハッド・ベン=アリがまた素晴らしかった。ザ・フェニックスホールのスタンウェイが、過去に聴いてきた室内楽演奏でのピアノの音と全く違う。あのような粒立ちが良く、決して固すぎず音の芯のしっかりした音は、いったいどうやったら出せるのだろう。ピアノの左手がオラフ・マニンガーの弾くチェロと同じ旋律線を奏でるとき、発音の仕組みが全く異なる二つの楽器がどうしてこんなにも音楽的に調和するのだろうか。ピアノのタッチ、チェロのピッチ、そして奏者の息の完全なる一致。まったく見事としか表現できない。

 

このコンサート、なぜか “東京・春・音楽祭2019” と題されている。入場時に手渡された音楽祭のパンフレットを見ると、翌日(327日)には東京文化会館小ホールで、音楽祭の一公演として、同じプログラムを演奏するらしい。当然ながらパンフレットには、この大阪ザ・フェニックスホールの演奏会については一切の記載がない。パンフレット裏表紙にホールオーナーのあいおいニッセイ同和損保が見当たらないのに、どうして?とちょっと思ったものの、経緯はどうあれ、こんな奇跡的な体験(最高の演奏を、客席数301の贅沢な空間で聴くことができた)を大阪で得られたことを、ただただ感謝!

 

 
ベルリンんフィルのメンバーによる室内楽‗20190326


2019322日 大阪フィルハーモニー第526回定期演奏会 1日目

 

フェスティバルホール

定期会員席

 

指揮                    : レナード・スラットキン

 

カウンターテナー       : 藤木 大地

合唱                    : 大阪フィルハーモニー合唱団

 

バーンスタイン  :『キャンディード』序曲

コープランド    :田舎道を下って

バーンスタイン  :チチェスター詩篇

コープランド    :交響曲第3

 

尾高音楽監督就任以来、大阪フィルは明らかに定期演奏会のクオリティーが高まった。それは音楽監督尾高忠明が指揮台に立ったときに限らず、招聘するどの指揮者が振っても演奏が綿密で破綻なく、純粋に音楽を楽しめることであり、かつて“定期初日はゲネプロだから”と定期会員として情けなく寂しい思いをさせられることもなくなった。そうした最近の定期演奏会でも、今日ほど上質な演奏を聴いたことはない。実際、大阪フィル定期で、その演奏に感動したのは久方ぶり。欧米の地方オケを一流オーケストラの仲間入りさえたオーケストラビルダーとして名高いレナード・スラットキンは、わずか3日ほどの練習において、一体全体どんな魔法を使ったのだろうか。全く、他のだれが振ったときよりも合奏の精度が高く、特にコープランドでの弦セクションの透明度をもった演奏は近年、大阪フィルでは聴いたことがない。

 

大阪フィルハーモニー合唱団も見事の一言。チチェスター詩篇の冒頭、複雑な響きを濁りなく響かせたところから完全に魅了されてしまった。静かに歌いだされた第3楽章の無伴奏コーラスが最後のアーメンで曲を閉じたとき、得も言われぬ感動を覚えた。

 

スラットキン、よくぞ大阪に来てくれたものだ。是非是非、また大阪フィルを振りに来て!

 
大阪フィル‗第526定期‗20190322


2019321日 ラフマニノフ$サン=サーンス 第3番 日本センチュリー交響楽団Xザ・シンフォニーホール

 

大阪ザ・シンフォニーホール

1M9

 

指揮          :飯森 範親

ピアノ          :上原 彩子

 

ラフマニノフ           :ピアノ協奏曲第3

  ― アンコール  モーツァルト : ピアノソナタ第10番 K330 第2楽章

サン=サーンス           :交響曲第3番 ハ短調『オルガン付き』

  ― アンコール  バッハ : 小フーガト短調 BMV578(パイプオルガン独奏)

 

