あーと屋のほぼ大阪クラシック演奏会気まま日記

201875日 日本センチュリー交響楽団 第227定期

 

大阪ザ・シンフォニーホール

1階定期会員席

 

指揮          クリストフ・ケーニッヒ

チェロ          ジャン・ワン

 

チャイコフスキー        ;幻想的序曲『ロメオとジュリエット』

ショスタコーヴィチ      :チェロ協奏曲第1番 変ホ長調 作品107

      ――アンコール  中国古謡 二泉映月 

シューマン              :交響曲第3番 変ホ長調 作品97“ライン”

 

終演後の拍手に応えて指揮者クリストフ・ケーニッヒのスピーチあり。拍手を手で制したので“おっアンコール?”と少々卑しくも思ってしまった《笑》。“こうしてオーケストラを指揮するのは初めてですが、実はかつてボーイソプラノとして東京、大阪を幾度も訪れたことがあります。そのときに日本語の歌を歌ったのを覚えています。”といって、ワンフレーズ歌った。聞き取れなかったけど、なんの歌だったのだろう?

 
日本センチュリ_第227回定期_20180705


オーケストラはいつもどおり上手い。全体のサウンドはこのオーケストラの特長である重心がやや高めの音色ながら、特に後半曲“ライン”での深みを帯びた響きのホルン(前半のコンチェルトのソロもまた見事)やトロンボーンが盤石で、聴いていて安定感がある。その“ライン”は、全体の印象として、とにかくリズムの強調よりも流れを意識した、例えて言うとロードバイク用のヘルメットのような形状をイメージさせる流線型の音楽。実際、頭の中で演奏を聴きながらこんな形状をした立体CAD画像がいろいろと色を変化させながら3軸で回転していた。(我ながら、演奏を聴きながらある立体形状をイメージするなんて面白いなぁ)。
ライン3_20180707

シューマンは作曲の際、ドイツを流れるライン川のどのあたりをイメージしたのだろうか。この日の演奏の演奏は、中流のローレライでもケルン大聖堂横を流れる滔々たる大河でもなく、川幅狭く透明度の高い水が静かに流れるスイスとの国境沿いの流れをイメージさせた。

 

ライン川_20170707

ライン川唯一の滝であるSchaffhausen 近郊のライン滝 今年4月に撮影
ライン側2_20180707



いままで幾度か実演を聴いたことのあるジャン・ワンは、決して奥深すぎず、深刻すぎない音色と表現をするソリストだったと、なんとなくだけど記憶している。・・・当時から、こうしてブログに演奏記録を書き留めておけば、そのときの印象をもっと鮮明に振り返ることができたかも…。この日の演奏も、そんな獏とした奏者に対して抱いていたイメージ通りのもの、そしてそれはこのチェロ協奏曲にみごとに符合していたのではないだろうか。特に第3楽章後半の長いカデンツァから終楽章にかけての、いろんな感情が複雑に絡みあったような、そしてそれを少し醒めた目で俯瞰しているような冷酷さすら感じさせるソロ演奏だったと思う。ジャン・ワンはどんなバッハを弾くのだろうか?

 

なおチャイコフスキーは、オーケストラ・ピースに限ると個人的な好きと嫌いがはっきりしていて、『ロメオとジュリエット』は“胡散臭さ”プンプンで特に苦手な作品の一つ。とにかく聴いていて疲れる。

 

連日の豪雨のために高速山陽道も山陽新幹線もストップしてしまい、この週末は大阪市内に軟禁状態。8日日曜日の福山シンフォニーオーケストラの定期演奏会を福山リーデンローズに聴きに出かけるつもりだったけど、断念。ラフマニノフの交響曲第2番がメインなので、楽しみにしていたのに…。

 

 

2018629日 読売日本交響楽団 第20回大阪定期演奏会 

 

フェスティバルホール

2階 1列目 定期会員席

 

マーラー: 交響曲第2番『復活』 

 

 指 揮        コルネリウス・マイスター

ソプラノ      : ニコール・カベル

メゾ・ソプラノ       : アン・ハレンベリ

合唱          : 新国立歌劇場合唱団

 

毎年3月から6月までをクラシック演奏会の前期シーズン、そして9月初旬の恒例“大阪クラシック”明けから11月までを後期シーズンとすれば、今回の読響大阪定期の“復活”は間違いなく前期シーズン最大の呼び物。NHK交響楽団と並んで国内トップレベルのオーケストラである読響がフル編成で新国立歌劇場合唱団とともにフェスティバルホールで“復活”を演奏するんだから、きっと名演になるに違いない・・・と、私は勿論のこと、ほぼ完売のホールに足を運んだ多くの人が期待していたに違いない。 そう、唯一ちょっとだけ気がかりは、コルネリウス・マイスターという未知数の若手指揮者であること、そしてちょっとだけ残念なのは、フェスティバル・ホールにはパイプオルガンが無いこと、だろうか。

 