この演奏会の夜、いつものごとく向かった西成のクラシック音楽バーでお話した古楽ファンの方によると、この日のパイプオルガン奏者富田一樹は新進気鋭の注目オルガニストとのこと。私はこのオルガニストについて全く存じておらず、氏から“オルガンはあの富田さんでしょ?”と問われても答えられなかった(苦笑)。

 

富田一樹のバッハ演奏のスタイルなどをお聞きして、アンコールで演奏された小フーガが当にそのようであったことで、富田一樹に対してではなく、この方(この日はいずみホールのバッハオルガン作品全曲演奏会をお聴きになられたとのこと)の古楽への深い知識と思いに感嘆することしきり。ブリュッヘンのリコーダー演奏スタイルの変遷や、最近始めることになったパイプオルガンのレッスンのことなどなど、とにかくお話を聞いていて楽しい。それにしても、かなりの音量のケーゲルやらムラビンスキーの録音をBGMに、酒を飲みながら大声で好き勝手にクラシック音楽を語れるなんて、まったくもって面白いお店なこと。

 

さて、当日の演奏について。ラフマニノフのピアノコンチェルトは、上原彩子が貫禄のピアノソロ。飯森範親の巧みなオーケストラコントロールはいつもながら、さすがの一言。弦は、コンチェルトもシンフォニーも10+8+6+6+4で(自席からは全体を俯瞰できないので、間違ってるかも)、さすがにサン=サーンスではヴィオラ・チェロと渾身の熱演でも音が薄くなって、聴いて辛いものがある。

 

 
日本センチュリ_ラフマニノフ3番とサンサーンス3番_20190321


ココルーム2


ココルーム

2019318日 ザ・シンフォニーホール・ストリング・クインテット Vol.5

 

大阪ザ・シンフォニーホール

1K6

 

レスピーギ    :リュートのための古風な舞曲とアリア 第3組曲

タルティーニ   :悪魔のトリル(弦楽5重奏版) 恩地孝幸編

チャイコフスキー :弦楽のためのエレジー『イワン・サマーリンの栄誉のために』

ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第8

――アンコール  貴志康 :“月” 

 

クインテットメンバー

1stVn   田野倉 雅秋   大阪フィル首席コンマス

2ndVn   岡本 伸一郎   大阪交響楽団アソシエイトコンマス

Va      木下 雄介      大阪フィル首席奏者

Vc      北口 大輔      日本センチュリー首席奏者

Cb      村田 和幸    日本センチュリー首席奏者

 

3年ほど前にシンフォニーホール座付きの室内楽団体として弦楽アンサンブル、弦楽四重奏、そしてこの弦楽五重奏と、三つの団体が活動を開始したものの、弦楽アンサンブル、弦楽四重奏ともにどうやら尻すぼみ状態。在版オケメンバーの余暇的活動ではやはり継続は厳しいのかな。弦楽四重奏での企画倒れのプログラムなどひどいものだった。それに対してVn2+Va+Vc+Cbの珍しい編成のこの弦楽五重奏団だけは、毎回個性を際立だせたプログラミング内容で充実している。

 

レスピーギの終楽章コーダで原曲が複数パートで演奏されるところでヴィルトゥオーソな効果を聴かせたり、タルティーニのヴァイオリンソロパートを担った田野倉が技巧を駆使した演奏を繰り広げるのに対して、ピアノパートを担った他4名がノンビブラートで対比させたりと、今夜の演奏もアイディアと卓越した演奏で大いに楽しんだ。特に面白いアイディアだと感心したのは、5弦ダブルベースでチェロのオクターブ下の音を重ねて演奏したショスタコーヴィチ。例のD-S-C-Hのテーマがオクターブで演奏される効果はなかなかのもの。ただし日ごろ室内楽演奏を常としていないメンバーの集まり故か、エッジの効かぬ “生ぬるさ” が漂い、冷酷さ、絶望的な厳しさといった作品の本質に迫るような演奏にまで至らないのは残念なところ。

 

1回から第4回まで破格の2,000円だったものが今回ついに3,000円になり、次回はなんと場所を旧イシハラホール(ワキタコルディアホールと改称)に移し、しかも4,500円と大幅な値上げとなる。演奏曲目も委託作品の初演を含むものの、メインは第1回公演と同じアイネクライネナハトムジークやらドヴォルジャークの弦楽5重奏曲第2番を演奏するらしい。この編成としてのプログラミングの限界を見た、ということだろうか。この日の演奏会は1階席がほぼ埋まるほどにチケットが捌けているのに、もう“座付き”ではなくなるようで寂しい限り。それこそ、ショスタコーヴィチの弦楽4重奏曲をこの編成で全曲演奏、といった尖がった企画をやってくれると面白いのに……などと、好き勝手なことを書きながら、ちゃっかり731日のワキタコルディアホールのチケット、会場での先行販売で購入済みです。


 シンフォニーホール弦楽5重奏_20190318

201937日 日本センチュリー交響楽団 第233回定期

 

大阪ザ・シンフォニーホール

1階定期会員席

 

指揮          :ミシェル・タバシュニク

ヴァイオリン    :アレクサンドラ・スム

 

ラロ                    :スペイン交響曲 作品21

  ―― アンコール  テレマン :ファンタジア第7番第1楽章

モーツァルト            :交響曲第36番 ハ長調『リンツ』K425

ストラヴィンスキー     :バレエ組曲『火の鳥』 1919年版

 

閑話休題ならぬ、のっけから演奏会とは別の話題を・・・

今日(39日)早朝6時から大阪朝日放送で放送された “題名のない音楽会” にゲスト出演された浜松国際ピアノコンクール審査委員長でもある、ピアニスト小川典子さんの国際音楽コンクールに関するお話がとても興味深かった。因みにテレビ朝日の放送は朝10時からなので、系列局の大阪朝日放送を通じて真っ先に観れたことになる。

 

権威あるコンクール

800あるピアノ国際コンクールのうち、権威あるコンクールとされるのは世界連盟に加盟する121のコンクール

 

国際コンクールの目的

若手音楽家が世界に羽ばたくきっかけを提供することであり、音楽家にとっては非常に厳しい就職試験のようなもの。副賞としての演奏会の機会を得られることが重要であり、その演奏会の質が最も大切である。

 

年齢制限について

『演奏家は一つの売りものなのです。なので、活きのいいときにデビューしてもらうのが大切』(小川典子さんの言葉のまま)

 

審査について

審査員それぞれの主観で審査する(浜松国際ピアノコンクールの審査委員は11人)。審査員同士のディスカッションはしない。審査のポイントは、その演奏が好きか嫌いか、このピアニストは売れるか、このピアニストをもう一回聴くためにチケットを買いたいと思うか。

(番組司会者の “そこって大きいですね” 、とのフリに答えて)『だって、プロのピアニストになるためにみんな参加しているのですから((小川典子さんの言葉のまま)』

 

さて、本題の日本センチュリー第233回定期について

 

ちょうど2年前にフェスティバルホール読響大阪定期で同じソリスト、アレクサンドラ・スムの演奏するモーツアルトの協奏曲を聴いている。その時のブログ記事を読み直しても、メイン曲のブルックナー7番についてばかりでコンチェルトについてはなにも書き残していないし、いま思い出そうとしても全く印象に残っていない。誠に不遜なことに、線の細い所謂ビジュアル系ヴァイオリニストと決め込んでいた。なんせ、フェスでモーツァルトを聴いたのですから、許して。

 

まったくもって大いに反省。こりゃ凄いわ。技巧も十分、華奢な体格からは想像つかないほどのダイナミズム、そしてラロのスペイン協奏曲のもつラテン的気質を見事に表現した音楽性(さすがフランス人、と思ってプロファイルを確認したらロシア生まれでした)。久しぶりに、このままずっとこの音楽を聴いていたい、と思わせてくれました。指揮者ミシェル・タバシュニクも日本センチュリーを思いっきり開放的に鳴らしたことで、オーケストラの音がとても明るくラロのスペイン協奏曲にうまく合っていた。