最終楽章、賛歌がア・カペラで歌われ始めてからエンディングまでの10分間は奇跡的なまでに感動的で、大曲を聴き終えた後の充実感にたっぷりと浸ることができた。新国立歌劇場合唱団のみごとなこと。ピッチは完璧だし、ドイツ語発音は正確無比。大団円を迎えたところでのバンダも加えた巨大編成オーケストラに負けないどころか、その大音響をも覆い被せてしまうかのような声量に驚嘆。舞台袖のホルンとトランペットによる復活の合図の場が終わったあと、一瞬の沈黙もおかずに開始された合唱が徐々に高揚してゆく過程でのニュアンスに満ちた音楽の運びのすばらしいこと。もっとも、この運びの秀逸さについては指揮者によるものだろう。

 

でも・・・ねぇ、合唱にいたるまでの70分間には、正直“凡”なり“駄”なりを接頭したくなるほど。コルネリウス・マイスターは、合唱入りからのみごとな音楽を、どうして冒頭から聴かせてくれないのでしょう。第1楽章を振り終えたあと、指揮台の上でじっと静止したまま1分以上の間と取ったのも、作曲者指定を踏まえたものだろうけど、あんな演奏じゃ、満席のフェスティバル・ホールのなかで絶望の淵に追いやられた人など、さすがに一人もいないでしょう。加えてデリケートに処理されるべき箇所が、特に金管群がバンダも含めて、ことごとく雑になっていたのがとても残念。

 

読響の弦はいつもながら非常に強靭。終楽章の途中の行進曲開始の部分、弦の強奏の上にトランペットがソリで行進曲のテーマを吹き鳴らす箇所で、弦が少しでも痩せていると、とにかくアンバランスさを露呈してしまう、この曲を聴くときの私にとっての鬼門だけど、この日の演奏はまさに理想的なものだった。==というより、合唱入りまでの80分間で、さすが読響と思わせてくれた唯一の箇所だった。

 

ということで最後の合唱までは、なんだか残念な気持ちをいっぱい抱えたまま。でも、最後の復活の合唱で、まさに“復活”の大逆転。終わりよければ全てよし。

 


読響_大阪定期_20180629


前夜はワールドカップGL3戦(日本VSポーランド)をなんばHIPS5階のスポーツ・バーで深夜1時まで観戦した後、そのまま戎橋で“お祭り”を野次馬。
欄干の上には鉢巻とスイムパンツの飛び込み待ちが何人も。最終的に70名ほどがここからジャンプした。

戎橋_20180628

 

2018621日 関西フィルハーモニー管弦楽団 第293回定期演奏会

 

大阪ザ・シンフォニーホール

オルガン席Z29

 

大島ミチル: オーケストラと合唱のための組曲『アウグストゥス』

      ~ヘルマン・ヘッセの短編集“メルヒェン』より~

大島ミチル: 《塵JIN 》&《輪RIN

          ~クラリネット・マリンバ・オーケストラのための2つのラプソディー

シベリウス:交響曲第1番 ホ短調 作品39

 

指揮: 藤岡 幸夫

クラリネット: リチャード・ストルツマン

マリンバ: ミカ・ストルツマン

合唱: 大阪府立夕陽丘高等学校音楽科

 

関西フィルは、定期会員になっている大阪フィル、日本センチュリーとともに、都合が許す限り是非とも聴きに出かけたいオーケストラ。スポンサー企業を得て、ある程度資金的余裕があるから(・・・だろうか、会場使用料が割高でも集客が見込める?)週末土日公演が多く、私にとっては“残念ながら”見送りのコンサートが多い。ブログを遡って確認してみると、関西フィルの定期を聴くのは昨年9月の第286回定期以来のこと。いつもながらお気に入りのオルガン席最後列からホール内を見渡すと、ほぼ満席。

 

今回の演奏の感想については、あえて一切のコメントを控えることにしようと思う。前半2曲が終わった時点ですでに8時を過ぎるほどの、てんこ盛りのプログラミングを存分に楽しんだことは間違いありません。

 
関西フィル_20180621_第293回定期

2018620日 大阪フィルハーモニー交響楽団 マチネ・シンフォニー Vol.19

 

ザ・シンフォニーホール

一階席N

 

ビゼー: 歌劇『カルメン』前奏曲

ワックスマン:カルメン幻想曲

マルケス:タンソン第2

サン=サーンス: 序奏とロンド・カプリチオーソ イ短調

 ―アンコール  イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第5番 第2楽章“田舎の踊り”

バーンスタイン:ミュージカル『ウエストサイド物語』より“シンフォニックダンス”

 

指揮    : 井上 道義

ヴァイオリン: 成田 達輝

 

先日(618日)の大阪北部を直撃した大地震に被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

 

その日、私はすでに早朝の新幹線で大阪まで来ており、梅田地下街のカフェでモーニングを食べている最中でした。携帯のアラートが地震発生の警報を発したのが、すでに地下街全体が轟音を立てて揺れだした後だったこともあり、さすがに“ついに来たか!?”と...それでも、なぜか照明が点り続け、座った席からガラス越しに見える地下街もなぜか整然としたまま。その後、すべての交通機関が止まったことで地下街の人通りがいっきに途絶え、私の勤務する一帯はゾンビ映画に出てくるゴーストタウンのような、一種異様な静けさに包まれていました。

 

地震のあった日の梅田
淀川を越えたわずか数キロ先では、通勤・通学途上の人であふれ返っていたとは思えない、不気味なほどの静けさ。
大阪フィル_マチネコンサートVol.19_大阪_20180620