 

日本センチュリーがここまで開放的に鳴ったのを聴いたのは初めてかもしれない。でも、後半2曲までも同じ調子なのはダメでしょう。モーツァルトの交響曲では、弦は透明感を失うし、“火の鳥”では、子守歌のような静かな音楽のところでも明るい響きのままで音量も大きく感じられ、結果的にフィナーレが大団円とならず、組曲としてのメリハリが薄れて全体に一本調子になってしまった。

 

日本センチュリ_第233回定期_20190307

“201933日 びわ湖ホール プロデュースオペラ ワーグナー『ジークフリート』第2日目 

 

滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール

1階 1J16

 

指 揮           :沼尻 竜典

演 出           ミヒャエル・ハンペ

 

ジークフリート  : クリスティアン・フォイクト

ミーメ          : 高橋 淳

さすらい人      : ユルゲン・リン

アルベリヒ      : 大山 大輔

ファフナー      : 斉木 健詞

エルダ          : 八木 寿子

ブリュンヒルデ  : ステファニー・ミュター

森の小鳥        : 吉川 日奈子

ジークフリートの角笛 [ホルンソロ]  福川 伸陽

 

ブリュンヒルデ役のステファニー・ミュターの太く声量たっぷりの歌声は、時に録音で聴くビルギット・ニルソンを思わせるものの、ヒステリックな絶叫に近いところもあり、まだ夢見る乙女であるブリュンヒルデとしてはちょっと貫禄がありすぎたか。“神々の黄昏”であればピッタリはまりそうだ。それにしてもジークフリートがあまりにも非力だった。第1幕での高橋淳の熱演にかすんでしまったミーメとのやり取りも、聞かせどころの “鍛冶の歌” がオーケストラの強奏を突き破るように聞こえてこないのも、最終幕でのヴォータンとの対峙、そしてブリュンヒルデとの長大な2重唱に備えてのことだろうと贔屓目に聴いていたものの、一向に上向いてこないどころか最後の最後まで声が出ない。それだけジークフリートを歌える歌手はなかなかいない、ということなのだろう。

 

高橋淳のミーメは演技も含め、初日よりずっと良い(特に第1幕)。それでも狡猾で屈折したミーメの性格描写は残念ながらまだまだ弱い。ほんと、この役は(この役も…、か)難しい。ユルゲン・リンのヴォータンは、これぞワーグナー楽劇のバス歌いと思わせる声量で、野太い声で語るような歌いっぷりは、音程云々など向うに押しやってしまうような魅力でいっぱいだった。来年の“神々の黄昏”ではハーゲンを歌ってくれないかな。…とここまで書いて、またもやベルリンドイツオペラのリング日本初演(東京文化会館)で聴いたマッティ・サルミネンを思い出した。第1幕の“見張りの歌”を聴いた時の背筋が凍るような衝撃はいまだに忘れられない…。

 

“ラインの黄金” から継続する、常に舞台最前面に紗幕を下ろしたままでのプロジェクションマッピングとCGを駆使する舞台演出において、本作第2幕は空間を最大限に利用したという意味で、もっとも成功だったのではないか。舞台いっぱいに広がる暗く深い森、目線と同じ高さの等身大のジークフリート、舞台奥にプロジェクションマッピングで投影された巨大な蛇(まさに大蛇)、そして舞台前面の紗幕の見上げるような位置に投影された小鳥と、なんとみごとな構図だろう。さて、来年の “神々の黄昏” も舞台前面に終始、紗幕が下ろされているのだろうか。ハーゲンの軍勢が舞台いっぱいに登場する第2幕だけは紗幕を上げて、群衆(ギービヒ家の家臣たち)の動きをはっきり見せつけて欲しいのだけど…。

 

やはり今日の京響は吹っ切れたように鳴っていた。これは一昨年の “ラインの黄金”、そして昨年の “ワルキューレ” での感想と全く一緒。第3幕第3場への舞台転換からブリュンヒルデの目覚めまでの音楽(“金切り声で叫ぶ歌手と大音量のオーケストラによる、ただうるさい音楽” とワーグナーの楽劇を切って捨てるアンチワーグナーの人にこそ、是非聴かせたい)での透明で精緻の極みのような演奏は、これぞ京響と思わずにいられない。

 

それでも、昨日と同様、“愛の挨拶の動機” による最初の歓喜の場面から以降が弛緩した。沼尻竜典の全体的に遅めのテンポでも主役2人の歌唱でもなく、棒立ち気味につっ立ったまま歌わせた演出によるものだろうと思う。ブリュンヒルデが夢見る乙女(処女)から同床異夢の最後の2重唱に至るまでの心理的変化のプロセスが埋没してしまい、ややもすると退屈な時間にも感じる、そう、ワーグナー楽劇で最も避けたい状態に陥ってしまった。私として、今回の2日間の公演で唯一、残念な点だ。

 

さあ、びわこリングもいよいよ来年の3月に完結ですね。1年後、”愛の救済のモチーフ”ともに、ワーグナーの毒にどっぷりと浸かるのを今から楽しみにしております。

 

 
ジークフリート_びわこホール_20190302


1987年 ベルリンドイツオペラによるリング日本初演の会場(東京文化会館)で買ったポスター
パネルに入れて大事に保管
ルネ・コロのジークフリート、イエルサレムのジークムント
カタリーナ・リゲンツァのブリュンヒルデにロバート・ヘイルのヴォータン
そしてなんとマッティサル・ミネンはファーゾルト、フンディング、ファーフナー、ハーゲンの4役をこなした
いま思い出しても凄すぎる!!!!
神々の黄昏_11111



201932日 びわ湖ホール プロデュースオペラ ワーグナー『ジークフリート』第1日目 

 

滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール

1階 1J列18番

 

指 揮           :沼尻 竜典

演 出           ミヒャエル・ハンペ

 

ジークフリート  : クリスティアン・フランツ

ミーメ          : トルステン・ホフマン

さすらい人      : 青山 貴

アルベリヒ      : 町 英和

ファフナー      : 伊藤 貴之

エルダ          : 竹本 節子

ブリュンヒルデ  : 池田 香織

森の小鳥        : 吉川 日奈子

ジークフリートの角笛(ホルン) 福川 伸陽

 

明日も鑑賞するので、さっと備忘メモのみ。

ジークフリートのクリスティアン・フランツが期待通り素晴らしい。そして、青山貴と池田香織の2人がフランツの歌唱に全く引けを取らない、堂々たるさすらい人とブリュンヒルデを聴かせてくれた。トルステン・ホフマンは声質が純すぎてミーメの屈折した性格描写にそぐわない。

 

オーケストラが安全運転気味なのは一昨年のラインの黄金、昨年のワルキューレの初日以上かもしれない。第3幕前奏曲の激しい音楽の場面になっても一向に鳴らないのはどうしたことだろう。今日(二日目)でどこまで変わるだろうか? 第3幕最終場、“愛の挨拶の動機” による最初の歓喜の場面から以降が少々単調に感じられたのは、演出面以上に指揮の沼尻竜典による音楽運びによるものだろうか。今日の公演で確認したい。

 

ジークフリート_びわこホール_20190302

201931日 いずみシンフォニエッタ大阪 第41回定期演奏会 

 

いずみホール

1E4

 

指揮                     :飯森 範親

ヴァイオリン      :神尾 真由子

いずみシンフォニエッタ大阪         

 

アラン・ゴーサン             :エクリプス(1979年作曲 / 日本初演)