地震の影響で十分な練習時間が確保出来なかったため、との理由で当初予定されていたカルメン第1組曲を前奏曲のみとしたうえで、ワックスマンのカルメン前奏曲を連続して演奏、またマルケスのコンガ・デル・ヌエボが取りやめとなった。

 

後半のシンフォニック・ダンスが、時に艶めかしく、また時にキレッキレなリズム感ありの、実に生き生きとした演奏だった。この曲は聞き栄えがするからなのだろう、数年おきに実演に接する機会があって、ブログ記事を振り返ってみると2年前に墨田トリフォニーで新日本フィルの演奏を聴いているし、たしかその前年には大阪フィルの定期でもヒメノの指揮で聴いたはず(こちらはブログ開始前のことで、演奏の記憶も曖昧)。いつも実演を聴く度に、“日頃クラシック音楽どっぷりのオーケストラ奏者にこの曲を楽しく聴かせるのは所詮無理な話、と決め付けていたけど、間違いでした。すべて“指揮者の実力”次第です。この曲振ったら、井上道義が日本人で一番ではないか。

 

このマチネ・シンフォニーVol.19 のブログを書くにあたり、過去のマチネ・シンフォニーの記事を見直していていたら、先週の大阪フィル519回定期で聴いたシェエラザードも、丁度一年前のマチネ・シンフォニーVol.17で井上道義の指揮で聴いていたことが判った。改めてそのときのブログ(演奏会記録)を読み直すことでそのときの演奏が蘇ってきた。それも冒頭の音の厚みから始まって、最後のヴァイオリンソロの表情まで、かなり鮮明に(これが私にとってのブログの効用です)。そして気づいたことは、どうやら昨年のマチネ・シンフォニーでの井上道義との演奏が、先週の519回定期での演奏より魅力的だった、ということ。ちなみにコンサートマスターはどちらも田野倉雅秋だったので、先週のヴァイオリンソロが比較的淡々としたものだったことを思えば、ソロの味付けは指揮者の意向によるところも大きい、というとこのようだ。

 

 
大阪フィル_マチネコンサートVol.19_20180620


大阪フィル_マチネコンサートVol.19_チラシ2_20180620









2018615日 大阪フィルハーモニー第519回定期演奏会 1日目

 

フェスティバルホール

1階定期会員席

 

指揮            : ヤデル・ビニャミーニ

ピアノ          : アンヌ・ケフェレック

 

ベルト                  : フェスティナ・レンテ

モーツァルト            : ピアノ協奏曲第22番 変ホ長調 K482

      ――アンコール  ヘンデル:メヌエットト短調 HMV.434 (ケンプ編)

リムスキー=コルサコフ  :交響組曲『シェエラザード』

 

ここ最近、イタリアの気鋭指揮者を立て続けに聴いている。529日と30日にルスティオーニ(1983年生まれ)を大阪フィルの前回定期で、61日にバッティストーニ(1987年生まれ)を東フィル定期で、そして今回が1976年生まれのビニャミーニ。若手が早くから才能を開花できるのはオペラを指揮することが当然のイタリアゆえの環境があるにせよ、こんなに続くのはきっと招聘元のマーケティングが反映しているに違いない。“指揮者の聞き比べ”などといった大それた意識など全く無いにしても、こうして3名の名前を一度に意識してしまうと、将来彼らがどのようなキャリアを積んでいくのか、一クラシック愛好家として大変興味深い。

 

さて演奏についての感想。モーツァルトのコンチェルトはピアニストが志向する音楽性といつもの鈍重なオーケストラとのミスマッチが感じられた。ケフェレックのピアノは、とにかく柔らかく、音の粒を際立たせるのではなく全体に円やかでやさしい。それに対してなんとも大阪フィルの重たいこと。相変わらずのヘタレ気味のホルンと円やかさに欠ける弦のアンサンブルは、モーツァルトの演奏ではいつものこと。たしかに大阪フィルの演奏でモーツァルトを楽しんだこと、一度もないなぁ。

 

シェエラザードは解釈がどうのこうのといった御託は抜きにして、とにかく楽しんで聴きたい曲の筆頭。管の各ソロにもうワンランク上を求めたくもなるが、そこはすべて横に押しやって、大フィルサウンドを堪能いたしました。

 
大阪フィル_519回定期

2018614日 日本センチュリー交響楽団 第226定期

 

大阪ザ・シンフォニーホール

1階定期会員席

 

指揮          飯森 規親

 

ワーグナー:    舞台神聖祝典劇『パルジファル』より“聖金曜日の音楽”

ブルックナー:  交響曲第7番 ハース版

 

弦はオリジナルメンバーによる12+10+8+8+6Vn対抗配置で、金管楽器の後ろにコントラバスを一列にならべた布陣。ホルン4本を木管群の左(舞台下手)に、そしてワーグナーチューバー4本を右(舞台上手)にと、ちっと見慣れない配置。7番は、8番、9番と異なりワーグナーチューバーが5-8番奏者の持ち替え指定ではないので、なるほどこの手もあったのかと思う。第2楽章での葬送の部分など大変効果的だし、終楽章でのフルサウンドでの音のまとまり具合など、センターに据えたベースの音響的な下支えも含めてすばらしいものだった。