ジェルジ・リゲティ          :ヴァイオリン協奏曲

アルチュール・オネゲル   :交響曲第4番《バーゼルの喜び》

 

いずみホールのレジデント・オーケストラで、近現代音楽をメインに据えた1管編成の室内オーケストラ “いずみシンフォニエッタ大阪” は、常々定期を聴いてみたいと思っていたのだけど、いつも週末の土日公演で今まで機会叶わずだった。特に前回定期のカーゲルの“フィナーレ”の再演を聴き逃した(見逃した)のは誠に残念でしょうがない。

 

この日のコンサートの副題は「妙技爛漫~バーゼルの喜び!~」。“爛漫” と言うと、花が咲き乱れるような華やかな語感を抱くけど、このイメージ通りかどうかは横に置いても、めっぽう聴きごたえのある演奏会だった。しかもホールはほぼ満席。“おおっ、大阪の文化成熟度もかなりのものだぁ” と唸ってしまう。

 

この団体、初めて聴いたけど、むちゃくちゃ上手いわ!パンフレットに掲載されたメンバープロファイルにもホルンの木川博史や、トランペットの菊本和昭の他にも知った名前が多数。ホールのスケジュール表をみると今週火・水・木と3日間がリハーサル日となっていた。そうよねえ、こんな超超超難曲をばかりを並べたプログラム。1菅編成だから、一人でも欠けたら定期演奏会が成り立たない。

 

大体において旋律を放棄したかのような現代音楽はとにかく苦手の一言だけど、アラン・ゴーサンの日本初演作品も、存在を知るのみだったリゲティのヴァイオリン協奏曲も、こうした達者な演奏を聴くとなかなかに楽しめる。加えて、いつもはプレトーク大反対の私も、今回ばかりは曲ごとの西村朗氏(このオーケストラの音楽監督)による適切な解説は作品の理解に大いに役立ってありがたかった。

 

どうも最近、あまり演奏に納得のいかななった神尾真由子も、リゲティの壮絶なまでの技巧を目の当たりにして、改めてこのヴァイオリニストの凄さを思い知らされた。

 
いずみシンフォニエッタ_第41回定期_20190301

2019224日 府中シティオーケストラ 春まちコンサート2019 

 

府中市文化センター大ホール

 

スッペ                 :喜歌劇「美しきガラテラ」序曲

ブラームス          :ハイドンの主題による変奏曲

ドリーブ              :バレエ音楽「シルヴィア」組曲

ブラームス          :交響曲第3

  -アンコールー  ブラームス: ハンガリー舞曲第6番

 

          : 槙本 啓志

 

拙ブログは、音楽コマーシャルの中でドマイナーなクラシック音楽の、しかも文化発信の中心である首都東京をメインとするわけでもなく、さらには一介の勤め人である私が実際に聞いた演奏会を記録としてブログにアップする(つまり、聴きにいかない限り更新されない)という、マイナー要素を3乗したようなもの。どうにか毎日30人ほど、多くても50人ほどの方々のブログアクセスをただいているのですが、なんと3週間前に慶事のごとくの出来事があった。アマチュア・オーケストラの関西シティーフィルハーモニー管弦楽団の定期公演の記事について、ブログアップ24時間でなんと100人以上の方々からアクセスをいただいた。超マイナーな拙ブログにとっては奇跡のような出来事だった。

 

超マイナーという括りでいえば、今日の演奏会日誌で記すのは、数百万人の関西経済圏のアマチュアオケである関西シティーフィルに対して、人口10万人に満たない広島県府中市の市民オーケストラ、府中シティーオーケストラの演奏会(なぜか定期と冠せず“春まちコンサート”)です。府中市と府中シティーオーケストラについては、過去の同団体の演奏会日誌に詳しく記しているので、皆さん “タグ:府中シティーオーケストラ” にて過去記事を是非ご一読のほど、お願い致します。

 

そもそもアマチュアオケなので、関西シティーフィルや首都圏の市民オケ・大学オケとは比較する必要もないし、意味もない。今年のコンサートは、一昨年の“ローマの祭り・ローマの松”のような果敢な挑戦はなかったけど、とにかくステージにのった全員が一所懸命なのが、聴いていて犇々と伝わってくる。特にブラームスの音楽にはヴィオラとチェロパートの厚みが欲しいし、指揮の槙本さんとしてはもう少し表現の個性を求めたいところだったろうけど、“音楽的性格付けをぐっと抑えてでも演奏の完成を目指したい” そんな意思がはっきりと伝わってくる演奏だった。ブラームスの変奏曲では、あえて各変奏間で十分な間をとって演奏の安定に徹したところなど、さすがです。(最初の第1変奏後のパウゼで “あっ! 事故った?” と思っちゃった。)

 

この団体を応援するものとしてハッピーな時間を共有させていただきました。これからも府中シティーオーケストラのご活動を陰ながら応援しております。

 

 
府中シティーフィル‗20190224


備後国府について(会場ホールそばの説明パネル)


府中シティー‗20190224

2019222日 大植英次指揮 大阪フィルハーモニー管弦楽団 「シェエラザード」x 「春の祭典」

 

ザ・シンフォニーホール

3階LLE列1番

 

指揮            : 大植 英次

 

リムスキー=コルサコフ  :交響組曲「シェエラザード」

ストラヴィンスキー     :バレエ音楽「春の祭典」

 

昨年3月に “大阪フィル70周年 X ザ・シンフォニーホール35周年特別コンサート” と題して行われた大植英次・大阪フィルの重量級プログラムコンサート(英雄とアルプス交響曲)は総合的には成功(あれだけエキストラ動員したら、さすがに採算性は?だけど)だったようで、今回のコンサートも昨年の祝典的華やぎをもう一度、といった前宣伝がホールのプロモーション冊子で盛んに行われていた。今年は “シェエラザード” と “春の祭典” と、否が応にも大植節全開を期待させるプログラムでありながら、チケット販売はさほどではなかったようだ。3階バルコニーから見ると、2階席CCEE列はごっそりと空席のままで、1階席後ろにも空席が目立つ。そういえば、先週あたりまでチラシ配布が続いていたなぁ。週末金曜日でこのプラグラムにして完売にならないとなると、大阪での大植英次のネームバリューにもそろそろ陰りが出てきたかもしれない。

 

期待の(そして、無茶やるんじゃないのとの若干の不安の)シェエラザードは大植節がドンピシャとはまった演奏。予想通り徹底的にメロディーを思い入れたっぷりに歌わせ、テンポを揺らし、いつもの大きな身振りで煽ること煽ること。特に前半二つの楽章でのヴァイオリン・ソロはとにかくゆったりと、そして第3楽章の甘美な旋律はラフマニノフ並みに甘ったるい。終楽章での “バクダッドの祭り” で暴走気味な突っ走りをさせても、全曲で50分もかかった。やはりこういった作品を振らせたら大植は面白い。

 

実のところ期待より不安が大きかった春の祭典も、無事(笑)だった。いやいや、それどころかリズムの切れを前面に押し出すことよりも、あえて遅めのテンポでバーバリズムと土俗性を徹底的に引き出した名演だった。私には2012年の大阪フィル定期(同じザ・シンフォニーホールで、前半に田園を置いた大植英次らしいプログラム)で崩壊寸前に陥った演奏がトラウマになっている。初日だったか2日目だったかまでは覚えてないかど、演奏箇所ははっきりと覚えていて、第1部のその箇所に差し掛かると思わず身構えてしまった。幸い(?)なことに、2012年の時ほどに無茶にテンポを変化させずにその箇所を過ごした。これで私の大植英次・ハルサイのトラウマも癒えたかな。

 

大植英次_大阪フィル_20190222



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