 

もっとも演奏自体は、というと“う~ん…”ってとこかな。今年1月定期の第4番での10型からもう1プルト増やして12型にしていても、この編成でのブルックナー後期作品は無理がある。強奏部と弱奏部が交互に出てくる第4楽章や、のどかな中間部とスケルツッオが対比する第3楽章は、まだどうにかなる。(それでも1月定期と同様、小さなゴム風船を破裂寸前まで膨らませているような、限度いっぱいな印象は同じ)。でも、2つの主題を展開させながら頂点を目指して音楽を積み上げていく第2楽章では、せいぜい67合目あたりまでしか登りきらない不完全燃焼さがどうしても拭えない。

 

この楽章の魅力は、ひたすら高みに向かって上り詰めていく、陶酔的で息詰まるようなオーケストレーション、頂点 (個人的には、やはりシンバルのひと鳴りが欲しい) を迎えた後に鳴り響く厳粛な葬送(ワーグナーチューバ)と胸が張り裂けんばかりの叫び(ホルン)、そして長調による浄化されたエンディングと続く、長い旅路のようなものであり、この曲を聴くことは、そこにわが身をどっぷりと浸すこと。残念ながらこの日の演奏では、一切の陶酔もなしに醒めたまま音楽を聴いている自分がいた。

 

演奏の終了後、フライングとまでは言わないけど、まだ指揮者が胸の位置に手を置いているにもかかわらず早々に拍手が起こってしまった。その後の拍手も、決して“熱狂”とはいえないものだった。私と同じような戸惑いを感じた方が少なからずいらっしゃったのだろうか。

 

日本センチュリ_第225回定期_20180531

201861日 東京フィルハーモニー 第118回東京オペラシティー定期演奏会  

 

東京オペラシティーコンサートホール

3C3 7

 

ボロディン: 歌劇『イーゴリ公』より韃靼人の踊り“

ショスタコーヴィチ: ヴァイオリン協奏曲第1

ショスタコーヴィチ: 交響曲第5番 

 

 指 揮                  アンドレ・バッティストーニ

ヴァイオリン                     : パヴェル・ベルマン

 

10代のころ、取り憑かれたように聴いたムラビンスキーのモノラル録音(LP時代に一体、何種類の音源を持っていたのだろうか)で聴くロシア重戦車を思わせる“超”スローテンポ。そして、しばらく後にリリースされたバーンスタインの1979年東京ライブ盤の、ムラビンスキーとは真逆のアプローチ。ショスタコーヴィッチの第5交響曲において、両者を演奏解釈の二通りのありようとしてベンチマークとして刷り込みしてしまい、その後に聴く演奏がどちらに振れたものであるか、といった聴き方をしてしまう。

 

ところがこの日の演奏はそのコーダにおいて、どう捉えようか困ってしまうような解釈を見せたことに戸惑ってしまった。スローテンポでコーダを開始した後、ホルンがソリで吹き鳴らすところ(299小節)で突然ギアを数段上げたかのようなスピードアップ。その後、フォルテシシモの箇所に向かって徐々にテンポを落としたかと思うと、再びテンポを速め、340小節あたりでまた一気にギヤダウンして、最後はムラビンスキーばりの超スローテンポで曲を締めくくった。

 

うーん、どうだろう。リスクを恐れず小さくまとまらないことこそ若者の特権であり、バッティストーニはまさにそれを体現して成功を掴みつつある若手指揮者と思う。思いっきりオーケストラをドライブさせた“韃靼人の踊り”も、ヴァイオリン協奏曲でのオーケストラの扱いも立派なものだった。それでも最後の最後での“コネクリまわした”感が残念でならない。

 

ちなみに、このブログを書くにあたり、自宅書棚にあった“ショスタコーヴィチの証言”(ソロモン・ヴォルコフ著・水野忠夫訳)を引っ張りだして再読してみた。昭和5510月発行の初版本なので、ちょうど私が二十歳のときに買ったようだ。あまりにも有名な真贋論争により、後に大変なインパクトをもたらした本だけど、実際のところ全400頁にも及ぶこの本のなかで、第5交響曲についての記述は『ムラビンスキーが私の音楽をまるで理解していないと知って愕然とした』の一節から始まる有名なくだり(本の265頁)で出てくる程度。時折、この交響曲の解説で“ショスタコーヴィチの証言”以降….などと、作品解釈の分岐点として扱われるのはどうにも違和感がある。

 

おっと、ホールのことを書くの忘れてた。東京オペラシティーコンサートホール“タケミツ メモリアル”。私のなかで、東京でベストなホールです。シューボックスの上にピラミッドのような高い天井による独特な空間が作り出す豊かな音響はもちろんのこと、初台駅から会場までのアプローチ、ホワイエの雰囲気まで含めた、総合評価では東京で随一でしょう。

 

東京フィル_東京オペラシティー_20180601

東京フィル_東京オペラシティー_証言_20180601





2018531日 日本センチュリー交響楽団 第225定期

 

大阪ザ・シンフォニーホール

1階定期会員席

 

指揮          ジョセフ・ウォルフ

ヴァイオリン    クロエ・ハンスリップ

 

ベートーベン: 『コリオラン』序曲 ハ短調 作品62

ベートーベン: ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61

  ―― アンコール  J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番“サラバンド”

ベートーベン: 交響曲第4番 変ロ長調 作品60

 

演奏会から2週間近く経過してしまった。この翌日の東京出張のついでに武満メモリアルで東フィルを聴いたあと、週明けに大阪に一度もどってから直ぐにマレーシア出張。9日の夜に帰国後直ぐにまた東京出張、とかなり過密スケジュール。それでも何とか演奏会を聴けないものかと探してみると、移動日10日の午後にNC定期(訂正、A定期でした)を見つけた。ところが午前便で東京に入っていたのに、スーツケースの鍵が壊れて開かないという自力では対処しようのないトラブルのために、結局代々木まで出かけることが出来なかった。“NHKホールでN響を聴くなら3階自由席に限る”との知人の助言のおかけで、ふいにしたチケット代が1,500円ですんだのが不幸中の幸い。

 

このブログも東京のホテルにて書き始めて、おおっと気づいた。この日の演奏曲目、なんと作品番号が606162と連番ではないか。日本センチュリー、なかなかやるな。こうやって気づくのも、ブログを書いているからこそだろう。さて演奏はというと、いつもの日本センチュリーらしくない。いつも隙の無い合奏を聞かせてくれるのに、この日に限っては後半の交響曲になっても縦の線が合わないまま。『う~ん、どうしたの?』と思いながら聴いていたこともあり、演奏はみごとに記憶に残らない演奏会だった。こんな日もある。

 
日本センチュリ_第225回定期_20180531

2018530日 大阪フィルハーモニー第518回定期演奏会 2日目

 

フェスティバルホール

2R52

 

指揮            : ダニエール・ルスティオーニ

ソプラノ        : 小林 沙羅

 

メンデルスゾーン       : 交響曲第4番“イタリア”

マーラー                : 交響曲第4

 

 “イタリア”は中学生のころアンセルメ・スイスロマンド管弦楽団のLP (たしかB面は“真夏の夜の夢” 抜粋だったはず) を繰り返し聴いたものだけど、記憶を振り絞ってみると、どうやら実演を聴いたのは今回が初めて。こうして聴くと実に聴き栄えのする作品だった。2日目のほうが、より歌謡性と伸びやかさに富んでいたように感じられたけど、ステージからの直接音が比較的良く届く昨日の1階中央ボックス席の真後に比べて2階バルコニーのほうが豊かなホールトーンに包まれたいたことも、その理由だったかもしれない。ただし演奏の精緻さという意味では、たとえば第3楽章中間部など初日のほうが優れていたように思えたのだけど、どうだろうか。

 

準・メルクルに似た指揮姿のルスティオーニは、長い手足をいっぱいに使った大きな身振りの指揮をする。その見た目に反して、マーラー第4番は両日ともテンポをゆらすことも過度なアゴーギクもなく淡白とした音楽作りで、特に遅めのテンポで進んだ第1楽章など、再現部に入って音楽の歩みに変化を効かせるまでは、ほとんど退屈だった。丸く柔らかな表現は全曲を通じていて、たとえば第2楽章のトランペットの楔のような音形(200小節)も全く刺激的にでない。ただ、同じ第2楽章最後あたりでのハープのグリッサンド(254小節)をフォルテで際立たせるようにくっきりと弾かせたところなど、面白かった。(もっとも2日目は意識して聞いていても初日ほどの印象を持たなかったのは、ハーブから遠く離れた上手バルコニーだったからだろうか)。それでも第3楽章など、ゆっくり目のテンポでありながら全く弛緩することなく、コーダで音量が最大値に達するところでの息を呑むようなうねりとロマンティシズムの表出はさすが。

 

ソプラノを歌った小林沙羅はテクニックは申し分ないけど、どうにも声質が独特で正直なところ違和感が先にたつ。(特に直接声が席に届く初日)。もっともマーラーが子供のような声を求めたことを思うと、これはこれでぴったりだったのかもしれない。

 
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2018529日 大阪フィルハーモニー第518回定期演奏会 1日目

 

フェスティバルホール

1階定期会員席

 

指揮            : ダニエール・ルスティオーニ

ソプラノ        : 小林 沙羅

 

メンデルスゾーン       : 交響曲第4番“イタリア”

マーラー                : 交響曲第4

 

今、パソコンに向かってこのブログ記事を書いているのは演奏会から2日経過した61日朝6時。翌日2日目も聴いているので、演奏の感想などは2日目公演のブログ記事にて書きます。今日はこれから東京に出張。今夜は東京オペラシティでバッティストーニ・東フィルを聴きに行く予定なので、図らずもイタリアの若き天才指揮者の聴き比べになりますね。

大阪フィル_518回定期

2018526日 日本センチュリー交響楽団 豊中名曲シリーズ Vol. 6

 

豊中市立文化芸術センター 大ホール

1階席J31

 

ボッケリーニ    : チェロ協奏曲 ト長調 G480

モーツアルト    : 交響曲第35番 ニ長調“ハフナー” K385

ベートーベン    : 交響曲第8番 ヘ長調 OP93

  -アンコール  ハイドン: 交響曲第13番 第2楽章

 

指揮            :鈴木 秀美  

 

豊中市立文化芸術センター大ホールは2年前に杮落としをしたばかりの1,344名収容の中規模ホール。日本センチュリーが昨年から豊中名曲シリーズとして週末に演奏会を始めたことは知っていたものの、そもそも週末は通常大阪を不在にしていることに加えて、なんとなく“豊中は遠い”という勝手なイメージのもと、なかなか聴く機会を得なかった。

 

実際に出かけてみると非常にアクセスが良い。最寄の阪急曽根駅は、いつも伊丹空港に向かう際に利用する大阪モノレールの乗り換え駅である蛍池駅から3つ手前の駅で、目的の豊中市立文化芸術センターは駅舎を出て阪急線路沿いに徒歩5分。これだったら平日の演奏会でも勤務先から30分でホールにたどり着けそうだ。

 

座った席は、舞台から10列目(列番号J)。8列目(列番号H)から勾配がかかってくるので、前列の人の頭は目線にまったく被らない。ちなみに1階最後列は24列目(列番号X)で、18列目(列番号R)からは2階席が被ってくる。聞こえる音は“芳醇”と表現してもよいほどに響きが豊かで、しかも下手(センターブロック上手よりの席だったのでオケの向こう側)に位置したベースの音がステージ奥の反響版を回って、上手側からブウォン・ブウォンと聞こえてくる。

 

鈴木秀美指揮の実演を聴くのは今回が初めて(それ故に、どうしてもこの演奏会聴いておきたかった)。バロック・チェロ奏者としての勝手に抱いていたイメージとは大きくことなり、ピリオド奏法への固執などはほとんど陰を潜めて、特にベートーベンの交響曲などロマンティシズムの表出に主眼を置いた演奏のように感じられた。それにしても、毎度の記載になるけど、コアメンバーで聴く日本センチュリーは実に安定している。



2018524日 大阪フィルハーモニー交響楽団 ソアレ・シンフォニー Vol.11

 

ザ・シンフォニーホール

1階席N6

 

ベートーベン: 劇音楽『シュテファン王』序曲 作品117

チャイコフスキー: ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35

  ―アンコール  J.S.バッハ: 無伴奏パルティータ第2番ニ短調より“サラバンド” 

ドヴォルザーク: 交響曲第9番 ホ短調 『新世界より』作品95

  -アンコール  ドヴォルザーク: スラブ舞曲第10

 

指揮            :角田 鋼亮  

ヴァイオリン    : 川久保 賜紀

 

かつてLP時代にメン・チャイとして盛んにカップリングされたメンデルスゾーンとチャイコフスキーの両ヴァイオリン協奏曲も、プロによる演奏であればハズレが無いというか、大概に不満を感じることなく演奏を楽しむことが出来る前者に対して、後者のチャイコフスキーはその真逆で、これまで実演・メディア(録音・録画)を聴いて、なかなか“これぞ”と思える演奏に出会えない。この10年ほどを振り返って、思わずうなってしまった演奏はBSプレミアムで視聴した2015年ザルツブルク音楽祭でのムターとムーティ指揮ウィーン・フィルの演奏のみであったように思う。

 

さて、当夜のチャイコフスキーの演奏、どうにも私の趣味に合わない。一貫して遅めのテンポで、溶けた粗目砂糖にまみれたスイーツのような印象の演奏が延々と続く第1楽章には、ちょっと辟易。それでも、その第1楽章終了と同時に、P席あたりからブラボーがかかったのだから、私の感性の問題なのだろう。一方、後半曲のドヴォルザークのシンフォニーは、とにかく終楽章までの3つの楽章において管楽器の音量が全体的に大きすぎる。こちらはこのホールの “いつものお気に入りのエリア” での感想なので、私の感性を信じたいところ。前半2楽章では音楽の流れを重視してタクトを持たずに、そして後半2楽章ではリズムのきれと演奏の縦の線をそろえるためにタクトを持っての指揮だったが、弦と管のバランスは指揮者の技量の範疇だろうと思う。

 

= 閑話休題 =

 

思えば昨年度の大阪フィル定期ラインナップは、是が非でも聴きたい公演が目白押しだった。フェドセーエフのチャイコフスキー5準・メルクルのぺトルーシュカエリアフ・インバルのマーラー6ユベール・スダーンのシューベルト9、そしてラドミル・エリシュカのお別れ公演と続き、さらにはバッティストーニのローマ3部作、そして井上道義によるショスタコーヴィチの激レア交響曲第2番と第3番。う~ん、それに比べて今年度の定期プログラムは まったく“ワクワク感”が無い。

 

4年前に始まった“ソアレ・シンフォニー”シリーズも、まったくもって凡庸なものになってしまった。本来このシリーズは“仕事を終えてから、ゆっくりと聴きにいける休憩なし60分ほどの本格コンサート”とのコンセプトのもと、定期公演なみの3日間リハーサルをおこなうこと、すべてメインの交響曲と小品で構成されたプログラムで統一することなど、実に充実したものだった。そしてその初年度の全4回はすべてメインに“第1番”を置くことで統一感を持たせたのもユニークな企画でもあった。

 

シーズン初年度(2014年度)のラインナップ

Vol.1       ウェーバー『魔段の射手』序曲          高関健

              マーラー交響曲第1

Vol.2     エルガー『威風堂々』第1               尾高忠明

              エルガー交響曲第1

Vol.3   外山雄三自作曲                                       外山雄三

             チャイコフスキー交響曲第1

Vol.4   ブラームス大学祝典序曲                   大山平一郎

            ブラームス交響曲第1

 

来年度は “第2番” を共通テーマにするの?ブラームスとシベリウスは当確として、ラフマニノフともう一曲はステーンハンマルだったらいいな、などと夢想していたもの。それが、とうとう今年は地方公演もどきの名曲コンサートになってしまった《哀》。ちゃっかりタイトル頭に《名曲シリーズ》とまで記されている。《苦笑》……などと、ブツブツ言っても、しっかり発売早々にチケットを購入しておき、いそいそと仕事を切り上げてシンフォニーホールへ。だって音楽好きなんだからしょうがない。

 



大阪フィル_ソアレシンフォニーVol.11_20180524

2018517日 大阪フィルハーモニー ベートーベン交響曲全曲演奏会 第1

 

フェスティバルホール

3階席5列目中央ブロック

 

ベートーベン

バレエ音楽『プロメテウスの創造物』序曲

交響曲第1番 ハ長調 作品21

劇音楽『エグモント』序曲

交響曲第2番 ニ長調 作品36

 

指揮            : 尾高 忠明

 

尾高忠明の音楽監督就任とともに始まったベートーベン交響曲全曲演奏会、残念ながら第4回(7番、8番)は日本センチュリーの230回定期と日程が重なり、第5回は毎度の年末公演で大阪を離れているので、やむなく連続セット券の購入は見送りした。次回68日(3番、4番)は海外出張が確定しているので、あとは第3回(5番、6番)の7月演奏会をどうにか聴きたいところ。

 

ちょっと人気薄の感もあるけど、個人的にはとても魅力的なプログラム。全9曲の中で最も好きな第2番(第1楽章、壮大な序奏の後の最初の主題提示から転調推移して、なだれ込むように続く躍動感あふれる第2主題を聴くと、いつもワクワクし音楽を聴く喜びに浸れる)が演奏させること、そして初期作品を新音楽監督尾高忠明と大阪フィルがどのようなアプローチで演奏するのだろうか、定期会員として興味は尽きない。

 

さて、その尾高忠明・大阪フィルのベートーベン、チラシにある “原点にして頂点” の言葉に相応しい立派な演奏だった。『プロメテウスの創造物』序曲の出だしを聴いて、身構えたほどには重心が低くない音作りに一瞬戸惑いを感じたのは事実。それは『エグモント』序曲でも同じで、オーケストラの音の積み上げ方は明らかに一昨年までの井上道義と違う。ただし、それは音楽を過度に厳しいものにしないだけで、十分に剛性があり、また適度にしなやかさもあり、まったく問題ない。個人的には、前述の第2番第1楽章に限らず、第1番、第2番共通して、もう少しだけ躍動感が加われば理想なのだけど。

 

それにしてもフェスティバルホールの3回席の音響はすばらしい。

 
大阪フィル_ベートーベン_第1回パンフ_20180517


大阪フィル_ベートーベン_第1回_20180517

201858日 東京フィルハーモニー 第907回サントリー定期 歌劇『フィデリオ』演奏会形式 

 

サントリーホール

110 35

 

ベートーベン    : 歌劇『フィデリオ』 演奏会形式

 

 指 揮                  チョン・ミュンフン

 

フロレスタン                     : ベーター・ザイフェルト

レオノーレ                         : マヌエラ・ウール

ドン・フェルナンド           : 小森 輝彦  

ドン・ピツァロ                  : ルカ・ピサローニ

ロッコ                                : フランツ=ローゼフ・ゼーリヒ

マルツェリーネ                  : シルヴィア・シュヴァルツ                           

ヤキーノ                            : 大槻 孝志 

 

合唱                                   : 東京オペラシンガーズ

 

『フィデリオ』って、楽聖ベートーベン唯一のオペラ作品として有名(名前がよく知られている)でありながら、作品自体は耳にする機会がありそうで、なかなか無い。週末に自宅のCDラックを確認したら、15年ほど前に『まっ、いつか聴くでしょ』と買っていたマゼール・ウィーン国立歌劇場とクレンペラー・フィルハーモニアOの全曲セットがどちらも未開封のまま、埃を被ってた。普段は演奏会に先立ってCDで事前に聴いておくことは一切“しない派”だけど、今回だけは、事前に“予習”をしておけばよかったようだ。ミュンフン・東京フィルの実演を聴いても、どうにもピンと来なかった『フィデリオ』も、この週末にマゼールとクレンペラーの両録音を聴いて作品の魅力が多少は判ってきた気がする。

 

全曲を暗譜で指揮したチョン・ミュンフンの切れ味鋭い指揮姿と、それに応えた東京フィルの演奏がみことだったけど、なにより東京オペラシンガーズがこんなにも達者な団体だとは知らなかった。演奏会形式だとオーケストラ演奏のダイナミズムが際立つ一方で、主役・準主役級とその他歌手の実力差がはっきりとしてしまう。そんな中、第2幕序奏後のベーター・ザイフェルトの“神よ、なんと暗い闇か!”の最初の言葉 Gott! の扱いが、録音で聞くジェームズ・マクラッケン(マゼール盤)やジョン・ヴィッカーズ(クレンペラー盤)の冒頭から張り上げるような歌いっぷりと異なり、苦悶の果てに心の底から搾り出すかのような歌いだしだったのがとても印象的だった。

 

下手前方席からの“早く演奏しろ!”との叫びは論外にしても、常々ブログに書いているとおり、余分なバイアスを与えてしまう所謂“前説”は、出来れば耳を塞いででも聞きたくない。その意味では幸いなことに作品紹介に徹した単なる“お話”だったにしても、なんとも中性的な俳優の語り口は“これからベートーベンのオペラを!”と気持ちを切り替えていたところには不釣合いだった。

 

 
東京フィル_フィデリオ_20180508



20185月1日  ウィーン国立歌劇場 アイーダ

 

ウィーン国立歌劇場

平土間右2列目3

RPARKETT RECHTS REIHI2、 PLATZ 3

 

ヴェルディ : 歌劇『アイーダ』

 

 

指揮          :エヴェリーノ・ピッドー

演出          : ニコラ・ジョエル

オーケストラ  :ウィーン国立歌劇場オーケストラ

合唱          :ウィーン国立歌劇場合唱団

 

エジプト王    : アイリーン・ファスト・グリーン

アムネリス    : アニタ・ラチヴェリシュヴィリ

アイーダ      : クリスティン・ルイス

ラダメス      : ホルヘ・デ・レオン

ラムフィス    : ソリン・コリバン

アモナスロ    : パオロ・ルメッツ

 

席は平土間ピットから2列目、上手端から3番目。一昨日、昨日と大きく異なり日本人旅行客が驚くほど多い。この旅で知り合いとなったN氏(後述)をお待ちして劇場入り口に立っていると、日本人の旅行客がやたらと目に付く。新婚旅行然とした若いカップルから、数名の女性グループ、そしてもちろん壮齢のご夫婦まで。私の席の周りだけでもざっと10人は日本人だったから劇場全体で150人、もしかすると200人近くが日本人だったとしても、決しておかしくは無い。

 

3列目のほぼセンターで聴いたとき(一昨日のアンドレア・シェニエ)の身震いするほどの感興に一切ひたれなかったのは、明らかに席位置の違いだろう。目の前はヴィオラの最後尾でその奥にトランペットとトロンボーン。その直ぐ右横(上手)にはティンパニが置かれ、とにかくバランスが悪い。ただし、舞台から2列目は、特に上手よりで歌ったときの襞のような細部までとても良くわかる。全体的には歌唱パフォーマンスにバラつきがあったようで、アムネリス役のドラマチック・ソプラノ アニタ・ラチヴェリシュヴィリが一番の出来だったのに対して、アイーダ役のクリスティン・ルイスの、低域での声の弱さゆえの表現の単調さと中・高域にかけてのつながりの悪さがどうにも聞こえ悪く、実際、終演後のカーテン・コールでかなりのブーイングが浴びせられていた。そのカーテン・コールはわずか1回だけ。昨日のセヴィリアの理髪師が2回、一昨日のアンドレア・シェニエがヨナス・カウフマン主演もあり平土間総立ちのスタンディング・オベーションとともに長時間続いたことを思うと、私の今回のオペラ3作品の満足度とみごとに相関する。

 

それにしてもやはり、ヴェルディは苦手だ。これまでも、お金を払ってまで聴きたいとは思わない“食わず嫌い”の作曲家。今回、初めて実演を聴いてハッキリ認識した。誰になんと言われようと、ヴェルディは私の趣向に合わない。日頃ワグネリアンを自認していてもイタリア・オペラは嫌いではないし、実際プッチーニは初期作品から晩年トゥーランドットまで、どれも楽しんできた。でも、ヴェルディはやはり、だめだ。

 

ウィーンの3日間の滞在では、素敵な出会いもあった。滞在初日のアンドレア・シェニエで偶然、隣に座られたご年配の紳士N氏とはその後のセヴィリアの理髪師、アイーダ、そしてこの日の午前11時からの楽友協会大ホールでのウィーン・ヨハン・シュトラウス・オーケストラのスプリング・コンサートともすべてご一緒で、毎回開演30分前に会場入口でお会いしてお話をさせていただいた。楽友協会を出た後、ご宿泊先であるインペリアル・ホテルで昼食までご一緒させていただき、いろいろと楽しいお話をさせていただいた。35年ほど前、ウィーン国立歌劇場でグルベローヴァのアデーレを聴いて以来のオペラファンであること、毎年、大晦日の『こうもり』とニュー・イヤー・コンサートを聴きにウィーンにいらっしゃること、そして今回はもう数日滞在しハーディング・ウィーンフィルのマーラー5番を聴いてから帰国なされること、などなど。3日間を通じ、ご人徳あふれる語り口とお人柄あふれた笑顔のN氏と演奏会の前後に会話を交わすことで、私の一人旅をさらに心豊かなものにすることができました。ありがとうございました。

 ウィーン国立歌劇場_アイーダ_20180501



ウィーン国立歌劇場_アイーダ_1_20180501


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